106 チョコレート3
「ふむ」
「確かに苦いな」
「口の中でとろけるのですね」
当然ながら三人の反応はそう悪くない。
味や香りが先に気になる男性陣と違い、クラリッサはその口溶けを楽しんでいた。
それもまた、チョコレートの味わい方として正しい。
「では次に、こちらをどうぞ」
またそれぞれの皿へ、アロイスがチョコレートを配る。今度は生クリームたっぷりのガナッシュだ。
「こちらは手につくので、フォークでお召し上がりください」
冷えているうちは大丈夫だが、少しでも室温に近づけばかなり柔らかくなる。
ココアパウダーでコーティングしてあれば手でも食べられるが、ココアパウダーを作らないうちは、フォークで食べるか、ボンボンショコラにするしかない。その辺はこれからだ。
「おお……」
「まぁ」
「…………」
柔らかな食感は、噛まずとも口の中で溶け出していき、同時に香りも口の中に広がって、鼻へと抜けていく。
まだまだ美味しくなる予定だが、今のガナッシュでもしっかり美味しい。
チョコレートの味わいを知らない人が食べたなら、それは確実に感動だろう。
「これは、何という食べ物なのですか?」
心を奮わせたそれの名を問わずにはいられないと、消えていく余韻を惜しみながら、クラリッサが尋ねる。
「これは、チョコレートという食べ物ですわ」
デルフィーナはにっこりと笑った。
ショコラ、ショコラーデ、ソコラタ、チョコラート。色々な言語がある中で、デルフィーナにとって一番馴染みの深い「チョコレート」で通すことにした。
「チョコレート……」
「チョコレート、か」
純粋に堪能するクラリッサに比べ、ドナートとカルミネは、味わった後から難しい顔になっていた。
「アロイス」
皿の上に残っていた板チョコレートを見つめていたドナートが顔を上げる。
名を呼ばれたアロイスは、続けて箱の中からカカオ豆を取り出した。
「こちらが主な材料になります」
「これは?」
「豆、か?」
「ナッツのように見えますが」
一粒ずつ手に取って、矯めつ眇めつする。
「これは、種子ですわ」
ナッツと違いそのままは美味しくないが、同じ種ではある。
「南大陸から入ってきている<カカワトル>をご存じですか?」
ドナートとカルミネの目配せに、クラリッサだけは横に首を振る。
「確か……滋養強壮に効くのだったか? スパイスで誤魔化して飲む、苦い水薬の元だったと思うが」
商売柄、高位貴族を相手にすることもある二人は、耳にしたか目にしたか、存在だけは知っていた。
「私は、実際に飲んだことはないが。代わる何かはないかと、以前問われたことがあったな」
誤魔化しても苦いものは苦い。
砂糖を入れてもスパイスを加えても、苦味が消えるわけではないため、薬として飲むのなら、代替品を探しても不思議はない。
海を越えた輸入品だけあって、そこそこの値がするものだから、北大陸産のものに変えられるのなら変えたいと考えるのは当然だ。
まして我慢して飲んでいるのだから、高いお金を出すのは嫌に決まっている。
「スパイスや砂糖で誤魔化して飲む薬の元、それが一般に知られたカカワトルですねぇ」
アロイスは、ふ、と笑った。
「まさか、コレが?」
「カカワトルです」
カルミネが突き付けるように摘まんでいたカカオ豆を目の高さに持ち上げる。
「これが、チョコレートの原料だと?」
ドナートの声にも隠しきれない興奮の色がある。
確認するように見つめられて、デルフィーナは頷いた。
「カカワトルの輸入量は今どれぐらいだ?」
「エスポスティ商会では入れていませんよね?」
ドナートの質問を受けて、アロイスはカルミネに確認する。
「一度入れるか検討したが、採算が合わないこと、代替品を求める客の方が多いことから、見送られて今は入れていないな」
その答えに、軽く頷いた。
「これは南大陸に本店のある商会を覗いた時に、デルフィーナが見つけて買ったものです。後から他の店もいくつか見てみましたが、どうも、北大陸の商会では扱いがないようです」
デルフィーナが<カカワトル>を買ったのは少し前の話だ。
あの後、アロイスは隙間時間に輸入品を扱う店を冷やかし客の振りで訪れ、チェックしていた。
それでも全ての商店を見られたわけではない。
商業地区から外れたところにある店などは把握できていなかった。
「明日以降、タツィオに他店から買い入れするよう指示してあります。値上がりする量は取らないように、買い占めもしないように伝えてあります」
それで、どれだけカカオ豆の確保ができるのか。
おそらく、チョコレートを商品とするには、全然足りない。
他の商会に悟られないよう、それでいて大量に仕入れる必要がある。
「南大陸の店と契約を結ぶのが早そうだな」
「あちらに渡っている船へ、農園から直に購入するよう指示することもできますが」
「並行して両方で仕入れが無難だな。どちらも品質がわからん」
「でしたらチョコレートを作れる職人を派遣しますか」
「それは危険が伴う。種だけこちらへ入れる方がいい」
父親達の会話を聞きながら、なんだか大変なことになってきたぞ、とデルフィーナは視線を右往左往していた。
そんな四人を気にせず、クラリッサは美味しそうにガナッシュを摘まんでは、ほこほこと笑み崩れている。
よほど口に合ったらしい。
合間に紅茶を飲んで、幸せそうにしていた。
「そういえば、先日、コルリ伯爵夫人にお声がけいただきましたの。なんでも、ガーデンパーティでアマデイ侯爵家からの手土産としていただいたお菓子が、とても美味しかったとか」
三人の会話に頓着せず、ふと思い出したように言う。
「コルリ伯夫人といえば、パスクウィーニ家の縁戚でしたか」
“アマデイ侯爵家”に反応したアロイスへ、クラリッサが頷く。
「今話題の<カフェテリア>でもまだ出していない帝国風菓子なのよ、と侯爵夫人に言われたそうですわ」
後日調べたところ、確かに帝国菓子にそっくりだが、レシピは<カフェテリア・コフィア>から出たものだとわかったらしい。
駄目元でレシピの販売はないのかと、こっそり聞かれたのだ。
「あれは義弟と娘の店のことだから、そちらに問い合わせるようお伝えしたけれど、そちらに話が行っていないなら、その場で私が答えなかったことで察してくださったのね」
あのレシピはアマデイ侯爵家とのつなぎとして使ったものだ。
他へ流すつもりはない。
たとえレシピの出処を、侯爵家が隠していなくても、だ。
クラリッサの確認に、デルフィーナとアロイスは胸を撫で下ろす。
侯爵家とつながりのある家だから、侯爵家の不興を買うような無理はしないだろうが、伯爵家となるとエスポスティ家は謙るしかない。
マカロンをどう使うかは侯爵家次第だが、その影響は今後も多少ありそうだ。
「マカロンに続く一手を、チョコレートで指したいと思っているのですが、どうでしょうか」
アロイスの言葉に、デルフィーナは傾けていたティーカップを止めた。
「どういう意味ですか?」
よくわからない、と叔父を見上げれば、なぜかポンポンと頭を撫でられた。カルミネにも。
お読みいただきありがとうございます。
キリの良いところできったら少し短めになりました。
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