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2番目の魔法少女[4](終)そして結末へ  作者: 秋乃 透歌
最終章 そして結末へ

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09

 上層フロア、四階。

 エレベーターの扉が開き、私はそこへ到達しました。

 ガラス張りの展望スペースから見える景色は、二階の眺めとも三階の臨場感とも違う、幻想的な眺望です。普段は体験することのない高度から見る夜景――ガラスを通して、誰にも邪魔をされずに見渡せる、B市とA県の暮らしのカケラ。

 一体、どれほどの人が、あの明かりの下で暮らしているのでしょう。

 地平世界とは比べものにならない平和を享受しながら。

「あ――」

 少し離れた床に、場違いに穴が開いていることに気づきました。

 視線をやると、直上の天井にも穴があり、金属の弾丸がわずかに見えました。

 複合魔法。

 向日葵ちゃん、常盤さんと協力して、轟音を響かせながら〈阻害魔法〉(プリベント)を破壊した一撃。その証拠が、ここに生々しく存在していました。

 改めて床面を見ると、確かに二階と同じ材質の石に、魔方陣がきざんであります。これが、〈阻害魔法〉(プリベント)――だったもの。

 今は破壊され、この場所には魔力の気配も、魔法の結果も、なくなってしまっています。

「――」

 周囲を警戒しながら、私は、五階へと向かう内階段に向かいます。

 物陰や天井から、機械の敵が襲ってくる様子はありません。

 ここまで来ればクロミ自身が相手になる、ということでしょう。

 この内階段は、中層フロアと違って来場者が利用しないため、その入口に飾り気のない扉が取り付けられています。

 私は、その扉を静かに開けました。

 一瞬の警戒の後、その中に歩み入りました。

 見当をつけておいた壁面にスイッチを見つけて操作すると、古びた蛍光灯が狭い階段を照らし出してくれました。

 それを一段ずつ上ります。

 かつん、かつん、と響く靴音。

 他に物音のない空間に、反響する私の歩み。

 やがて。

 目の前に現れた、先程と同じ扉を――。

 開け放ちました。

 抱えたペットボトルの中で、水がとぷんと音を立てました。

 私に残された水は、これだけ。

 その音を、玖郎が背中を押してくれたとイメージしてみます。

 ――瑠璃、行くぞ――。

「――」

 私は、五階に一歩踏み出しました。

 冷たい風が吹き付けて来ます。

 高所かつ屋外にも関わらず、周囲に設置された転落防止の手すりは細くて頼りない気がします。

 手すりの他にあるものと言えば、電波塔としての資機材が設置されているコンクリートの小屋と、ここからさらに空へと伸びる鉄塔とアンテナ。

 そして。

 台座に置かれた、白く輝くターゲットジュエルと――。

 その前に立ち塞がる〈闇の魔法少女〉クロミ。

 彼女は、いつもと変わらぬ、黒革とシルバーアクセサリーで構成された衣装に、顔の上半分を覆う鈍色の仮面を身につけていました。

 私と変わらぬ年格好にも関わらず、こちらに向けて吹き付けるような殺気を隠しもせず――彼女は待ち受けていました。

 黒い髪が、風に吹かれて舞っています。

 私の青い髪が、風に遊ばれて肩を叩くように。

 風が吹き抜ける五階の端と端で、私達は向かいあいました。

「クロミ――」

「意外ね。水のお姫様が一番。しかも、たった一人でなんて」

 クロミは、そうやって口を開きました。

〈阻害魔法〉(プリベント)は破壊しました」

「うん? ああ、〈保護魔法〉(プロテクト)にイタズラする魔方陣のことね。素敵なネーミングね」

 あはは、とクロミは笑い声を上げました。

「もう少し困ってくれると思ったんだけどな。あっという間に壊されちゃった。さっきの停電と轟音が関係してるんだよね。一体、どんな魔法を使ったのやら」

 クロミは、そう言って肩をすくめて見せました。

 彼女は、シーナタワーの中で起こっていることを把握していないのかもしれません。私が一人で来ることも、複合魔法のことも知らないとすれば――いえ、演技である可能性も捨てきれません。

「私達は魔法を取り戻しています。もう良いでしょう? 邪魔をしないで、私にそのターゲットジュエルを取らせて下さい」

 私は、無駄と知りながらも、そう声をかけずにはいられません。

 玖郎であれば、問答無用で先手必勝と言うでしょうが。

 クロミがここにこうして立つ理由が、地平世界の革命であるなら、私とクロミが目指す方向は、違っていても似ているはずなのです。

「王位継承試験はこれで終わりです。あなたも、もう終わりにして下さい。できるならば、私と一緒に――」

「本当に、あなたは優しいよね」

 私の言葉は、クロミの声に遮られてしまいました。

 やはり、彼女には届かない。

「私はあなたに救われたことがある――って話したことあったよね?」

 しかし、開戦に備えて身構える前に、クロミは話しはじめました。

 周囲への警戒を忘れず、時間稼ぎである可能性を頭に置きながら、私は聞くことにします。

〈女王候補〉(プリンセス)達がこの世界に来てすぐの頃よ。あなた、木の枝から下りられなくなった猫を助けようとしていたでしょ?」

 それは、四月のはじめ――この地球世界へやってきて、椎名小学校に転入する、まさにその日のことでした。

 しかし、その語り出しは、私が予想していたものとは違いました。

 水の領土の貧民街では、ない――?

「魔法も使えず、助けも呼べず、ただおろおろと歩き回っていただけだったけどね。ふふっ。そんな様子を見て、私は思ったんだ」

 クロミは、静かに、しかし重たい口調で言いました。

「ああ、〈女王候補〉(プリンセス)は、とっても優しい、とっても良い子なんだ。私が憎む、あの地獄のような世界を作った張本人でも、そこで安穏と暮らす極悪人でもないんだ、って思い知らせてくれた」

 そして、クロミは言いました。

「これから私がやろうとしていることが、どうしようもなく悪であることを、思い知らせてくれた」

 その時を思い出したのか、本当に肩の荷が下りたかのように、クロミから余計な力が抜けたのがわかりました。

「それでようやく、自分が正しいと信じる必要がなくなったわ。私は、私の目的のために悪を為す。あなたたちを殺そうとする私が、正義じゃなくて良かった――」

 信じられない押し付けられた正義ではなく、悪を為すことで悪を駆逐しようとした――それが、彼女の覚悟の形。

 それが、クロミが私に助けてもらったという内容なら――。

 彼女は――『彼女』ではない。

「どうしちゃったんだろうね。これまでずっと問答無用だった私が、余計なことをべらべら喋っているなんて。ここに来たのがあなただったからなのか、これが最後だからなのか」

 そう言って、ふふふ、とクロミはもう一度笑いました。

「クロミ――」

「こうなれば、言葉は無用。後は、やるべきことをやるだけだ」

 クロミは、大袈裟に深呼吸して見せました。

 そして。

「私は、私の大切なものを守るため、悪を為す。――お前を殺して、あの世界をぶち壊す!」

 クロミの叫びが、夜気を震わせました。

 その気迫を受けて――。

 私も、覚悟を決めます。

 あなたが私の目的に立ち塞がるなら。

 クロミの理由が、動機が、覚悟が例えどんなものであるとしても――。

「負けてあげる訳にはいきませんっ! ――〈操作〉(オペレート)

 私はペットボトルを振り、手持ちの水を全て空中へと放ちました。魔法を使い、その水を宙に留めます。水をいくつもの球状に分割し、私の身体の周りを旋回させます。

 これで、タイムラグなく水を補給することができます。

 不要になった空のペットボトルを、投げ捨て――。

「――はあっ!」

 クロミが地を蹴り、こちらへと走り始めました。

 彼我の距離を、一気に詰めてきます。

「――っ!」

 私も、ここで待ち受けるつもりはありません。

 身体を沈め、重心を低くして駆け出します。

 一歩、二歩。

 風を切る音が耳に響き、髪と衣装が後ろへ引かれます。

 三歩。

 投げ捨てたペットボトルが、地面にぶつかり音を立て――。

〈生成〉(クリエイト)っ!」

 クロミの声と同時に、空中に三つの岩が現れました。

 出現した勢いをそのままに、こちらに向けて放たれます。

 私の進路を塞ぐ一つと、回避の軌道を先回りする左右一つずつ。

 私は、ひるむことなく加速します。身体を低くして、最初の岩の下をくぐり抜けます。続けて、残り二つの間を走り抜ける――勢いを殺さずに走るのが、クロミへの最短距離なのです。

「もう一つ、〈生成〉(クリエイト)!」

 私の動きを予想していたのか、地面を掠めるように五本の氷の槍が飛来します。

 岩と氷。本来ありえないはずの、複数の属性を操る魔法。

 そう見せかけて、クロミが叫ぶ〈生成〉(クリエイト)の呪文はまやかしです。その実態は、他の魔法使いの協力により成り立つ〈開門〉(オープンゲート)を使った他属性召喚なのです。

 それは、玖郎が見破ったカラクリです。

 対処法は、格納した他属性を放出させ切ること――残弾切れに追い込むことです。

 私は体勢が崩れることを気にせず、コンクリートを蹴って跳躍します。

 飛来する第二波の氷槍が、空中の私を貫こうと――。

〈操作〉(オペレート)

 魔法に応え、圧縮した水が靴底から私を押し上げます。

 空中に備えておいた水の一部を使った、〈操作〉(オペレート)による飛行です。

 物理的にはありえないはずの空中での軌道変更に対応しきれず、槍は空を突いただけで飛び去って行きます。

「はははっ。凄いね」

 笑い声を上げて、クロミも空中へと飛び上がりました。

 彼女が本来持つ属性である、雷による飛行――身につけた金属を、磁力で操ることで、音もなく、予備動作もなく実現される飛行です。

 可能な限り低く飛ぶ私に対して、高度を取るクロミ。

 私達の軌道は、間もなく交錯します。

「それじゃあ、これは?」

 クロミは、何かを振り払うように右腕を動かしました。

 その動きに連動して出現したのは、釘です。

 何十本という数の釘が列になり、クロミを中心とした球の周囲に配置されたのです。その一本一本が、釘としては見たことのない長さを持ち、鈍く光っています。尖った先端は、幾何学的な模様のように、球の外側方向を向いて――。

 ピリッ、と釘に雷光が走りました。

 ――いけません。

「――っ!」

 脳裏に飛来した瞬間の連想に身を任せて、飛行の軌道を鋭角に変更しました。

 まさにその瞬間、消えたと錯覚する速度で打ち出された釘が、コンクリートに深々と突き刺さっていました。

 クロミは、雷を操作することで、金属である釘に磁力を与えて、瞬間的に加速したのです。

「良く避けた! でも、次はどうかな?」

 二度、三度と、クロミが腕を振ります。

 その動きに合わせて、釘の列が二列、三列と空中に描かれます。

 その方向は、たくみに広い空間をカバーしています。

「突き刺され!」

〈操作〉(オペレート)っ!」

 私は、叫ぶと同時に、両手を打ち合わせました。

 私の周囲を旋回していた水の半分を使い、傘状に広げます。両手の打ち合わせは、水のエネルギーを奪い、瞬時に氷結させるために訓練した動作でした。

 透明な水が、一瞬で不透明な氷に変化するのと、射出された釘がそこへと突き刺さるのが同時。

 私は、その氷をそのままクロミへと打ち出します。

「――ちっ!」

 クロミは、下方向から眼前に迫る氷塊に、回避行動を取ります。私から見て、右方向――。

〈操作〉(オペレート)!」

 圧縮した水の弾丸が、再度釘を用意しようとしていたクロミの腕を弾きます。

 その発射位置は、クロミの予想よりもはるかに彼女に近い――。

「氷に隠れて――っ!」

 そうです。攻撃に見せかけた氷の傘は、そのまま私を隠して接近させるための隠れ蓑だったのです。

 クロミは、弾かれた右腕をそのままに、左腕を――。

 その前に、私の右足がその動作を蹴り返します。

「――この」

〈操作〉(オペレート)っ!」

 至近距離。

 クロミの両腕は弾かれ、腹部を守るものはありません。

 用意したのは、水の弾丸を三発。

 狙いは額、喉、心臓。気絶させます――!

〈生成〉(クリエイト)っ!」

 クロミの叫びが一瞬早く、炎の渦が生み出されます。

 慌てて水の弾丸を打つも、壁となった炎に触れる端から蒸発してしまいます。

 一つにまとめて圧縮しておけば、炎の壁を抜けたのに――。

 後悔している時間などありません。

 炎はそのまま、私を焼き尽くす攻撃へと転化します。

「くうっ!」

 後方へと飛び下がりながらも、迫る熱にうめき声がもれます。

 シーナタワー五階の床面を削るように、後ろ向きに着地します。

 なんとか距離をとったと安堵する間もなく、炎の中心を切り裂くように現れるクロミ。

 炎に隠れて、接近された――。

「はああああっ!」

 クロミの手には、凶悪な歪さを持つ金属の剣が握られています。

 その刃を振りかぶりながらも、三列の釘を用意するクロミ。

 全ての釘に雷光が走り、同時にクロミは回避先へと刀を振り下ろす――。

「――っ!」

 私は、息を飲みました。

 回避可能な軌道は存在せず、氷の防御は釘を防げても次の剣を防ぎきれません。用意した切り札のいくつかが頭をよぎります。ここは――。

〈開門〉(オープンゲート)っ!」

 私の声に応えて、魔法の扉の向こうから切り札の一つを喚びます。

 現れたのは金属の(やじり)です。

 その数は五。

 以前、〈開門〉(オープンゲート)を使った他属性格納について、検証実験を行った際、協力してもらった向日葵ちゃんの魔法を、こっそり確保しておいたものなのです。

 時間差で鏃を放ちます。二つは釘の列を乱し、一つはクロミに回避され、一つはクロミが振るう刀身に払われ――。

「ちっ!」

 最後の一つが、クロミに後退を余儀なくさせました。

 入れ代わるように打ち出される、三列の釘。

 その一部は乱したものの、脅威は健在です。

〈開門〉(オープンゲート)!」

 再度唱えるのは、扉を開く呪文です。

 両足を踏み締め、次に取り出すのは常盤さんの風。

 圧縮した空気の弾丸です。

 ありったけの空気弾を連射することで、飛来する釘と私とを結ぶ線上に弾幕を張り、攻撃を無効化してしまいます。

 はじき飛ばされた釘が、ぱらぱらと散らばる音が響きます。

 危なかったです。

 今の攻防で、私が確保しておいた土と風の残弾はゼロになってしまいました。

 加えて、私の周囲を旋回し続けている水の補給も、半分以下です。

 長期戦はこちらに不利です。

 ならば――。

「ここで決着をつけます!」

 強く一歩を踏みだそうとして――。

 がくり、と。

 右足が持ち上がらずに、体勢を崩してしまいました。

「――」

 自分の身体が、意志に反して動かない感覚。

 とっさに視線を送った右足には。

 ――足の甲に、深々と一本の釘が突き刺さっていました。

「は――」

 現実感のない光景に、思考が停止しようとします。

 先程の攻撃を処理しきれなかったのか、それとも、一本だけ別のタイミングで放たれたのか。

 戦いの集中と興奮のせいで――痛みが、遠い。

 床に縫い付けられ、足が動かせないという事実だけが、強固に存在を主張しています。

「これで終わりだ!」

 声に顔を上げると、信じられない程近くにクロミがいました。

 仮面の奥の瞳が、暗い光を宿してこちらを見下ろしています。

 右手は剣を振り上げ終えていて、いつでもこちらに――。

「――」

 攻撃も、防御も、回避も。

 間に合いません。

 玖郎――。



 目の奥に焼き付いたのは、閃光でした。



 一瞬の後――。

 永遠にも思えるその刹那が終われば。

 その閃光に、轟音がともなっていることが認識できました。

 炎。

 そうです。それは、生み出され続ける業火でした。

 容赦なく、間隙なく、慈悲もなく猛る、あらゆるものを等しく灰へと返してなお止まらない炎。

 ――茜の、炎。

「私の親友をよくも――」

 全身から怒りの陽炎を立ち上らせて。

 茜が立っていました。

 私をかばうように。

 クロミへと向かっていました。

「茜」

 私の呼びかけに振り返らないまま、彼女は前を見ています。

「瑠璃。あとは私がやる」

 そう言った時には、茜はクロミへと飛び出していました。

「クロミいいぃぃぃ――!」

 茜の叫び。

 飛行のために生み出された炎の余波が、私に吹き付けました。

 熱波の向こうに、衝突する茜とクロミが見えます。

 身体を飲み込むほどの炎。

 追撃を阻む岩と氷。

 幾重にも打ち出される金属の凶器。

 その全てを蒸発させる火炎の壁。

 振り下ろされる剣が描く曲線と、握られた拳が描く直線。

 何度も繰り返される攻撃と防御。回避と追撃。魔法と魔法。

 息つく間もなく続く、命の奪い合い。

「無事か?」

 かけられた珊瑚くんの声は、私を気遣かったものでした。

「私は大丈夫です。茜のところに行って下さい」

 そう返す私の声色は、自分でも分かる程に冷たいものでした。

 茜が、私の命を助けてくれたことが。

 珊瑚くんが、声をかけてくれたことが。

 その余裕と優しさが。

 ――たまらなく、悔しい。

 なぜなら、二人がここにいると言うことは――。

「そうか……。無理するなよ。――〈靴〉(スピード)

 クロミの雷撃に、一瞬の隙を作った茜――その間に、魔法の移動で割り込み、珊瑚くんは〈盾〉(シールド)で追撃を無力化しました。

 次の瞬間切り返す珊瑚くんの〈剣〉(ソード)は、茜と連携したものでした。

 激しさを増す攻防。

 クロミは惜し気もなくあらゆる魔法を放ち。

 茜は、〈騎士〉(ナイト)とともにそれを迎え撃つ。

「私は――」

 こんなところで立ち止まっている訳には――。

 覚悟を決め、声にならない気迫を放ち、私は右足を持ち上げます。

 返って来たのは、取り返した自由ではなく、激痛と出血、それでも身動きできないという事実。

「ううっ――」

 釘には、金槌で叩かれるための頭が着いてます。

 その広がった部分が邪魔をして、足を抜くことができません。

 痛みに急速に萎えて行く気力を、気迫だけで留めます。

 思考を止めるな――。

「っ――!」

 邪魔だと思った釘の頭に指をかけ、引き抜きます。

 しかし、その動作のために踏み締めたい右足が痛みで利かないのです。釘の頭も、指をかけるには小さすぎます。加えて、釘は床のコンクリートまで届いており、とても手の力だけでは――。

 足が貫通されているという事実をどうしようもなく理解し、嫌な悪寒が背中に走りました。震える自分の身体を抱いて座り込んでしまいたい衝動が、思考を塗り潰すように広がります。

 思考を、止めるな――。

「――〈操作〉(オペレート)

 残った水を集めて、目の前に浮かべます。

 届く範囲の床面に手を伸ばし、砂利をかき集めて水に入れました。それから限界近くまで圧縮し、円盤状に押し潰します。

 それから、回転を与えます。

 可能な限り、速く。

 ――ウォーターカッター。

 玖郎が教えてくれた、水の応用魔法。

 これなら、金属だって、容易く切断できる――。

「きゃ――ぐうっ」

 引き抜くのに邪魔な頭を切り取ろうと、ウォーターカッターを動かし、それが釘に触れた途端――これまでとは比べものにならない激痛が走り、悲鳴を噛み殺しました。

 カッターの切断力と同じだけ、回転とは逆方向の力が、釘にかかってしまうのです。床に突き刺さった釘が、その力をテコの原理で増幅し、私の足に伝えているのです。

 視界が、反射で浮かんだ涙に歪みます。

 できることなら、足も、釘も、もう見たくないのに――。

「それでも――」

 深呼吸します。

 大きく、三回。

 そして息を止めました。

「――――っっ!」

 一息に動かした魔法は、釘の頭を切り飛ばしてくれました。

 激痛が続くうちに、手の力で持ち上げるようにして、右足を上げました。

 広がる出血は、液体であるのを良いことに、〈操作〉(オペレート)で止めてしまいました。

 床に突き刺さったままの釘は――見たくもありません。

「はあっ、はあっ――」

 荒く息をつき、顔を上げます。

 戦いの状況は――。

 まさにそのタイミングで。

〈生成〉(クリエイト)っ――!」

 茜が放った灼熱の火球が、クロミの顔面に着弾しました。

 全てを焼き尽くす茜の炎を、珊瑚くんの〈操作〉(オペレート)を使って収束させた一撃です。

 その爆発的な攻撃力は、間違いなくクロミの頭部を吹き飛ばして――。

「私の勝ちだっ!」

 茜が、声を上げました。

 誰もが決着を予測した瞬間――。

 無傷のクロミが、必殺の一撃を構えて、死角から茜へと迫ったのです。

「だめだ、茜っ!」

 その事実に目を疑いながらも、唯一行動できたのが、珊瑚くんでした。

「――珊瑚っ!」

 茜の悲鳴が響きます。

 回避不可能な一撃から、珊瑚くんが身を呈して茜を守ったのです。

 珊瑚くんは、頭から吹き飛ぶように宙を舞い、床へと叩き付けられました。

 クロミの攻撃は、圧縮した空気の放出でした。轟音とともに解き放たれる、大気を揺るがす一撃。

 あれだけの衝撃が、頭部に直撃したとすれば――。

 茜の視線が珊瑚くんを追ったのは一瞬。

 しかし、その視線をクロミへと戻した時には。

「終わりだ――。〈生成〉(クリエイト)

 茜の目の前には、右手をかざしたクロミが立っていました。

 必殺の間合い。

 次の瞬間、放たれたのは、大瀑布を思わせる大量の水。

 クロミによって生み出された流れは、あらゆるものを飲み込み、自然の法則に従って、下へ下へと、全てを押し流してしまいます。

 眼前に現れた激流に、抵抗する術なく茜は飲み込まれてしまいます。

 一瞬の水没――そこから、炎の反動を使って茜が飛び出しました。

 しかし、危機を逃れたはずの茜の表情は、絶望に染まっていて――。

「珊瑚っ! 嫌っ!」

 そうです。

 この攻撃は、茜ではなく、珊瑚くんを狙っていたのです。

 意識を失っている珊瑚くんは、この流れに逆らう術もなく、この高さから落ちてしまう。

 助けだそうにも、濁流に飲み込まれた珊瑚くんの位置など――。

「王族の首、とった――!」

 クロミが叫びを上げました。勝利を確信して――。



 ――それは、早すぎます。

〈操作〉(オペレート)

 私の声とともに、クロミが放出した大量の水は、はじめから存在しなかったかのように、唐突に消失しました。

 珊瑚くんは、五階の端で、手すりに腕をからめるようにして止まっています。

「なんとか間に合いましたね」

 私の声に、クロミと茜がそろってこちらを向きました。

「瑠璃っ」

「――ちっ」

 二人の視線を受けて、私は足を踏み締めました。

 右足の痛みすら、この二人に打ち勝つための力にするのです。

 状況の急変が連続したせいか、茜もクロミもすぐには動かないようですね。あるいは、さすがの二人も、息を整えるだけの時間が必要なのかもしれません。

「クロミ、水を出したのは失敗でしたね。〈開門〉(オープンゲート)から投げつけるだけの攻撃を、後からでも〈操作〉(オペレート)が可能な私の前で使うなんて」

 私は、すぐに戦闘再開の気配でないことを確かめてから、クロミに向けてそう言いました。

「珊瑚くんを狙った――そう見せかけたかったのですね?」

「え?」

 私の言葉に、疑問の声を上げたのは茜でした。

「先程の一瞬は、端から見ていた私には明確でしたが、茜の命を狙うべき一瞬でした。茜の心理的死角をつき、自分の間合いに捕らえた、そんなチャンスに、どうして動けない珊瑚くんを狙ったのですか?」

 私の言葉に、クロミからの答えはありません。

「炎よりは水、だったのでしょう?」

 その言葉に、仮面の下に見ているクロミの口の端が、わずかに動きました。

「あなたは、〈開門〉(オープンゲート)を唱えた後で、残った他の属性が火と水だけだと気づいた。相手の属性を使用しないという条件で、私と茜を相手に連戦したなら、当然そうなります。あなたは、必殺の瞬間に、茜に対して炎を使うことをためらった。だから水を選んでしまった。結果として珊瑚くんを押し流すことになりましたが、同時に私が助けに入ることができました」

「それを――」

 ようやくクロミから反応がありました。

「それを、得意気に披露して、それでどうするの?」

 相変わらずの芝居がかかった仕種で、両手を広げてさえ見せました。

「私の〈開門〉(オープンゲート)の中が、わずかな炎だけだとして、それがどうしたって言うの?」

「――もう終わりにしてください」

 私は、もう一度、そう言いました。

 いいえ。

 彼女が足を止めれば、私が話すタイミングがあれば、何度でも言うでしょう。

「は? またそれ? あんた、本当に優しいよね。本当に――」

 彼女は、低く響く声で続けました。

「その優しさは、残酷だよ。分かってる?」

 そして、叫ぶ。

「私は、何があろうと、例え死ぬことになっても、絶対に足を止める訳にはいかないんだよ! あんたの優しさがどれだけ嬉しくても! 引き裂かれるほどに甘えてしまいたいと思っても! 絶対にだっ!」

 感情に誘発された雷撃が、クロミの周りに放たれました。

 否の応えが返ってくることは、予想していました。

 彼女には止まれない理由がある。

 自分の命より大切な目的がある。

 私に、それがあるように。

 彼女にも。

 だから――。

 私は宣言しました。

「あなたが止まれないというなら、私があなたを止めて見せます」



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