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s_complex  作者: 秋山 楓
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第8章

「アキ君は隠し事とかしてないよね?」

「してないよ」


 毎度毎度のやりとりがあり、僕と姉は朝食を共にしていた。


 日曜日。仕事や学校はないため、いつもよりかは遅めの時間帯だ。平日は冷食などで間に合わせている朝食も、今日は焼き魚やその他御惣菜といった少々凝ったものまで用意してくれている。朝食はその日一日のエネルギーの源、かつ、すぐそこに迫った昼食は軽いものにしようという魂胆なのかもしれない。

 エネルギー補給がまだの僕は、重い体で焼き魚をつついていた。

 あの夢の翌日は、確実と言っていいほど疲労が溜まっている。今日が休日で良かった。平日だと授業に支障が出るから……いや、どちらにせよあまり話は聴いてないんだけどね。


「姉さんは隠し事は?」

「うん、してるよ」


 またか。僕が問い返し、『してない』と答えたことはないような気がする。


「前から訊きたかったんだけどさ。姉さんの隠し事って何?」

「んー……」


 箸を持つ右手の人差指で顎を突き、姉はしばしの間、考えを逡巡させた後、

「アキ君にはまだ内緒」


 と答えた。

 まだってことは、いつかは答えてくれるんだろうか? そう問いただしたくも、その言葉は躊躇われた。姉の私生活に踏み込むのは遠慮させられるし――、

 なにより、僕の理解を超えた答えが返ってくるのが怖いから。

 笑顔で両親を殺す姉の未知なる部分を、僕は未だに恐れているのだから。


「さて、御馳走様でした」

「お粗末さまでした」


 休日なので、出勤時間に追い詰められた姉が慌ただしく着替えるシーンもない。まあ明日になればほぼ確実に拝めるんだけれど。


「アキ君の今日のご予定は?」

「特にないけど、今から少し散歩にでも出かけようかと思ってる」

「散歩? 珍しい」


 くすくすと笑う姉は、まだ朝食を半分くらいしか食べ終えていない。食べるのが遅いからいつも時間がないことには気づいているのだろうか?


「ま、珍しいっちゃ珍しいけどね。こんな天気の良い日に家の中で過ごすのはもったいないよ」


 というのは表向きの言い訳。

 その他に、散歩に出る目的は二つ。一つはこの重い体をほぐすためだ。疲れているからといってずっと家の中に籠っているのは、健康的にも習慣的にも悪い。平日はいつもこの体で歩いて学校まで行っているのだ。休日ならば、疲れた体をさらに疲れさせて、気持ちよく昼寝をしても罰は当たらないだろう。


 そしてもう一つの理由は、


「アレの上に置ける物がなんかないか、探してこようと思ってね」


 虫に代わる物探し。押入れを開けた者が、新調された床板に眼が行かないよう、隠ぺいするための代わりを探さなくてはいけない。そう都合のよい物がそこら辺りに転がっているとは思っていないけど、探さないよりはマシだ。


「目星はついてるの?」

「いや。何か良さそうな物があったらいいなぁ、程度だよ」


 昨日の出来事は、姉には簡潔に話した。反応は淡白なものだったけど、すべて僕に任せると言った手前、そんなものなのだろう。


「そう。お姉ちゃんは今日はずっと家にいるから」


 いってらっしゃいと、朝食を口にしながら笑顔で僕を送り出してくれた。

 玄関の扉を閉め、んーっと大きく伸びをする。窮屈な場所から遮るもののない大地に降り立った開放感。さらに未だ六月半ばだというのに、カンカンに晴れた大空は、僕の中の悪い微生物を死滅させれくれるようなエネルギーで受け止めてくれている。


 さって、歩きましょうかね。


 爽やかな気持ちで一歩を踏み出した。今日という一日が始まり、心の高揚を感じずにはいられない。

 僕を待ちうけているのは幸福か、それとも不幸か。

 正直、どちらが待ち受けていようと構わない。

 幸福ならば素直に受ければいいし、不幸ならば明日の礎にすればよい。

 要は、何も無いことが嫌なのだ。せっかくこうして重い体を携えて散歩に出てきているのだから、何か日常とは一味違った出来事に遭遇したいというもの。それが幸福だろうが不幸だろうが、僕はすべて受け入れる覚悟はしている。

 と、若干中二病臭い台詞で意気込みを決意し、正面の道を曲がったそこには、


「よう」


 裕次郎がいた。

 あーうー、どーしよーかなー、見なかったことにしよーかなー、でも声掛けられちゃったし眼も合っちゃったしなー、さすがに無視するのも失礼だしなー、人違いってことにしよーかなー、でもアパートの前だもんなー、だって……、


「おい、独白が長すぎるぞ」


 チッ、このイベントは回避不可能っぽいぞ。RPGでよくある、『はい』を選らばなければ永遠に同じ質問が繰り返されるあれのようなものだ。小さい頃、ひねくれ者だった僕はとあるゲームで一時間以上ループさせていたのは、今となっては良い思い出。

 おっと、過去に浸って軽く現実逃避しているところだった。覚悟を決めた数秒前の自分はどこへやら。


「……おはようございます」


 と、ようやく相手の姿を認めたのだが。


「な、何だその格好は! 昨日までと同じボサボサの髪にレンズの大きすぎるサングラスはいいとして、半袖のTシャツ一枚にジーパンとな! あ、明らかに似合わねえ! 加えてその体格からしてさらに見苦しい! ぶっちゃけセンスねー!!」

「今度は独白が口からダダ漏れだな」


 怒った様子も悲しむ様子も見せず、ただ口元をへの字に結んだまま無表情でこちらを見下ろす裕次郎。服装のセンスがないのは自覚していることなのだろうか?


「んー、んん、うん!」


 咳払いの音です。気持ちを入れ替え心機一転。馬鹿なやりとりはここまで。


「……こんなところでどうしたんですか?」

「分かるだろ? お前に会いに来たんだよ」


 うげー、いろんな意味で気持ちが悪い。


「まあ、ちょっと話がしたくてな。今からどこか出掛ける予定だったか?」

「いえ、散歩に行こうとしていただけですが……」


 我ながら、咄嗟の嘘が下手なことは自覚している。しかも相手が刑事なら、嘘を見破る観察眼も並ではないだろう。


「もしかして、先日の事情聴取の続きですか?」

「違う違う。今日は個人的な話だ。非番だしな。まあ立ち話もなんだから、どこか喫茶店でも行こう。奢るぜ」


 そして所持品の紙袋を握りしめると、すぐさま僕に背中を向けて歩きだしてしまった。

 あまりにも身勝手な御誘いに、踏みだす足が一瞬だけ止まるものの、諦め半分に重い足取りでその背中に追従することにした。せっかくの休日なのになぁ、はぁー。


「非番って……。世間は通り魔殺人の恐怖で震え上がっているというのに、それを捕まえる立場である警察が、のんびりと休暇ですか」

「はは、一般市民からすれば、その感想は当然だな」


 皮肉を込めた言葉だったのに、裕次郎は軽く笑って受け答えた。いや、笑った? あの堅物顔の裕次郎が?

 横に並んで相手の顔を見上げると、無表情ながらもその顔は柔らかく、見る者によっては笑顔すら浮かんでいると言えそうなものだった。職務中と休暇中の心構えに、ものすごいギャップがある人格なのだろうか。


「ここのところ、あの事件絡みですごく忙しかったからな。なんせ二週間も働き詰めだったくらいだ。そこで上層部から『休め』と御触れが出てな、一番若い俺から順に休暇を取ることになった」

「そこは『若くて体力がある自分が一番最後でいいっすから』って言う場面じゃないんですか?」

「言ったさ。けど上司の奴らに『我がまま言うな、お前が先に休まんと俺らも休めん』だの『これは命令だぞ』だの『お前がいない方が仕事がはかどる』だの言われてな。仕方なく俺が一番目になったわけだ」

「あ、最後の言葉は黒峰さんですね?」

「よくわかったな」


 素直に驚いた声を上げられたのが新鮮だ。本当に良い意味で、仕事と休暇の切り替えができる人なのだろう。

 そんな中身のない会話をしながら、僕らは国道沿いの喫茶店へと入った。落ちついた雰囲気の内装は広めで、僕も知っているほど全国展開している有名なチェーン店だ。

 道路に面する二人掛けの席を陣取り、適当に注文を済ませた。


「そう言えば、さっきから大事そうに持ってるその紙袋はなんですか?」

「ああ、これはちょっとした手土産なんだが……しまったな。お前の家の前で渡せばよかった」


 裕次郎は床に置いた紙袋を上から覗き込んだ後、テーブルの横を通して僕の方へと手渡した。


「俺が厳選に厳選を重ねて選び抜いた、制服系AV三作だ」

「バカジャネーノ」

「ちなみにその中には、ポータブルDVDプレイヤーも入っている。そっちは今度いつでもいいから返してくれ」

「ほんまもんの馬鹿だ!」

「まさかあそこの伏線が、こんなところで回収できるとは思わなかったよ」

「伏線でも何でもねーよ!」


 頭が痛くなってきた。そういえば忘れていた。目の前の男は刑事は刑事であっても、コミカル風の刑事だったんだっけ。見た目が某刑事ドラマのナントカ刑事に似ていたから、一昨日のことをすっかりと失念していたよ。


「おいおい、情景描写はしっかりとやってくれないか。『差し出された紙袋を、僕は大事そうに足元へ引き寄せた』とな」

「畜生! 言わなきゃ分かんないのに!」


 嘘偽りも真実のように伝えられるのが語り部の特権だろうが! ちょっと言葉が抜け落ちてるからって、脇役が物語の進行に口出しするんじゃネーヨ。

 と、店員が注文していたコーヒーを運んできた。僕はアイスで裕次郎はホット。豪華な朝食を食べたばかりだし、なにより相手の奢りなのでそうそう図々しくはなれない。

 そして話の流れを変えるのには、ちょうどいいタイミングだった。

 僕はストローでアイスコーヒーをちまちま飲みながら、上目遣いで問う。


「それで、僕に話って何ですか?」


 まさか今の手土産を渡すことが本題ではあるまい。


「まあそう堅くなるなよ。とは言っても、話題自体は明るいものじゃないけどな」


 そう言いながら、裕次郎は懐を探りだす。


「連続通り魔事件の報告だ。本来なら事情聴取した関係者だからといって、おいそれと話すことはできないんだけどな。ま、俺とお前の仲ってことで」


 どんな仲だ。気軽にコスプレ談話ができる相手ではないことは確かだけど。


「自分が犯人だと疑われるのは嫌だろう? だから事件の進捗状況を簡潔に話す」

「…………」


 いいのだろうか、そんな勝手なことをして。

 ま、僕に話すことで裕次郎の責任がどうなろうと、僕にはまったく関係ないし。

 そして懐から数枚の紙を取り出し、一枚を僕の正面へ投げ捨てるようにテーブルへ放った。手に持つ残りは名刺かなんかのようで、再び懐へしまう。僕の視線はテーブルの一枚へと注がれる。それは写真だった。


「…………誰ですか?」


 暗いながらも、被写体の人間をはっきりと区別できる一枚だった。

 夜のコンビニから出てきた一人の男。年齢は定かではないが、僕よりも年上に見えるから大学生くらいだろうか。頭は澱みのない金髪で、目つきが悪すぎる。裸眼視力がゼロ近いのに、無理やり遠くを見ようと細められたその眼は、陰から獲物を狙うライオンのそれのようだった。


 買い物を終え、ビニール袋を引っ提げたその男は、しかし写真の正面も向いていないし視線もどこか別のところを向いている。つまりこれは、被写体が撮られたことに気づいていない、盗撮というもの。

 一体誰だ? この顔は見たことない。知り合いやクラスメイトに金髪はいないし、本当に年上だったとしたら、僕なんかと接点があるはずはなさそうだし……。


「今回の事件、連続通り魔殺人の犯人だ」

「………………………………………は?」


 意味が分からなかった。犯人? こいつが?


「一昨日事情聴取を行った時に、被害者がコンビニの前で十時二十分に複数の人間から目撃されているため、お前が犯行に及んだとは考えられない、とは説明しただろ? その時の複数人の内の一人がこいつだ」

「ちょ、ちょちょちょちょちょっと待った。訳が分からないんですけど」

「分かれよ。そして殺された駐在がコンビニの前を通過した後、まるで後を追うようにしてこの男が歩き去っていったのを、コンビニの店員が目撃してるんだよ。調べてみたら、こいつの家とはまったくの正反対だった」

「…………」


 待て待て、理解が追い付かない。犯人はこの大学生風の男? 本当なのか? まさか裕次郎が僕を騙してるなんてことは……なさそうだ。いくらなんでも、そのメリットがまったく思いつかない。じゃあただの勘違いってことも……。


「……同じ方向に行ったのは偶然なんじゃないんですか?」

「もちろんその可能性もある。ただ四人も殺されたからこそ、こいつが如何に事件と関係しているかが浮き彫りになってきたんだよ」

「関係?」

「一件目はこいつが住むマンションの住人。二件目は犯人らしき姿を目撃したという証言者。三件目は事件後に犯行現場を偶然通りかかったこいつを警察が職務質問し、四件目は知っての通り被害者の目撃者だ。もちろん、いずれの推定犯行時刻にもアリバイはなし」

「それだって、偶然の域を出ないんじゃないですか?」

「そうだ。だから決定的な証拠を見つけられず、警察は逮捕に踏み込むことはまだできない。と言えば満足か?」

「…………」


 何だろう。まったくの赤の他人が犯人であって嬉しいはずなのに、何故か腑に落ちない。心の奥に魚の骨が引っ掛かっているかのようなもどかしさ。


 姉さんが――犯人じゃなかった?


 もう隠すこともない。僕は自分の姉を、連続殺人犯だと思っていた。だって嬉々とした表情で両親を殺せる人間なんだぞ? 死体を解して証拠の隠滅までしてるんだぞ? そんな狂人が身近にいたら、そいつが他でも殺人を行っていると疑う方が自然だ。


「家宅捜索とかできれば一発なんだろうけどな。状況証拠にすらなってない今の段階じゃ、その申請も通らないだろう。警察の捜査ってのもいろいろ制限があって、そうさっさと進むもんじゃないんだよ」

「へー」


 何気なく返事をしたが、家宅捜索、ね。姉の部屋に探りを入れたように、この犯人も同じような手口で家の中に入ることはできないのだろうか?


「分かりました。まあ僕は一応警察とは無縁の人間ですからね。警察のルールもよく知りませんし、犯人がまだ捕まらないことには文句言いませんよ。けど何で僕に話すんですか? 知り合いが犯人だから覚悟しろってことでもなさそうですし」

「だってお前、自分が疑われてるんじゃないかって思ってただろ? 事実、黒峰の奴もストレートに誤解されるようなこと言ってたしさ。俺はあいつのように、無実の人間に嫌疑を掛けてビクビク怯えさせるようなサドじゃないんだよ」

「別に怯えてたわけじゃないんですけどね」


 それでも、不安はあった。無実の罪で周辺に探りを入れられて、万が一にも両親の死体を発見されてしまっては、笑い話にもならない。警察が僕の家に近づかなくなることは有り難い。


「それで、だ。ここからが本題だ」

「え、今までのは前置きだったんですか?」

「重要といえば重要ではあるが、しかしお前とは直接関係のない話だっただろ? 今から話すことは、直にお前と関係していることだ」


 裕次郎の声の調子が変わった。さっきまでの犯人のことを話していた時には、簡単に言えばどこか投げやりな感じがあったのだけれど、低い声が放つ音質は真剣さが伝わってくる。平たく言えば、明らかにこれから最も重要なことを口にする前触れ。


「あくまでもこれは俺の想像だ。この写真の男を連続殺人事件の犯人として捜査を進めているのは警察の方針だが、今から述べることは俺独断で導いた結論だ。警察もその可能性は考えてはいないだろう」


 念を押すように、裕次郎は言葉を選ぶ。

 僕は話を急かすこともなく、唾液を呑み込んだ。


「取り乱さずに聞いてくれ。俺が何を言っても、お前が冷静であることを願う」


 それでも無表情に、テーブルの上で組んだ両手の向こうから、さらに低い声で次に発した言葉は、僕の鼓膜を撫でくり回すように震わせた。


「お前の両親は、すでに殺されている可能性がある」

「ッ!?」


 じわり、と手の平が湿ったのが分かった。

 鼓動が早まり、一瞬にして心拍数が跳ね上がる。

 全身の産毛が総立ち、肌の上を拒絶感が駆け巡った。

 ぐらりと揺れる脳みそは、世界を正常には見せてくれない。

 僕の視界は熱で赤く染まり、原形を留めない裕次郎が、再び口を開いた。


「驚くのも無理はない。だがその言葉は真実ではない。あくまでも俺の想像にすぎない、ということをもう一度言っておく」


 その想像は的確だった。僕の両親は姉が殺し、そして紛れもなく、僕の部屋の押入れの下で眠っているのだから。たとえそれが鎌を掛ける意図がなくとも、無邪気な子供が口にしたとしても、僕の動揺はいつでも誘われてしまう。

 落ちつけ、動揺するな。冷静さを取り戻せ!!


「どうしてその結論に……」


 違う。まず問い返したいのはそこじゃない。


「殺されたって…………誰に?」


 声が震えているのが分かった。しかし自分がどんな表情をしているのか、顔の神経が途絶えたように捉えることができない。まるで能面を被っているかのように、薄っぺらい膜が顔の表面を覆っているかのように。

 視線を落とすと、濃い茶色の水面に、歪んだ自分の顔が映し出されていた。露点に達したアイスコーヒーのグラスからはいくつもの水滴が浮かび上がり、様々な感情を抱いた僕の顔が、じっとこちらを見つめていた。


「この写真の男にだよ。俺は独断で、お前の両親と今回の殺人事件の関連性を調べている」

「…………?」


 理解が追い付かない。こいつは何を言っているのだ?

 裕次郎の言葉の意味が、ワカラナイ。

 混乱する思考を一時停止させるために、残りのコーヒーを一気に飲み干した。氷だけとなったグラスの底が、思考の足りていない僕を嘲笑う。


「この男が、僕の両親を殺した……?」


 意味を反芻し、裕次郎の言葉をオウム返しにしてみたが、いまいちしっくり来ない。事実から偽りへと逸れた他人の想像というものは、これほどまでに受け入れがたいものなのだろうか?

 次第に心拍数が正常へと帰還する。一気に不安感が霧散していったのを感じた。


「どうして僕の両親の失踪と、今回の殺人事件が関係あると?」


 眉を顰めながら問うと、裕次郎は黙って頷いた。


「お前の両親が失踪したのは、去年の九月……だったか?」

「九月の中旬ですね」

「その時期に、実はお前の両親の他にも、この近辺の住人が二人、失踪しいるんだ。正確には家出とも言うが、九ヶ月経った今でも、彼女たちの行方は分かっていない」

「?」


 遠い、遠すぎる。僕の両親が失踪したのと同じ時期に、近くで家出があったから何だというのだ? 話の繋がりが、水平線で叫ぶ遭難者を探すくらい困難で見えてこない。


「この二人は家出当時は中学生で、友達同士でもあったらしい。素行が悪く、いわゆる不良グループに属していた生徒で、たびたびプチ家出を繰り返していたそうだ。この子たちの両親もまたかと思って最初は捜索願も届けていなかった。が、蓋を開けてみればどうだ? 九ヶ月も家に帰っていないどころか、姿すら目撃情報もないんだ。ただの中学生が九ヶ月もの間、生活できるコネがあるとは思えない」

「だからすでに殺されている可能性があると?」

「そうだ」


 筋は通っている……ような気がする。しかし家出少女が二人も殺されたからといって、僕の両親が殺されていると考えるのは、少々強引ではないだろうか。確かに通帳やその他貴重品は家に残したままってことになっているけど、それでも未熟な子供と社会経験のある大人の差は大きい。


「その少女二人は一緒に家出を?」

「ああ、いや違う。正確な日時は忘れたが、お前の両親の失踪を境にして、一人は前で一人は後。その差は二ヶ月くらいだ」


 一人ずつ、か。それなら尚更家出少女の身に何か起きた可能性は高いけど……んー、僕の両親が連続殺人犯に殺されたと勘違いする証拠なんてないだろ。


「そして最初に家出をした少女。この少女こそが、何を隠そう今回の連続殺人犯としてマークしているこの男の妹なんだ」

「はあ…………」


 そんな無表情で得意気にならなくても。相変わらず、表情の表現難易度が高いなあ。

 呆れ半分におどけて見せる。真実を知っている僕としては、拍子抜けだった。

 僕の記憶が悪の組織に改ざんされていない以上、両親を殺したのは絶対に姉だ。間違えるはずもない。あの光景が、幻だとはオモエナイ。

 それとも、抜け落ちている事件前後の記憶に、真実が隠されてるとか。例えば姉さんそっくりに変装したこの殺人犯が両親を殺し、その罪を姉さんになすりつける……んな馬鹿な話があるかーい。ルパン三世じゃないんだから。


 じゃあ裕次郎は何が言いたい?


 最初の被害者は犯人の妹だった。次に僕の両親を殺し、さらに妹の友達までも。そして一旦間を空けたが、最近になってまた犯人が頭角を現し、すでに被害者は四人にも上っている。

 つまり一連の殺人事件に巻き込まれた可能性があるかもしれない、と言いたいんだろうが……。

 妹の件は知らないが、だからって証拠がねーだろ。


「最初に言っただろ。あくまでも俺の想像だって。証拠がないからこそ、警察も少女の家出と今回の事件は無関係として動いている。俺もその線を公にして捜査はできないのさ」

「……僕にとっては、あまり心地良くない想像ですが」

「覚悟しとけってことだ。まあ、今が一番幸せそうなお前に、失踪した両親の死を聞いたって揺らぐことすらないだろ?」

「一番……幸せ…………?」


 僕が言い終わる前に、裕次郎は伝票を手にして急に立ち上がった。


「昨日のお前、友達に囲まれてむちゃくちゃ幸せそうだったぞ。俺と黒峰と対峙した時は表情こそ同じだったがな、なんつーか、オーラの出が全然違った。通常の状態と、界王拳五倍くらいの差があったな」

「オーラ、ね……」


 例えは意味不明だけど、他人から見ても幸せそうに見えるのか、僕。

 軽く俯いた自分の表情が、僅かに綻んでいることが分かった。


「そうだよなぁ。最近のガキは超サイヤ人しか知らんよなぁ」

「だから勝手に独白を読むなっつーの!」


 そしてドラゴンボールくらい知っとるわ! 小さい頃、友達の家で全巻読破したわ! あくまで『友達の家で』だけど!

 と、裕次郎は伝票を手にしたまま、レジへまっすぐ歩いて行ってしまう。


「あ、ちょっと……」

「俺からの話はもうない。そしてお前の話は聞きたくない。せっかく休みをもらったんだから、ぐっすり眠りたいんだよ。もうすぐ昼時だしな」

「…………」


 そこはせっかくの休みなんだから、普段できないことをしろよ。

 追いかけることもできた。レジで会計を済ませているのだから、急がなくても僕が先に外へ出ることすら可能。

 しかし話すことなどないのは事実。話したところで、本当に聞く耳を持ってくれないだろう。

 だから僕は席に座ったまま、背の高い不思議な男の背中をじっと見つめ続けていた。


「それじゃ、またいつか会おうぜ。それ返してくれる時にでもな」

「ええ、また……」


 すっかり忘れてたこのお土産。紙袋を上から覗き込むと、ノートパソコンみたいな機器が一つと小さな箱が三つ。

 周りに人がいないことを確認してから、紙袋の中でパッケージを確認して見た。

 が、


「……チッ!」


 確かに制服が好きだとは言ったけどさー。三作とも全部巨乳系じゃん! でかいのはいつでも現実で拝めるんだよ気が利かない野郎め!!


 と、すでに姿の見えない刑事モドキに怨みがましい視線を送ってみた。

 千里眼を持たない僕には現在の裕次郎の位置を掴めるはずもなく、諦めて喫茶店を後にする。それなりに交通量の多い国道を正面にし、狭い大空を見上げた。


「雨……か」


 さっきまであんなにピーカンだったのに。いつの間にかまばらに雲が現れ、パラパラと自然の恵みを降らせている。ただし大空の暗雲はぶつ切りで、青い部分もいくらかは臨めるので大降りにはならないだろう。

 早く帰ろう。水に弱い機器も手にしているわけだし。

 田舎町らしく自転車が大袖を振って走り行く歩道を、小走りでボロアパート方面へと向かった。


***


 何もない休日。散歩から帰ってきただけなのに、紙袋を所持していたことを姉から言及されたが、何とか誤魔化せた。


 昼過ぎから本格的に雨が降り出してきたので、外出できず。夕時の買い物以外は、姉と一緒に畳の上でごろごろと転がっているだけの休日だった。


 生産性がまるでない一日だ。だがそれがいい。僕に有意義な時間を生成できる技術など備わっているはずもないし、ゴミを増やすだけの生産性など糞喰らえだ。思い出など、結局最後は記憶の掃き溜めへ捨てるようなもの。幸せな僕は、何も残らない今の怠惰な時間があれば、それでいい。


 無事に夜を迎え、平穏な朝が訪れる。

 昨晩は今日の授業の予習を少しやり、あの明晰夢を見ることはなかった。

 それだけの言葉しか、僕の生活に変化はない。


 日常。


 誰もが過ごし、しかし多くの人は気づいていない幸せ。

 何もないからこそ、変化がないからこそ、人は幸せなのだ。幸せと退屈は紙一重であり、かつ同じ意味を見いだせる言葉。と、僕は結論付けている。

 退屈な授業、退屈な友達との会話、退屈な帰り道、退屈な食卓。

 すべてが幸せだった。

 何気ない日常の振る舞いが、すべて。

 なのに――、

 唐突な変化は僕に何をもたらすのだろうか?

 日常の反転は、果たして幸福か。それとも不幸か。

 過去へはもう戻れない劇的なイベントが、僕の幸福指数を狂わせる。

 裕次郎との密会から、数日間日常を楽しんだ僕は――、



 ――相佐さんから告白された。

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