102 手紙と絵具
その手紙が届いたのは、デルフィーナが完成したばかりの青い絵具を使って海の絵を描いている時だった。
執事見習いが持ってきた手紙は、三角の形をしていた。
「チェルソからだわ!」
特徴的な形から、すぐに発信人がわかる。
南大陸最南端を目指しているチェルソからの手紙は、なるべく早く届くよう、お金をかけた。
どんな魔法か詳細は知らないが、紙のような軽いものは南大陸からでもあっという間に届く。曰く、手紙自体が<飛ぶ>ように紙に魔法をかけてあるとか。
デルフィーナは実際に見たことがないので、いつか<飛ぶ>手紙を見てみたいと思っている。
かなり高額の紙なのだが、珈琲発見の報はいち早く知りたいと、デルフィーナは得た資金をつぎ込んで、その紙を大量にチェルソに持たせて送り出していた。
定期的に手紙を寄越すよう指示してあるが、そういえば前回から少し間が空いている。
急く気持ちを抑えながら、ペーパーナイフで手早く開封する。
「――次の上陸はいよいよ最南端の予定です。前回の停泊では嵐に遭い、足止めを食らったので定期連絡ができませんでした。もう嵐の影響はないので手紙を飛ばします。
停泊が長くなった分、少し内陸へ足を運びました。こちらの馬は大きく、羽馬ほどではないですがかなり速く走ります。赤い実のなる木があったので、北へ向かう高速船に乗せました。この手紙が届いた後、しばらくしたら北大陸へ着くはずです。
実の種を飲み物にする話はなかったです。船旅が終わったらまた手紙を出します」
音読してから、ふーっと溜め息を吐く。
小さな紙のため、つめつめに書かれている。もう少し小さな字にすればいいのに、といつも思うのだが、チェルソは紙面いっぱいを使って大きな字で書き込んでいる。豪快な性格が出ている手紙だ。
「赤い実の木……何かしら」
珈琲ではないかもしれない。でも珈琲かもしれない。
そわそわと落ち着かない気分になってしまったため、デルフィーナは絵の続きを描くのは諦めた。
どうにも集中できそうにない。
七割方描いた絵で、絵具の使い勝手や色味は十分味わうことができた。
エスポスティ商会にあった<時間促進の箱>で経年劣化や色の変化具合は確認できている。
青の絵の具はこれで完成だ。
青の色は、鉱物を顔料にするとどうしても高価になってしまうため、別のものを模索していた。
早い段階で、布を染めるための染料を思いついたが、その色を固定するための混ぜ物にかなり試行錯誤が必要だったのだ。
布の染料の色止めはミョウバンでおこなうのが普通だが、それを応用できないか、どの程度の量ならいいのか等で実験を繰り返した。
布なら塩と酢でも色止めできるため混ぜてバランスを取れるが、酢を絵具に使うのは向かないと考え、染め物の職人にも相談したりして、なんとかベストと思われる混ぜ物とその分量を割り出した。
経年劣化の確認も並行して進め、ベストを決めた形だ。
その経年劣化の確認は、エスポスティ商会が持っていた<時間経過の箱>で試せた。
<箱>は使用回数制限があるが数回は使えて、箱自体を作れる固有魔法の使い手がエスポスティ商会と契約しており、大小様々な<箱>を作っていたので、一番安価なものを割安で譲ってもらったのだ。
小さな商品の経年劣化を確認するための最小の箱だったから、なんとかお値段を抑えられた感じだ。
一番大きな箱の価格は聞かなかったが、かなり魔力の消費が激しく作るのが大変で、商会でも中々作成の依頼はしないとか。
一体いくらするのか、怖いので聞く気はない。
きっちり箱を閉めて施錠すると六十倍の速度で中の時間が進む、その小さな<箱>に作った絵具を入れ、時間経過でどの程度色の変化があるか確認していき、問題がないとわかって、ようやく完成となった。
細かい量の調節をしてくれた絵具職人――結局こちらも巻き込んだ――と、画家達に感謝だ。
そうして完成した“新しい青”の絵具に使った染料は、植物から取っている。
植物が原材料なら育てることで尽きる心配なく使えるし、安くあがる。
材料費を抑えられるということは、青の絵具の原価も抑えられるということで、かなりのコストダウンができた形だ。
絵具の開発には人件費――口止め料や契約書を含む――がかかったが、先々を考えれば安いものだ。
先発している青絵具との価格差が大きすぎるのはよくないため、販売する時は高めの値段にする予定だ。
一方で、エスポスティ家の支援する画家には、“新しい青”を提供する。
高い鉱物由来の青とは色味が多少異なるが、他の色と同じ感覚で好きなだけ使えるとなれば、描ける絵の幅も広がるはずだ。
もちろん、昔ながらの青色に拘るなら、それはそれでいい。
デルフィーナはただ、自分のために作っただけなのだから。
この“新しい青”は、染料を煮詰める関係で元がかなり濃くなったが、少量を白絵具に混ぜることで完成したため、赤色と混ぜて紫の色も簡単に作れるようになった。
紫もそこそこ高く、また、布染めの材料は希少な貝だったため、有り難い副産物となった。
今エスポスティ商会では、逆にこの絵具の紫の発想から、布用の染料を作れないかと試行錯誤している。
デルフィーナは今のところ布に興味がないため手を引いているが、青を完成させた職人達は、青から紫にスライドして、意気揚々と取り組んでいた。
そんな青の絵具をたっぷり使って描いていた、海の絵。
絵は乾くまでキャンバスに置いておくとして、手早く絵具や絵筆を片付ける。
新しい木が来るとわかったため、デルフィーナはそれを伝えに、足取り軽く温室へと向かった。
外の寒さは、段々と和らいでいる。春は近い。
違う可能性が高いが、ほんの少しだけ、期待していた新しい木。
それがやはり珈琲ではないとわかったのは、その木が到着した、数日後のことだった。
「デルフィーナ、手が止まっていますよ」
はぁ、と溜め息を吐いた後、俯いたまま止まってしまった娘に、クラリッサは声をかけた。
「集中できないようですね」
手にしていた針を軽く刺して刺繍枠内に留めると、裁縫箱の上へと置く。
侍女に目配せをすれば、さささっとテーブルの上が片付けられていく。その間にもう一人の侍女が部屋を出ていった。
「今日は良いお天気ですから、少しお庭へ出ましょうか。水仙がそろそろ終わりだと、コズモが言っていたのよ」
見納めに、と誘うクラリッサに促され、デルフィーナも針を置いて立ち上がる。
二階のクラリッサの私室から、連れだってゆっくりと玄関へ向かった。
玄関ホールに着くまでの間に、エレナが上着を持ってきていた。
着せかけられた毛皮のコートは真冬に着ていたものより軽かった。
レインコートは提案して作ってもらえたから、次の冬までには軽くて暖かいコートを考えておきたい。
ぼんやりと取り留めなく思考を流していたデルフィーナは、依然俯きがちだ。
そんな娘の様子を見ていたクラリッサは、はい、と手を出した。
「なんですか?」
差し出された手に、デルフィーナは首を傾げる。それにクラリッサは苦笑した。
「貴方ったら、心ここにあらずなんだもの。転んでは困りますから、手をつなぎましょう」
母と手をつなぐなど、いつぶりだろう。
歩みの覚束なかったもっと幼い時分には、手を引かれて庭を散歩した記憶がある。
淑女教育の始まった頃にはもう、つながなくなっていた気がするから、前回がいつだったか定かでない。
少し、幼子に戻ったようで恥ずかしいが、久々の母の体温は嬉しい。
そっと手を伸ばすと、小さな手はしっかりと握られた。
以前はすっぽりと包まれていたのに、今は違う。その手の差は、成長を教えているみたいだ。
母に少し近づけた気がして、デルフィーナはちょっぴり気持ちが弾んだ。
クラリッサも同じ事を思ったのか、ふふ、と笑うとゆったり歩き出した。
前回から間があいてしまいました。お待ちくださった方、ありがとうございます。
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