第4章
「アキ君は隠し事、してないよね?」
「してないよ」
その問答が一日の始まりだった。
昨夜の出来事など、記憶の隅にすら残らない些細なことだったと、笑い飛ばせるような爽やかな朝だ。事実姉は僕が深夜徘徊していたことは一言も咎めることはなく、「早くお風呂入りなさいよー」「おやすみ」くらいの会話で、昨日という一日の幕を閉じた。怒っているから素っ気ない、注意するのも億劫だから警察官については触れない、というわけではない。
これが僕と姉さんの関係だから。
性格が淡白というわけでも面倒くさがり屋というわけでも他人の挙動でいちいち気を立てる短気というわけでも正論を並べて説教するお節介というわけでも僕のことを少々気の触れた痛い弟だと思っているわけでもない。
むしろタイタニックを見て涙を流す程度には感情的で弟のお弁当も用意してくれるくらいには世話好きで仕事に遅刻しそうになって慌てて支度するくらいにはのんびり屋で隠し事をするくらいには聖人ではなくて一緒に住まわせてくれてるほどには僕のことを誇ってくれているはずだ。
問題なのは姉自体ではなく、僕と姉の関係にある。
仲が悪い訳じゃない。お互いが遠慮、もしくは忌避しているわけじゃない。
表現するならば、一番近しい他人とも言うべきか。
恋人以上であり、夫婦以上でもあり、もしかしたら親子以上の繋がりがありそうにも感じられるが、しかし実際に姉弟という縁を考えると、どうしても実感できないそんな関係。
……なんだか自分でも何を説明しているのか分からなくなってきた。
とにかく、一日の始まりであるあの問い以外、僕の生活には足を踏み入ってこないくらいには、プライバシーを守れる常識人なのである。
「今日はようやく週末だね。アキ君は土日に何か予定でもあるかな?」
そうか、もう金曜日か。幸せばかり実感していた一週間だったから、その分一日の進むスピードがとても速く感じられたんだな。
「特にないよ。姉さんは?」
「んー、私もないかな。まー、ないならないで、いつも通り家でごろごろしてましょー」
呂律が回らない、というよりは年甲斐もなくブリっ子な口調で笑顔を向けた。その顔は一般男子の心拍数を倍以上にさせる破壊力を持つのだろうが、見慣れている僕にとっては消費税程度の上昇しか見られない。えぇ、少しはドキッとしましたよ。
「にしても今日はえらく余裕だね。出勤時間が変わったとか?」
「え? ………………!?」
指摘はもっとものことで実は照れ隠しに言ってみたのだけれど、その瞬間に姉の顔は一変した。箸を咥えながら時計を確認しているその光景は、まるで実風景を切り取った写真かと錯覚させるほどに停止している。
そしてそれからの行動は早かった。亀から兎へ進化したと思わせるほどの変貌ぶり。姉の下着姿をしっかりと観賞できなかったと嘆く僕は、心を無にして黙々と朝飯を口へ運ぶ。
「じゃ、じゃあ行ってくるね」
残された僕は、黙って手を振って姉を送り出すのみだ。
僕の何気ない一日、そして姉にとっても普遍な日常はこうして始まる。
「さて…………」
僕としても、こうしていつまでも朝飯を食べていられるほど時間に余裕があるわけではない。金曜日であるからには普通に学校があるし、早いとこ準備をしなければ、横山がこのアパートを通り過ぎる時間になってしまう。
……あれ? どうして偶然を装って横山と登校しようとしている言い方になっているんだろう。これだと横山に狙いを定めてフラグを立ててると勘違いされ……るわけないか。いやしないでくれよ、マジで。
***
特筆すべきことのない一日だった。
この土地に日付変更線が到来してから担任が帰りのHRを始めるまでの昨日と間違い探しをするならば、大きく変わっているところは、今日の時間割と昨夜あの『夢』を見なかったことだろう。
白骨の山を歩き、二つの骸骨を選択する夢。
定期的に見るあの夢は、発生条件も分からないければ何を意図しているのかも不明。まあゲームのような具体的な条件でもあるわけではないだろうし、夢の内容だって心理学的な何かの本でも読めば大体把握できるんじゃないかなー、と投げやりになってみる。
だって面倒くさいし。夢に執着するほど、現実に批判的になっているわけでもないのだ、僕は。
唯一意識してしまうことは、身体が軽いこと。軽いってほどじゃないんだけど、それでも夢を見た日の翌日と見なかった日の翌日では、身体が抱く疲労度が違う。まるで夢の中での白骨の山登りが、そのまま肉体的疲労に繋がっているような、寝ている間に運動でもしているかのように身体が重くなるのである。
と、図らずとも夢を追い求める青春男と成り下がった僕の耳に、帰りのHRを終了させる担任の号令が届いた。結局、疲れていようがなかろうが、眠たかろうがなかろうが、どちらにせよ僕は人の話を聞かない性格なんだよなぁ。
「終わったよー。アーキ君」
む、罠に嵌った哀れな子羊の声。
僕の右手が覚醒した。
「……見もせずに右手が動いてるところを見ると、本当に無意識なんだね」
「な……なんだと!?」
巨大な山を掴むはずだった僕の右手は、不格好なまま前方に投げられ空を切った。
それもそのはず。相佐さんは僕の目の前に立っていなかったのである!
宙に浮いた右手はそのままで、僕は左側に視線を移す。
……そうか、今日は左だったか。
「アキ君。眼が怖いんだよ……」
いや待て。落ちつけ。まだ慌てるような時間じゃない。
悩め。考えろ! 真実はいつも一つなんだから。
「……なるほど」
と呟くや否いや、僕の左手が動いた。五本の指が怪しげな踊りを繰り広げ、眼前の巨乳へと一気に距離を縮める。しかし――、
「ひゃうん!!」
喉奥から発せられた奇妙な擬音語とともに、相佐さんの体は大きく後ろへのけ反る。そして間一髪のところで僕の魔の手から逃れられた。
くそっ、今日は負けか!
まるで博打にお小遣いのすべてを賭けているお父さんのような台詞を抱いてしまった。というか、その発想自体がすでに中年臭くて頭を抱えたくなる。
がしかし、好機は思わぬところでやってくるものだ。
反射的に僕の手を避けたために、バランスを崩した相佐さんはそのまま後ろへ倒れこんでしまう。もし隣に机があれば支えになったものを、運悪く机と机の間に倒れこんでしまった。とはいっても、周囲の机や椅子を巻き込む大転倒ではなく、床へ接触する直前に手をついてペタッと表現できそうな尻もち程度のものだったが。
「あう、痛っ」
「あ、ごめん……」
謝罪の言葉は反射的だったものの、僕の視線は釘づけだった。何にって? 言わなくても分かるだろ? むしろ言わすな。
「ふーむ。制服には白というのがベターだと個人的に思っていたけど、相佐さんなら水色であってもそれはそれで……」
「ふわあぁぁ!」
腿の間から垣間見れる下着を、慌ててスカートで隠そうとする。スカートの裾を押さえながら、相佐さんは朱らめた顔で僕を睨み上げてきた。
「アキ君! 今の絶対わざとでしょ!?」
「いやー、悪いとは思ってるけどさ。けど、その、なんだ。目の前で女の子のパンツが見えてたら、つい視線が行っちゃうのは男の性ってもんでしょ」
「そこじゃないって!」
んー? じゃあ何のことかな? 僕の両手が相佐さんの胸に伸びてしまうのは、まるで磁石のN極とS極のようなものだから自然現象だとして、他に僕がわざとやったことなんて、見当もつかないなー(棒読み)。
「そういえば不条さんと横山の姿が見えないね」
「もー。また話逸らして!」
相佐さんはあからさまに憤慨して、僕をポカポカと叩く。
ま、実際問題、ここまでふしだらな男にそれでも付き合ってくれているということは、相佐さんとしても満更ではないのだろう。僕が思うのもなんだが、友達ったってここまでやられたらぶっちゃけ引くもん。変態という汚名を着せられて、クラス内から後ろ指を指されても文句は言えないだろう。
っていっても、僕としても自負しているからこそ、こんなことができるんだけれども。
「不理ちゃんなら部活で、今後の活動をどうするかって決める集まりがあるんだって。横山君も同じなんじゃないかな。あ、不理ちゃんは先に帰っててもいいよって言ってた」
一通り僕を叩き終えた相佐さんは、そんなことを説明した。相佐さんから繰り出されるその爆裂パンチよりも、帰宅のために教室から出ていくクラスメイトの視線の方が痛かった。
バカップル扱いされてんだろうなー、きっと。決して恋人同士というわけじゃないんだけれど、こうやって年頃の男女が仲良くじゃれ合っていたら、誰から見たってそういう判断はするよなーと、客観視できるくらいの常識は持ち合わせてるつもりだ。
さてさて閑話休題。
不条さんと横山が同じテニス部ってことは昨日説明したとおりだが、実質現在のところ活動は停止しているはずだ。テスト前だからではなく、お盆や正月などといった長期休暇に入ったからでもない。
現在この街を恐怖で震撼させている、殺人事件のせいだ。
昨夜、僕の日課である死体製造を強制終了させられた原因でもある。ま、これは詭弁か。
被害者の関連性がないことから通り魔と断定され、三人の被害者のうちの一人が、帰宅途中の高校生ということも人伝に聞いた。この学校の生徒ではないらしいが、どちらにせよ僕にとってはどうでもいいことである。
部活動停止はそのための処置だろう。部活してて帰りが遅くなって襲われましたじゃ、学校側の責任がどう問われるのかは、素人目から見ても大方想像がつく。強制的に部活動ができなくなっているから、これからどうしようって話し合いなのかな。
「んじゃ、しょうがない。今日は二人で帰ろうか」
「ふえ?」
なんだ、その呆けた反応は? 元々帰りの誘いじゃなったのか?
「うん、その……二人で帰るのが当たり前のようにしてくれるのが……ちょっと嬉しいかな、と思って……」
うつむき加減になりながらも、相佐さんの両手はもじもじと不思議な踊りを披露する。僕のMPを奪うことが目的なのかと警戒しつつも、彼女の表情を見ている限りは好感度が向上するばかりだ。
「だけど昨日みたいに寄り道はしないよ。今日はまっすぐ、相佐さんを家まで送ってくからね」
「うん! それに財布の中もちょっと寂しくなってるからね」
その心遣いには軽く感謝だ。姉に扶養してもらっている立場からすれば、遊びなどの無駄遣いはできるだけ避けたいもの。給与が高い低い云々の前に、入社一年目の姉にとっては、二人が一日三食食べていくだけでも精一杯の稼ぎなのだ。
僕と相佐さんはそろって校舎から出た。
時刻は四時を回っており、傾きかけた西日が世界を茜色に灯す。これから日中の時間が伸びると思うと、少なからず億劫になるよ。ほら、気温の問題とか気温の問題とか気温の問題とか。我がボロアパートに、室内冷却機など備わっているはずがない。さらに言えば、引っ越してきてから最初の夏なので、扇風機すらもなかったりする。
相佐さんが自転車を取りにいっている間、僕は校門の前で一人虚しく佇んでいた。言わずもがな、僕は自転車を所持していないのである。毎朝歩いて登校することが苦にならない距離だから、というのは当然のごとく建前で、本音は前述したとおり。絶対に必要な日常品ならともかく、自転車のようなあった方が便利になる程度の物っていうのを姉にねだるのは、少々気が引けるのだ。
ボゲーっと手持無沙汰にする傍ら、自転車に乗った見知らぬ男子生徒が数名帰路につく。その際に何人かは哀れな横目で僕を一瞥していったように思えたので、こちらと女の子を待ってるんじゃーい、お前らと違って勝ち組なんじゃーい、と内心粋がってみたり。
「おまったせー」
ようやく我が天使の登場である。顔を合わせた相佐さんの顔がほんのりと紅潮しているのは、夕陽のための錯覚か、もしくは急いで自転車を取ってきたためか。もし僕と二人っきりで帰れることに熱を上げているのだったら、正直嬉しい。ま、これは自意識過剰だね。
「さ、帰りましょー」
「おー」
帰宅の号令を上げ、相佐さんは自転車を押しながら、並んで帰路へと立った。
とは言いつつも、残念ながら僕の家と相佐さんの家は学校を挟んでまったくの正反対。僕にとってはさらに行動範囲の開拓を行っているようなもの。
「ごめんね。自転車乗ってる私の方が送ってもらっちゃって」
「気にすることないよ。むしろ僕が送ってもらうような形になるのは、男としていただけないからね」
「でも帰る時、気をつけてね。最近物騒だから」
「大丈夫大丈夫。家が正反対っていっても、そう何分も歩くわけじゃないんだからさ」
それにたとえ夜間に外を歩いていたとしても、遭遇するのはモンスターでも殺人鬼でもなく正義の味方の警察官なのだ。今現在のところ、エンカウント率はそちらの方が圧倒的に高い。
そのまま静かな時間が流れた。話題がなかったとか、気まずくなったとかそんなちゃちな理由じゃない。
横目で確認すれば、相佐さんは口元を魚類のように二三度パクパクさせた後、結局言葉を出せずに唇を真一文字に結ぶ。その光景が何度も見れたのだが、どうやら話題を切り出そうとするも、照れてるのか言いたいことがまとまらないのか、喉元まで出かかっているのに断念しているようなのだ。その仕草がいちいち可愛いので、僕は敢て話題を提供しなかった。
故に無言。自己満足以外の何物でもないけれど、愛くるしい表情の相佐さんをこんなに間近で見られるなら、僕はいくらでも悪魔になってやるさ。いや、狼か。今まさにこの場で抱きついて全身全霊を込めて頬ずりをしてやりたい気分だけど、自転車が間を遮っているから何とか欲望を抑えつけていられるのである。
……いや、自転車がなかったら、本当に実行してたのかって訊かれたら……正直、ビミョー。
「もうすぐ夏休みだね」
「ほえ?」
あまり長いこと意地悪してやるのもかわいそうだし、せっかく二人っきりだというのに相佐さんの家までずっと無言ってのはもったいないので、僕から話を振ってやった。
しかし相佐さんは、僕が突然に宇宙公用語を使ったような顔で固まっている。
「いや、だからさ。夏休みが楽しみだなーって」
「夏ぅ?」
下唇にしわを寄せて顎をしゃくる、形容しがたい表情……つーか何だその顔は!
「アキ君ったら気分早いね。まだ六月なのに」
ニヘラと笑ったその顔は、万年脳内天晴れ男に対する嘲りではなく、単純に会話ができることの喜びのようだった。
まったくこの子は、普段は普通に喋れるのに、自分から積極的に会話を作るのは苦手なんだから。
「相佐さんは楽しみじゃない? 高校生初の夏休みは」
「そりゃー楽しみだよん。何して遊ぼうかとか、どっか行こうかなーとか考えてみたり」
「でもその前に期末テストだ」
「そんなバカな! 夏休みの話題を振った本人から期末テストの名が出るなんて!」
頭を抱えて「ヒーッ!」ともんどり返る相佐さん。まるで果実と間違えてハバネロを口にした小学生のような反応だ。そんな小学生いるのかどうか知らないけど。
「大丈夫さ。期末テストなんて、中間テストより範囲が広くなるだけで、問題そのものの出し方は変わらないんだからさ」
「や、やめてー! 頭の良い人の持論を私に押し付けないでー! それだけでゲシュタルト崩壊起こすんだから!」
自転車のハンドルに腕を預けて顔を埋めるその姿を見てしまうと、本当に可哀相になってきた。すまない。
ちなみに僕の頭は良いのかと問われれば、まあまあといったところである。僕の学校ではテストの際に、上位の順位は公表され廊下に張り出されるわけだが、中間テストの結果では、僕の名前はその後ろの方にポツンと記載されていた。
うん、そりゃ相佐さんの名前は載ってなかったけどさ。……何位だったんだろう。
「部活動に入ってるわけじゃないからスポーツで青春感じるのは難しいかもしんないけど、その分遊べるし、思い出も多くなると思う」
「は、話を戻されたー! こっちは成績のことで四苦八苦してるのにぃ」
ムンクも驚きの歪み具合だ。人間の頭部って、ここまで曲線を描けるんだな、と相佐さんの顔を見て素直な感想を抱いてしまった。
ふと豆電球が頭上で点灯したような表情で僕を見つめ上げる。大発見というわけではなく、餌を期待する小猫ちゃんらしいつぶらな瞳だ。擬音語で言ったら『うるうる』が似合いそうなほど潤んだ瞳は愛玩動物も顔負けの何だか言ってて恥ずかしくなってきた。
すぼめた唇から、空気を抜くような小声で問われる。
「お、思い出って、そこに私の姿はあるのかな?」
「?」
眼が合った瞬間、相佐さんは慌てて顔を俯かせた。
意地悪とかじゃなく、素直な答えを返す。
「むしろ相佐さんが隣にいない思い出は想像ができないな」
「……ッ!?」
「そのポジションは相佐さん以外には誰にも埋められそうにないし」
「…………ッ!!??」
慌てふためくその姿が、またかーわいーいー。
……結果的に苛めちゃってるような気がしないでもないけど。
「そんなこと言うと、か、勘違いしちゃうぞ」
「大いに結構」
その返答がどちらに捉えたのか、キョトンとした眼で僕を見据えていたが、それ以上の言及はなく、照れたように微笑むだけだった。
それから二人は、一ヶ月以上も先の夏休みについて話し合った。
何して遊ぼうとか、みんなでどっか行こうとか、宿題は一緒に片付けようとか、話したいことはまだまだ十分にあるのに、もう間もなくして相佐さんの家が視界に入るころだ。
幸せだ。誰に否定されようが、たとえそれが神や仏や悪魔だったとしても、今の僕は間違いなく幸せ者だった。
「むぅ、そろそろお別れの時間だぁ……」
不満そうに、残念そうに唇を尖らす相佐さん。今までの会話が楽しかった分、その気持ちはよく分かる。
「送ってくれてありがとね」
「いやいや、当然のことをしたまでよ」
「お礼といってはなんだけど、あ、明日は白にしてくるから……」
何を? と聞くのは無粋だろうか? つーかそんなに顔を真っ朱にさせるくらいなら、言わなきゃいいのに。勇気の使いどころを間違っていてもったいないな。ちなみに明日は土曜日で学校はお休みだよ、と言うのも無骨すぎだろうね。
もう一つちなみに。確かに制服には白がベターとは言ったけど、相佐さんが穿くなら何色でも構わないんだよ!(爆弾発言)
と、僕も心の中で赤面しながら勇気の使いどころを間違ってみる。
そうやって、名残惜しむように手を振って別れた後、僕は本当の帰路を歩む。
なかなかの幸福感だった。昨夜の狩りは失敗し、幸せの背理たる不幸を呼び寄せられなかったにも関わらず、僕の中の福袋は幸福で一杯だった。
こりゃー釣り合いが取れなくなってきちゃったね。不幸の割合に対して、幸福感が比較するほどもないほどの差ができてしまっていた。こうなってしまっては、もう不幸造りの失敗はできない。二日連続は初めてだけど、今夜も『死体』製造を行わなければ、僕は幸福の海で溺れ死んでしまうだろう。
仕方がない。これが日々の生活を円滑に送るために得た知恵なのだから。
相佐さんも不条さんも横山も見ていないところで、僕は一人不幸を背負おうじゃないか。
と決心しつつも、また別の不幸が家で待っていようなどとは、この時の僕は知る由もなかった。