第11章
「と、いうわけなんだ。相佐さん」
「…………へ?」
弁当をつつく箸を止め、呆けた顔で僕を見つめる相佐さんヤベッカワイイ顎にご飯粒付いてるよこのドジっ子さんめっ今すぐ抱きしめてやりたい!
……いかんいかん。妄想がダダ漏れになってしまった。これだから物語の語り部というのはやりにくいんだよまったく。
正式な恋人同士になったものだから、僕ら(僕だけかもしれないけど)のバカップルぶりにも一層箍が外れ始めたものの、さすがに公衆の面前で抱き合う勇気は持ち合わせてはいない。たとえ実行したとしても、たぶん僕は卒業まで痛い男としてクラスから疎外されることになると思う。そこで万が一にも相佐さんと別れるようなことでもあったら、孤立確定だね。
昼休みに、教室内で堂々と机を寄り添いながら弁当を共にするようになった僕らは、周囲から少しだけ浮いていた。その理由をそれなりに話す友達に訊いてみたところ、お前ら幸せオーラに包まれてて近寄りがたいんじゃボケ、とか言われた。うーん、素直にごめん。
「ア、アキ君。今なんて言ったのかな?」
「この至近距離で聞こえていないとは。さては耳掃除をサボっているな?」
「失礼な! 昨日しましたよだ。ほら」
「どれどれ?」
んー、何やってるんでしょうね、ホント。相佐さんが可愛らしい小さなお耳をこちらへ傾けてくるから覗きこんでみたものの、明らかに食事中にする会話じゃねーよな。でも相佐さんだから許す。
「しょうがないからもう一度だけ言うよ。今度の休日、デートしよう」
「デ、デデデデデデート!?」
「うん」
プププランドの某大王が目に浮かんだのは僕だけじゃないだろう。そしてそんな大声で繰り返さないでくれ恥ずかしいから!
真昼間でしかも昼食中にほんわか夢心地になってしまった相佐さんには悪いが、そこまで照れるようなことじゃないと思う。
「デートって言っても、いつも二人で帰ってるじゃん。その延長上だと思うけどなぁ」
「違うよ! アキ君からデートに誘ってくれたことが嬉しいんだよ! 帰る時は帰るだけだけど、それをデートって言ってくれるだけで意味合いが全っっっっ然違ってくるんだよ!」
そういうものなのかな?
「それに期待させちゃったところ悪いんだけど、僕も女の子とデートなんて初めてだから、気の効いたことは一切できないと思う。デート場所の選別も、まったく期待しないでほしい」
「うん……。私としては、休日もアキ君と一緒に居られるだけで嬉しいから、いいよ」
わーお、嬉しいこと言っちゃって。
そして見てる見てる。教室で弁当を広げてる他のクラスメイトが、ごっつこっちを凝視してやがる! その視線がむっちゃくちゃ痛いからやめろ。しっしっ!
とは言っても、それらのほとんどが妬みや僻みの感情を帯びていないのは有り難い。どちらかといえば、祝福四割、僕らの幸せを憧れているのが二割、茶化すように指差しているのが三割、そして『長瀬アキラ死ね!』が一割か。うん、最後二つを主に占めているのが、横山を筆頭とする僕の男友達だ。
「やーやー、なんとも入りづらい幸福オーラを放っているな君たち。だがここで空気を読まず介入してみせるのがこの不条様である。これしきのオーラ、界王拳十倍まで発現できる私にかかればなんとも……ぐっ、重い……」
「ねーよ」
不用意に接近してきた不条さんが、僕たちの半径一メートルあたりで片膝をついた。どんな重力場だよ、おい。
「不条さん? 目の下に大きな隈ができてるね。寝不足?」
「そうなのだ。私はそれだけを言いに来た。なのにこの仕打ちはひどいではないか!」
勝手に重力に負けてる女が、何かほざいてやがる。
しかしただ目の下の隈を見せに来ただけ? 意味がわからん。不条さんが寝不足である理由が、僕らにとってどんな利益になるのか。
「そう、私は寝不足なのだ。何故ならな……」
と言って、チラリと相佐さんの方を確認する。相佐さんの方は、何故だかうろたえていた。
「相佐の奴が夜な夜な私に電話を掛けてきて、長瀬と付き合い始めたことを嬉しそうに話すのだ。最初の方は聞き入っていた私も、一時間くらい経過した頃にはだんだんウザくなってきたよ。そして結局、寝たのが夜中の三時だった」
「あわわわわわわわわ」
狼狽しながら不条さんの語りを止めようとする相佐さんだが、不条さんはその阻止を簡単に避ける。
いやけど三時って……。一体何時から電話してたんだよ。
「ただし私が寝たのが三時ってだけだぞ。通話中のまま寝てしまったので、相佐が何時に寝たのかは知らない」
「え、ウソ!? だってフリちゃん、私が最後『おやすみ』って言ったら、『おやすみ』って返してくれたじゃん!」
「そうなのか? そんな覚えはないが……、寝言かもしれんな」
「それで相佐さんは何時に寝たの?」
「え…………?」
キョトンとしてこちらを見返す。覚えてないのかよっ!
すかさずツッコミを入れようとしたが、相佐さんは手持ちの携帯で昨日の通話時間を確認し始めた。だが携帯を操作する手が一瞬で凍りつき、衛星放送ばりのフレーム間隔で顔を上げた。
「ご、五時過ぎてる……」
おおう、それでこの元気さか。不条さんの方がよほど夜更かししたような顔になっているけど、こういうことって電話掛けた方の体力は無限なんだなぁ。
「寝た時間じゃなくて! ああぁぁ、ヤバイ、話し過ぎた! 通話料金がぁ……またお母さんに怒られるぅ……」
大げさに机の上で伏せる相佐さんは、とても不憫だ……いや違うよな絶対。不憫なのは明らかに不条さんの方だ。
「それはそうと聞こえていたぞ、長瀬。相佐をデートに誘ったそうではないか」
「ああ、まあやっぱり聞こえてるよね……」
声がでかいんだよこの娘は。と、頭を抱えてブンブン左右に振っている目の前の女の子を睨みつけてみた。おぉ、動きに合わせてその豊満な胸部も左右にたうゆんたゆんと……うん!
「いつ、どこへ行くんだ?」
「今度の休日、土曜日だね。どこへ行くかはまだ決めていない」
「ほほう。ま、それはいいが、あまり人気のない所へ連れて行くなよ」
「……約束はできないかなぁ」
ちなみに相佐さんは未だ絶叫しているようで、僕らの話は耳に届いていないようだった。
いつになったら収まるのやら。と、馬鹿を見るような眼で僕らは相佐さんを見守っていたのだが、不意に横の不条さんが呟いた。
「…………羨ましいなぁ……」
それは幸せそうな相佐さんに対して、か?
僕はそう判断した。
「不条さんも彼氏作れば? 美人なんだから、貰い手くらいたくさんいるでしょ」
「……はは」
とだけ曖昧に僕に笑いかけ、不条さんは口を結んでしまった。
ようやく混乱状態から回復した相佐さんが、今度は頭ではなく両手で頬を押さえ、蛸みたいに唇を出して尋ねてきた。
「フリちゃんは確かに美人だけど……、アキ君は私とフリちゃん、どっちが美人に見えるのかな?」
「そりゃあ不条さんでしょ」
「ガーン!」
「そして相佐さんみたいな子は、可愛いという」
「むぅ、うまく誤魔化されたぁ」
頬を朱らめながら不貞腐れる相佐さんの頭を撫でてやる。
と、クラス中の皆が、小さく笑っていることに気づいた。どうやら僕と相佐さんのバカップルぶりに、とうとう耐えきれなくなったらしい。隠すこともなく、堂々とこちらを指差して笑い転げてる女子もいる。
僕と相佐さんはお互い顔を見合わせた後、つられて笑ってしまった。
幸せの満ちた教室で、笑いが生まれる。
誰もが笑う教室で、幸せが蔓延する。
日常の中の、囁かな喜び。
注意深く探さなければ、日常生活の幸せなど見つけられるはずはないと、僕は信じていた。
日常以外に不幸があるからこそ、幸せを見つけられるのだと、僕は断定していた。
しかし最近になって、方法はそれだけではないことにも気づき始める。
日常で小さな幸せを発見できたのなら、
それ以上の幸せを見つければ良いだけじゃないか。
努力の方向性。
背景をマイナス方向へ染めることも、間違ってはいない。
避けきれない不幸に直面したのなら、それを胸に刻み、糧として次なる幸福を膨らませればよい。
だけど意図的にそうすることは、逃げだ。
いや、逃げだということは、十分前から気付いていた。知っていた。
それでも尚やめなかったのは、僕の両手には何も持っていなかったから。
手が空いていたからこそ、今までの僕は自由に逃げることができた。
だけど今は違う。
繋がっている人の手がある。守るべきものがある。
僕の目の前で、爛々と微笑む彼女。
手に入れた大きな幸せは、不幸なんかで霞めちゃダメだ。
幸せで霞めてしまおう。そして霞められた分、二人でさらに濃い幸せを作り出せばよい。
昼食が中断してしまうほどの笑いの中、誰もが例外なく僕らを嘲るように笑顔を向けているはず。
なのに――。
近かったから初めは気づかなかった。視界の端でちゃんと笑顔を見せているからこそ、最初から違和感を察知できなかった。
相佐さんから視線を外し、少しだけ周囲を見回してみて、そして初めて気づく。
僕の隣に立つ少女。
不条不理。
彼女の顔は笑顔が張りついるだけで、まったく笑ってはいなかった。