開戦前夜
ヴェリアの風、彼らはそう呼ばれていた。
「氷嵐の海」から突如として出現した人々が、旧帝国が五百年の歴史をもって築き上げた富を略奪し民を恐怖へと叩き落とした。
〜帝国紀、「ヴェリアの風」項より〜
馬上から見る景色はまさに悲惨であった。
焼かれた建物が、未だに火の粉を発し燃えている。
深く抉られた傷を負った亡骸が其処彼処に横たわっていた。
ヴェリアの風、そう呼ばれる者達によって略奪された町は一瞬で灰となる。
残された町だったものがその凄惨さを物語っていた。
若い騎士が後続の部下に命じる。
「遺体を埋葬せよ。息のあるものには手当を施せ。」
木材が焼け焦げる匂いと血の匂いが混じった異臭に顔をしかめる二十歳ほどの騎士、その隣に、手練れという表現が適当であろう壮年の騎士が続く。
「また酷くやられたものですな、ファーガン様。」
困惑仕切った表情の壮年の騎士。
「うむ…。」
若い騎士の名はファーガン。
ヴェリア伯爵家の長子で、つい三年前にヴェリア伯爵領を継承したばかりである。
あまりに残酷な様子に、怒りと深い悲しみを目に宿している様子だ。
「ガルム、奴らの根城はどこか分かっているのか。」
ガルム、ヴェリア伯爵家に代々仕える一族の出で、
剣の腕は確かでありファーガンの父、前ヴェリア伯にも信頼されていた男だ。
今はファーガンの右腕として剣を振るう。
「ハリク付近にて奴らの船着場を発見いたしております。」
ハリク、ヴェリア伯爵領の中でも発展した港湾都市であったが、「ヴェリアの風」の略奪を受け衰退した。
今ではもう小さな村があるに過ぎない。
「ハリクか。分かった。ヴェールに帰還しよう。軍議を開く。」
城塞都市ヴェールは、いわばヴェリア伯爵領の首都とも言える街だ。
伯爵家の居城が存在し、また帝国北方地域で最も発展した街でもある。
北方地域と帝都を結ぶ街道の要地だ。
「は。早速支度に入りましょう。」
北からの冷たい風が吹き荒れる。
冷たく凍るような海風、それが「ヴェリアの風」なのだ。
ヴェリアに吹き荒れる風、それは人々から全てを奪って行く。
太陽すらも凍え輝きを無くしてしまうようだ。
ファーガンはその風を止める策を練るためヴェールへと帰還すべく街道を進んだ。
既に夜が更け、ヴェールの街は夕闇に包まれている。
ヴェリア伯爵家直属の兵四千と共にファーガンが到着した。
街の活気が嫌に騒々しい。
略奪され悲惨な町や村の数々を見てきたファーガンにとって、この喧騒が嘘臭く感じられた。
「流石は五百年の都市だな。同胞の町や村が焼かれているというのに。」
ファーガンが皮肉る。
自らの街を皮肉るほど、ファーガンの心は沈んでいた。
「風」の襲撃から逃れた難民達の姿も見える。
ヴェールにもちらほらと影響が出つつあるようだ。
「風はこの街までは吹かない、とでも思っているのでしょう。」
ガルムがそれに応える。
ヴェールはその城壁の堅牢さから、まだ「風」の略奪を受けていない。
しかし、強固な防衛体制が敷かれていたハリクが略奪された以上、ヴェールとて安全が保障されているわけではない。
「風」の操るドラゴンシップは、水深の浅い川ですら行動できる。
ヴェールの近くには氷嵐の海に注ぐ川が多く流れている。
ヴェールは十分「風」の吹き得る範囲にあるといえよう。
「風を止めねば、数多くの人間が死ぬ。民に税を課す以上、守ってやるのが我々の務めだ。」
「ですな。我々も中々難儀な時代に生まれたものですな。」
帝国は今危機に瀕していた。
北からは「ヴェリアの風」、東からは遊牧民のウガル人、南より異教の民。
四面楚歌とも言える状況の中、なんとか国体を保っているのが帝国の現状である。
唯一外敵が居ないとすれば広大な海の広がる西方のみだ。
「少なくとも風は確実に止める。さもなければ我々も殺されかねん。」
「ヴェリアの風邪、早く治してしまいますか。」
ヴェリア軍がヴェールの城に到着した。
北方から帰還したヴェリア軍であったが、これからも「風」との戦いは続く。
ファーガンが伯爵となってから初の大仕事である。
ファーガンの決意は固く、徹底してヴェリアの民を守るつもりだ。
「軍議を開く。皆を呼べ。」
城内にある広い一室で軍議は開かれる。
ヴェリア伯爵領内のほとんどの貴族が、行軍中に出された伝令により集まっていた。
「兄上、お待ちしておりました。連中と決戦を行うというのは真ですか?腕が鳴ります !俺が奴らを追い払ってみせましょう!」
弟のラーガンである。
勇猛な性格の持ち主であるが、戦いを経験したことが無いため焦っているようだ。
「まあそう逸るな。軍議の準備は整っているか?」
「既に皆集まっております。」
ファーガンが部屋を見渡すと、そこには家中の有力者達が集まっていた。
皆重要な軍議であることを理解している様子で、重苦しい顔つきをしている。
「皆ご苦労であった。此度の行軍で、野蛮な風を阻止し民達を守ることを決意した。連中を止める為、ヴェリア家一丸となり奴らと雌雄を決するつもりだ。」
騒めきが起こった。
それぞれ意見があり、前提として自らの利益もある。
実際に大きな被害を受けている場所の人間もいれば、「風」を実際に見たことの無い内陸部の人間もいる。
やはり多少の認識の相違は免れないようだ。
「風の撃退など本当に可能なのか。奴らのドラゴンシップを止めるのは不可能だ。各地域の守りを固める以外に無いだろう。」
「それでは根本的な解決にならぬ! 奴らの根城を攻めて根絶やしにせねば! 」
議論が紛糾する。
「こうなるのは予想してはいたが…。ガルム、奴らは今どの辺りだ?」
「は、もう間も無くヴェール付近かと思いますが。」
「うむ、守備隊の防御を固めてあるか?奴らを壁の内側に決して入れぬように。」
「承知。準備は整っております。」
ガルムが静かに部屋を出る。
ファーガンは、もう間も無く「風」の軍勢がヴェールを襲撃することを知っていた。
捉えた「風」の捕虜が大規模な略奪を示唆したこと。
さらに伯爵の直属としてヴェールに通ずる川に配置した斥候が昼あたりからかなりの数のドラゴンシップを発見していること。
「風」から見て旨味のある場所がもうヴェールだけで、大規模な襲撃からもうかなり時間が経つこと。
これらのことから、「風」の襲撃は予想済みなのである。
「風」が大規模な襲撃を行うとき、彼らは軍船を幾つかに分け川を遡上する。
従って、ヴェール付近を流れる川全てに斥候が配置され、監視を行っていたのだ。
(奴らの数は一万程か。守備隊の数が七千名程、うまく運べば守り切れる数ではある。が、奴らは非常に強い。侮ることはできんな。)
ファーガンの表情が曇る。
守り切れなければとても悲惨な事態が訪れる。
五百年の都ヴェールが灰燼に帰すかも知れないからだ。
(賭けだな。領主のほとんどがヴェールに集結している今、奴らの襲撃で領主の意見を恐らく統一できるだろう。しかし、守り切れなければ?ヴェリア伯爵家は滅亡だ。)
「風」の襲撃を予想していることが悟られぬように、なるべく家臣を召集するのを遅めるなど、皆を誘導する手立てに抜かりは無い。
(こうなればやるまでだ。俺の道、何者にも邪魔はさせん。)
ファーガンが立ち上がる。
非常に精悍な表情である。
天晴れ、とでも言うべきか。
「皆、聞いてくれ。」
皆がファーガンに注目する。
若い為政者を品定めするような目が向けられる。
「俺は奴らと徹底的に戦うつもりだ。奴らの略奪を許すことはできん。我々の同胞が切り裂かれるのを黙って見ていられようか。」
大きく頷く家臣と、含みのありそうな顔付きで思案する家臣。
やはり一筋縄では行かないようで、一体となってこの問題に対処するという気風は感じられない。
「兄上の言う通りだ! もう奴らを許すことはできん! このままでは、ヴェリアの武人の名折れだ! 五百年前の争乱での我々の父祖の働きを忘れたか! 」
ラーガンが言った。
ヴェリアの人間は、質実剛健で知られ、武を尊ぶことで名高い。
五百年前の争乱でのヴェリア出身者達の活躍は後世にも広く語り継がれている。
ヴェリア人はやはりこの手の文句に弱いのだ。
先祖を引き合いに出せば、大抵は血相を変えて誇りを守ろうとする。
帝国の中でも民族意識の高いヴェリア人である。
同調の声を上げる者が少しずつ出てきた。
「同胞の血が、声が、俺に語りかけて来るぞ。お前らにそれが聞こえぬか。ヴェリアの誇りを汚す奴らに、今こそ鉄槌を下す時だ。」
ファーガンの高いカリスマはまさに天性のものだ。
一部の人間はもはや戦士の表情であるが、まだ覚悟を決め切れていない者も多いようだ。
そのような人間も、自らのまるで武人とは言えぬような心を恥じている様子である。
「俺に力を貸してくれ。共にヴェリアに光を取り戻そう。我々同胞の誇りを取り戻そう。」
ファーガンが畳み掛けるように言葉を発する。
「明日だ。明日またここで会おう。明日までに、この偉大な戦いで剣を振るう覚悟が有るのか無いのかを決めておけ。逃げる者を止めはしない。が、ヴェリア武人の誇り、我々には先祖から受け継ぐ名誉があることを忘れるな。」
静まり返る部屋で、ヴェリアの血が踊る音が聴こえる。
ファーガンには確かに聴こえた。
先祖の剣の激しく鳴る音が。
「ヴェリアの旗を立てよ! 」
吹き荒れる嵐のような「ヴェリアの風」など、草を微かに揺らすそよ風に過ぎぬ。
輝かしい名誉が己を待っている。
この程度の「風」で止まる程度の灯火ならば、潔く消えて無くなるまでだ。
ファーガンは戦の前の一種の高揚感を胸に、ラーガンを伴い部屋を後にした。
廊下を澄んだ表情で歩くファーガンとラーガンの二人。
「兄上、私はここで。麾下の部隊と共に城壁の防衛にあたります。」
「初陣だからとて余り功を焦りすぎるなよ、お前はこの俺の弟だ。堂々として居れば功の方からお前に近づいて来る。」
なんと不敵な表現であろうか。
しかし冗談のような空気は一切なく、ファーガンの言葉には重い説得力があると言えた。
「分かっております。」
ラーガンは微笑んでいた。
兄のことを心底信頼している面持ちで、その表情には一寸の曇りもない。
「兄上もご無事で。」
ファーガンが小さく頷くと、ラーガンはそれを見届けた後にファーガンの側を後にした。
「明日、か。」
無論彼の策に抜かりはない。
「風」が街を攻める時の手を研究し、それに対する対応策を守備隊に徹底させている。
それでも確実に勝てる保証は無い。
明日のこの時間には彼の首が体を離れどこかに転がっているかもしれないのだ。
「鎧を脱ぐ間も無く戦か。」
一人愚痴るファーガンであったが、不思議と疲れは感じられなかった。
爽快感にも似たような、それでいて悪魔の嘲笑を受けるかのような気分を感じながら。
ファーガンは階段を登って行く。
城の中でも一番高い塔、その座がやはり主には似合っている。
ふと開いた窓から外を見ると、煌びやかな装飾が施されたかのような星空が広がっている。
不穏な空気が嘘のように思えるほど、その空は澄み渡っていた。
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待ってます^ ^