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サヨナラ世界  作者: こぶた
3/19

3・笠井ミツオの場合

「ごめん…ごめんね…」



僕は手に力を込める。涙で視界が霞む。



「すぐに、行くから…」








僕が生まれてすぐに両親は離婚した。

母さんに引き取られ、それ以来女手一つで母さんは僕を育て上げた。




父親の顔さえ知らないことを、僕は寂しいとか疑問に思うことはなかった。いつだって僕には母さんがいたから。




中学校で母親と仲がいいことをからかわれたって僕はなんとも思わなかった。逆に親を嫌いになるやつの神経を疑ったくらいだった。







僕は母さんが大好きだった。




いつでも優しくて、時々怒るけれど、一番に僕の幸せを願ってくれる。そんな自慢の母さん。




僕は高校を卒業してから、母さんに恩返しができるようにと家の近くの工場で働き始めた。




しばらくは慣れない環境に苦戦したけれど、ちゃんと働けるようになったんだ。







そんな時だった。







母さんが脳梗塞で倒れた。






母さんは寝たきりになり、ほとんど言葉を発することができなくなった。




介護が必要になったけれど、僕を育てたことでほとんど貯金はなかったために施設に預けることも出来なかった。




僕は母さんの介護のために仕事を辞めざるを得なかった。






それでも、僕は母さんへの恩返しのためと思って母さんを献身的に介護することを決めた。






僕が母さんに話しかけても、母さんはほとんど反応を示さなかった。自分で食事も排泄も出来ないため、僕が全部世話した。




そんな状態が何年も続いた。その間ずっと、僕が何を話しかけても母さんは「あー、あー」と音を発するだけだった。







………僕は疲れていた。









そのころになると、僕の貯金も底をついていた。

このままでは生活ができないと思ったため、国の支援を受けたいと役所に届け出た。






しかし、待っていたのは残酷な現実だった。






支援の申請は通らなかった。

その理由を要約すると、「まだ若いんだからお前が働いて介護もやれ」というものだった。






………そんなことできるわけがない。







僕を育ててくれた母さん。弱り切って何も出来ない母さん。




それでもそんな母さんを見捨てることなんて出来なかった。







しかし、もう限界を迎えていた。どんなに生活費を削っても、入る金がなければどうすることも出来なかった。






僕は「死にたい」と思った。

口にすれば母さんを見捨てることになる。それを口に出すことはしなかった。







………だから、殺すしかないと思った。







僕は見知らぬ誰かを包丁で刺し、金品を奪って逃げた。




これで、当面の生活費が手に入った。








それなのに僕から「死にたい」が消えることはなく、人を殺した罪悪感で頭が割れそうになりながら家に帰った。







母さんに無理矢理の笑顔を作って話しかける。母さんは「あー、あー」といつもの音を発した。




母さんは「あー、あー」と何度もいつもの音を繰り返す。

少しだけ母さんの発する音が言葉に聞こえてきたため、僕は耳を母さんの口元に持っていく。







母さんは僕に、ほとんど言葉にならない音で…









「あなたは誰?」と言っていた。








母さんの発する「あー、あー」はずっと「あなたは誰?」と言いたかったのだとわかった。







僕は母さんが大好きだった。

優しくて、僕の幸せを一番に考えてくれる自慢の母さん。






そんな母さんへの恩返しと思ってずっと母さんの介護をしてきた。






それなのに、母さんは僕が誰だかわかっていなかった。





………僕の中で何かが崩れた。








「ハァ……ハァ……ごめんなさい、母さん……」




抵抗されることはなかったため、すぐに母さんの呼吸は完全に停止した。




「ごめんね………すぐに、行くから……」






僕は涙に霞んだ視界で、血に塗れた包丁を見つけて首に当てた。





人を二人も殺した。

しかも一人は今となっては無意味に殺しただけ、もう一人は大好きな母さんだ。




………もう僕に生きる意味なんてないだろう。






包丁に力を込める。

首に痛みが走り、血が流れる。





しかし、僕はその管を切ることが出来なかった。





死ぬしかないのに。生きる価値なんてないのに。




そんな僕を嘲笑うように、僕の震える腕は動きを止め、心臓はいつもの倍の速さで鼓動を刻んでいた。

まるで死にたくないと心が叫んでいるようだった。






……最後の手段だった。僕と母さんを見捨てたこの世界の制度に僕は頼ることにした。





僕は「死にたい」と口にした。





少しだけ遅くなるけど、すぐに行くから。

こんな犯罪者になってしまったけれど、僕は母さんの子供で良かったよ。





大好きだよ。母さん。

サヨナラ世界:連続殺人犯

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