107 チョコレート4
「カカオ豆の数が揃えられるまでは、まずは少量から売り出す、それはいいね?」
「はい」
「店でいきなり売り出したら、どうなると思う?」
持ち帰りか店内のみかで考えれば、まずは店内からが無難。
いつ販売開始となるにしても、その時に予約していた客が第一の客となる。
未知のものに警戒する人もいれば、好奇心で選ぶ人もいる。店の常連もいれば、初来店の人もいる。
「誰が一番に食べるかわからないと、その後の混乱度合いもわからないと思わない?」
言われてみれば、そうだ。
「前情報がなくこれを食べたなら、「これはなんだ」って話になるだろう?
コフィアは客を選ばない。マナーがない客は追い出されるけど、派閥とか爵位とか商会の利害関係とかは斟酌してないからねぇ。“誰でも使える店”なんだよ。
そんな中で、エスポスティを良く思わない客が初めにチョコレートを食べたら、どうなるか、わかるでしょう?」
店で出したら客を選べない。
まずい客に当たったら、トラブル不可避だとアロイスの話でようやくデルフィーナは理解した。
「売り出してすぐなら、チョコレートにいちゃもんをつけて横取りしよう、占有しようとする人もいるかもしれない。チョコレートに対する保証や評判は、前もって作っておくべきなんだよ」
諭すような、言い聞かせるようなアロイスの語りに、デルフィーナは己の短慮を認識した。
「豆の数を確保できていないから、大々的に宣伝ができない。数を絞って高価にするなら、期間限定でも安売りはできない。そうなると、先に「コフィアの新商品は不味い」と喧伝されてしまった場合、その評判を覆すのには苦労するよねぇ」
新聞すらない今のバルビエリでは、広告媒体がない。そうなると、一番の宣伝は口コミ、噂となる。
貴族間の噂は侮れない。それを知っている商人ならば、良くも悪くも噂を上手く使うものだ。
チョコレートの原料がわからなくても、ロイスフィーナ商会の、ひいてはエスポスティの新商品を潰せるだけでも、ライバル商会としては旨みがある。
そんな足を引っ張られるきっかけを与えず済ませるには、事前の手回しが重要。
チョコレートのような、確実にファンを生む食べ物なら、先にその魅力をやんごとない方々に知ってもらうだけでいい。
高位貴族の誰かに「美味しい」と言わせておけば、それに反する感想は同じ爵位の貴人以外は出せなくなる。
一般に売り出す前に「チョコレートは美味しいもの」と保証されていれば、店で出した時も安心して提供できるというわけだ。
アロイスの説明でデルフィーナは納得する。
紅茶は既にたくさん手元にあって、品質もまちまちだった分、安売りできる茶葉もあった。
前評判なく売り始めたが、同時にカフェテリアという新形態の店と、目新しい菓子がたくさんあり、それらに“合う”ものだったから、悪評を立てられる前に人気を博した。
今やコフィアは、予約すらなかなか取れない店となっている。
チョコレートは、そのコフィアの人気を不動のものにする逸品だ。
だからこそ、店の安寧のために、上手く使う必要がある。
「チョコレートの美味しさを、ヴィルガ子爵様に保証していただくのですね?」
「うん。イルミナート様というよりは、パスクウィーニ家、アマデイ侯爵に、だねぇ。あちらのご婦人方は、イルミナート様と同じくらい、甘い物がお好きなようだから」
お金のあるお家だ。高貴なる病も、歯を抜くことなく施療院で治してもらっているともっぱらの噂である。
チョコレートは絶対に、お気に召すだろう。
「侯爵家からの保証を得るのに、侯爵様ご本人のお気に召さなくても大丈夫なものです?」
夫人と息女、子息がチョコレートにハマっても、保証を出すとなると当主の見解が肝心なのでは。チョコレートを、即ちコフィアを守るとなれば、当主の許しは必須だと思うが。
「大丈夫だと思うよ。あちらの侯爵様は、夫人の慧眼を信じていらっしゃるから。――それとも、何か、後押しできる要素があるのかな?」
デルフィーナの疑問に答えたアロイスは、逆にデルフィーナに問う。
<カカワトル>のことを知っていてチョコレートを作ったのなら、余人の知らない情報をデルフィーナが持っていても不思議はない、とアロイスは透察する。
「んん、そうですね……」
デルフィーナはしばらく考えて口ごもった。
侯爵が<カカワトル>を薬として元々使っていれば話は早いが、そこは不明のため、服用していないものとして考える。
チョコレートは、菓子という印象が強いが、薬とされるだけあって、健康効果は色々と謳われていた。
疲労回復、リラックス効果、抗うつ作用、風邪予防、貧血予防、整腸作用、血圧低下、等々。まあ色々とあったな、と思い出す。
カカオポリフェノールの抗酸化作用が、色んな効果をもたらしていたわけだ。
他にも、カカオプロテインだとか、食物繊維だとか、鉄分だとか、良い働きをする成分があったと記憶している。
逆に、摂り過ぎるのもよくないとされていて、油脂分によってニキビができたり、胃もたれ、頭痛やめまいを起こすらしい。
どれだけ食べたらそうなるのか、個人差はあるにしても、過ぎたるは及ばざるがごとし、ということだろう。
チョコレートは中毒もあるため、ほどほどに楽しむのが良いとされていた。
そういったことを、ポツリポツリと思い出しながら話せば、聞いていた四人はクラリッサも含め、考え込む顔つきになっていた。
「なんとまあ……」
「それほど効果があるものなのか……」
「あっ、いえ、そこまでものすごい効果があるわけではありませんわ」
薬効に唸る大人達を見て、デルフィーナは慌てて否定する。
劇的な効果があるわけではないのだ。
摂らないよりも摂る方が身体には良く、また、摂り過ぎてもいけない。
病を癒やせる薬ではない。あくまでも、予防薬のようにして摂るもの。未病に効くものと捉えてもらわねば、期待外れとなる。
「今は難しいお話をされているからわからないと思いますが、食べると気持ちがほぐれたり、なんとなく気が抜けるというか、緊張が緩和したりする、そういう程度なのです」
男性陣はわからぬ、といった表情を浮かべたが、クラリッサだけは頷いた。
「そうね。紅茶をいただいても気分は落ち着きますが、チョコレートはそれとまた少し違う感じでしたわ。なんというか、ほのかな幸せを味わった感じかしら」
「……なるほど?」
クラリッサの感想に、ドナートは理解不能と困惑を見せる。
味や香りの衝撃から、今後どうするかについて頭を悩ませてしまった分、チョコレートの魅力を十全に味わうことができなかったようだ。
その点、手配をする立場にないクラリッサは、純粋に味わって堪能できたため、一人深くチョコレートを理解できていた。
「幸せホルモン」といわれるセロトニンや、エンドルフィンが分泌されるチョコレートは、確かに食べると幸福感まで味わえる。
テオブロマ――神の食べ物、といわれるだけはあるのだ。
「お父様達にはまた改めて味わっていただくこととして。
すでにバルビエリでも<カカワトル>は滋養強壮に効くとされているのですから、健康効果のある食べ物として、苦い薬の代わりにお薦めすることは可能ではないですか?」
今<カカワトル>を服用していなくても、「美味しく食べられる薬」として十分売り込める。
それは、甘い物が特別好きでなくとも、惹かれる話だろう。
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