八十五回目
「は? 何を言ってるの?」
最初に聞こえたのは、そんな声だった。
「お母さんのせいだって言った」
この声は、聞き間違えようがない。私を何度も救った声。今一番、会いたくない人。
「あれは勝手に死んだだけでしょ」
そうして、苛立ったようにはるかの母……もとい、私の母親はだん、とテーブルに何かを叩きつけた。同時に私は痺れるような鈍い痛みを覚える。
よくよく知覚してみれば、私には目も鼻も口もなく、手足もない。ガラスのグラスだった。酒臭いのは、たぶん母が飲んでいたものの臭いだろう。
母親というのは、朧気にしか覚えていない。父親も大体そうだったが、私の話にちっとも耳を傾けてくれない人だった。なんだっけ、お母さんの口癖。そうだ「あなたには優しいお姉ちゃんがいるでしょ」だ。
私が学校でいじめられたり、精神的に傷ついたりしたとき、よく母親に泣きついたのだ。同性である母の方が話しやすかったのかもしれない。いずれにせよ、結果は同じだっただろう。
母は一人っ子だったと聞く。だから、姉妹である私とはるかを複雑な面持ちで見つめていることがよくあった。
幼い頃、夜中に起きてしまい、トイレに立ったとき、聞いてしまったことがある。飲んだ母が、父に「子どもなんて一人でよかった」「二人目なんて産みたくなかった」と言っているところを。
私の名前は出なかったけれど、私を産みたくなかったという母の意思を知ってしまい、泣きながら寝た。その頃から、声を殺して泣く術を私は身につけていた。
今は泣くことも笑うこともできない。あはは、それはグラスだからっていうのもあるけれど。
「お母さんのせいだよ。お母さんがちゃんと、なつみの話を聞いていれば、なつみは前を向けた。聞くだけでよかったのに」
……お前に何がわかるというんだろう。
「五月蝿い!!」
はるかにキレた母は私……もといグラスを持ち上げ、はるかに向かって投げた。
はるかは顔を腕で庇ったが、ものすごい勢いで投げられたグラスは割れた。




