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s_complex  作者: 秋山 楓
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第12章

 当然ながら、いくら姉が狂った人間だからといって、いきなり相佐さんをあの両親同様刺し殺してしまうことはあり得ない。と、僕は考えている。また、その死体を未だに隠し通していることからも、白昼堂々、人目のあるところで傷害行動には及ばないはず。

 だから休日に相佐さんを連れ出して、姉から守ろうという魂胆はあまり意味のないことかもしれない。むしろ僕を溺愛している姉の保護欲を煽ってしまい、危険な行動に出ないとも限らない。


 弟の彼女に嫉妬して、傷害事件を起こしてしまう姉、か。


 うーん、小説や漫画なんかでないとあまりピンと来ないが、脳裏にこびりついた両親の死体の記憶を持つ僕にとっては、あまり楽観視はできない。しかもその理由が、僕を守るため、なら尚更だ。

 ならば何故休日の今日、相佐さんを連れ出したのか……。

 そんなもの、デートしたいからに決まってるだろ!


「なんつーか、ごめん」

「何で謝るの?」


 僕らは今、近所の公園に来ていた。ただ公園といっても、日本の都市公園百選に選ばれるような大きく綺麗な公園で、園内には巨大な池もある。しっかりと整備された遊歩道に、新緑溢れる芝の丘。恋人同士や親子がのんびり過ごすのには、もってこいの空間だ。


 が、来る時期を間違えたような気がしないでもなかった。

 千を越える桜の木はとっくの昔に緑へ染め、花火も上がる納涼祭りにはまだ程遠い。

 只今六月、梅雨まっただ中です。


 曇天の空は今にも降り出してきそうな予感。園内には緑色以外の植物はほとんどないし、連れ添って歩くカップル……いや、人すらまばらに見えるだけだ。晴れた日ならばともかく、誰がこんなジメジメした日に外出なんかするか! という市民の声が聞こえそうな、町の縮尺図だった。


「こんな所に来ても、全然楽しくないよね」

「そんなことないよ。前にも言ったけど、アキ君と一緒に来れるなら、どこに行ったって楽しいんだから。それは嘘じゃないよ」


 そう言ってくれるのは嬉しい。ただし、お金がないから、公園の散歩デートにしたってのは伏せておいた方がいいよな、やっぱり。


 池の周囲に舗装されてある遊歩道を、亀も驚くスピードで歩いていたところ、突如相佐さんが僕の腕に抱きついてきた。肘の辺りにとても柔らかい感触がdm&&ck#jd!sg¥?うぇdlqd!$……。


 いかん、なんでこんなに混乱してるんだ! 相佐さんの胸なんて、いつもセクハラい手つきで揉んでいるじゃないか! なのに何故誤字脱字どころか、日本語にも聞こえない発音が脳内を行き来してるんだ!


 冷静になれ。素数を数えて落ちつくんだ!


 そ、そうか、制服じゃないからだ! いつもはちょっぴり硬質の衣服の上から触っているのに対し、今日は薄手のワンピースだから、まるで直に触れているようなものなんだ! 制服フェチとして名の通った僕が、まさか別のフェチへと覚醒を!? うわ、そう思うとやべっ! 興奮してどんどん動きがぎこちなくなってくる!


 端から見れば、ロボットダンスをする男子に抱きつく巨乳の女の子として映っただろう。あまりうまい例えになっていないけど、すれ違う人どころか周囲に人気がないので、誰の目にも映っていないのだ。どんな例えも意味がない。


 はっ、だからか! 周囲に誰にも見られていないことに気づいたから、相佐さんは抱きついてきたのか! なんという策士……。


 そのままの体勢で、無言のまま池を一周し終える。時折相佐さんの顔を盗み見ていたが、眼が合う時には顔を朱らめて俯くだけだった。

 スタート地点へと戻り、このまままさかの二週目突入かと思いきや、二人の腹時計が現在の時刻を知らせてくれ、それは阻止された。


「…………」

「…………」


 どちらからとなく顔を見合わせ、そして同時に噴出した。


***


「…………ッ!?」

「どうしたの?」

「あ、いや。ちょっと頭痛がしただけさ。大丈夫」


 バカップルの腹がお昼ご飯を求め始めたため、僕らは公園デートを終え、街に出ていた。自然風景から一転、車と人通りの多い道沿いを歩き、手軽にハンバーガーでも食べようかと、それらしき店を探す。


 その途中だった。頭の中を、鈍い痛みが走る。


 思考を妨げる雑音。セピア色の記憶に砂嵐が混じっているように、僕は何を思い出そうとしているのかが分からない。本能が、脳裏に浮かぶその光景を拒否しているのか、思い出そうにも意図的にノイズを入れられているような気がする。


 頭の痛みはこれが初めてではなかった。実を言うと、相佐さんと一緒にいる時はほとんど、頭の中に違和感を抱いていた。その痛みは波のようで、緩やかな強弱をみせる。

 僕は相佐さんを通して、何を思い出そうとしているのか。

 ワカラナイ。


「お、意外に空いてるね。昼時から時間がずれてるからかな?」


 平静を装い、相佐さんを引きつれてファーストフードへと入店した。

 偏頭痛ではあるが耐えられないほどでもないし、最近はほとんど慣れてきた。それは相佐さんと一緒にいる時間が増えていることを意味し、だからこそいちいち心配させるのも嫌だ。


 店内にはまばらにしか客がおらず、注文カウンターは列も作っていなかった。ピーク時が過ぎ去った時間帯なのだろう。〇円のスマイルを浮かべる店員も、やや疲れ気味な面影を残しているような気がしないでもない。


 僕たちは各自注文し、カロリー高めの昼食を載せたトレイを持ちながら、二階の席を陣取ろうと話し合う。階段を上ったその先はけっこう広めの空間で、大人数が収容できるテーブルから、表通りを見降ろせるガラス張りの壁の側面には、二人掛けという小人数も利用できるテーブルもいくつかあった。

 どこにしようか一通り見回したその時、視界の隅で見たことのあるような黒い物体を捉えたような気がした。


 まさか……ね。


「ふったりがけ~、ふったりがけ~」


 奇妙な歌詞を口ずさみながら、何も知らない相佐さんが、ガラス張り方面の二人掛け席へ歩もうとする。それは僕としてはあまり接触したくない、黒い物体が座る方向だった。

 って、相佐さん! しかも隣かよ!


「あら?」


 漆黒のスーツを纏った黒い物体が、僕の存在に気づいた。


「こんなところで会うなんて、奇遇ですね」


 薄く、しかし上手い化粧をした彼女がこちらに振り向き、商売上の笑顔を見せた。

 先週会った時と大体同じ服装や容姿であるが、彼女が座る席の上を目の当たりにした僕は素直に驚いた。ハンバーガーを包む紙が綺麗に畳まれているのだが、その数が一、二、三、四……え、マジで何個だよ! 今持ってるのも、満腹なんて感じさせられない食べっぷりだし! もし毎日その量で今の体系を維持できているのだとしたら……化け物だ。


「本当に奇遇ですね、黒峰さん。まさか僕を待ち伏せしてた、ってことはありませんよね?」

「はは、まさかそんなことはありませんよ。偶然というのは意外にも多く転がっているものです。小説家はご都合主義を嫌って偶然の出来事を避けたがりますが、しかし多少の偶然も混ぜた方が、リアリティが増すものです」

「別に小説の話じゃありませんし、僕は小説家になる気もありませんから」

「???」


 にっこりと笑う黒峰さんに対し、苦笑いで返す僕。黒峰さんの隣のテーブルに腰掛け、僕ら二人のやりとりを見守っていた相佐さんの頭の上には、?マークがご散乱状態だった。


「えっと、アキ君の知り合い……ですか?」

「相佐さんも顔を見たことがある人だよ。思い出してみて」


 できれば思い出してほしくないんだけど。

 んーと唸り、古畑任三郎のものまねでもやってるのかと疑うほど額を指で押さえて皺を寄せる相佐さん。そのポーズってよくやる人もいるけど、それで思考力が上がるのか?


「あっ、思い出した! アキ君のお姉さんと会っていた人だ!」

「その通り」


 思い出されちまったか。いや、そこは思い出されても構わないが、なんで僕が刑事と知り合いなのかは問われたくない。そして知っていたにもかかわらず、それを皆に教えなかったということも。


「はじめまして。黒峰優里と申しまして、こういう者です」


 と言って、名刺を相佐さんへ差し出した。さすがにこういう場で警察手帳は出さないんだな。


「刑事さん?」

「ええ。長瀬さんとは、とある事件の捜査にご協力してもらった際に知り合いました」


 嘘ではないが、その事件で僕を疑っていたくせに。

 ん? ほぼ確定した容疑者がいたんだから、別に僕を疑っていたわけじゃなかったのか? それとも、僕と接触した後に、あの大学生風の金髪が犯人として浮かび上がってきたのか?

 うーん、ま、いっか。分からん。


「え、アキ君が刑事さんの捜査に協力!?」

「そんなに瞳を輝かせないの。ただ職務質問されただけなんだから」


 相佐さんの頭の中では今、たぶん刑事と一緒にカッコ良く犯人を追いつめる僕の姿が浮かんでいることだろう。もしかしたら、銃もぶっ放して犯人を追っかける銭形刑事みたくなっているかもしれない。

 ……いやいや、さすがに相佐さんといえど、そこまで痛い想像はないか。はは。


「黒峰さんは今日もお仕事ですか?」

「ええ。昼間仕事で立てこんでて、少し遅い昼食になってしまいました。その代わり長めにもらいましたけどね。それにしても……」


 黒峰さんが最後のハンバーガーを食べ終え、残りの紙を綺麗に折りたたんだ。結局、何個食ったんだよ。


「なるほど。貴方たち、そういう仲だったんですか」

「えぇ、まあ……」


 指摘されたことにより、相佐さんが照れて俯いてしまったが気にしない。


「あの時見た貴方の幸せオーラは、こういう意味も含まれていましたか」

「幸せオーラって……、裕次郎さんと同じようなことを言いますね」

「む、あれから裕次郎と会ったんですか?」

「あー……プライベートで一度だけ……」


 しまったな。もしかしたらあれは、裕次郎的には他言してはいけないことだったのかもしれない。捜査状況をペラペラしゃべってたし。ま、あの時は休日だったわけだし、会話の内容を話さなければ問題ないだろう。


 ……あれ? 今変なところがあったぞ?

 妙な引っ掛かりを覚えながら、僕は相佐さんが陣取った席に座った。


「その幸せ、あやかりたいものですね。若いうちは今しかありませんから、大事にしなさい。と、ろくに恋愛経験もない年増の女が言ってみます」

「年増だなんて、そんな……」


 相佐さんが遠慮がちに否定しているが、さすがに僕たちよりも十個上なら、一つ世代が違うような気がする。

 それに――、

 と、僕は両手で握る巨大な鎌を振り上げた。


「恋愛経験ないだなんて。裕次郎さんとはうまくいってないんですか?」

「――ッ!?」


 まさしく『ビンゴ』だった。飲み物を引き寄せる黒峰さんの手が止まり、笑顔が凍る。身体をバッサリと引き裂いた鎌は、黒峰さんから温度と余裕を奪い去っていった。


「ゆ、裕次郎から聞いたんですか?」

「単なる想像ですよ」

「想像で分かるようなものなんでしょうか? 恋色沙汰に鈍感な私には、まったく想像もできませんが……。私と裕次郎が付き合ってることなど……」

「そこですよ」

「?」


 本当に恋愛には疎いんだな、この人。まったく自覚がないし、指摘されてからはものすごい動揺の色が現れている。僕と対面した時とは、雲泥の差だ。


「黒峰さん、裕次郎さんのことを『裕次郎』って呼び捨てにしてるでしょ。この前は『桜枝』って名字で呼んでいたのに。だからもしや、と思ったんです」

「はあ……」


 舌を巻いたような感嘆だった。

 まあ、裕次郎が黒峰さんのことを上司にもかかわらず『あいつ』とか言っていたこともあるし、実際に確信があったわけじゃない。間違っていれば『何を言ってるんだ、こいつ』と思われるだけで終わりだし、当ってたらなそれはそれで面白い。ま、どっちに転ぼうが、ただの時間繋ぎにしかならないだけよ。


「お、大人の恋ってどんなものなのか、聞いてみたいです!」


 なんか食いついてきた!

 直視できないほど瞳を輝かせた相佐さんが、捨て猫同様の上目遣いで黒峰さんを捉えている。うわー、他人の恋愛に興味津津の女の子ど真ん中だなぁ。


「いいですけど、まったく参考になりませんよ。むしろ私の方が、高校生でそこまで進んでいる貴方たちのことを参考にしたいくらいです」


 あ、あれ、相佐さんどこ行くんですか? 何故にわたくしめを置いて、黒峰さんの対面の席に移ってるんですか? わたくし一人になってしまうんですけど……。


 いつの間にか女二人と男一人で別れたテーブルは、「うふふ」「あはは」と華を咲かせた女性たちの会話と、その光景を呆然と端から見つめる哀れな負け男とに区別されてしまった。こうなりゃヤケ食いだー! とも思ったけど、黒峰さんが食べた量を想像すると、それだけで胸やけを起こしそうだよ。


 もぐもぐもぐ「結婚を前提にお付き合いしてるんですか!?」うまいなーこのハンバーガー「い、いえ、それはまだ決まってるわけではなくて……」期間限定のメニューとかあるけど「どっちから告白を……」やっぱり一番はこの「告白の言葉は……」普通のハンバーガーだよな「二人の出会いは……」あんまり濃い内容の具材だと「普段はどんな……」一回食べただけで飽きるし「今はどこまで進んで……」なにより高い「結婚したら仕事は……」


 相佐さん質問しすぎ。散弾銃のような質問に、黒峰さん戸惑っちゃって右往左往してるじゃない。あんまり恋愛経験ないって本人も言ってるし、お堅い人間なんだから、こういう軽い話題には慣れてないんだろうね、きっと。


 にしても意外だった。仕事の時の黒峰さんが、あまりにも刑事として型にはまっていたから、こういう感情豊かに混乱する一面は予想外だった。今が休憩時間だからでもあるだろうが、仕事中の姿勢とのギャップが真逆な印象を受けた。なんつーか、乙女だなぁ。言ったら確実に怒られるけど。


 そして会話を一部始終聞いていた僕の感想としては二つ。『裕次郎。お前、黒峰さんを不幸にしたらぶっ殺す』と『相佐さんの恋話嗅覚に、若干引いた』である。


「あぁ、ごめんなさい。そろそろ仕事に戻らねばなりませんので」


 けっこう長い時間話し込んでいたもんな。いや、話というか一方的に相佐さんが質問攻めしてただけか。どっちが刑事だよ。


「じゃあ、もしまた今度会えたら、進展を聞かせてください!」

「え、ええ……」


 曖昧に笑ってトレイのゴミを捨てに行く黒峰さん。進展といえば、せっかくだから聞いておこう。あれから一週間経っているので、連続通り魔殺人がどのような展開を迎えたのかが知りたくもある。


「そういえば黒峰さん。事件の方はどうなりました?」

「…………」


 急に表情が変わった。引き締まり、硬くなる。先週、僕の部屋で職質を行った時のそれだった。


「じ、事件ってなにかな?」

「今この辺を騒がせてる、連続通り魔殺人事件のことだよ。黒峰さんはその事件の捜査をしてる」

「っ!?」


 相佐さんが息を呑んだのが分かった。誰もが知る身近な事件。世間を震わすその残虐性の高い事件に関係している人物を目の当たりにしては、その反応も理解できる。


「あの……犯人は、捕まりそうですか?」


 一般人の問い掛けだった。相佐さんは不安そうな目つきで、黒峰さんに縋るように訊く。当たり前だが、僕と違って自分も被害者になる可能性があると考える人物にとっては、捜査状況を詳しく知りたいものだろう。まあ僕としても、余計な探りを入れられないためには、早く犯人を捕まえてほしいものだが。


 沈黙を守っていた黒峰さんは、すぐにと息とともに笑みを漏らした。商売上の笑顔と、さっきまで相佐さんと会話していた表情が入り混じる。


「参りましたね。本当は軽々しく口外してはいけないことなんですが……」


 と、諦めたような言い草で、黒峰さんは再び席へ座った。


「今から話すことは、絶対に他言してはいけません。とはいっても、捜査上の機密から、一言二言簡単にしかお話はできませんが」


 僕と相佐さんは同時に頷いた。

 そして事務的な口調で、黒峰さんが言葉を紡ぐ。


「実は先週から犯人を特定してまして、今は証拠を挙げるために捜査を進めています」

「そ、そうなんですか!?」


 相佐さんの反応が普通なんだろうが、それについては僕は知っていた。しかも犯人の顔写真まで見せてもらっているので、あまり驚きがない。かといってそれをバラすのは、裕次郎に悪い。

 僕が気になるのは、あくまでも『現在の』捜査状況だ。あれから一週間、まさか何も進展がないわけではないだろう。


「当然、誰が犯人なのかは言えませんが、しかし逮捕も間近に迫っているので安心してください。これ以上、被害者は出させませんよ」


 その言葉を聞き、ほっと胸を撫で降ろす相佐さん。

 しかし今の黒峰さんの言葉は勘違いしやすいところがあるが、犯人を特定できていても、証拠がなければ確定ではない。どこぞの推理小説のように、登場人物の誰かが必ず犯人であるはずはないのだ。現実に、ノックスの十戒は通用しない。


「間近ってのは、いつ頃捕まえられそうですか?」


 一応、言葉を選んだ。僕が犯人のことを知っていると悟られないように。僕への疑いを濃くしないように。

 地域住民すべてを疑っていると宣った黒峰さんなのだ。現在犯人と仮定している人間の証拠がなければ、僕が容疑者の可能性は僅かながらに残っているだろう。もうこいつらを家に上げるのは嫌だ。『虫』の死体は片付けたけど、刑事の嗅覚が、軒下の両親の匂いを嗅ぎ分けないとも限らない。


「正直なところ、分かりません。現在、二十四時間体制で犯人を監視していますが、それで証拠が挙がるかどうか……。現行犯で捕らえられれば早いんですが」

「連続殺人犯なんて狂人、現行犯で押さえれますかね?」

「犯行時刻が重なる夜間では、二人が監視し、残りのメンバーは近場で待機しています。人数としては問題ないかと思われますが、それでもやはり、一般人に危険が及ぶこともあるでしょう」


 一般人を囮、か。結局、過去の事件の証拠を挙げるのは難しいと踏んでるのかもしれない。

 が、しかし――、不意に思い出した。気づいた。


 この女は、本当のことを言っているのか?


 初めて会った時、黒峰さんは僕に嘘ばかり付いていた。その印象が、今の黒峰さんを道化として映し出してしまう。

 あの時は僕も容疑者の一人として捉えていたから嘘を付いたのか、今はその疑いが晴れたからこそ本当のことを言っているのか。真実は藪の中。

 ぶっちゃけ、刑事のポーカーフェイスなど、サトリでもなきゃ分かんねーし。


「すみませんが、これ以上のことはお話しできません」

「い、いえ、大事なお話をありがとうございました」


 女性二人が一礼を交わすところを、僕はずっと黒峰さんの後頭部を眺めていた。

 結局のところ第一印象が悪過ぎて、黒峰さんのことを信用できずにいるんだなぁ。


「それではまた、いずれ機会があれば」


 と残して、仕事上の笑顔を張り付けた黒峰さんが立ち去って行った。

 いずれ、ね。あんまり深く考えたくはないが、僕と相佐さんでは今の言葉の意味合いがまったく異なっていたような気がする。


 相佐さんに向けては要約すると、『また会う機会があれば、お互いの恋の進展を話し合いましょう』だろうけど、僕に対しては『お前はどこか胡散臭いから、また刑事として職質することになるかもしれない。その時はよろしく』だ。うーん、絶対考え過ぎだよね、これ。


 黒峰さんがいなくなると、周囲のテーブルが、来た時よりも客で埋まっていることに気がついた。休日だからだろう。ハンバーガーをおやつ代わりとして食べる人も多いと思う。ってもうこんな時間かよ。


「そろそろ出よう。相佐さんはこれからどこ行きたい?」

「アキ君と一緒なら、どこでもいいよ」


 はは、言うと思ったよチクショー。『今日の夕ご飯何がいい?』って訊かれて、『何でもいい』って答えられたお母さんの気持ちが良く分かる。あぁ、一年以上前までは、そんなやり取りもあったんだよ。

 むー、公園デートは午前中に済ませちゃったもんなぁ。引き続き散歩ってのも、やっぱり男として甲斐性がなさすぎる。となれば、少しくらいはお金を使う覚悟も決めなきゃいけないか。うん、相佐さんと毎週デートしたいのは山々だけど、これだとすぐに破産してしまうね。

 と、脳内のノイズ混じりに幸せに浸る僕は、


 ――完璧に油断していた。


 何故今日のデートを思い立ったのかも、忘れていたのかもしれない。

 そして黒峰さんと偶然会ったことも、油断の拍車を回していた。

 連続殺人犯が逮捕間近だと聞いて、どこか気が緩んでいた。

 殺人犯など、僕とはまったくの無関係だったというのに――。

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