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夕暮れ

作者: 雨宮

 私は、表情を読み取れない。

 感情がないわけでは決してない。本は面白い。感情移入ができる。主人公が泣いたり笑ったりしたらそれが書かれる。

 私は泣くし、笑う。私は自分に表情があるのを知っている。

 

 でも映画やテレビドラマは嫌いだ。顔が変わったのが分からない。犬の表情がずっと変わらないのと同じように見える。大きな笑い声や、顔につく涙でやっと相手の感情が分かる。それなのに大事な場面では顔だけを映す。


 だから、私は会話によく集中する。相手が何を感じているかを考える事に集中する。

 そのおかげか、クラスのほとんどと友人だ。


 でも私は怖い。いつか会話を間違えてしまうんじゃないか。誰かに嫌われてしまうんじゃないか。教室の隅で、私と仲の良いグループが会話をしているが聞き取れない。表情からどんな会話をしているのかも読み取れない。今ここで会話に混ざったらどう思われるんだろう。いつも通り迎えてくれるだろう。でも少し嫌われ始めていたら、『また仲良くもないのに入ってきたよ…』と思われ、本格的に嫌われたら…。

 もしくは、この会話で私の欠陥がばれてしまったら…不気味だと思われたら。

 

 打ち明けようかと思ったことも一度や二度ではない。でもそのたびに躊躇してしまう。信じてもらえなかったら、痛い子と思われたら、うわさが広がったらどうしよう…。いつもその結論にたどり着いては、しばらくすると不安になり誰かに喋ってしまいたくなる。


「ねぇ、何読んでんの?」

声をかけられた。隅にいた女子グループの一人だ。全員こちらに来ている。

「えぇと…最近買った小説。」

ずっとそのグループに注目していたから近づいてきていたのは気づいていた。つい今気づいたふりをする。

鬱陶しがられないように、気にかけられた嬉しさもひた隠す。

「面白い?」

「うん。結構面白いかな。」

嘘。ひとりでいるときは楽しめる小説も、教室では自分から喋りかけられないことのカモフラージュだ。

 入学して1か月。やっとこの方法が板についてきた。机に突っ伏して寝るより自然だ。

「…ってか、まーちゃんいっつも本読んでるよね?」

グループの一人武石さんが言う。まーちゃんは私のあだ名だ。

「うん。本読むの好きなんだ。」

「でも、その前は寝てたよね?」

「ちょっと…やめなよ」

最初に喋りかけた子が止めに入る。

私はどこかで会話を間違えてしまっただろうか。

「何かおかしかったかな…?」

「…別に」


 その後は、いつも通りに会話をした。誰も機嫌を損ねていない、と思う。でもさっきの会話は何だったんだろう。もやもやとした気持ちのまま放課後になる。

 中学から最寄り駅までの道のりを、一歩、また一歩と歩く。同じ中学の制服が、それぞれのリズムで揺れている。住宅街の細い路地は白と黒の服の波が覆っているようだった。


 前を歩く後ろ姿に見覚えがあった。同じクラスで、まだ喋ったことのない女子だ。クラスの全員と良好でいたい私は、まだ喋ったことのない人を記憶していた。

「ねぇねぇ、1年4組の佐伯さんだよね?」

ちょうどいい機会を得たと思い話しかける。

「そうだけど…」

相手は少し驚いたように肩をピクリとさせて振り返る。こんな時、表情が分かればいいのにと、強く思う。

「私もそうなの。ほら、見おぼえないかな?」

「…あぁ、いたかも。」

あまり良くない返事に思えた。多少強引にいこう。

「前から仲良くなれそうな気がして。いつも本を読んでいるから。」

肩を並べて歩く。

「…私は、仲良くなろうとして、仲良くなろうなんて言って、友達になったりしないと思う。」

「…え?」

長く伸びた影が沈黙を連れて歩く。

「…私は友情とかって、一緒に過ごす内に自然とはぐくまれるものだと思う。言葉で仲良くなりたいとか、仲がいい友達だよね、なんて確認しあうのは、その関係が弱いから、お互いを縛りあうためにあるように、思う。」

私は、言葉に詰まる。なんで会って間もない人にこんなに言われなくてはならないんだろう。

「ただでさえ中学生活始まってすぐで、皆慣れない中不安で、すぐにでも友達作りたくて必死だろうし。それで急ごしらえで作った友達が自分と合わなかったりしたら、そいつを共通の敵にして、残ったみんなで団結しあうのとか、よくある話だし」

私はそんなつもりなんてなかった。ただちょっとおしゃべりできればよかった。少し目が熱くなり,のどがきゅうっとなる。

「…ごめんね。私思ったこと、全部言っちゃうんだ。気を付けてないと。ほんとは私もしゃべりかけてもらえてうれしかったのに。」

「………ううん。私こそ、いきなりなれなれしかったかも。」

なんとか声を振り絞る。震えてないかな。泣きそうなのは…もう、バレてるか。

私は、素直に自分に表情が読み取れないことを話そうと思った。彼女は友達がいなさそうだし、広まらないだろうと、少しいやらしい打算もあったが、彼女の意志の強さのようなものを信頼する気になった。誰でもいいから打ち明けたい。同じように会話に悩みを持つ彼女になら、言っていい気がする。

「私、他人の表情が分からないの。」

それからは、私が抱えている悩みを打ち明けた。相手はうなずきながら静かに聞いてくれた。

「それじゃあ、お互い対人に悩みがあったのね」

「佐伯さんに話しかけてよかった。…最初は怖かったけど」

「うるさいなぁ。」

わざとらしく笑い声をあげてくれる。

 

 本当に、仲が良くなれる気がした。


駅舎が見え始めた。駅前のコンビニから、いつものグループが出てきた。私と目が合う。ロータリーでこちらを呼ぶ。

「まーちゃん!」

「新しい友達が出来たんだ?」

武石さんだ。

「やめなって」

「あんたさぁ、ウチらのこと馬鹿にしてんでしょ?

いっつも自分からはこっちに来ないし、本読んで優等生ぶってさぁ」

「ごめんねまーちゃん。たけちゃんずっとこう言ってるの」

「だから今日、まーちゃんから話しかけにくるか待ってたの」

佐伯さんは、うつむいて黙っている。私が自分から話しかけられないのを、説明するにできないのだろう。

「そんなことない。」

それだけ言うのがやっとだった。

「じゃあ、今その地味な子と仲良くするの、やめてよ」

武石さんがさらに続ける。

「ちょっと何言いだすの?」

「まーちゃん、気にしないでいいからね」

私は、何も言うことができない。

「そんなの、友情って言えるの?」

佐伯さんが言う。

「そんなの、真崎さんを思ってるんじゃなくて、自分が好かれたいってだけじゃん」

女子グループは黙りこくる。

「帰ろう。」

武石さんの一言でグループは駅に入っていく。


片田舎の一両編成の電車は、帰宅ラッシュでもさほど込み合っていない。それでもほかの乗客の歓談が、いやなほど二人の気まずさを際立たせる。

「ごめんね」

電車の車窓から、左から右へトンネルのライトが流れていくのが見える。騒音にかき消されそうな声で佐伯さんが言う。

佐伯さんが謝ることなんてないのに。そう思ったが、さっきの武石さんの語気の強さは、明日からの学園生活を考えさせられる。返事を言う余裕がない。


 佐伯さんと私は降りる駅も、帰る方向も一緒だった。佐伯さんは駅に止めてあった自転車を押しながら私に歩幅を合わせる。

「私のせいで、悩みが余計複雑になっちゃったね。」

少し前に出た佐伯さんは、こちらに顔を見せないが私は泣いているのが分かった気がした。



「………佐伯さんと友達でいられるなら、それでいいよ」

私の口をついて、言葉が出てきた。まだ何を言おうか考えてたはずのに。

塀も、電柱も、小さな美容院も、周りの家全ても、それぞれの日常を内に抱えながらオレンジ色に染まっている。自分でも不意に出た言葉なのに、その言葉の持つ色の暖かさに驚く。



振り向いた佐伯さんの頬も鮮やかなその色を反射していた。それでいて

笑っているのがわかった。

 


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