第13章
闇夜の来訪。黄昏時を過ぎ、オレンジ色の空が西の空へ消えていく時刻。
僕と相佐さんは、帰宅のため住宅地を歩いていた。
昼食の後、結局僕らは映画を観に行くことにした。その他にはカラオケやボウリングなどの選択肢もあったけど、午前中に軽く身体を動かしたので、午後はゆっくり腰を落ちつけたかったのだ。ちょうど最近流行りのSF映画も上映していたようだし、この際だから観ておくことにした。少し値は張るけれども、僕だって相佐さんと一緒にいられるならば、何でもいい。
でも正直な話、SFじゃなくてホラーの方が良かったかもしれない。お化け屋敷のアレ的展開を期待して、って意味で。うん……だって相佐さんがあんなにSF好きだとは思わなかったもん! 映画に観入っちゃって、上映中、一度たりとも僕のことを見てくれなかったんだから!
ま、孤独な子羊の嘆きはさておき。
手を繋いで帰る途中だ。今日の予定(行き当たりばったりだったけど)は終了し、相佐さんを家へ送ってから僕も帰宅しておしまい。楽しい一日だった。
映画の内容を楽しく話す相佐さんの表情に陰りが差し、もうすぐ家に着くことを知らせていた。別れたくないことが無意識に顔に出てくれるのは、こちらとしてはとても嬉しい。
「またいつでも会えるんだから、そんな悲しそうな顔しないでよ。通話料金気にしない程度なら、電話もあるし」
「うん…………」
顔を背けたのは照れ隠しもあるだろうが、前方から人が歩いてきたのが主な理由だろう。恥ずかしがって切り離そうとする手を、僕はしっかりと握って繋ぎとめる。
「…………?」
相佐さんに気を取られていたため、僕は前方から歩いてきた人物がどのような身なりをしているのかは知らなかった。自然に視界に入る距離まで近づいた時、ようやくその異様な姿を捉えることができ、眉を顰める。
その人物はニット帽を被っていた。六月なのに?
その人物はサングラスを掛けていた。夜なのに?
その人物はマスクをしていた。花粉症の時期じゃないだろう。
加えてガラの悪いスカジャンは、知識のない僕でも服装のセンスを疑うよ。
一歩一歩近づくにつれ、その姿がはっきりと目に映る。
耳なし法一ばりの完全防備。逆にいえば耳だけは素のまま外界に晒されてはいるが、それだけで人間を特定できる技術は僕にはない。
一言でいえば、怪しい。非常に怪しかった。まだ六月で、陽が沈めば冷たい風が吹く時もあるとはいえ、そこまで防寒しなくても――、
「ぐっ…………!?」
一瞬の判断で、僕は相佐さんを突き飛ばした。彼女は悲鳴を上げることもなく、横の塀へと衝突する。あのぶつかり方では、受け身も取れていなかっただろう。
僕は相佐さんを突き飛ばした反動で、逆側に跳んでいた。視界の端で、一秒前まで僕たちが手をつないでいた場所に、金属が反射する光が空を斬ったのを確認できた。
ナイフだ。ただ普段は見ることもないような大きくてごついナイフが、その手に握られている。
傾いていたバランスを無理やり整え、僕は身構えた。
奇妙な服装のその人間は、ナイフを振り降ろした腕を、ゆっくりと腰の高さで構える。
正直、危なかった。相手の動作を見る前に相佐さんを突き飛ばしていなかったらと思うと、ぞっとする。
相手の攻撃が予想できた理由。それは明らかに怪しい服装をしていたから警戒していたのももちろんだが、それだけでは大切な相佐さんを突き飛ばすまでには至らない。
今の状況と同じ記憶が、僕の頭の中にあったからだ。
人を刺すために刃物を握りしめる人間と相対した経験があるからこそ、その拒絶感は僕を磁石のように反発させた。刃物こそ見えなかったものの、人が人を刺す異端な覚悟がある雰囲気は、僕にとって絶対的に忌避すべき対象だった。
逆にいえば、凶器がバットのような鈍器やスタンガンだったとしたら、絶対に避けられなかっただろう。
「アキ君……。いきなり何……」
狂人を挟んだ向こう側で、相佐さんが頭を押さえて立ち上がるのが見えた。脳震盪とか起こさなくてよかったと思う反面、狂人の注意が相佐さんに向くのはマズイ。
と考えている間にも、狂人の視線が相佐さんを捉えた。サングラスを掛けているからはっきりとは言えないが、しかし首がそちらの方へ回る。
「……え?」
驚きの声を上げたのは狂人を目の当たりにした相佐さんではなく、僕だった。狂人があまりにも迷いなく相佐さんに向けてナイフを振り上げるのだ。その行動に若干戸惑い、反応が遅れる。
「くそっ!!」
漫画やゲームの中でしか戦いを知らない僕としては、がむしゃらだった。刃物を持った人間がどれほど恐ろしいのかも忘れ、震える足を動かす。
最悪、多少の切り傷は覚悟の上だった。あの血溜まりの中に、相佐さんが浮かぶことになるよりかは百倍いい。
狂人を後ろから羽交い絞めにした。全身にまったく力の入らない体当たりだったが、ナイフを相佐さんへ振り下ろすことは妨げられる。
後ろから狂人の前面へ腕を回し、振り上げられたナイフを奪いたい。その刃が自分の腕を斬り刻むことも想像できず、ただ無心に振り上げられたナイフに手を伸ばす。
しかしさすが万年帰宅部の僕。体力など当たり前のように平均高校生以下で、ナイフは奪えず、簡単に振りほどかれてしまった。
「ぐっ……」
振りほどかれる瞬間、お見舞いにひじ打ちを食らわされた。きれいに鳩尾に入り、一瞬だけ呼吸が困難になる。
ただ僕の力ない攻防も多少は効いていたらしく、狂人は肩で息をしながら、再び相佐さんめがけてナイフを振り上げた。
なんだこいつは。さっきといい今といい、相佐さんばかりを狙っている。弱い方から狙うのは戦いの基本かもしれないが、しかし僕に抵抗されることは分かっているはず。なのにそちらばかり狙うということは――、
「相佐さん! 逃げて!」
中身が反転しそうになる腹を抑えつけて、あらん限りの力で叫んだ。
しかし相佐さんは現状を理解できていないのか、いや理解できてるからこそなのか、尻もちをついたまま呆然と頭上のナイフを見つめている。
マズイ。こちらとて、狂人を抑えつけるのには限界があるぞ。
再び飛びかかる余裕はあるが、しかし相佐さんが逃げてくれなければ、同じことの繰り返しになる。
が、そんなことを考えている場合じゃない。
もつれる足に鞭打ち、ヘッドスライディングを決めるような勢いで狂人に飛びついた。目測を誤ったのか、今度は身体ではなく脚に抱きついてしまったものの、それが功を奏し狂人がバランスを崩す。決してナイフは手放さなかったが、相手をアスファルトへ倒すことに成功する。
しかし――、
失態だった。相手の脚に抱きつきながらアスファルトに這いつくばった僕の目の前に、ナイフがあった。狂人が手にしているのだから当然だ。この位置は、ちょっと振り回すだけでも、僕の顔に深い傷を負わすことができる。
そして最悪の予感が的中。視界の左端でナイフを順手に持った狂人の一撃が、僕のこめかみを貫いた。
ガツッ!!
音がして、世界が回る。夜空が見えたと思ったら一転、黒く冷たいアスファルトが視界を覆う。反転するごとに身体の各場所に痛みを感じ、三転ほどしてからようやく世界が静止した。ただ視界の下半分はアスファルトで埋まっていたが。
尻もちをつきながら大きく目を見開いてこちらを見ている相佐さんと、同じく地べたに這いつくばったままナイフを突き出した格好の狂人。
何をされた? 何が起きたのかは理解できている。
ただ、僕は生きているのか?
恐る恐る、左側のこめかみを触ってみた。そこには穴が開いているどころか、出血すらしていない。むしろ転がる際に地面に打ちつけた、肩や膝の方が痛む。
ただ――殴られた、だけ?
敏速なる思考の回転は世界の時間を遅め、考えだけが巡る。しかし身体が動かない。僕が動かなければ、相佐さんが――、
「い…………」
冷たいアスファルトが僕の体温を奪い始めるのと同時、
「いやああああああぁぁぁぁぁ!!!!」
相佐さんが叫んだ。きっと僕が殴り飛ばされたことで、恐怖が現実のものとして溢れだし、感情の堤防を決壊させたのだろう。甲高い悲鳴は夜の静寂には似合わず、僕らの存在を指し示す手掛かりとなる。
ナイスだ。と、僕は冷静な思考で相佐さんを褒め称えた。
最後の踏ん張りどころだ。と意気込み、僕は立ち上がった。
不安定な足取りで歩み寄り、狂人に向かって貧弱な突進を試みる。
しかし狂人は僕のことに目もくれず、身体を起こすとすぐに反転し、走り去っていく。人相を隠していることから、やはり捕まる覚悟はないのか。
僕はよろめきながらも急いで相佐さんへと駆け寄った。
「相佐さん、大丈夫!?」
「あ……あ……」
瞳には涙を溜め、動悸が激しい。一時的な興奮状態だとは思うけど、すぐに平常心を取り戻せるだろうか?
「しっかり。立てる?」
「う……うん……」
返事はしてくれるものの、腰でも抜けているのかなかなか立ち上がらない。最終的には腕を引っ張り、僕が無理やり立たせた。それでもおぼつかない足取りは身体を支えるまでには至らず、僕にしがみ付いてようやく立てている様子。
「いい? よく聞いて」
相佐さんの両肩に手を置き、泣き出しそうになる顔に視線を合わせた。
「相佐さんはこれからすぐに家へ帰って、自分の部屋に閉じこもるんだ。絶対に外に出てきてはダメだよ」
「ア、アキ君は……?」
嗚咽混じりの声が、不思議そうに問い掛ける。当然の疑問だ。
「追いかける」
「えっ…………?」
追いかけなければならない。あんな危険な人間、放っておけるわけがない。
幸いにも狂人が逃走していった方向は相佐さんの家とは逆で、また相佐さんの家はすぐそこだ。その距離ならば一人で帰れるだろう。
「あ、危ないよ。それよりも、早く警察に通報しないと……」
「相佐さん、僕の言う通りにして」
上手い言い回しが思いつかなかったので、繰り返しになった。
「一人で家に帰るんだ。僕からはすぐに電話するから!」
「アキ君!!」
言い終わるやいなや、僕は駆けだした。足元がふらつきまっすぐ走れてはいないが、追跡するスピードとしては問題ないと思う。
相佐さんが僕に向かって何か叫んでいるのを無視し、僕は狂人が曲がっていった角を折る。
勝算はなかった。一度争って、相手との運動神経の差は大いに知ったつもりだ。それに加え、相手は刃物まで所持しているのに、僕が勝てる道理はない。
しかし相手は何故か僕を殺そうとはしなかった。相佐さんだけに狙いを定め、決定的な殺人のチャンスがあったのにもかかわらず、ただ僕を遠ざけることだけに専念した。
何か理由があるのか。
それに――、
僕は周囲を見回す。
他に歩いている人間は誰もいない。住宅地という大通りからは外れた場所だからか、人がいないことは珍しくない。ただそれは、ある一つの事実を物語っている。
今の狂人は、連続通り魔殺人の犯人ではないということだ。
黒峰さんは、現在犯人には二人の監視がついていると言った。しかも現行犯で捕らえることも考慮しているとも。
今のが現行犯でなかったら、どこまで進めば刑事たちは助けてくれるのか。それはもう、常識で考えられる範囲ではない。
狂人が誰かとかは考えたくはないが、ここで僕が追わなくては、また相佐さんが襲われる危険性が出てくるのだから。
「チッ……」
速い。もう見失ってしまった。相佐さんを諭している時間を差し引いたとしても、脚が速すぎだろう。しかもあの狂人、女性じゃないのか?
そう。僕はあの不審者を、女性と仮定していた。後ろから羽交い絞めした時、スカジャンの上からでも分かるほど、華奢でふくよかな体つきをしていたと思う。貧弱な身体の男という可能性もあるが……女性となると……やはり僕が警戒していたように、あの狂人の正体は……姉さん、か?
足を止め、頭を振った。
頭の中をノイズが走る。何故か、今の狂人が姉だという考えが、否定される。
……いや、それは今考えることじゃない。
僕は呼吸を整え、携帯を取り出した。一回目のコールで相手が出る。
「あい……」
『アキ君!』
名前を呼ぶのを先越されてしまった。
『何やってるの! 大丈夫なの!?』
「ああ、こっちは大丈夫だよ。さっきの奴、見失っちゃったけど」
電話の向こうで、安堵のと息を漏らしたのが分かった。
『心配したんだからね!』
「ごめん。でも、相佐さんを傷つけようとするあいつがどうしても許せなかったんだ」
『…………』
沈黙ではどんな表情をしているのかが分からない。やっぱり電話と対面してる時の会話って、絶対に違うよね。
「僕のことより、相佐さん、今は?」
『アキ君に言われた通り、自分の部屋にいるよ』
「そう、よかった。じゃあ今日はもう絶対に家から出ちゃダメだよ。今の出来事を親にも話さない方がいい。それに警察にも連絡しなくていいから」
『え……、なんで?』
「警察には僕から連絡する。ほら、昼間にも会っただろ? 知り合いなんだ。それに親に話すのも余計に心配させちゃうからダメ。たぶんあれは……例の連続殺人犯だ」
『ッ!?』
嘘だけど。相佐さんに嘘をつくのは、心が痛む。が、今の狂人を連続殺人犯だと思ってくれた方が、こちらとしては都合がいい。だってあれは――。
「だから夜間は絶対に外出しないで。昼間もできるだけ一人歩きはしない方がいい」
『……うん。分かった。でも、アキ君は?』
「完璧に見失っちゃったから、僕も急いで家に帰る。僕としては、相佐さんが無事ならそれでいいんだけど」
『そ、そんなの私が嫌だよ! アキ君も無事でいて!』
「はは、分かってるよ」
耳は電話に集中しながらも、眼球は周囲の注意を怠らなかった。すでに陽の沈んだ暗闇といえど、目の届く範囲に人がいるか否かくらいは分かる。
「それじゃ、一旦切るから」
『うん。アキ君もすぐ家に帰ってね』
「大丈夫。おやすみ、愛してるよ」
ノイズが激しくなる頭を押さえながら、相手の返事も聞かずに切ってやった。
それにしても、愛してる、か。はっはー、くせー。
相佐さんとの連絡を切ったことにより、徐々に頭痛が治まっていく。クリアになった頭の中は、正常な回転を妨害する雑音がなくなった。
だが雑音のことは、今はどうでもいい。相佐さんと一緒の時にだけ発生するのは、すでに理解済みだ。今のところ、それをどうこうする必要もない。
それよりも、と駆ける。体力のない僕が長時間走ることは難しいが、しかし目的地はすぐそこだ。
相佐さんに宣言したとおり、僕は自分の家へ向かって全力で駆けた。
早く帰宅し、確かめなければならないことがある。
休日の午後六時過ぎ。普段の姉なら今この時間帯、何をしている?
すぐに明かりの少ないボロアパートが見えてきた。住居者数が少ないのもあるが、アパートの周りには街灯も少ない。だけど明かりの少ないアパートに、今は違和感があった。
「なっ……」
僕たちが住む一階の部屋。二部屋あるその家は、両方とも明かりが灯ってなかった。僕の部屋は主である僕がいないから当然だ。けど姉さんの部屋は?
この時間、姉はいつも夕食の用意をしているはずだ。明かりを点けずに準備を? んなわけあるか。じゃあ昼寝が長引いて、今もまだ眠りこけている可能性も……なくはない。
アパートの扉のノブを回す。しかし開かなかった。
鍵が掛かっている。それが意味する事実は……まさか外出を?
部屋の中に入ると、やはり誰もいなかった。見慣れた姉の部屋を歩み、電気を灯す。
今日に限って家にいない姉。僕があの狂人を見失ってからこの家に帰ってくるまでの時間を思い出せば、僕よりも早く辿り着くことは可能。しかしニット帽やサングラス、完璧に柄を覚えているスカジャンを隠す暇はなく、僕に見られる危険性はあるか。
ならばどこかでそれらの証拠品を捨てて帰宅する……。
だがしかし、あの狂人を姉と判断することは、どうしても躊躇われた。証拠はないが、あれは絶対に姉ではないと、僕の本能が叫びを上げる。
強いて挙げるのなら、姉はあんなに速く走れるほどスポーツマンではないし、なにより僕を殴るなど考えられない。けどそれらの事柄を別にしても、何故か頭の中では姉ではないという事実が定着してしまっていた。
何故だ? どうしてあれを姉じゃないと思う? 僕は警戒していたはずだ。狂った姉が僕を守ろうとし、相佐さんに何らかの危害を加えるんじゃないかと。
あれは姉だ。いや、違う。
理性の決定に本能が背き、渦を巻くようにぐるぐると、決して相容れない反する二つが複雑に絡み合う。
僕は……どっちを信じればいい?
「ただいまー」
玄関扉が開き、私服姿の姉が帰宅した。その顔は少しだけ紅潮し、走り疲れた後の感じではないけれど、その足は多少おぼついてないようにみえる。
「どこ、行ってたの?」
「ごめん!」
ビニール袋を引っ提げた手を顔の前で合わせ、いきなり僕に謝罪してきた。
「アキ君が今日何時に帰ってくるか分からないって言ったからさー、お姉ちゃん、外で食べてきちゃった。夕食なら大丈夫だよー。ほら、お土産」
と言って、何が入っているか分からないビニール袋を僕に手渡した。
なんだ? いつもの姉と口調が変だ。呂律が回っていない?
しかも外食? あの姉が? 家計がギリギリで、いつも自分を犠牲にして食費の足しにしているあの姉が……焼き肉?
匂いで分かった。僕もあくまで過去のことだが、焼肉屋くらいは行ったことがある。あのニンニク臭さは、ちょっとやそっとじゃ取れない。
しかも――、姉は確実に酔っていた。二十歳になりたてだから一応は合法。しかし姉が酔っている姿など、僕は初めて見る。
何が起こっている? 僕の知らないところで、姉は何をしていた?
新たな疑問が生まれるのと同時に、僕の身体は足元から崩れていった。全身の脱力は立つことを困難とし、姉の部屋の畳の上へと、受け身もなく倒れ落ちる。
「ア、アキ君、どうしたの!?」
咄嗟の出来事に、姉が倒れた僕を抱き起した。近づけられた口からは、僅かながらアルコールの匂いがする。
「わっ、よく見たら口から血が出てるじゃない」
うん、そうだろうね。今まで緊張状態だったからまったく感じなかったけれど、地面と擦れた頬がだんだん痛みだしてきた。たぶん、口内が切れているのだろう。
しかしそんな痛みも気にできないほどに、僕の意識はだんだんと薄くなっていく。
あの狂人は姉じゃなかったという安堵。抱きついた時、ニンニクの匂いはしなかったし、酔っているとは思えないしっかりとした足取りだった。
じゃああの狂人は一体誰だったのか? 女性だったため、連続殺人犯ではない。まさか警察の捜査の方が間違いで、真犯人はあの狂人だったとか?
いろいろ考えるべきことはあるけれど、姉じゃなかったことの安心感が大部分を占め、僕は心地良い眠りへと落ちていく。
とりあえず今日の感想としては、相佐さんとデートして、黒峰さんと会話して、狂人に襲われて…………。
あー、疲れた。