起
「それじゃあみんな、今日はお疲れ様! 明日も楽しい冒険が出来るように、しっかり休んでおくんだよ~。……さようなら!」
「はーい。さようなら!」
まだ幼気の残る数百人の少年少女たちは幼少期特有の甲高い声で返事をした後、それぞれの寮へぞろぞろと帰り始めた。
「俺今日Lv15になったんだ……もうこんな村とはおさらばだぜ!」
この村で一番背の大きな赤髪の少年が周りを憚らずに大声で言った。
それを聞いた他の子供たちは委縮したように肩を竦めている。
「12歳でLv15なんて聞いたことないよ……さすがタケルだね! でも私まだLv13だし、タケルが次の村行っちゃったら離れ離れになっちゃうなぁ」
ただ一人赤髪のタケルと並んで歩くことを許されている、小柄な黒髪の少女が淋し気に俯いた。
タケルはその言葉に撃たれたように硬直し、少女へ返す言葉を懸命に頭の中で探る。
「ユウカを一人にするはずねぇよ! 俺がユウカをLv15にしてやる! そしたら二人で次の村に行けるだろ?」
「えっ、本当!? ありがとう……嬉しいな」
ユウカと呼ばれた黒髪の少女は驚きの表情を浮かべてから、パッと一凛の花が咲いたかのように微笑んだ。
タケルにしか見せないその表情は、タケルが彼女を離さない――いや離せない大きな理由の一つだ。
タケルはちょっと顔を赤らめ、それからちょうどいい冗談を思いついたかのようにご機嫌にこう言った。
「だってこのはじまりの村にずっといたら……デク爺みたいになっちまうからな!」
今回の冗談はユウカを含め、周りの全員を笑いの渦に巻き込む物だった。
◇ ◆ ◇
はじまりの村。
それがこの村の名前であり、この村を最も簡潔に表している言葉でもある。
だが何にとって"はじまり"の村なのか? それを解説するためには、この世界の習わしについて触れておく必要がある。
魔王――悪しき魔物を統べ世界を征服せんとする魔物の王と、それに対抗する英雄――勇者の存在については最早説明の必要はないだろう。
いつから魔王がいたのか? 魔王は何者なのか? といった問いに答えられるものは誰一人いなかった。何せ勇者を育成する学術院でさえ、
「君たちが生まれるずっと前から勇者と魔王は戦っているんだよ」
としか教えていないのだ。その質問に食い下がり
「先生、生まれるずっと前って具体的にいつですか? 何時何分何曜日? 地球が何周回る頃?」
としつこく質問した生徒は、面倒者の烙印を押されもれなく厄介払いされた。
しかしそれも仕方のないことなのかもしれない……誰も知らないことは教えようがないのだから。
ともかく、現在も魔王と勇者は熾烈な争いを繰り広げている。そしてその戦況は魔王軍に大きく傾き、人類の敗北は目前とまでいわれていた。なぜか?
この問いには明確な答えがある――それは魔王側と勇者側の根本的な違いによるものだ。
魔王は一人しかいないが、手下の魔物は時間を経れば無尽蔵に増殖するらしかった。つまり、魔王を殺さない限り魔物の増加を止めることは出来ない。
一方勇者は大量にいるが、人間である以上必ず死ぬ。魔王に殺される死者の数が出生数を上回ってしまえば、人間の軍はどんどん縮小していかざるを得ない。
さらに勇者は、生まれつき鋭利な牙や怪力を備えている魔物とは違い、魔法や武器などを利用して戦う必要があった。そういった装備や食糧の消費も生産を追い越すばかりで、人類の衰退に王手をかける要因だった。
それでもまだ人類に希望が残っていない訳ではない。勇者にあって魔物に無い物もある――それが〈レベル〉という概念だ。
この摩訶不思議なシステムが人類に認知されるようになったのは、ほんの数十年前。
魔物と戦い討伐した勇者が「俺なんか強くなった気がする」と主張する現象は古代から報告されていたが、単に魔物を倒したことによる陶酔感が気を大きくしているのだろうと結論付けられていた。
ところが、だ。異変を世に知らしめたのは農夫たちだった。農夫は勇者と違い、自ら強大な魔物に挑むようなことはせず、畑の作物に寄って来たスライムや下級ゴブリンを撃退するだけ。そんな生活を数十年と過ごした農夫の村を魔物の群れが襲撃した際、それを撃退したのは血気盛んで短命な勇者ではなく、長年下級モンスターを倒し続けた農夫たち自身だった。
そんな現象が各地で確認されるようになってから、宮廷魔術師たちによる"魔物の討伐が人体に与える影響"についての本格的な研究が為されるようになった。
そしてその研究の中でも最も偉大な発見とされているのが以下の二つである。
人は魔物を討伐するごとにその魔物の強さに比例した"何か"を獲得する。それが一定以上溜まると〈レベルアップ〉を引き起こし、素早さ、攻撃力、魔力などが著しく向上すること。
亀の甲羅の裏に1から100までの数字が記された青銅版を入れ、火にくべれば自身のレベルに対応した数字が浮き上がってくること。
それまで人類は魔物の製造元であり諸悪の根源である魔王を暗殺するために、数々の勇者たちを直接魔王城へ送り込んできた。
これは無限に湧く魔物を相手にするのは愚行であり、戦を終わらせるためには王を討ちさえすればよいという合理的な判断によるものだったが、魔王城へ侵入した数千人の勇者の内生還者は誰一人としていなかった。
〈レベル〉に関する二つの発見以降、人類は大きく方針を転換する。
勇者たちを危険な魔物の中心地である魔王城へ送り込むのではなく、むしろ逆に引き離し、子供でも倒せるような下級モンスターしかいないような安全な村へ輸送した。
そして勇者たちを無暗に失わずに済むよう、それぞれの村に推奨されるLvを設け、そのLvを越えない限り村から出れないような仕組みを作ったのだ。
数十年前に出来たこの勇者育成システムにより、かろうじて人類は魔王軍の猛攻に耐えうることが出来ていた。
そしてここ『はじまりの村』とは魔王城から最も離れた場所にある、新米の勇者たちが初めて訪れる村なのである。
◇ ◆ ◇
「さっさと起きたらどうですか? ……この穀潰しが」
ユウカは決して他の子どもには見せない、冷ややかな軽蔑の視線で布切れのような衣服を纏っている老人を見下ろした。
厳しい躾によるためか、かろうじて老人に対し敬語を使ってはいるものの敬意とは正反対の感情を抱いていることは明らかだろう。
「このはじまりの村に何十年も引き篭もってるクズなんて世界中を探しても貴方だけですよ? その癖料理が出来る訳でもなく、鍛冶仕事をやるでもなく……。 まるでブタと同列――いや食糧になるだけブタの方がマシですね」
ユウカは老人を罵倒しながら、老人の棲む掘立小屋の前に"エサ"を置いた。ユウカは兼ねてより老人の給仕係として働いていた。ユウカがその担当へわざわざ立候補したのは、面倒事を引き受けて周りからの心象を良くするためというのが一つ。そしてもう一つは、日頃被っている良い子ちゃんのマスクを剥ぎストレスを解消する時間を作るためだった。
ユウカにとって日ごろ仲睦まじく接しているタケルや周りの子供たちは、自分の野心の踏台となる駒にしか過ぎない。
「今この瞬間も最前線で戦っている勇者たちはいるんですよ? 貴方が何歳か――知りたくもありませんが、その容貌からするに真面目にLv上げをしていたらLv40には成っていたでしょう。魔王軍に侵攻されている村を守るくらいの役割は果たせたかもしれないのに」
いつも老人はユウカに罵倒された後、困ったような悲しいような眼でユウカを繁々と見つめる。その頼りなさげな動作が余計にユウカを苛立たせてしまうのだが、今日の老人は違った。
「きゅうじゅうきゅう」
しわがれてはいるものの、どこか威厳を感じさせる声で老人が呟いたのだ。
ユウカは耳を疑い硬直する。ユウカが老人の世話係となってから、いやこのはじまりの村に来てから老人の声を聞いたことは一度も無かったからだ。
ユウカは今の声を確かめるように老人の眼を見つめ――そして足をわなわなと震わせた。
老人の眼には炎が灯っていた。痩せ細った手足とカーブを描くように曲がった腰を持つ老いた男とは思えないほどの強い炎。
ユウカは生き残るため、そして強くなるため本能的に周囲の人間を見定めて生きて来た。強い人間と弱い人間、使える人間とそうでない人間……。ユウカにとっての良い人とは、都合の良い人に他ならない。
今まさにこの瞬間、ユウカの本能はこの老人への評価を改めるべきだと猛烈に訴えかけていた。
――子供の勇者が鍛錬するような場所に数十年引き篭もっているこの男を? いずれ魔王を討伐すると決めたこの私が?
「……馬鹿馬鹿しい」
ユウカはそう吐き捨てるように言って、半ば逃げるように老人に背を向け早歩きで去った。
女子寮への帰り際、ユウカはふと空を見上げて立ち止まる。
「99って……あの人の年齢?」