ある少女の話
街道の向こうから敵の集団が向かってくる。
後退しながらも戦闘を続けていたガルムの部隊と合 流して交戦を続けているファーガンであったが、
混戦の続くこの状況に焦りを感じていた。
(こやつらを外へ追い出さねば。)
ファーガンの手勢と「風」の集団が衝突する。
斧で体を割られ絶命する味方が見えた。
ファーガンの方にも敵は襲いかかってくる。
敵が剣を振り下ろす。
ファーガンはそれを顔のほんの目の前で受け止めると、相手の体に斬撃を叩き込まんと剣を鋭く一閃させた。
敵は中々の剣の名手のようだ。
素早い反応でファーガンの剣を弾き返した。
剣と剣がぶつかり合い激しい火花が散る。
何度か斬り結んでいると、敵にも焦りが出たのか、
かなりの大振りでファーガンの頭を狙って来た。
この隙をファーガンは見逃さない。
真上から振り下ろされる相手の剣を、
ファーガンは軽く剣で受け流す。
相手の力をも利用しつつ攻撃を防ぎ好機を作る、
これは最もファーガンの得意とすることだ。
(相手が悪かったな。)
ファーガンは相手の鎧の隙間を狙い鋭い突きを放つ。
ファーガンの剣に体を貫かれ、口から血を吐き出し
敵はくたりと動かなくなった。
ファーガンは剣を引き抜くと、
次の敵を見つけ斬りかかって行く。
敵も怯まず向かって来たが、
ファーガンは相手の攻撃を軽くあしらって
剣を振るう。
辺りを見渡すと、「風」の一団は味方によって倒され誰一人として動かなくなっていた。
ファーガン達は前進を続ける。
明らかに敵の数が減りつつあった。
敵は何部隊か未だに攻勢に出る集団もあったが、
大方撤退すべく城門に向け後退を始めていた。
「風」の軍は一体となって行動することを苦手とする。
その弱点がこの状況にかなり大きく響いていた。
入り組んだ道に混乱を来たした敵はヴェリア軍によって刻一刻と軍勢を消耗させられ続けている。
「進め! 奴らを蹴散らせ!」
ヴェール防衛戦の帰趨は明白であった。
ヴェールはファーガンによって守られたのである。
潰走を始めた敵に対する追撃を続けるうちに、
ファーガンはガルムと再会した。
ガルムの部隊とは合流していたが、
街の中で戦いを続けていたガルム個人の生死は不明であった。
血眼になりながらガルムを探すファーガン。
そこに見慣れた鎧を纏った男を認めた。
思わずファーガンは声を上げた。
「ガルム! 生きておったか!」
「なんとか生きております……。」
ガルムの鎧は返り血で染まり、
剣はすでに所々欠けていた。
連れていた手勢もかなり数を減らし、
体力も消耗しきっている。
ガルム達の安堵の表情を見るに、
かなり極限の状態を戦いきった様子だ。
「城壁を突破されてしまい誠に面目無い……。
兵共は善戦を尽くしたのですが。
後退の命令が出ていなければ危うく全滅でした。」
「よく戦った。ディルクの元へ帰還しろ。一度休め。」
「は。ありがとうございます。
ファーガン様、ここから焦りは禁物ですぞ。
色気を出せばどこで痛手を被るか分からぬ故。」
「分かっているさ。」
ファーガンとガルムはまた別行動となる。
嬉しい再会を経たファーガンは、
体に力が漲って来るのを感じた。
(止まるわけには行かぬ。風の力を少しでも削がねば。)
ファーガン達の部隊は前進を続けた。
戦闘も散発的にしか起こらず、
その全てにおいて敵は組織的な戦闘を行う能力を
失っていた。
やがて城門へと達すると、
そこにはラーガンと兵士達がいた。
「兄上、申し訳ありません。一兵たりとも生きて外には出さんとこの門まで急いだのですが……。
ごく僅かに間に合わず、かなりの数の敵を逃してしまいました……。
追撃しましょう。敵はもはや死に体です。」
ラーガン達は、自らの持ち場を攻めてきた「風」を
首尾よく撃退すると、
敵主力を街の中で包囲せんと急行したようであった。
しかし間に合わず、全ての敵を袋の中へ閉じ込めるには至らなかった。
二千程度の敵が街から撤退した。
「追撃を開始する! 敵を生きてヴェリアの地から出すな!」
ファーガンには、「風」に対する攻撃の手を緩めるつもりは無かった。
殺された同胞の弔い合戦である。
少しでも多くの敵を葬るべく、狩人が獲物を追うかのように追撃を開始した。
エイルという名の少女が、広い草原の中で寝そべっていた。
暖かい日の光が心地が良い。
穏やかなそよ風が彼女の肌に優しく触れるのが分かって、幸せな微笑みが思わず零れた。
懐かしい声が少女を呼ぶ。
少女が体を起こし、声のした方を見ると、
背の大きな、立派な髭を蓄えた彼女の父の姿があった。
彼女は一瞬で夢である事に気が付く。
何故なら父はもうこの世に居ない筈だからだ。
最近この父に会う夢をよく見る。
父は決まって、大きな手で少女の頭を撫でながらこう言う。
「お前はイングウェイに似て綺麗な髪と目をしているな。あいつが小さい頃はお前のようだったんだろうな。」
母イングウェイはとても美しい女性だったと聞いている。
少女は母の顔を覚えていない。
少女を産んだときに、そのまま亡くなってしまったのだ。
母と父は、この時代では珍しくお互いに惹かれあって結婚したらしい。
父はよく母のことを自慢気に話してくれる。
その時の、父の愛に満ちた表情が大好きだった。
幸せな気分に浸っていた少女であったが、
ある事をふと思い出した。
それは父が、長い航海の旅から帰ってきた夜のことだった。
ベッドで眠っている少女の手を、父が強く握りながら、肩を震わせて泣いていた。
少女はとても混乱した。
いつも立派で、勇敢な父が声を上げて泣きじゃくっているのだ。
「お父さん、なんで泣いてるの?」
「起こしてしまったか。すまないな。」
父はそう言って立ち去ろうとしたが、
少女は父の手を取って引き止めた。
「お父さん、大丈夫? どこか痛いの? 大事な大事なものを失くしてしまったの? 」
とにかく父が泣いている理由が知りたかった。
それは好奇心からくる感情では無かったが、
少女の幼い心ではそれが何からくる感情なのか理解することは出来なかった。
「痛い……。とても痛い…。沢山大切なものを失くした……。」
少女は父の話していることがよく分からなかった。
黙り込んでしまう少女だったが、
父はまるで堰き止めていた堰が切れるかのように言葉を発し始める。
「誰かのイングウェイを……。誰かのエイルを……。たくさんの大切な大切なものを俺は奪った……。許してくれ……。許してくれ……。」
「誰かの」という意味が分からない。
それに、恐らく母も少女も父に、
「奪われた」ことは一度も無いだろう。
全く理解出来ない少女であったが、
ある一言が口をついて出てきた。
「お父さんがどんなことをしてても、エイルは優しいお父さんが大好き。だから大丈夫。」
父の顔から、心に平穏を取り戻したのが分かった。
この言葉を口にしなければ、
父はどこか遠くへ行ってしまうような、
それは物理的な距離ではなく、
極めて抽象的な概念での距離であるが、
そんなことを感じ取っていた。
あの夜の出来事の時の自分は、
本当は父の心の痛みを、
父である自分とやってきたことの間のジレンマを、
幼いながらに知っていたのでは無いかと考えることがある。
ドラゴンシップに乗って旅立った先で、父が何をしているのか。
帰ってきた父が、時折物憂げな顔をしているのも。
父は心優しい人だった。
きっと父も、悲しい歴史の被害者だったのだろう。
今や大人になった少女にはそれが分かる。
意識が急に現実へと引き戻された。
「エイル様!」
現実でも、父がいれば良いのに、と思う。
父がいれば、今頃自分は故郷たる、「スヴィヨッド」で夫の帰りを待っていることだろう。
「スヴィヨッド」の女は戦に出ないのが普通だ。
しかし女にして族長となったエイルは、
戦に参加することを宿命付けられていた。
「ヴェルガルド」での戦いに何度も加わった。
そうしなければ族長としての体面を維持できないからだ。
何度も財宝を奪った。
何度も村や街を焼いた。
今回もそうなる筈だった。
しかしエイルは敗北した。
城壁を突破した先の街の中で、頑健な抵抗に遭ったのだ。
命辛々逃げ出したエイルとスヴィヨッド軍だったが、
どうやら敵が追って来ているらしい。
数も勢いも敵の方が上だ。
それに味方はほぼ初めてと言って良い大敗に
士気を潰されている。
エイルには戦う前から敗北が見えていた。
もしかしたら次の戦いが自分の最期となるかもしれない。
エイルはそう感じた。
父にあの世で会えるだろうか。
そんな子供じみた思いを抱いた自分を、
自ら思わず鼻で笑うエイルだった。
三話目です。
少し間が空いてしまいすいません。
まだ話としては序盤ですが、
諸事情により二週間ほど執筆を休止させて頂きます。
これからもよろしくお願いします。