四十二回目
「純くん」
私がそう呼ぶと、軽く青の入った黒髪をさらりと揺らしてこの体の友達が振り返った。
「やあ、なつみ」
久しぶりに私は本名を呼ばれている。けれど、この体は私のものではない。
これは「夏のまにまに」というノベルゲームの世界観。私が転生したのは、主人公の結城なつき。青髪の彼は空木純といって、なつきの幼なじみだ。
では何故なつみと呼ばれたかというと、実はなつきは二重人格なのである。最近は「なつみ」の方がよく出てきて、付き合いたての恋人のようなぎくしゃくとした他人行儀なやりとりをしている。本来の「なつき」の方はとても純と仲が良く、気の置けない仲なのだそうだ。
私は名前もそうだが、この「なつみ」という人格に親近感を覚えて、のめり込んだことを覚えている。純と会話をして、少しずつ距離を縮めていくゲーム。これはダブル主人公みたいなもので最後の方は純視点に切り替わる。
恋愛ゲームは苦手だが、このノベルゲームは楽しくてやっていた。まあ、ハッピーエンドとは呼びづらい物語ではあるが。
「明日は医者にかかるんだったか」
「そそ。なんで私が生まれたか、わからないからさ」
それは、私の元々の生もそうだ。何故、あんな誰にも必要とされないような世界に私は生まれて、生きていたのだろう。私が生きたところで、私にすら得はなかった。
──それは、今も同じだ。何故こんな、すぐに死んでしまうようなところを転々としているのだろう。神様の悪戯にしては、転生頻度が高いのだが。
この世界でも死ぬことは決まっていた。病院に行く途中で事故に遭い、なつきは瀕死の重傷を負うも、一命をとりとめる。代わりに「なつみ」が消えるのだ。
そこから純視点に変わって、純のモノローグが流れ、物語はエンドロールへと向かう。
なつみが生まれた理由がわかるかわからないか、なつみがいなくなって寂しいか寂しくないかそういったことが語られる。
まあ「なつみ」が死んだ後なので、そのモノローグは聞けないのだが。明日がたぶん、事故の日だろうと思う。
「……なつみ」
「なぁに?」
「一度でいいから純って呼び捨てにしてみろよ」
私は苦笑いした。
「えー、やだよ。なつきの真似なんてできないし、したくない」
「……だよな」
表情変化の少ない純が自嘲のような笑みを浮かべる。
なつきはなつき、なつみはなつみ。そう区別しているのだ。なつみという人格はなつきになりたがらなくて、口調も態度も人の呼び方も、何もかもがなつきと違った。だから、純は少し寂しくもあったのだろう。なつきでいる時間より、なつみである時間の方が圧倒的に多くなった最近は、他人行儀に「純くん」と呼ばれることが、胸を痛める要因になっている。
私は物語に倣って喋っているわけではない。私自身が思ったことが、そのまま「なつみ」の言葉になっているのだ。だから、この物語には強く共感を持った。
本当はこういう、優しい人に優しい眼差しで見つめてほしかった。
優しいというと、姉のことを思い浮かべてしまうのだが、死の間際に聞いた「お前ははるかが『優しい姉』を演じるための道具に過ぎなかったんだよ」というのが忘れられない。それで、はるかのことを信じられずにいる。
真実のはるかというのはどっちだったのだろう。
私にたくさんのゲームや漫画やアニメ、小説を教えてくれたのは、やっぱり「いいお姉ちゃん」でいるためだったのだろうか。
「なつみ?」
純に呼ばれてはっとする。そうだ。今はそんなことで悩んでいる場合ではない。私は死んだのだから、もうあのときには帰れない。
「えと、純くん、なんだっけ?」
「お前、たまに元気ないよな」
「え? そんなことないよ」
「ぼーっとしてることが最近多い」
それは否定できない。私は黙るしかなかった。
「なつみは本当は知ってるんじゃないのか? どうしてなつきの中に生まれたのか」
真剣な表情で聞いてくる彼に、私は苦笑した。
「さっきも言ったじゃん。全然わからないって」
私には何もわからない。わかるのは、明日死ぬことだけだ。
胸の透くような青空。死ぬにはいい日だった。
ばらばらと雨ではないものが落ちてきたら、わかりやすい日だった。
私は鉄骨に頭を打たれて、死んだ。
「──死んでほしくなかった」
次に目を覚ますのは、またへんてこな世界に飛ばされてからだろう、と思っていたが、純の声が暗闇の中でした。
「なつきは俺の幼なじみだ。でも、だからってなつみが大切じゃないわけがない。なつきが背負っていた苦痛から生まれたものであろうと、なつみは確かに存在した。なつきはやたら距離が近いから、俺は実は苦手だったけれど、初めてなつみに代わったとき、距離を置かれて戸惑って。自業自得な話なのに、変だよな」
これ、純のモノローグだ。何故……
「なつみが生まれたことで、なつきとの距離の取り方がわかった。なつみでいる時間が長くなって、なつきが恋しくなったりもした。でもなつみを疎んじることはなくて。二人で一人なんだろうなって思った。なつみがいることに、ちゃんと意味はあったんだ」
胸にじんと沁みてくる言葉だ。それが純の優しい声で紡がれていく。
「俺はなつみが好きだった。だから、きっと一生忘れない」
私は死んでしまったけれど、欲しかった単純な言葉が聞けて、涙が流れた。冷たい涙だったけれど、私は。
久しぶりに泣いた気がする。




