表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
s_complex  作者: 秋山 楓
3/20

第2章

 机に肘をつきながら呆然と見守る教室内は、一気に生徒の喧騒で埋もれていった。

 一日の授業課程を修了し、担任が帰りのHRに終わりを告げたのだ。僕も周りに倣って一度大きく背伸びをした後、再び肘をついて、帰りはじめる生徒たちを眺めながら思考の一時を嗜む。


 正直、疲れた。全身に倦怠感を抱き、視界が白ばむほど頭がぼんやりする。


 眠いのだ。疲れたから眠いのか、もしくは眠たいから疲労を感じているかは分からないが、たかだか七時間ぽっち座って授業を聴いているだけでここまで疲労困憊している理由は、うっすらと理解している。

 あの夢のせいだ。あの見渡す限り骨に埋め尽くされた夢を見た翌日は、必ずと言っていいほど、今みたいに体力と精神力が削られている。夢を見るのは眠りが浅い時らしいので、その結果の寝不足だろう。ほんの数分の出来事としか感じられなかった夢でも、現実では数時間経っていることもあるのだろうし。

 そしてあの夢を見るための法則は未だに分かっていない。毎日見るわけではないが、しかしもう日中でも鮮明に思い出せるほどに何度も見ているのだ。なのに、いつ、どんなことをすれば、あの夢に辿り着くのかは、規則性がつかめない。


「アーキ君! 授業終わったんだよ!」


 意識が飛ぶほど思考の海に没頭していた僕の目の前に、巨大な二つの山が現れた。呆然と見つめていた暗緑色の黒板から、真っ白な制服が僕の視界を遮る。


 特に驚きはしなかった。大脳のすべてが思考に使われていた今の僕には、意識して反応を返したり、相手の顔を確認するために頭を動かしたりはできない。だから右手が目の前の山を一つ鷲掴みにしたのは無意識だ。ついでに二、三回ほど揉んでみる。ふむ、柔らかい。


「ひ、ひいいぃぃぃーー!」


 突然、目の前の人物は、己の胸を抱えて座り込んでしまった。


相佐(あいさ)さん、大丈夫? そんな痴漢に遭った女子高生みたいに怯えちゃって」

「あ、あり得ない。痴漢した本人に心配されるなんて……」

「なに? こんな愛くるしい小動物みたいに可愛い女の子に痴漢するなんて、どんな顔した野郎なんだ。許せん!」

「ちょっと待ってね。今、鏡出すから」


 と言って、相佐さんはカバンの中から化粧用の小さな鏡を取り出し、僕に向けた。

 そこには、生まれてからほぼ毎日顔を合わせている男子生徒の顔があった。


「そんな……。卑劣な痴漢野郎の顔が、僕と瓜二つだなんて……信じられん」


 ちょっと苦しい言い逃れ方だな。さすがにこれはもう僕の負けか。あーあ、痴漢罪って、懲役何年で罰金いくらなんだろう? 高校の普通科に、法律の授業があればよかったのに。

 しかししばらく待っても、相手からの切り返しがない。どうしたのかと思いきや、目の前の少女は鏡を持った手を震わせ、あろうことか明後日の方向を見ながら顔を朱らめていた。


「か……可愛いって言われた。アキ君に、可愛いって言われた……」


 などと呟いている。反応遅いって。

 しかしこれはチャンスだ。これを機に猛攻撃を仕掛けてやる。


「それにしても、相佐さんの胸は極上だね。その胸で、今まで何人もの男の視線を独占してきたんだろう?」

「ふわーーん!」

「胸を触られても嫌な顔一つしないなんて、もしかして相佐さんは僕のことが好きなんじゃないのかな?」

「あわわわわわわわ!」


 これは面白い。一言一言で表情や顔色があれこれ変わるのは見ていて飽きないし、何より事実、相佐さんは本当に小動物のように可愛い。

 ん、まあ、これ以上のセクハラは、人として大事なものを失う可能性があることは自覚しているけど。


長瀬(ながせ)。そこら辺でやめておけ。そのままだといつか道を踏み外すぞ」


 一人の女子生徒が、ようやく僕のセクハラに歯止めをかけてくれた。


「うわーん、フリちゃーん。アキ君がいじめるぅー」

「よしよし。うん、あんたはいつも可愛いねぇ」


 相佐さんがフリちゃんと呼んだ生徒に泣きつき、彼女は宥めるように相佐さんの頭を撫でる。

 彼女の名前は不条不理(ふじょうふり)。見ても分かるように彼女と相佐さんは友達であり、あえて明言するならば僕とも友達だったりする。


 男みたいな言葉遣いに同調するように、髪型はボーイッシュな短髪で、さらには女性の中では背も高いほうだ。その整った顔立ちは一見美人さんにも見えるが、どちらかといえば『美少年が女装をしている姿』と称したほうが違和感がなかった。一度僕がそのような感想を抱いていることを口に滑らしたら、彼女に「はは、それは的を射ているな」と笑われたことがある。つまり本人公認ってことだ。


「ふむ、これはこれは……」

「ひぃぃぃ!」

「?」


 抱きついていた相佐さんが、不条さんから飛び退いた。こののんびり相佐さんからは想像もできないような俊敏さだったけど、一体何が……、


「本当に大きいな。一体何を食べたらここまで成長するのやら」

「うえーん。私の周りは敵ばっかりだぁ」


 その言葉と、グーとパーのジェスチャーを繰り返す不条さんの右手を見て理解した。


「そんなことより長瀬。授業が終わったというのに呆けたままとは、お前らしくないな。いつもは一目散に帰路につくのに」

「そんなこと? 私がセクハラを受けたことはそんなことなの!?」

「一目散ってほどでもないでしょ。今日はあれだ、ちょっと寝不足でぼーっとしてただけだよ」

「そしてアキ君も、私のことなんか忘れて普通に会話してるし……」


 僕らから距離を置いて、しくしくと泣き始める相佐さん。放っておいてもすぐに立ち直るから大丈夫だろう。いつものことだ。


「相佐さん、そんなところで泣いてないで。僕に用があったんじゃないの?」

「そうそう、そうなんだよ!」


 即行で立ち直った相佐さんは、両手で僕の机を思い切り叩きつけ、すぐに自分の胸を覆い隠すように自らを抱きかかえた。いやいや、さすがにこの短時間で、同じ過ちは繰り返さないから。


「一緒に帰ろ」


 自然と浮かべた笑顔はとても可愛く、

 裏表のない誘いは、僕の幸福感を刺激した。

 まったく、可愛いって言われただけで呂律が回らなくなるほど照れるっていうのに、こういうことは積極的なんだな。


「悦に浸っているところ悪いが長瀬、私も一緒に帰るんだぞ」

「えー」

「えー、とはなんだ。貧弱そうなお前では、相佐を守ってやれるのかどうか不安なのでな」

「心配せずとも、ここは歩いているだけで暴漢に襲われるほど都会じゃないよ。一時間に三本しかない環状線が通っているほどには田舎さ」

「お前は都会にどんなイメージを抱いているのだ。と思うも、しかし……」

「?」


 顎をさすりながら、不条さんは訝しげな表情で僕を睨みつけていた。しかも相佐さんは相佐さんで、僕を不安げな目で見つめて黙っている。


「なになに、隠し事? そんな悪い子には、僕の右手が再び相佐さんの胸へダイレクトアタックなんだけど」

「ひえええぇぇぇ、しゃ、喋ります喋りますー」


 さささと後退し、さらには僕に対して背中を向けてしまった。なんかとてつもないトラウマを植え付けてしまったみたいで、悪いことしたな。


「長瀬、お前は新聞に目も通さない現代っ子なのか?」

「あー、うち新聞取ってないんだよ」

「なるほど。しかし地元で起きた事件くらいはニュースで耳にしているだろう」

「それが実は、テレビもなかったりするんだよね」

「なんと」


 驚き、というよりは、信じられないものを見たときの物珍しそうな目で見られた。そりゃ今時テレビのない家庭は珍しいかもしれないけどさ。それも自覚しているけどさ!


「ん、事件? この辺りで何かの事件があったの?」

「いや待て。その前に、帰りのHRで担任が事件についての注意を促していたではないか。知らないとは言わせないぞ」

「あー、ほら、眠たくてボーとしてたからさ。担任の話なんてまったく聞いていなかったわけだよ」

「……」


 呆れるように溜め息を吐いた不条さんに対して、何故か罪悪感を抱いた。別に僕が悪いことをしたわけじゃないのに。


「それで事件って?」

「この近辺で起きてる、連続通り魔殺人事件のことだよ」


 憂いを帯びた表情をした相佐さんが言った。その顔は、理不尽に被害者となった人たちを悼んでの変化だろう。まったくの他人に同情してしまうほど、この娘には感傷的になりやすい部分がある。


「一週間くらい前なんだけどね、裏山の麓で遺体が発見されたの。それから今日まで、確か三人くらい……犠牲になってるって聞いたと思う」


 この平穏そのものな片田舎で、どうしてそんな物騒なことが起こるのか。と言いたげな恐怖心を抱いたのか、相佐さんの声は徐々に萎んでいった。

 代わりに不条さんが続きを継ぐ。


「被害者の関連性や、遺体を茂みに放置するだけの隠匿行為のないことから、警察は通り魔殺人として捜査を進めているらしい。ま、大まかに言えば、こんなところだろう。あとは被害者の身元が公表されているくらいで、捜査の進行具合は発表されていなかったと思う」

「へー」


 殺人事件、ねー。


「まったく、はた迷惑なものだよ。夜間は警備が厳しくなっていて、おちおち深夜徘徊もできないではないか」

「ふ、不理ちゃん。高校生の深夜徘徊は補導対象なんだよ」


 相佐さんの言っていることはもっともだが、心情的には不条さんに同意だ。警察の人間がそこらかしこを闊歩しているのは、僕の精神的にもあまり良くない。


「あー、そこで皆で一緒に帰ろうって話になるのね?」

「そーだよー。先生も言ってたじゃん。下校はなるべく集団ですること。暗くなる前に家に帰ること。夜は外に出ないこと。最終下校時刻も、しばらくは一時間くらい早まるらしいよ」

「そこでだ、長瀬」


 不敵に笑う不条さんはとても艶めかしく、そして怖かった。


「逆に捉えれば、明るいうちは家に帰らなくてもいいわけだ」

「うわー、ものすごく筋の通った屁理屈を言いやがって」


 お前は小学生か。こいつ絶対、『今日から毎日、一円でいいからお小遣い頂戴。だけど、一日ごとに二倍していってね』とか言ったことがあるに違いない。


「仕方がないだろう! ここのところ忙しく、お前にリベンジする機会がなかなか作れなかったんだからな!」

「リベンジ? ……リムジン?」

「話を逸らすな! しかも似たような単語を並べたと思いきや、結局『リ』しか合っていないではないか!」

「あーあー分かってるよ。ある物事に対して、少し自分の手を加えて変化させることだろ?」

「それは『アレンジ』だ! やめろ! こういうやりとり、何かの漫画で見たことがあるぞ」


 うん、同じく。これはギャグ漫画でよく使われる手法なんだろうね。っていっても、僕らは芸人でもなければ作家先生でもないので、うまい言い回しができてるわけじゃないんだけど。

 ……しかしまあ、ここまで興奮しながら突っ込んでくる不条さんは初めて見た。


「忘れたとは言わせないぞ。『超武道』でお前に借りを作ったことがあっただろう? 私はそれを早く返さなければ気が済まんのだ!」


 ダンッと、相佐さんに代わって今度は不条さんが僕の机を叩きつけた。あまりにも距離が近かったものだから、また無意識に右手が相手の胸部に伸びてしまったよ。ま、触れる前に軽くあしらわれてしまったけれど。……チッ、相佐さんだったら十分に触れてる位置だったのに。


「ほんと、不理ちゃんはいっつもそればっかり言ってるんだよ」


 不条さんの言う『超武道』とは、ゲーセンにあるゲームの名前で、いわゆる筺体を挟んで向かい合って対戦ができる格ゲーのことである。


 何日前かは忘れたが、皆でゲーセンに寄った時に、成り行きで僕と不条さんが対戦してしまったことがきっかけだった。勝負事には一言あるのか、不条さんは「負けた方が勝った方にジュースを奢る」と豪語していた。にもかかわらず……結果は先ほどまでの会話で十分にご理解いただけたかと思う。


 もーこれがほんと、笑いたくなるくらい弱いのだ。僕だって格ゲーはそれほど強いわけじゃないし、実際にプレイしたことだって過去に五回くらいしかないというのに、ほとんどのラウンドでノーダメージで勝てるのはいかがなことかと思う。逆にどうやったらそんなに弱い操作ができるのか、後ろから見てみたかったよ。


 と、結局ワン試合どころか、千円以上使っても勝てなく、涙まで見せた不条さんに対しては笑いを通り越して申し訳なくなってたんだけどね。


「ほら、これがこの前行ったときに、アキ君が取ってくれたケロちゃんだよ」


 と言って、相佐さんは携帯電話のストラップと化している、なぜか目の泳いでいるカエルのキーホルダーを見せてくれた。その天使のように可愛い笑顔をゆっくり観賞するためには、まず目の前の狼を何とかしなくてはならない。うぅ。先生、僕には無理です。


「というわけで早々に行くとするぞ! 早く行かなければ、すぐに陽が落ちてしまう!」

「はいはい……」


 否応なしに席から立たされた。つっても、下校時間を迎えてる今現在ではエロゲ風味の特殊イベントなどあるはずもなく、どうせ下校以外の選択肢はないんだけどね。ま、ゲーセンに行くのも嫌々ってわけじゃない。むしろ日常を謳歌するうえでの、幸福を感じさせるイベントってことで、僕もそこそこは乗り気だ。


 と、

 ――ゾワリ。背筋に悪寒が走った。


 眉間から数センチしか離れていないところで弓を構えられた感覚。


 氷でできた針で眼球を刺されるような冷酷さ。


 その男は、荒原を走る一本の道路のように歪みない視線で僕を貫いていた。


 瞬きすらしない。半眼で眠たそうなその眼は、脇に一切の注意を払うことなく僕を睨む。


 精悍な顔つきの男子生徒だった。僕よりも一回りほど大きな身体は何らかのスポーツに従事していることが一目で分かり、それを証明するかのように、彼の傍らには大きなスポーツバックが置かれていた。


 しかしそれだけだ。文化系、体育会系の区別が良く分かるだけの、どこにでもいそうな健全な男子高校生。特に制服を着崩しているわけでもなく、髪だって純粋な黒色の優良生徒。


 なのに死神の使いを思わせるような、それだけで射殺せる視線。

 人を人とも思わぬ、残虐かつ冷酷さを奥に秘めるどす黒い瞳。

 きっと、躊躇いもなく人を殺せる殺人鬼は皆、こんなような眼になるのだろう。


 ――殺人鬼。


 相佐さんと不条さんから聞いた連続通り魔の話。その犯人はまだ捕まっていないのだろうし、目撃情報もあるかは不明である。

 そう、だから犯人が近所の高校に通う、一般の生徒である可能性だってあるのだ。


「………………」


 んな長ったらしい冗談は横に置いといて。

 女の子二人に急かされて席から立ち上がった僕は、壁際で僕を睨みつける彼、横山翔太(よこやましょうた)へと距離を詰めた。あまりにも唐突な僕の動きに横山は一瞬だけたじろぐも、時すでに遅し。僕と彼の間は一歩半まで縮まっていた。


「何見てんだよ」

「っツァ!」


 僕の制裁チョップが、横山の脳天へと舞い降りた。

 何を隠そう、僕と横山は友達なのだ。いや、別に隠してないけど。隠すどころか公然の事実なんだけど。いやいや『公然の』とか付けると何やらいかがわしい雰囲気になるような気がしないでもないが、別に僕たちの関係は特別いやらしいわけでもないただの友達だ。


 ……ふむ、無理に説明しようとすると、どんどん中身のない墓穴を掘っていくのもまた事実。


 ちなみに、早朝に偶然にも僕の家を通りかかった友達とはこいつのことである。


「何故殴った! 長瀬!」

「お前が気持ち悪い目でこっちを見てたからだよ」

「え、マジ? 気持ち悪かった?」


 と言って横山は目を擦るが、気持ち悪いのは眼球自体じゃなくて目つきなんだよ。

 つっても、友達である横山が、終礼後に居残ってまで僕を待っていたのにもかかわらず、声を掛けてこなかった理由を僕は知っている。


 特に秘密にしているわけでもないし、たとえ心の中で僕が暴露をしたとしても、どうせその情報を知り得るのは次元を超えた神様だけであるし、たとえその神様が悪意ある思考で横山を傷つけようとも、さすがに次元の超越などできるはずもなく、現時点では直接横山に干渉することもできないだろうからぶっちゃけるが、一言でまとめてしまえば横山は不条さんのことが好きなのだ。


 相佐さんだけならともかく、不条さんまで僕の元に集ってしまった現状では、体育会系で女の子にあまり免疫を持っていない横山にとっては、まさに裸一貫で銃弾飛び交う戦場へと乱入するようなものだろう。うん、それは言い過ぎだ。

 つーかこの男、不条さんとは同じクラス以上の顔見知りのはずなんだがな。


「お、横山君じゃないか。どうだい、君も一緒にゲームセンターに行かないかい? そうすれば男女比がぴったりだ」

「…………ッ!」


 不条さんに声をかけられ、横山の顔が一気に日焼けした薄茶色から紅色へと変化する。


「ん、どうした? 今日の部活は事件のせいで一時的に休部になっているはずだろう。もしかして横山君は他に用事でもあったのか?」

「い……いいいや、ないない。よ、用事なんてこれっぽっちもない……です」


 何故に敬語?

 不条さんと横山は同じ部活、硬式テニス部だ。男女の差はあるものの、顧問が同じなので同じ部活として扱われていたはず。それだけ接点を臨める時間が多いはずなのに、どうしてこの男はここまで女の子に弱いんだか。


「ならば早く行こうではないか。善は急げ。私たちと同じ考えを持った学生が、ゲームセンターに溢れかえってしまうぞ」


 ねーよ。どれだけ娯楽のない街なんだ、ここは。

 ともあれ、友達と一緒にいられるこの時間がすでに娯楽か。何もない日常こそが幸福であるように、僕もまた、その事実を認識して噛み締めなければならない。

 バシバシと、不条さんが頭一個分背の高い横山の背中を叩いてエスコートする。横山もそれに合わせて、大股で教室から出て行った。ただし操り人形のようにカッチコチで。


「さて、僕らも遅れず行こうか。……相佐さん?」


 ふと彼女の方を振り返ると、相佐さんは横山に負けず劣らず顔を朱らめていた。そういえばさっきから一言も言葉を発してないし、横山のように知恵熱を出す理由もないはずだ。なのに両手を頬に当てて、熱にやられたかのように視線は虚ろだ。

 どうしたんだろう?


「あ、あわわわわ。だ、男女比ぴったりって……。これってもしかして、合コン?」


 ちげーよ。


***


 たわいもないおしゃべりをしながら、ゲームセンターへ向かう。


 まずは真っ先に不条さんのリベンジ。


 ほとんど片手間でやっていたのに、何故か全勝してしまった僕。


 欲しいヌイグルミがあったのか、UFOキャッチャーを数回プレイしても何の景品も手に入れられなかった相佐さん。不憫だったわけではないが、僕がやったら二回で取れてしまった。もちろんそれを相佐さんにプレゼントすると、彼女は頬を朱らめながら満面の笑みで喜んでくれた。


 その間に横山と不条さんは、『超武道』で対戦していたようだ。不条さんとゲームができることに悦に浸って放心している横山と、ゲーム画面を食い入るように真剣顔で睨む不条さん。果たして結果は……筺体の上で頭を抱える不条さんを見れば、答えは明白だった。横山が不条さんに何やら慰めの言葉をかけているようだけど、残念ながら周りのゲームの音楽や稼働音でここまで声が届かない。ま、聞くだけ野暮ってもんか。


 その後、僕と横山はレーシングゲームで対戦した。横山がぶっちぎりの一位でゴールしたところをみると、どうやら奴はゲーム全般を得意とするようだ。僕が負けたことを後ろで負け惜しみのように茶化す不条さんの声が聞こえたような気がしたけど、あくまでも気がしただけなので無視を決め込んでみた。


 最後に、四人そろってプリクラを撮った。女の子二人が前で、男二人は後ろ。同じ大きさのものを四枚分け、記念に携帯の裏側に貼ってみる。


 別れの時間はすぐに来てしまった。陽が落ちかけ、制服を着た高校生は、帰宅しなければいけない時間帯となる。もともとそんなに時間があったわけではないが、それでも本当に一瞬の出来事のように短い時間だった。……そうか、楽しく過ごしている時間ほど、早く過ぎてく感じがするってよく言うもんな。


 本当に楽しい時間だった。近所で殺人事件が起きてるのがデマと思えるくらいに、平穏な時間だった。誰にも邪魔されない、僕たちだけの時間だった。


 幸せだ。


 あぁ、そうさ。僕は幸せ者だ。その他多くの人間が僕より不幸な目に遭っているかもしれないが、そんなの知ったことじゃない。今回の通り魔殺人の犠牲者だってそうだ。何の前触れもなく交通事故に遭う人だってそうだ。何も知らないのに、自分が住む地域にミサイルを撃ち込まれた他の国の人だってそうだ。


 僕とはまったく関係がない。どこの誰がどんな目に遭おうとも、僕の幸せには亀裂一つ入りはしないのだ。勝手に生きたり勝手に死んだり勝手に喜んだり勝手に泣いたり勝手に怒ったり勝手に落ち込んだり勝手に感動したり勝手に幸せだと謳歌したり勝手に不幸だと嘆いてみせたりすればいい。


 だけど僕の幸福を邪魔することだけは許さない。誰であろうが、僕の生活に干渉して無茶苦茶にする奴には容赦はしない。だって僕には幸せになる権利があり、そしてそれを得るための努力も怠っていないのだから。


 そうさ、僕は幸せになるために人一倍努力を重ねている。普遍で不変な日常をこの上なく幸せと感じるために、僕は悩み考え試しながらもっとも効率の良い方法を編み出した。


 何気ない日常を、繰り返しの毎日を、天変地異など起こらぬこの世界で幸せをつかみ取るその方法とは、


 ――すなわち、不幸になればいい。


 毎日が幸福の中にいるからこそ、人は何気ない小さな幸福に気付かず、見逃すのだ。それは白い画用紙に白いインクを落としても、あまり目立つことがなく、場合によっては見落としてしまう恐れすらあるのと同じこと。注意して見渡せば気がつく可能性は格段に上がるけど、飢えた獣のように幸せを貪ったって、結局それは落ちていると確実に分かっている百円玉を探すのと同じ労力だろう。落ちていると知っていなければ、同じ事実でもどれだけ幸福感が違う事やら。


 じゃあどうすればいいのかは明白。黒い画用紙に白いインクを垂らせば、一目で分かる。探さずとも、視野にさえ入っていれば気がつかないことなどない。たとえそれがどんなに小さな点であろうと、物事を構成する色が真逆ならば、自然と目に入り、自然と理解できることだろう。


 僕はそういう幸せが欲しいのだ。ただ生きているだけで、ただ普段通りに生活しているだけで、どんなに小さくても気がつけるような幸せが。


 その結論としての不幸。日常生活以外に不幸を取り込めば、僕はまた何気ない生活の中で多くの幸せを手に入れられる。


 嗚呼、今日はとても幸せだった。幸せすぎるくらいだった。友達とゲームセンターへ行くだけどことで、これだけの幸福感を味わえたのだ。これこそ僕が不幸を作り出している賜物。日々の努力が間違いなく報われている。


 だから――、


 僕は不幸になろう。楽しい時間の後は、つまらない流れ作業の時間だ。

 願わくば、明日の日常が幸せであるように。


 幸せの背理を求めるために、僕は今日も、闇夜に立つ――。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ