悪役王妃は強制退場させられる
その世界において、シューヒン国は大陸の肥沃な中央部を支配する大国であった。また建国時に親族功臣を各地に封じ、それらの領国を長年従えてきていた。
しかし揺るぐことはないと思われた大国も時とともに国力が衰え、かわりに各地に封じられた領国が力を蓄えることで均衡が崩れていく。
シューヒンの第十七代の国王は空になった国庫を補填するためにいくつかの領国に言いがかりをつけて攻め滅ぼした。
そのことにより各地の領国が反発した結果、十七代国王は退位を迫られて第十八代国王が即位する。
しかし十八代国王はあまり政務に熱心ではなく、ほとんど国政を顧みることもないまま在位8年であっさりと崩御したため、彼の弟が第十九代国王として即位することとなった。
兄よりも多少は国政に関心があったのか、彼は領国との関係改善を図るために当時もっとも力のある領国であったシンフィー公の一人娘で賢姫と評価の高かったマリーナ・シンフィー公爵令嬢を王妃として迎えたのだった。
そしてそれから7年の歳月が流れたところから物語は始まる。
「マリーナよ。王妃として後宮を治める立場にありながら、嫉妬心に駆られて側妃に嫌がらせするとは度し難い。そなたは離縁することにする。自分の国へ帰るがよい」
王のその言葉にマリーナは唖然とした。
おそらく王の隣にいる側妃ドロテアが何かしらの訴えをしたのだろう。
しかも居並ぶ大臣たちは王の言葉に反論する気配もなく、むしろ賛同する気配すら見せている。
「陛下よ。わたしを厭うのはともかく、離縁することは考え直すべきです。いくら宗主国とはいえ、わたしを国元へ帰すことは他の国々の反感を買うこととなりましょう」
「なるほど、お前は自身の影響力を過大評価しているようだな。だが我は王であり、これはすでに決定事項なのだ。お前の居場所はもうこの宮廷にはない。
お前の産んだ子の王位継承権も剥奪する。
命を奪われないだけ幸いに思うがよい」
別件にかかりきりになっている間に、どうやらドロテアはすっかり国の中枢を掌握していたようである。
これは油断していたわたしの敗因だ。
そして同時に王家に対する忠誠心も消え失せた。
「すでに国として決定したということであれば仕方がありません。荷物をまとめて本日中に退去いたします」
マリーナはそう言って一礼するとその場を辞した。
必ずやこの国を立て直して見せると気負っていた。しかしどうやらこの国はすでに末期症状のようである。
マリーナが後宮の自分の部屋に戻り、帰国するために数名の侍女と急いで荷物をまとめていると、なんとそこにドロテアが現れた。
「賢妃と言われたマリーナ様も、油断されましたわね」
マリーナはしばらく前からドロテアが王の寵愛を受けていることに気づいてはいたが、移り気な王のことなのであまり重要視していなかった。
そもそもドロテアは新興の男爵家出身であり、実家は裕福であったが後宮での立場は低い。
念のため情報を集めるよう指示は出していたが、まさかわずかな間にここまで朝廷に食い込むとは思ってもいなかったのである。
「あなたは王の寵愛を得て何を望むのかしら。この国の財布は底をつきかけているわよ」
先代が赤字補填のためにいくつかの国を攻め滅ぼしたが、別にそれで国庫が十分に潤ったわけではなく負債がなくなった程度のものであり、この国の赤字体質はかわらない。
その倒れ掛かった国を立て直すために奮闘していた。それを横からかっさらう腕前は大したものだが、その割に先が見えていない。
そう思っていたのだが、彼女はあっさりとその事実を認めた。
「もちろん知っているわ。わたしの出生はもう調べられましたかしら」
「商家から成りあがったホウジラナーダ男爵家の長女、と表向きはなっていますが、本当の親は領内の武器職人で、器量の良さを買われて男爵の養女となったのでしょう」
「よくお調べになられました。しかしやはりそこまででしたのね。
追放されるのですから最後にお教えしましょう。今から20年前にボウエン公国が前王によって滅ぼされ、一族郎党皆殺されたことはご存じですか」
もちろん知っている。ボウエン公は父とも親しかったのだ。
「あれはボウエン公が謀反を企んだためと発表されていますが、そんなことは誰も信じていません。当時から国の赤字を補填するために豊かな公国を強引に手に入れたのだと言われていました」
わたしの解説に対して彼女は別の話を始めた。
「実はボウエン公には寵愛した女がいましたが、身分が低いため後宮には入れずに外で密かに囲っていたのです。そして国が滅びたとき、その女性は身ごもっていましたが身分の低さもあり前王の目に留まることもなく逃げ延びました。
その女性はそれから武器職人の男性と結婚し、その男性の子供として女の子を生んだのです」
「! あなたはその娘だというのですか!」
「母から聞いただけなので、証明できるものはありませんが。
それでも男爵家へ入る前に母親からこの話を聞いたとき、わたしは亡き実の父親の復讐をすべきだと考えました。
罪のない実父の国を滅ぼしたのですから、当然その国は滅ぼされるべきです。
ですが、あなたがいたのでは簡単には滅ぼせません。ですからご退場いただくことにしたのです」
なるほど復讐のために後宮に入ったということですか。
「ならばなぜわたしを生かしたまま実家へ戻すのですか」
「あなたの父親であるシンフィー公はあなたに対する王の仕打ちを黙って受け入れる人ではないでしょう。とはいえこの国にもまだ優秀な方が残っていますので、下手に暴発されるよりはあなたが生きたまま実家へ帰り、不満分子の受け皿になっていただくほうが結果的には早く国を亡ぼせますので」
「つまりテイブ侯が健在のうちは黙って領地で力を蓄えておけということですか」
「その通りです。そのうち彼も追い落とす予定ですので、その時彼を受け入れれば、熟柿が落ちるようにこの国はシンフィー公のものとなるでしょう」
「あなたはその時どうするのですか」
「わたしはこの国が滅びればそれで目的を果たします。歴史に悪女としての名を残して消えることでしょう」
「……わたしの息子がいますから、わたしたちが兵を挙げるときは息子を旗頭としますので、結局シューヒンは残ることになりますよ」
「この国の体質を壊したいのです。誇りを踏みにじりたいのです。王都が蹂躙されて王が処刑されたなら、王家の権威も失墜し、今までと同じ国とはならないでしょう」
つまり単純に血筋を絶やしたいというわけではないということか。
彼女の言葉をすべて真に受けることはできないが、現状では自分の国に戻ることしかできないことも事実であり、また国に反旗を翻すには時期尚早であることも事実である。
「わかりました。あなたの言葉を信じたわけではありませんが、心の中にはとどめておきましょう」
「いまはそれで結構です」
ドロテアはそれを聞くと一つ礼をしてから部屋を出て行った。
マリーナ元王妃がシンフィー公国へと戻ると、父親のシンフィー公は当然のごとく現国王に対して激怒した。
すぐにでも兵をあげて王を討つといきり立つ父親に対して、マリーナは戻ってきて確かに正解だったと思った。
「父上がわたしのためにそこまでお怒りになってくださっていることはうれしく思います。ですが今、兵を挙げるのは得策ではございません。
王国にはまだ武神とうたわれているテイブ侯がいます。我が兵たちも精強ではございますが、テイブ侯を破って王に近づくのはなかなか難しいでしょう」
「ううむ、確かにあの男と戦場でまみえるのはぞっとせんな」
さしものシンフィー公も、テイブ侯の名を上げられては怒りが削がれた。
「とはいえ今、王座についているあの男はテイブ侯のような優秀な者を使いこなせるような器量はございません。そのうち彼を疎ましく思うことでしょう。今のうちに彼と誼を通じて置き、いざというときにこちらへ味方しやすいよう働きかけておくことがよろしいかと思います」
「ふむ、我が娘ながら賢妃と呼ばれていただけのことはある。王はそこまで暗愚であったか」
「わたしが嫁いだ時点では、まだ挽回の見込みもありそうでしたが、今は耳触りの良い言葉しか受け入れようとされません。
いつ王家を見限ろうかうかがっている家も多いことでしょう。そうした者たちにそれとなく近づきつつ、時が来るまでは雌伏いたしましょう」
シンフィー公は娘の言葉を受け入れ、しばらくは大人しくすることとした。
マリーナ自身はドロテアの言ったことをどの程度信じたか、自分でもはっきりとはわからなかった。
ただ冷静に考えれば、自分が王宮に入ったころのままなら王家に先はないので、遠からず別の勢力によって倒されるであろうとは思っていた。
だからこそ王妃である間はそれを回避すべく奮闘していたのである。
しかし王より離縁を言い渡された時点で、王家に対する忠誠心も失せた。
ドロテアが動こうが動くまいが、いつか王家は自滅するであろうから、その時にとって代わればよいのである。
しかし離縁されて一年もしなううちに、王家がテイブ侯に蟄居を命じるとは思っていなかった。
以前から王都に送り込んでいた密偵に集めさせていた話を総合すると、どうやらテイブ侯はドロテアの讒言を受けて王の怒りを買ったことが判明した。
「あの子、思ったよりやり手のようね」
マリーナはそうつぶやくと父であるシルフィー公の元へと向かった。
「父上、王はテイブ侯に蟄居を命じたようです。これで王国の剣はなくなりました」
「うむ、まさかこんなに早く動きがあるとは思わなんだ。さっそくテイブ侯へ手紙を書こう」
準備期間一年ではいろいろと不足していることもあるが、テイブ侯の影響力が軍に残っている今が最大のチャンスなのだ。
結局、国を乱した王と王妃を討つと檄を飛ばしたシルフィー公はテイブ侯と合流すると、王国の兵はほぼ無抵抗でテイブ侯に下り、ほとんど戦らしい戦もないまま王都にたどり着くことが出来た。
驚いたことに王城は灰塵に帰し、都は荒れ果てていた。
王は私たちにかなわないとみてめぼしいものを持ちだした上で王城に火を放ち脱出していた。
そして王城が燃え落ちたことで王が逃げ出した事実が都に広まり、一時無法状態となった結果、あちこちで略奪が発生して瞬く間に荒れ果てたわけである。
シルフィー公は都に残り都の治安維持に当たることとなり、逃げた王軍はテイブ侯が追った。
その後、3年の歳月をかけて国中を巻き込んだ大乱が続き、ついに王は追い詰められて捕らえられた。
3年もあの王がテイブ侯の攻撃を凌いだことに驚いたが、噂ではほぼ王妃のドロテアが指揮を執っていたという。
恐らくこの国が基に戻れないようダメージを増やすために粘っていたのだろう。
さらに驚いたことに、王と王妃は自決することもなく捉えられ、都へと連行されてきた。
縄を打たれて公の前に引き出されてきた王はガタガタ震えていたが、王妃であるドロテアは堂々と頭を上げて公を見据え、彼女の方が王のようであった。
「もう少し別の出会い方をしていれば、わたしたちは親友になれたかもしれないわね」
「わたしは最初からそう思っていたわ。だからこそ殺さずに親元へ戻したのよ」
王と王妃の処刑は一週間後と決まり、二人は別々に牢へと下された。
しかし三日後、王妃ドロテアは忽然と姿を消した。その後彼女の姿を見たものは誰もいなかった。
歴史上、ドロテアは史上有数の悪女といわれてきた一方で、彼女が姿を消したことについては実は彼女に追い落されたマリーナが自分の相談役とするために密かに助け出したともいわれるが、いまだに結論は出ていない。
ドロテアさんの元ネタは褒姒です。笑わない妃として知られています。
ということでドロテアさんが行方不明になるのは陳舜臣先生の「小説十八史略」からのパク……オマージュです。
あらすじにも書きました通り、こちらは拙作「従魔の従者 ~召喚士の少女と異世界出身の魔獣のお話~」の幕間です。
もしもご興味ありましたらぜひそちらも読んでみてください。ちなみにレーリーとドロテアは別人です。