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s_complex  作者: 秋山 楓
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第14章

 明記してはいなかったが、実は今日から期末テストだった。すっかり忘れていたわけではなく完全に確信犯だけど、それなりに勉強はしてきたつもりさ。


 だってねー、テストの話題を出しちゃうと相佐さんがてんやわんやに荒れ果ててしまうし、僕だって勉強好きのガリ勉君ってわけでもない。普通の高校生だったら、勉強のことなど考えずに彼女とデートでもしていたいさ。ま、最後はあんなことになっちゃったけど。


 結局、あの狂人のことは通報していない。裕次郎に話すことは簡単だが、しかしそれを伝えてどうなる? 連続殺人犯の件もあるというのに、新たな厄介事を持ち込んでも迷惑だろう。なにより、彼らが刑事として僕の周りを監視するのは、この上なくストレスなんだ。いつ両親のことがバレるかと考えると、夜も眠れなくなる。


 話すとなれば、連続殺人の犯人が捕まってからでもいいだろう。しかも直接襲われたことはぼかして、警戒だけしてもらえればいい。


 僕の考えでは、あの狂人は相佐さんに積年の恨みがあるとは思っていない。それは相佐さんが悲鳴を上げてすぐに、一目散に逃げ去っていったことからも容易に想像できる。人が来ることを考慮に入れなければ、相佐さんを刺すチャンスなどいくらでもあったはずなのに。つまり服装からしても、人は刺したいのだけれど、捕まるのは恐れているという考えが見え見えだ。


 だからあの狂人は、誰でもいいから、もしくは僕らのような仲の良いカップルを狙った通り魔だったのだろう。人間の嫉妬心は、時には殺意にも変わる。


 そう考えると……恐い街だなぁ、ここは。


 そんなことを考えながら、僕は目の前の筺体の画面に、『YOU WIN』の文字を確認した。他事考えながらの片手間だったのに、また勝っちゃったよ。

 すると対面席のプレイヤーが再戦を挑んできたので、僕も仕方なく応じる。


 僕らは今、いつものゲームセンターで『超武道』を楽しんでいた。

 うん、数行前の説明と相容れないことはよく理解してるつもりだよ。期末テストとゲームセンター、明らかに正反対のベクトルだってことはね。


 期末テスト中は、基本的に午前中で学校が終わる。授業はなく、昼から明日に向けて自宅で勉強しなさいということなのだ。ま、グラウンドで自主練に励む運動部や、こうやってテスト期間中にゲーセンに来ちゃう不良っ子もいるわけだけど。


 一日目の今日のテストは二教科だけで、昼前にはすでに学校側から解散を言い渡されていた。昼ご飯にはまだ早いし、即行で家に帰ったからといって、すぐに机に向かうはずのない僕らは、三十分だけということでゲーセンにてテストの憂さ晴らしをしに来たのである。

 そして一目散に向かったのが、『超武道』。不条さんはまだ諦めていなかったらしい。


「はは。やっぱり強いな、長瀬は」


 ガチャガチャとゲーム音が轟く店内で、少し張り上げた不条さんの声が、筺体の向こうから聞こえてきた。


「そんなことはないよ。僕だって横山には完敗してるし」


 言っている間にも、不条さんのキャラの体力が徐々に削られていく。

 そういえば、一緒に来た横山と相佐さんはどこ行った?

 対戦途中にもかかわらず店内を見渡すと、いた。クレーンゲームの手前で、なにやら楽しそうに話をしている。ゲームをやっているわけではなさそうだが……くそー、横山め、相佐さんに手を出したら許さないからな!

 おっと、友人に嫉妬している間にも……また勝ってしまった。


「また負けてしまった」


 不条さんの声だけが、僕の耳に届く。筺体が邪魔をしているため、お互いの顔は見えない。


「負け続けだな、私は」

「…………そうだね」


 と、また再戦の申し込み。そんなに意地にならなくても、と思うも、すでにコインを投下してしまっているので、戦わないわけにはいかない。


「何度やっても駄目だ。そんなに私は弱いのか?」

「あぁ……まあ……」


 なんと答えればいいのやら。慰めたところで、余計に傷つけそうだから恐い。


「何故私は負ける? 何が足りない? 運か? 実力か? これほどまでに想っているというのに!」

「?」


 顔が見えなくても、伝わってきた。不条さんの言葉の中に、強い嘆きと訴えが混じっていることを。

 そこまでこのゲームに対しての思い入れが強い……のか?

 いや、もしかしたら別のことを『超武道』に例えて、僕に訴えかけているのかもしれない。

 そう考えている間にも、三度目の勝利。正直これ以上、不条さんを負けさせて追い詰めるのは嫌だった。


「不条さん。悪いけど、そろそろ諦めたら……」

「諦めるっ!? 何故私が諦めなければならない! 君の口からそんな言葉は聞きたくない!」

「……」


 筺体の向こうで、ドンッと大きな音が聞こえた。筺体がまるでスケルトンにでもなったかのように、不条さんが両手で台を叩きつけたことが分かった。

 そうしている間にも、画面の中のカウントダウンが、しっかりと減っていく。もう、再戦をする気はないのだろうか?


「……嗚呼。いや、すまない。少しばかり気が動転していたようだ。気にしないでくれ」


 ついに画面のカウントがゼロになり、僕の勝利が確定した。

 気がつくと、横に不条さんが立っていた。自力ではしっかりと立てないのか、筺体を支えとして前屈みで僕を見降ろす。


「今日もすごい隈ができれるけど、また相佐さんの長電話に付き合わされたとか?」

「そこは冗談でも、『徹夜で勉強してたの?』とか訊いてほしかったなぁ」


 そう言って、不条さんは疲れた笑いを見せる。

 見てるこっちの方が痛々しくなるくらいに、疲れやつれた顔。普段の不条さんから、生気を半分以上取り除いた有様。


「とは言っても、勉強なんてこれっぽっちもしていないけどな。はは」

「…………」


 つられて笑うどころか、愛想笑いすらできなかった。


「考え事をしていたのだよ。いろいろとな」

「考え事?」

「過去のこと。将来のこと。自分の生き様や信念が頭の中をぐるぐると回り、気づいたらすでに夜が明けていた。ほんと、自分の弱さが滲み出ているようで、情けないことだ」

「それは……」


 誰にでもあることなんじゃないか? 将来の心配事や、過去に起こした行動を悔いることなど、誰かと繋がりのある生活を送っていれば、一つや二つは必ず生じてくることだろう。僕だって、何度自分の行動に後悔したことがあることやら。


 しかし慰めは正解か? 今の不条さんには、慰めの言葉など絶対に心に届かない。何故なら彼女は、すでに心を閉ざしてしまっている、ように見えた。

 他人の心が分かるほど精神が熟していない僕でも、不条さんがどこを見ているのかがよく分かった。


 彼女は、どこも見ていない。


 澱んだ瞳は現実を目の当たりにすることを拒否し、一切の真実も通さぬ強情さが外界との交流を閉ざしてしまっている。仕方なく耳から入ってしまう僕らの『言葉』はしかし、分厚く頑丈な扉を叩きつけるだけで、心の核までは届いていないだろう。


 彼女は殻に閉じこもり、僕らを見ることはなくなってしまった。

 なにが彼女をそうさせたのだろうか。あんなにも他人に関わることを好んでいた不条さんが、誰かと触れ合うことを拒否する理由。

 ……僕は、その領域に踏み込んでもいいのだろうか?


「不条さん」

「ん、なんだ?」


 疲れ果てた顔で、無理やり微笑む。

 偽りの笑みは能面として表情に現れ、分厚い皮が彼女の顔面を覆った。


「ごめん、なんでもない」

「ほう、意味深だな」


 とは返してくれるものの、それはどこか流れ作業のような返事だった。

 たぶん、届かない。僕が何を言っても、彼女を動かすことはできない。

 彼女の殻を割る手段は、僕には思いつかない。


「私の顔に何かついているのか?」

「いや、別に……」


 いつの間にか、すっかり変わり果ててしまった不条さんの顔に見入ってしまっていたようだ。申し訳を通り越して少々恥ずかしくなり、僕の方が視線を外す。


「おっと、横山君と相佐が戻ってきたようだ。今日は短いが、これでお開きだな。テスト勉強もしなければならないし」


 その言葉には同意せざるを得ないが、不条さんは勉強ができるほどに精神が安定しているのか? 悪いが、とてもそうには見えない。


「案ずることはない。私はこれから帰って寝るとするよ。そして昨日の考え事に決着を着け、明日のテスト勉強に励むつもりだ。ま、明日も寝不足確定だけどな」


 無理にでも陽気を装って笑おうとする。その努力が一層、不条さんを不憫に見せた。


「アッキ君、フリちゃーん、帰ろー」


 ドスンと背後に重荷がのしかかる。確認せずともそれが相佐さん自身ということは分かっているが、うおおおぉぉぉ、背中にとてつもなく柔らかい感触が! 『あの、当たってるんですが』『当ててんのよ』的なシチュエーションなのか!? 相佐さん、えらく大胆になったなぁ、おい。


「あ……今からアキ君の家に行ってもいいかな?」

「え、別にいいけど、なんで?」

「勉強を教えてもらおうかなーって」


 あー、確か相佐さん、僕のことを頭良い人と思ってたっけ。確かに全体の順位としては上位に入るかもしれないけど、人に教えられるほど理解してるってわけでもないんだけどな。

 ま、いいや。


「それで、二人も来る?」

「いやー、若いお二人の邪魔しちゃ悪いだろ」


 顔周辺にニヤニヤと文字を浮かべるくらいにニヤけた横山が答えた。若いお二人って、お前はどこの仲人だ。


「不条さんは?」


 不条さんのことが心配じゃないと言えば嘘になる。ただ友達の僕らが一緒にいることで彼女を癒すことができるのか、もしくは独りにさせた方が気を落ちつかせることができるのか、僕には分からない。


「私も遠慮しておくよ。寝なければいけないのでな」


 そう答えた不条さんは、僕らの方を向いているのにもかかわらず、何も見てはいなかった。

 光を失った瞳は死に、ただ闇のように閉ざされた心の表面が見えるだけ。

 能面すら被らなくなった無表情の彼女は、一体何を考えているのだろう?

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