三十四回目
月明かりが私の顔を照らしつけたため、私は覚醒を余儀なくされた。
見るとそこは池の前で、私はお立ち台のようなものの上に立ち、石でできた本を読んでいた。いや、何も書かれていないから「読む」という表現には語弊がある。
というかあれですね。本を握る私の手も石だから、全身石と見て間違いないでしょう。つまり石像だ。
いや、石像に転生ってどういうこと? 石像生きてるなんて学校の怪談でしょう。
ふと、傍らの建物を見ると、確かにそこは学校らしかった。教室の数がそんなに多くなさそうなところを見ると、田舎の小学校といったところか。
学校で石像と言ったら、小便小僧か二宮金次郎像の二択だろう。で、本を持っているので、二宮金次郎ということがわかる。
……いやいやいやいや、意味がわからないぞ。何故転生してびくとも動かない石像になるんだ。
……「びくとも動かない」……?
私は学校を見るために首を動かした。……動いている。
学校で「二宮金次郎像」といえば、二通りだ。ただの石像か、学校の怪談か。学校の怪談の場合、動く。そして、この二宮金次郎像は動く。ここまで来ればわかる。
学校の怪談に転生したんですね!
とても前向きにはなれない。みんなから怖がられて、昼休みの笑い話の種にされるんだろ。肝試しで来た子どもを襲うつもりはないよ。
あー、これはたぶん何もしてないけど危なそうだから封印とかされるパターンだわ。私何もしてないのに。
二宮金次郎像も哀れなものだ。学校に置かれた石像というだけで怪談扱い、子どもたちの好奇心の的にされた挙げ句、危ないから近寄るなでしょ。何のために学校に置かれたのかわからないよね。
ここはたぶん、よくある小さい子ども向けの怪談話の世界観「ひゃくものがたり」だ。好奇心で怪談の被害に遭ってしまった子を見て義憤に駆られた子どもたちが、怪談退治をする話。おもしろおかしく描かれていたので、健全な日曜朝アニメとして放送されていた。まあ、てんやつよりは健全で子ども向けだ。
グラウンドの脇道から、ひらひらと蛍ほど綺麗ではない灯りが見えてきた。おそらく子どもたちだろう。
動く二宮金次郎像……それも子どもたちによって封印された。即死現象いい加減にしてほしいなぁ。
私は子どもたちに札を貼られたり、奇妙な呪文を唱えられたりしながら、意識を失った。




