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s_complex  作者: 秋山 楓
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第7章

「おはようございまーす」

「お邪魔します」

「そしてさようなら」

「帰んな」


 三者三様の若い挨拶が届き、廃墟以上お化け屋敷未満の我がアパートにも活気が生まれた。そうか、こういう若いエネルギーがないから、このアパートも見た目以上のボロさを感じるんだろうな。実際半分以上は空き部屋だし、大家さん以外は顔も合わせたことがないので、どんな輩が住んでいるのかも知らなかったりする。

 僕は背中を向ける不条さんの肩に手を乗せたまま、相佐さんと横山を迎え入れた。


「悪いね、こんな朝早くに呼んじゃって」

「いいんだよぅ。私たちもどうせ暇だったんだからぁ」

「それに長瀬の部屋ん中も気になるしな」


 ニコニコ笑顔の相佐さんとニヤニヤ笑いの横山。二人は僕の友達だ。


「待て、誰か一人忘れてるぞ」


 背中を向けその場で足踏みをして呟く女が一人。足踏みをしているのは僕が彼女の肩を掴んで引き止めているからであり、もし手を放せばずんずんと来た道を戻ってしまう力強さ。正直、そろそろ腕が攣りそうだ。


「仕方ないではないか! 平凡な挨拶を先の二人に取られてしまった私は、なんて挨拶すればいいのだ!」


 振り向いて、涙目……じゃないけど訴えてくる不条さん。


「別に何でもいいだろ」

「いいや、良くない! 挨拶とは相手の心に響いてなんぼのもの。つまり個性が大事なのだ、他人と挨拶が被るなどもってのほか! しかも最後に回ってしまった私は砦を務める大役。オチをつけなければならなかったのだ! ならば如何に個性を発揮できる挨拶とはどのようなものがある!」

「だからといって帰るという選択肢はあり得ない」


 ウンウンと縦に首を振り、僕に同意を示している相佐さんと横山を目の当たりにして、不条さんは「ガーン」と自らの心情を表す効果音を口にした。少女漫画なら、背景に何本もの縦線が降り、やたら睫毛の長い瞳は白目と化しているだろう。


「み、民主主義など大嫌いだ……」


 今度は「およよよよ」といった感じで、両手で面を覆う。


「テンションを切り替えるスイッチはどこにあるのかな?」

「さぁ……?」


 そして横山は苦笑い。自分が想いを寄せる女の子の馬鹿さ加減を見て、嬉し恥ずかし甘酸っぱいのだろうか。

 しかし次の瞬間、相佐さんと不条さんの周りだけ空気が薄くなったかのように、途端に息を呑んだ。


「あら、いらっしゃい。アキ君のお友達ね?」


 我が姉の登場である。玄関口で、僕の後ろから笑顔で友達三人に挨拶を済ませる。


「狭い部屋だけど、ゆっくりしていってね」


 それだけを言うと、姉は奥へ引っ込んでいった。

 数秒経ってから、女の子二人の首が、石像のようにぎこちなく僕へと向けられた。いや、石像は動かないけど。


「だ、誰だ今のは! むちゃくちゃ美人ではないか!」

「むちゃくちゃってほどではないと思うけど……」

「ア、アキ君のお姉さんなのかな?」

「そうだよ。ここで姉さんと二人暮らし」


 絶句する二人。姉の美しさに舌を巻いているからなのか、僕が姉と二人暮らしと聞いて耳を疑っているだけなのだろうか。


「ちょっと待て横山君。我々女二人が長瀬のお姉さんの美しさに目を剥いているというのに、何故に男の君がそうも冷静でいられるのだ!」

「お、おお俺は何度か長瀬の姉さんを見たことあるから……」


 急に矛先を向けられた横山はたじろぐ。しかし何とか言葉にできたところは、ようやく好きな女の子に対する免疫ができてきたんだろうなぁ、と勝手に感慨に耽ってみたり。

 言うとおり、毎朝登校のために僕のアパートを横切る横山は、何度か姉とも顔を合わせているはずだ。初めて会って挨拶した時には、この二人と同じような反応してたっけ。その後、僕の首を絞めて事情を聞き出そうとしていたところは、それ以上に動揺していたか。

 ただし、僕の部屋に入るのは初めて。そりゃそうだ。僕たちがここに越してきたのと同時に『死体』も押入れの中に移したのだから、迂闊に上げられるわけがない。


「も、もしアキ君の基準がお姉さんだったら……あわわわわ」


 そして両手を頬に当てて地面を見つめているキミは、何をしているんだい?


「とりあえず上がろうよ。こんなところで立ち話じゃなくてさ」


 そう言って、僕は友達を家の中へと招き入れた。

 朝食の食器を洗う姉の後ろを通り、狭いアパートの一室をぞろぞろと四人の高校生が列を作る。玄関から入って僕の部屋へと辿り着くためには、必ず姉の部屋の端を通らなければならない。姉の部屋に扉はなく、言ってしまえば玄関さえ開けば外から丸見えなのだけど、特に見られて困るようなものは置いていないので、姉さえよければそれでよい。ちなみに着替えなんかは、毎朝僕が壁となっているから安心してくれ。


 僕は列の一番後ろへ付き、そして姉との部屋を断する襖はわざと開けておく。そうすれば、炊事場に立つ姉の後ろ姿と、玄関扉が見れるから。


「座布団とかはないから、適当に座ってよ」


 言われたまま、三人は腰を下ろす。それを見届け、僕も開いた襖の隣、つまり昨日裕次郎が座っていた辺りで胡坐をかいた。


「にしても……」


 横山が部屋の中を見回しながら評価する。


「外見の割には、内装は意外にしっかりしてるんだな」

「おお、そっちか。てっきり狭いだの汚いだのと罵られるかと思ったぞ」

「ちょっと待て。何でその言葉を不条さんが口にする?」


 不条さんはあの愛らしい某キャラメルキャラクター並みにペロッと舌を出してみる。いや、ごめん。どういう意図があるのか、全っ然分からないから。


「うおー、これがアキ君が毎日寝ているお布団か! ア、アキ君の臭いがするぅ」

「そこっ! 勝手に人の布団に顔を埋めない!」


 しかも漢字が違うぅ! 頼むから『匂い』に変換し直してくれ!

 ……え? まさか『臭い』で正解ってことはないよね?

 それに僕の匂いを嗅ぎたいんなら、直接僕の身体に鼻を押し付ければいいじゃない!(変態発言)


「しかし本当にテレビがないとはな。驚きだぞ」

「そんな珍しいことかな? 今のところ不便はないんだけど」

「大いにあるぞ。事実長瀬は通り魔殺人のことを知らなかったわけだし。それに流行どころか、世間事情が完璧に停止してるんじゃないか?」


 と言った不条さんは、「例えば……」と例を述べる。


「えっ!? あの世界的大スターが亡くなったって!?」


 そして次に相佐さんの「例えば……」には、


「馬鹿な! あの不細工芸人が結婚だと! 信じられん……」


 最後に横山は……、


「うへー、東京でそんなことが。この街の通り魔殺人が子供の遊びに思えるほどの殺傷人数じゃないか」


 不謹慎だけれども、一度にその殺傷人数は、本当に同じ日本なのか疑いたくなるくらいの出来事だ。やっぱり都会は怖い。


「それに来年から、消費税が十パーセントになるらしいぞ」

「げー、マジでぇ?」

「不理ちゃん、嘘は駄目だよ……」


 嘘かよ。

 否応なしに睨みつけてやったら、今度は某ランドのアヒル並みに唇を突き出して、口笛を吹き始めた。いやだから、誤魔化すような場面じゃないから。

 と、そこへ、ドンドンドンと玄関の扉がノックされる音が聞こえた。姉が「はーい」と声を上げ、玄関を開ける。扉の向こうには、昨日話した刑事が二人、まったく昨日と同じ格好でそこに立っていた。

 僕は「ビンゴ」と素直に気持ちを口ずさむ。


「誰か来たの?」


 相佐さんが正座のまま摺り足で玄関を臨める位置、つまり僕の隣まで移動する。膝剥き出しのスカートなのに、痛くないのか? 畳だぞ。


「お客様かな?」


 つづいて不条さんと横山が顔を覗かせる。彼らの位置からは、少し身体を折るだけで見えるはずだ。そして最終的には、四人全員の視線が、刑事二人の姿を捉えた。


「すげー怪しげな二人組だな」

「か、勧誘とかかな? 宗教かなんかの」

「いやいや、もしかしたら極秘捜査中の刑事かもしれないぞ」


 小声とはいえ、失礼にもほどがあるぞ君たち。赤の他人を見た目だけで判断するのはいけないことだぞ。と、二人の評価を先日終えた同類が何か思ってみたり。

 姉はこちらに背中を向けているから何を言っているのか聞き取れないのはともかくとして、対応している黒峰さんも恐ろしく小声だ。読唇術の技術をまだ心得ていない未熟者の僕が、彼女の唇から読み取れた台詞は、「そうですか」だけだった。


「アキ君、お姉ちゃんちょっと出掛けてくるから、お留守番お願いね」

「ん、わかった」


 ようやく事情を話し終えたのか、姉は振り返って僕に言う。

 こうも露骨に覗いていれば、背中越しで気づかれても当然か。さっきから黒峰さんもちらちらとこっちに視線が移っていたし。裕次郎はサングラスだから分からないけど。

 ……なのに、視線が合ったような気がした。いや、絶対合ったと断言してもよい。今、裕次郎はサングラスの向こうから、僕だけを見つめている。確実に。

 そして、


「?」


 姉が外に出て玄関を閉める途中、その背景で裕次郎が笑ったような気がした。

 唇の端を吊り上げるだけの、黒峰さんと比べても愛想笑いにも満たない微笑。しかしその些細な変化さえも、昨日はまったく表に出さなかったのに。

 ……あの笑みは、何を示している?


「……」


 まあ、別にどうでもいいんだけどね。男の笑みなどキショイだけだ。おっと、目の保養目の保養。


「宗教の勧誘じゃないっぽいね。それだったら、姉さんなら玄関先で突っぱねてるはずだし」


 横で這いつくばる瞳と胸の大きな少女を眺め、僕の眼球は潤った。


「それに刑事ってのもどうかな。前にいた女の人ならともかく、後ろの男はものすっごい頭ボサボサだったし。あんなのに『私は刑事です』って言われても、説得力ないよ」


 不条さんの指摘は的確だったけれども、しかし敢て否定しておく。刑事だと肯定してしまっては、何故姉が連れていかれたのかと質問されそうだし、何故僕がそれを知っているのか詰問されそうだ。


「そして横山。お前の表現は的確だが、あまりに平凡な答えすぎる」

「なんでお前にダメ出しされなきゃなんないんだよ」


 ごもっともです。

 そして僕の評価は、最初に呟いた「ビンゴ」だった。結果、あの刑事二人を家の中には入れず、遠ざけることに成功したわけだし。


 その作戦はいたって簡単だ。友達を僕の部屋に招き、姉に「今日は弟の友達が来ているので、騒がしくなると思います。なので外でお話をしましょう」と言わせればいい。警察だってそこまで強引に部屋の中で話を、とまで言うはずもないし、何より僕以外に事件の話を聞かれるのは捜査上まずいだろうから。


 あの時、襖が閉まっているのにもかかわらず、僕と裕次郎の会話は、隣の部屋にいた黒峰さんにも聞こえていた。という意味でも、この部屋を遮る壁がどれほど薄いのかを知っているはずだから。


 そのために昨夜、僕はどうせ暇しているであろう友人三人に電話を掛けた。「明日みんなでどこか遊びに行こう。どこに行くかは僕の家に集まって決めよう」と話して。


 しかし問題は時間だ。友達が来る前に刑事が来ても、刑事が来る前にどこに行くか決まってもいけない。失敗だ。あくまでも、先に友達が到着して、そして刑事たちと鉢合わせにしなければならない。


 だからそれは実際には運だった。当たる確率の高い賭けだったのだ。


 裕次郎は、一般人を激怒させたら責任問題だと言っていた。それは単に、これから事情聴取を行う人間の機嫌を損ねては、引き出せる情報も引き出せなくなる、という意味もあっただろう。それを踏まえ、刑事はあまりに朝早い時間帯、もしくは夜遅くには来ないだろうと直感した。


 ならば何時頃に来るのか。日中の曖昧な時間帯は出掛けて留守かもしれないから、他人に不快を与えないくらいの早朝九時から十時ごろか、もしくは確実に家にいるであろう夕食の時間帯のどちらかだと仮定し、そしてビンゴ。まあ、夕方六時では遊びに行くどころの話ではなくなってしまうが。


 という計算式を導き出し、僕の呼び出しに応え、我が友の御三方は集まってくれたのだ。


 ふう、こういう頭の回転が勉強方面へ向いてくれたら、もっと成績が上がるのにーっと、この話は相佐さんがゲシュタルト崩壊起こすんだったっけか。


 姉と刑事二人が出て行ったので、襖を閉める。相佐さんは四つん這いのまま、元の位置へ戻っていった。はっ! まさかの白!


「で、どこで遊ぼっか?」


 動揺を押さえ切れる自信がなかったので、瞬時に本題の核心を振ってみた。早くこの部屋から立ち去りたい理由もあるし。

 しかし皆は答えず。さらに言えば、横山と不条さんはいつの間に電波の同期を果たしたのか、同じように「やれやれ」と首を横に振っている。なんだその「これだから田舎者は」と言いたげな自慢好きの仕草は。


 相佐さんだけが分かっていないように、大きな瞳をキョトンと座らせている。制服とは違って、薄手の白いブラウスだからこそ、より一層強調されているその大きな胸元についつい目が逝ってしまう僕は異端か? いや、誤植ではない。僕の瞳はすでに、幸福感に溺れて溺死しているのだから。


「男の部屋に来たのだから、やることと言えば一つであろう?」

「むしろ今日は、それをするためだけに来たようなもんだ」


 何をする気ですか?

 と、二人はおもむろに立ち上がる。小麦色に焼けた筋肉質な横山と、モデル型スタイルの不条さん。座ったままの僕から見上げる二人は、まさに東京タワーと通天閣を並べたような圧倒感だった。


「「さて、エロ本でも探すか」」


 ……………………………………なんですと?


「あわわわわわ」


 なにやら相佐さんは慌てている。が、僕にとってエロ本を探されることは、慌てる以上に真剣にヤバイ。


「不条隊長! しかしこの何もない部屋では、隠せる場所は皆無であります!」

「何を言うか、横山隊員! その押入れがものすごく怪しいではないか!」

「おお、本当だ。今すぐ探索にあたります!」


 ノリノリだなコイツ等。不条さんが好きでまともに会話できない横山も、それを忘れたかのような振る舞いだし。それほど僕が持つエロ本の優先度は高いのだろうか?

 だが内心でつっこんでる場合じゃない。その押入れの中には――、


「ちょっと待っ……」

「さぁて、長瀬はどんなジャンルのエロ本を所持しているかな?」


 いかがわしいことを呟きながら、横山は押入れの襖を開けた。開けてしまった。声も当然ながら、僕の身体的な制止も間に合わず、襖は静かな音を立てて、押入れの中を皆に晒す。


「なっ……!」

「…………ッ!?」

「キャッ……」


 反応は皆一様に絶句だった。一秒前までと世界が反転したかのように、六畳間に沈黙が降りる。三点リーダのオンパレードは、場の空気を凍りつかせた。

 肺が凍てついた空気を拒否したのか、全員が呼吸を止めて息を呑む。誰もが押入れの『死体』に視線が釘付けの中、僕だけがそれから顔を背けていた。


「これは…………」


 唾液を嚥下する音すらも聞こえそうなほど静かになった空間で、横山が最初に口を開いた。誰よりも近い位置でそれを目にした横山は、しかし怖気づくことも忌避することもなく、ぎこちない動作で僕を見る。ただし、こちらに正面は向けず、首を回す程度で睨みつけるように。


「これは……『虫』か?」


 この短時間でその『死体』を的確に判断できたことに、場違いにも僕は素直に感心してしまった。きっと横山は、小さい頃にはよく昆虫を捕まえて遊んでいた部類の人間なのだろう。

 対して女の子の相佐さんは両手で口を覆って後ずさりしているし、不条さんはそこまでではないにしろ、未だ言葉を失っている様子。


「そうだよ」


 僕は簡潔に答えた。


「自然に入ってきたって数でもないし、死に方でもないよな……」


 それを遠目から見れば、ただの小さな黒い山だろう。ゴミと勘違いしてもまったく不思議ではない。いや、もうそれはある意味でゴミでしかないのかもしれない。

 虫の死骸の塊。要約すればたったそれだけのことだ。

 蛾、バッタ、蜘蛛、蟻、蜂、ゴキブリに至るまで、様々な種類の昆虫がそこで、小さな命の幕を引いていた。

 がしかし、それらを明確に区別するのはすでに不可能だろう。

 あるものはすべての脚を捥がれ、あるものは二つ以上に分解され、飛べるものはすべては羽が抜け落ちている。原形を留めたまま『死体』となった昆虫は、この押入れの中には一匹もいなかった。


「そりゃそうだ。全部僕が押入れん中に入れたんだから」

「これ全部をか…………!」


 驚くのも無理はない。『死体』の数はすでに万に届くほどであり、すべてが分解されているのだから実際にはそれ以上にも見える。押入れの床に絨毯でも敷かれているように、その下の木目なども見えないほどだ。


「よく……これだけ捕まえられたよな……」

「勘違いしているみたいだけど、別に飼ってたわけじゃない。全部殺すために捕まえてきて、死体を放置してただけさ」

「………………」


 ついに横山も黙ってしまった。

 その心情も理解できる。飼うためならともかく、殺すために捕まえることなど滅多にするもんじゃない。もし小さい頃に意図的に虫を殺していたとしても、それは倫理や道徳に反することだと、義務教育を終えた高校である僕たちにとっては常識なこと。

 ましてやこの数。ちょっとムシャクシャして、ストレス発散のためにそこら辺にいた二・三匹の虫を踏み殺したのとは訳が違う。数千、万に届く数の昆虫を殺すためだけに捕まえるなど、その行為自体がすでに『異常』。


「……どうして?」


 と、今まで絶句していた相佐さんが口を開いた。


「どうしてって?」

「どうしてこんなことするの?」


 彼女の瞳が僕を捉えた。まっすぐに、歪みも澱みもなく、ただ純粋に理解を求めるために、僕に問う。

 だけど僕の気持は揺るぎなかった。


「はは、人の趣味に口出ししないでくれよ」

「趣味…………」


 なんだその眼は。何故憐れむような視線で僕を視る?

 やめてくれ、そんな眼で僕を視るな!


「ああ、趣味だよ。それが何か悪いか!?」


 突然の僕の咆哮に、三人は驚いたように僕を見た。皆目を見開き、僕の豹変ぶりに困惑している様子。

 さて、僕は今、どのような表情になっているのだろうか?


「僕は卑しい人間さ。常に誰かしらからの劣等感に悩まされて、他人の能力を妬む下らない人間だよ! 何の取り柄もないちっぽけな僕は、生きる価値を考えさせられることなんて何度もあった! だから虫を殺すことを始めたんだよ。自分よりも弱いものを傷めつけることによってしか優越感に浸れない最低な人間だよ、僕は!」


 近所迷惑など微塵にも感じさせぬ叫び。隣の部屋との壁が薄いアパートではあるが、他の住人と顔も合わせたことのない僕にとっては、居ても居なくても同じような人たちなので、そんな小さなことを気にする場面ではない。


「それに押入れに隠すこと自体にも、言い知れない優越感に浸っていたのも事実さ! 誰もこんなことはやっていないだろうと、虫を殺すことをカッコイイと勘違いしているただの中二病さ! はっ、情けない!」


 自虐的に笑い、言葉を吐き捨てた。

 友達三人は、黙ったまま僕の訴えに耳を傾けている。


「だからそんな眼で視るなよ! そんな人を憐れんだ眼でさ! 自分がどれだけ馬鹿な人間なのかは、痛いほど分かってるつもりだよ!」

「そ、そんなこと……ない……!」


 唐突に相佐さんが口を挟んだ。


「他人に言えないような隠し事があるのは、みんな同じだよ。ううん、違う。隠し事があるのが普通だもん。アキ君のこと、別に憐れんだりはしてない」

「それこそ違う。それは誰かに知られたら恥ずかしいとか、自分の立場が危うくなるから隠すんだろ? 僕の場合はそうじゃない。自分がしている悪いことに快楽を覚えて、誰かに批判されたくないからとか、誰かに怒られるから隠してるんじゃなく、その行為自体に悦に入ってたんだ。こんなことはすでに『異常』だよ……」

「それでも!」


 僕の言葉の語尾を遮るように、相佐さんが叫んだ。

 普段の彼女からは想像もつかないような、人を圧倒させる声だった。


「それでも……隠し事をしていることは、恥じるべきことじゃない」

「…………」


 大きな瞳を潤ませ、震える声で言う。ぎりぎり届くような小さい声だったにもかかわらず、相佐さんの訴えは、僕の核心を気持ち良い振動で疼かせた。


「隠していたことを私たちが見ちゃったことは謝る。ごめんね」

「別に、謝られるようなことじゃないよ」


 嗚呼、僕は相佐さんのことが好きだったんだなと、今更ながらに再確認させられた。

 そして、


「けど、秘密を知っちゃった私たちに対しての態度が変わるのは、嫌だな」


 本当にこの娘を好きになって、良かったと思う。

 素直な物言いと眼差しは、僕に破顔を届けた。


「僕だって、みんなの態度が変わるのは嫌だよ」


 今なら鏡がなくても分かる。僕の口元が笑みを見せていることを。


「そんなことないよ。ね、横山君!」


 急に話を振られた横山は戸惑いながら言い繕った……わけではなく、相佐さんとはまた違った嫌らしい笑みでニタニタと笑っていた。


「当たり前だ。最初見た時には気持ち悪いくらいの数だったけどな。虫殺してるくらいで優越感に浸ってるなんて、まだまだ甘いぜ。俺なんかよ、と…………って言わすな!」

「ッた!?」


 横山の制裁チョップが僕の脳天に降り注いだ。理不尽な攻撃ではあるがしかし、『と』? むー、気になるな。


「ね、フリちゃん!」


 呼ばれた不条さんはしかし、寝起きのような遅い反応を見せるだけだった。いや、考え事をしていて、相佐さんの声でようやく現状に意識が戻ってきたかのように、『はっ』と眼を覚ます。

 どうした?


「と、当然だとも。エロ本を見つけられなかったのは残念だが、長瀬の隠れた一面を見られたことには収穫になったぞ」


 どんな収穫だよ。まるで紅葉狩りに行って、本当に紅葉を持って帰ってきてしまったようなものじゃないか。……この例えもいまいち意味不明だけど。


「もちろん私もだよ。それにフリちゃんも言ったように、アキ君の隠された一面が見れて、私としても……なんていうのかな。……嬉しいと思う」


 嬉しいって、おいおい。それこそお前の秘密を握っているぞ、ゲヘヘヘヘ。つーことで僕に劣等感を抱かせるような発言だけど、まあこれ以上話を戻すのも流れが悪い。そろそろ本気で襖を閉めなきゃいけないし。


「はは、みんな馬鹿だよ。本当に……」


 やれやれと言った感じで笑って見せた。


「ま、っていっても、もう虫を殺すのはやめるよ。みんなに見つかっちゃったことで、もう隠す意味もないしね」


 と肩を落とし落胆を現しながら、僕は押入れの襖を閉めた。


「だからこれからはまた違ったものを隠そうかな。例えばそうだな……大量のエロ本とか」


 相佐さんのみ笑顔が凍りついた。


「ただし巨乳系以外のもので固めるとしよう」

「ほう長瀬。その意図は?」

「大きいものなら毎日揉めるからさ」

「ひいいいぃぃぃぃ」


 両手をワキワキさせると、相佐さんは川を上る鮭並みの力強さでドン引きした。そして唯一の仲間であるはずの不条さんへと抱きつく。


「た、助けてフリちゃーん」

「ふむ。そして私が漁夫の利を得る、と」

「ぎゃあ!」


 遠慮の知らない不条さんの右手が相佐さんの胸を捉え、そのまま逃げるようにして部屋の隅で丸まっていじけ始めた。


 その姿を見て、相佐さん以外の三人は笑う。


 ボロアパートの中から轟く、若い笑い声。僕の秘密を知っても、我が友人たちは何一つ変わらぬ雰囲気で、今までどおりに接してくれた。


 心地良い。満たされた幸福感は、一気にゲージを突き破り、幸福度の臨界点を突破するほどだった。

 だからこそ、心の中では罪悪感から不幸成分が生み出される。

 試してみる価値はあったな、と思うことにより。

 ここまで素晴らしい友人を試した罪悪感は、僕の心を不幸で蝕む。

 早くこの場から逃げ出さなければ、心が押し潰されてしまうほどに。

 そのため僕は、本来ここに集まった目的を早々に口にした。


「それでみんな、今日はどこで遊ぶ?」


***


「なーんてね。今までのは全部うっそぴょーん」


 カーテンの隙間から夕陽が差し込む自分の部屋で独り言ちた。遠くから聞こえる郵便配達のバイクが夕方を感じさせ、僕はただ一人で閉め切った押入れの襖の真ん前で佇む。


 あの後は普通に休日を満喫した。そう、普通にだ。


 まずは昼近かったものだから、先にファーストフードで昼食を済ませた。ボウリングの後にカラオケに行き、高校生の財布事情は意外にも厳しいものがあるので、つい先ほど解散。家に着いたのは、五時を少し回ったくらいだった。


「本当にいい友達だよな、あいつら」


 自分でも気色悪いほどの笑みを浮かべているのは分かったけれど、僕以外には誰もいないので自重はしない。唯一隣の部屋には姉がいるが、彼女は透視能力を所持したエスパーではないので大丈夫。安心して自分の心情を顔に出せる。

 その表情のまま、僕は押入れの襖を開けた。ちなみに右手には箒、左手には塵取りを持っている。


「そっちの意味では、試す必要もなかったってことだな」


 今回、この計画には一つの目的と二つの試みがあった。

 目的の方は前にも述べたとおり。あの刑事たちを家から遠ざけるためだ。


 そして試みの内の一つは、僕らの友情を確かめたかったのだ。

 『虫』を殺して蒐集している『異常』な自分を演じて、我が友達はどのような態度を示すのか確かめてみたかった。そして結果は予想以上。友達を試した僕が罪悪感で押しつぶされそうなほどの好結果だった。あんな友達を持てて、僕は本当に幸せだよ。


 ああ、ちなみに昼のあれはほとんどが演技だ。別に『虫』を殺すのが趣味じゃないし、大量に集めている理由も他にある。だって僕が『狩り』を行うのは、不幸を作り出すためだもの。優越感を得るためでも、『死体』を隠すことによって快楽を得る変態さんでもないさ。


 だって常識的に考えてほしい。本当に見られたくないものを、ただ襖一枚隔てたそこに放置しておくと思うか? 昨日の突然訪れた刑事ならともかく、今日呼んだ友達については隠ぺいする時間くらいあったのに。つまり僕は、皆に押入れの中を発見されたかったのだ。横山が開けなくても、僕がなんかの拍子に偶然開けていたと思う。


 だからすべて嘘。あんな感情的になったことはないから、演技している間でもヒヤヒヤしてたよ。いつばれるんじゃないかってね。台詞も片言っぽかったし。


「そしてこっちは試した甲斐があったかな」


 押入れの中の『虫』を塵取りで集めながら呟いた。隣のゴミ袋にどんどん捨てていき、ついに床が露わになる。


 正直、ここまで気づかれないものだとは思わなかった。


 黒い昆虫の山を吐き捨て、臨めるようになった押入れの床は、なんの変哲もない木目をした床だった。本当に変哲もない。しかし違和感がある。


 新しすぎるのだ。築数十年は経っているだろうと推測されるこのボロアパートとは似つかわしくない、木目のはっきりした真っ白なベニヤ板。部屋全体が新しいならばともかく、何故か押入れの床だけが真新しいものに取り換えられている。それは誰かが、元々あった床を取り壊してしまったために、新しいベニヤ板を置いて応急処置をしただけのように。


「…………」


 黙々と『虫』を捨てる作業が進んでいく。

 せっかくここまで集めたのに、見つかってしまってはもう効果はないだろうから、また何か別のものを用意しなけりゃならないな。まあ、押入れなんだから、大きな荷物を置いて床を覆えばいいんだけれども。そこはほら、せっかく不幸を手に入れるために『虫』を殺してたんだから、ついでに集めていただけだ。


 そしてその効果とは、他人の視線を『虫』の『死体』に集中させること。つまり、押入れの床が新しくなっていることに気づかせてはならない。なぜならその下には――。


 ようやくすべての『死体』が取り除かれた。所々に小さな脚やら羽やらが転がっているが、まあ埃程度と思ってればよい。


 僕は屈み、真新しいベニヤ板を持ち上げた。特に打ちつけているわけではなく、ただ大きさのよい物を置いてあるだけだ。たまにこうして確認しなければならないし。


 板を外したそこは、土の地面だった。アパートの一階だから当然である。ただし軒下には多少の高低があり、僕の体格でも這いつくばればギリギリ通れるほどの隙間はあるけど。


 けど別に降りて移動するわけじゃない。すぐそこにある物を確認するだけだ。

 地面に半分埋もれた複数のゴミ袋と、その周りに大量に置かれている消臭剤。ビニール袋は中身の見えない真っ黒のもので、二重三重と重ねて中の物を密閉させてある。加えてこれでもかというくらいに消臭剤を置いてあるのに、板を取り払った瞬間から、ほんのわずかな異臭が鼻をついた。


 そんなに臭うものなのか。人間の『死体』って。


 その『死体』は、紛れもなく僕の両親だ。僕と姉さんの両親だった『物』。複数あるのは、解体して同じ部位を夫婦仲良く詰め込んだため。

 このアパートに越してきたのと同時に、彼らをここに運んだ。


「アキくーん。夕ご飯できたよー」

「はーい」


 姉の呼び声に応え、僕は消臭剤の残量がまだ残っていることを確かめてから、再びベニヤ板を元の位置に戻した。

 さて、ご飯ご飯。今日の夕飯はなんだろう。どうやら姉さんは気合い入れて買い物に行ってたようだけど。楽しみだなぁ。


 それにしても、『虫』に代わる新しく置く物は何にしようか。『虫』の『死体』くらいに見た人の視線を釘付けにしなきゃ意味がないからな。やっぱりただの荷物でも置いておくか。

 さっきも言ったように、大量のエロ本でも隠しておくか。でもエロ本だと、姉に見つかった時に怖いんだよね。んー、困ったな。

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