第6章
「警察が?」
夕食時、姉はキョトンと呆気にとられた口調で訊き返した。前説明もなく、「今日家に警察が来た」とだけ言えば、当然と言える反応ではあるか。
刑事二人を見送った後にスーパーへ買い物へ行き、そろそろ夕食の準備にかかろうかという頃に姉は帰ってきた。いつも通り、お早い帰宅である。基本的には僕が毎晩の夕食を準備をするのだが、早く帰ってきた日や今日みたいに次の日が休日の場合は、姉が率先して作ってくれるのだ。僕が作るよりは圧倒的においしいし、何よりレパートリーの数が断然違う。僕が作れば、大半は栄養の偏った一品料理になるし。
姉の箸が止まる。テレビもなく、車が頻繁に通る道に面しているわけでもなく、住人が半分以上もいないアパートなので、心地良いほどの静寂が支配する。音らしい音と言えば、僕の箸が茶碗を叩く音くらいだ。
咀嚼するご飯を味噌汁で流し込んでから、詳しい説明を付け加えた。
「まさか、昨日のあの駐在さんが……」
語尾が霞むような小声で呟いてから、姉は夕食を再開した。
しばらく無言が続いた。何かを考えるように、姉は一心不乱に食事を口へ運ぶ。
しかし僕は、姉が出す結論を待つつもりはない。
「それでその二人の刑事が来た時、姉さんの部屋を探索されたかもしれない」
「そう……」
感想は、それだけだった。自分の部屋が顔も知らないまったくの赤の他人に覗かれたというのに、あまりにも淡白な反応だった。それは自分の部屋には、他人に見られて困るようなものは置いていないと、驕るかのように。
「明日、姉さんに話を聞くために、また来るって言ってた」
「それは困ったわね」
心底どうでもいい口調の中に本音を混じらせた回答。困ることは確かだ。刑事が姉の部屋を探索したのだとしたら、僕の部屋も探りを入れるだろう。それは姉もわかっているはず。
「念のために訊くけど、アキ君。アレは?」
「大丈夫。アレは見られてないよ」
「そうよね。アレを見られてたら、アキ君今頃ここにはいないもの」
うふふと清楚に笑う姉は、全世界のどこの誰よりも美しい。実の弟なのにそう思ってしまった。明らかな身内贔屓だろうと自覚する反面、身内なのにこうも心を揺れ動かされるのも不思議な感覚だな。
「どうする? アキ君が家の中に警察を入れたってことは、無理にでも説得されたんでしょ? お姉ちゃんもたぶん無理よ。人からの頼まれごとを断れる性格じゃないもの」
さあ、どうする? と、姉さんは嬉しげに問いかけてくる。
いやねー、つっても、立場は同じはずなのに。むしろアレを見られたら、姉さんの方に危険が及ぶはずなのに。まあ、昔から危機感の薄い人ではあったか。
「それについては大丈夫だよ。回避する手は思いついてある」
それに試したいこともあるしね。
「へー、じゃあすべてアキ君にお任せします」
語尾にハートでも付属してそうな甘ったるい声でお願いされちゃいました。
何故日本の法律では、姉弟間の結婚を認めてないのかねぇ。いっそそんな法律のある国へ高飛びしてしまおうか。押入れの『死体』のこともあるし。
ともあれ、今は目下に迫った現実のことを考えねばならない。
あの刑事二人を家に入れないこと。任務達成のための必要条件はこれのみ。
簡単だ。非常に簡単だ。今日みたいに不意打ちで来られたのならともかく、時間さえあればいくらでも打つ手はある。
詳しいことはまた明日になってからということで、今からその下準備をするため、早々に夕食を片付けることにする。当然、空いた食器は自分で流し場へ。
「あー、そうだ姉さん」
「んー?」
自室へ向かうため、襖を開けてから僕は肩越しに問うた。
姉は正座したまま、箸を咥えて僕を見上げる。
「昨日の深夜、僕が帰ってきてから、外に出てないよね?」
「出てないよ」
即答。揺らぎのない口調で、しかし早口に答えた。
次のおかずを早く口に入れたいと、箸を動かしながら。
「そう、良かった」
呟き、僕は自室と姉の部屋の境界を断った。いくらボロ薄い壁だからといって、襖越しではさすがに夕食を咀嚼する音までは聞こえない。
「さって……」
机の上の携帯電話を手に取る。これより、刑事を家に上げない作戦の下準備にかかります。以上。