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08

 僕は、茜と珊瑚に向かって、一歩進んだ。

「最後に握手を」

 そう言って、茜に右手を差し出す。

「僕にとって、あなた達は最大のライバルでもあり――大切な、別の世界の友人だから」

 この〈試練〉(トライアル)の終了と同時に、別の世界へと別れて行ってしまう友人達に向けて、僕はそう言った。

「小泉くん。――うん。友達、だね」

 茜が、僕の手を握った。

 右手が塞がってしまったので、珊瑚には失礼ながら左手を出す。

「最後まで、世話になったな」

 珊瑚も、しっかりと手を握り返してくれた。

 ふふ。

 先程の茜の宣言――女王になる覚悟は見事だった。

 直後に響いた轟音を聞いて――その正体は、〈阻害魔法〉(プリベント)を破壊するための複合魔法だろうが――祝砲を連想してしまうほどだ。

 照明が戻り光にあふれる様子も合わせて、終幕を飾るフィナーレのような、幻想的なものだった。

 それでも。

 ああ、それでもだ。

 あれは祝砲などではない。

 あれを鳴らしたのが、瑠璃だとすれば――。

 その真意はこうだ。

 ――勝手なことを言わないで下さい。女王になるのは、この私です。

「ふっふっふ……」

 ああ。

 その通りだとも、瑠璃。

 僕だって、最初から、そのつもりだ。

 ここまで狙い通りに進むと、さすがの僕でも、悪い笑いを止めることなどできないぞ。

「なんだ?」

「え、小泉く――」

 ふっ、と短く息を吐き、珊瑚の右手をつかんだままの左手を振り上げる。反射的に腕を下げようとする珊瑚の動きを利用し、そのまま身体の位置を入れ替えるように重心移動、深く身体を沈ませ、回転の勢いを乗せ――。

 珊瑚の身体を手すりに押し付け、腕を捻り上げる。

「ぐっ――」

 背後から肺を圧迫されて、珊瑚がうめき声を漏らす。

 珊瑚の両足は膝をついて手すり面に押し付けられたため、立ち上がるための重心移動ができない。

 階段を上り続け、その後適度に時間を置いて筋肉が疲労した足では、力任せに身体を捻ることもできない。

 変則的だが、練習を重ねた合気道の技は、問題なく極まった。

「珊瑚! どうして――きゃっ」

 腕を振りほどこうとする茜を、逆に腕を引いて近くに寄せる。

 同い年の女子の力なら、技すら必要ない。

 茜も、珊瑚同様に、慣れない階段上りに足の力が萎えている。抵抗する動きを予測し、力を逃がし、あるいはバランスを操作すれば、取り逃がす心配はない。

「ふふふ――ふはははははっ!」

 僕は、衝動のままに笑った。

「二人には、このまま僕に付き合ってもらうぞ。クライマックスに間に合わないのが、一人だけでは寂しいからな」

 じたばたと抵抗する茜の力を逃がしながら、僕は言った。

「理解できているかと思うが、最初から、全部、計画通りだ」

〈生成〉(クリエイト)っ――!」

 茜の炎が、外階段を溶かしてしまうような勢いで放たれる。

 だが、僕の身体に――〈保護魔法〉(プロテクト)に触れる先から消失して行く。

「っ――?」

 光そのものと錯覚する業火を抜けると、息を飲む茜と目が合った。

「無駄だ。〈保護魔法〉(プロテクト)が元通りになったことは、一緒に確認しただろう。その勢いで〈生成〉(クリエイト)を続けると、珊瑚先輩だけが消し炭になるぞ?」

 僕の言葉に、茜がひるんだ。

 勢いに任せた〈生成〉(クリエイト)が止まる。

「先程までに話した内容に嘘はないが、話した目的は時間稼ぎだ。〈阻害魔法〉(プリベント)が破壊され、その瞬間の安堵に付け込めば、茜達を封殺できる。そう、サソリの襲撃を利用して別行動を取ったところから――いや、一時休戦を提案したところから、全て思考通りだ」

「放してっ!」

 言われて従うつもりはない。

 ここで、火の〈魔法少女〉(プリンセス)〈騎士〉(ナイト)には、僕と一緒に最後の〈試練〉(トライアル)を降りてもらう。

 話の内容が嘘ではないというのは真実だ。歪められている王位継承試験の終了と同時に、優勝が決まるのは茜達だと、僕の思考は主張している。

 それでも。

 そんなことが、勝利への努力を止めてしまう理由にはならない。

 そんなことで諦められるほど、瑠璃の願いは弱くない。

 僕の決意もだ。

「茜を放せ――〈剣〉(ソード)っ!」

 魔法の言葉とともに、珊瑚の左手に炎の剣が生じる。

 振り上げるその動きは――ふん、押さえ付けている手すりを切断するつもりか。

 僕は、身体を動かし、先に剣に触れることで、その存在自体を消滅させてしまう。

「無駄だと言ったはずだ」

 言葉とともに、珊瑚にかけている力を強める。

「ぐぐっ――」

 無駄に痛め付けるつもりはないが、抵抗するなら容赦しない。

「このっ。珊瑚を放せ――!」

 茜は自由な右手で平手打ちの動きを見せるが、僕が反対の手をその方向に動かすだけで不発に終わる。

 せめてもの抵抗と足を蹴り出してくるが、それも位置を調整すれば衝撃を殺せる。

「――」

 魔法は〈保護魔法〉(プロテクト)で消滅させられる。力で対抗されても、油断しなければ無効化できる。二人でタイミングを合わせた上で抵抗されると厄介だが、最初に珊瑚の身動きを最大限に封じている。同様に、〈靴〉(スピード)で僕ごと移動することも、今の珊瑚の体勢では不可能だ。茜の〈生成〉(クリエイト)は、発動と同時に消失させられる距離にいる。その上、踊り場という狭い場所では、十分に離れることができない。

 封殺完了だ。

 このまま、ここで時間を浪費してもらう。

 最後の〈試練〉(トライアル)が終わる、その瞬間まで。

「はぁ、はぁ……」

 やがて、肩で荒く息を着きながら、茜の動きが鈍くなった。

 自由な左手を膝につき、辛そうに下を向いてしまう。

「茜、無理するな!」

 珊瑚も、その気配を察したのか、声を上げる。

「私は、こんなところで、止まっている訳には、いかないのに……」

 荒い呼吸の向こうで、そんな呟きが聞こえる。

 無駄だ。

 この身がこうして動く限り、二人を足止めする。

 クロミを相手とする、最後の戦いには間に合わないが――。

 瑠璃とも、あの短いやりとりの中で、この計画を共有している。

 『僕のペットボトルをここに置いておく。隙を見て補給してくれ』――それは、上層フロアで合流するつもりがあるなら、必要のない行動だ。補給の水を全て渡すということは、合流するつもりがないということだ。

 瑠璃はそれを聞き、茜達にも電話が聞こえていることを承知した上で、僕の行動の意味を聞き返さなかった。

 その代わりとして、こう言ったのだ。『みんなで上層フロアで合流しましょう』――みんなで、という言葉を強調して。

 彼女は、理解していたのだ。瑠璃がサソリと〈阻害魔法〉(プリベント)の担当なら、僕が茜と珊瑚の担当だと。

 だから。

 僕も、瑠璃も、覚悟を決めた。

 あの時、あの場所が、僕たちが別れるポイントだと。

 これで――お別れだ。

 二つの世界で、別れて進む。

 だからこそ、瑠璃は言った。

 ――『それでは、玖郎』と、別れの言葉を。

 わかっている。

 本当は、真意など伝わっていないのかもしれない。単なる偶然で、その言葉選びになったのかもしれない。自分以外の心など――そこにある真実は、僕には掴むことはできないのだ。

 それでも、信じることはできる。瑠璃に伝わったと。瑠璃は理解してくれたと。

 瑠璃だって、僕の真意は分からないはずなのだ。それでも、瑠璃も僕を信じてくれている。それだけは間違いないと、そう信じる。

 それだけの、覚悟と信頼を持って、この瞬間に臨んでいるのだ。

 だからこそ――。

 ここから先には行かせない。

「――ごめんね珊瑚。はじめてはあなただからいいよね」

 唐突に。

 耳に届いた茜の呟きを、理解するまでに一瞬の時差があった。

 そのわずかな時間に、茜がゆっくりと体を起こした。

 僕の手を振りほどく動きではない。

 静かに、弱々しく、ためらいがちな動作で。

 僕が対処する必要のない動きの組み合わせで、茜は僕に歩み寄った。

 茜の左手が、僕の右耳へと伸びる。

 耳にせよ目にせよ、人体の急所だ。かばうための動作を選択して、空振りに終わる。

 茜の左手は、攻撃の意思を感じさせないままに、僕の後頭部に触れた。拳ではなく、開かれた手の平で。

 その動きに集中していた一瞬で、茜は全身を預けるように僕に密着していた。

 体温と柔らかさが伝わって来る。

 離脱と抵抗を防ぐはずの僕の右手は、二人の腹部に挟まれてもはや機能しない。

 何が起こっている――?

 無数の可能性が僕の脳裏に飛来し、対応策を提示する。しかし、どの可能性も、茜の次の動きによって否定され、エラーを起こし、却下されてしまう。

 茜は、何を――?

 僕の視界一杯に、茜の顔が近づいている。

 潤んだ瞳を薄く閉じ、唇がかすかに開いている。

 瑠璃のものとは違う、茜の香りを認識する。

 彼女の狙いを分析した結果が、ある一点に向かって収束する。だが、その意味が分からない。

 茜がしようとしているのは――。

 茜の唇が、僕の唇にふれた。

 呼吸が、止まる。

 ――。

 ――――。

 加速した思考が、その真意を理解す――。

〈契約〉(コントラクト)――」

 脳裏に直接、茜の声が響いた。

 閃光が、思考と視野を焼いた。

 ――熱い。

 熱い、熱い。 

 熱い、熱い、熱い。

 僕は、いつの間にか膝をついている。

 熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱いという感覚が、僕の思考を埋め尽くしはじめている。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 ダメだ、この両手だけは。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 茜の狙いは、〈契約〉(コントラクト)だった。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 〈保護魔法〉(プロテクト)を超えて――。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 唯一、地球世界の人間に作用する魔法。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

「困りますな、茜姫。既に珊瑚――と――」

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

「――していますのに」「うん。ごめ――――それでも――」

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 灼熱の視界の中、熱い、茜が唇をぐいっと拭った。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、茜の魔力を、熱い、体内に流し込まれたのだ、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 対策、熱い、を、考え、熱い、熱い、ないと。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 ――、熱い、何か、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 ――――。

 ――。



【瑠璃】


 轟音に遅れること、一分弱。

 複合魔法が奏でた発砲音は、私の予想より遥かに大きく、しばらく耳鳴りがするほどでした。それも、ようやく聞こえなくなった頃。

 微かな点灯音を鳴らしながら、三階屋上展望スペースの照明が光を取り戻しはじめました。

 シーナタワーに、電力が戻ったのです。

 私達は身をひそめていた鉄骨の陰から、出て行きました。

「すごかったねぇ……」

 まだ耳を押さえながら、向日葵ちゃんがそう言いました。

 上層フロアまでは、かなり距離があります。上を見上げても、夜であることもあって、穴が開いているかどうかは分かりません。

「確かめる? 〈生成〉(クリエイト)

 常盤さんの指先で、くるくるとつむじ風が巻き起こりました。

 ああ、確かに狙い通りに実現できたのです。

〈阻害魔法〉(プリベント)の破壊、成功だな」

「はい。二人の協力のおかげです」

「やったねっ!」

 常盤さんの声にそう応え、三人で顔を見合わせて笑いました。

 こちらの問題は、解決です。

 ――玖郎は、どうしているでしょうか。

 あの電話での短いやりとりの中で読み取った情報が正しければ、玖郎は茜と珊瑚くんを相手にするつもりです。

 火の〈魔法少女〉(プリンセス)〈騎士〉(ナイト)は強敵ですが、もしも足止めに限定すれば――そして、玖郎の知略があれば、きっと実現してしまうでしょう。

 とは言え、その知略には、例によって〈保護魔法〉(プロテクト)の存在が不可欠であるはずです。〈保護魔法〉(プロテクト)が無事かどうか、ここで確認できる手段があれば良いのですが……。

 いえ、違います。

 〈保護魔法〉(プロテクト)が戻ったか確認するのは、玖郎の役目です。

 私がやるべきは、クロミを打倒すること。

 そして――。

 たった今まで共闘していた、向日葵ちゃんと常盤さんに先んじて、ターゲットジュエルを手に入れること。

 そうです。

 一時休戦の条件は、クロミを打倒するか、〈阻害魔法〉(プリベント)を破壊するまで、だったはずです。

 だとするなら、ここで――。

〈阻害魔法〉(プリベント)が消えたってことは、翔ちゃん達にも有利に働くよね」

 向日葵ちゃんが、声を明るくして言いました。

「ああ。鉄の棒を振り回してる翔はともかく、綾乃は拳銃の弾丸の数を気にしているはずだ。〈剣〉(ソード)〈盾〉(シールド)も使えるとなれば、格段に戦力アップだよ」

 しかし、常盤さんは、明るくした表情をすぐに暗くしてしまいます。

「ああ、でも、戦いながら気が付くかな。さっきの停電と、轟音と、電気の復旧で、状況の変化が分かると良いんだけど」

 常盤さんの言葉に、向日葵ちゃんが即座に首を横に振りました。

「ダメだよ。翔ちゃん達は、〈阻害魔法〉(プリベント)の正体も、〈保護魔法〉(プロテクト)が電気で動いてることも知らないんだよ?」

「そうか。あ、綾乃に連絡して――いや、これも無理か。今も滝沢さんと通信中だ」

「翔ちゃんも、さすがに電話に出る余裕はないよね……」

 常盤さんと向日葵ちゃんの会話を聞きながら――。

 私は連想しました。

 無数の思考が、ほぼ同時と思えるほど高速で浮かぶイメージ。鎖のように思考が次々に繋がって行きます。無数の連鎖。数えきれない枝分かれ。円は鎖に、鎖は網になり、可能性の海から結論を引き上げます。その瞬間には、解決に至る思考にたどり着いているのです。

 それは、ある悪魔的な考えでした。

 向日葵ちゃんと常盤さんが知らない、あの事実を話せば――二人は、地上フロアに戻るのではないか、と。

 玖郎と私は、地上フロアから中層フロアへと上るエレベーターの中で、翔さんと綾乃さんが相手にしている機械の獣に、大量の援軍がいることに気づき――状況に照らして、あえて言葉にしませんでした。

 それを利用すれば――。

 二人は、クロミとの最終決戦に向かわず、地上に向かう。ターゲットジュエル争奪戦から、脱落する――。

 私は、自分の考えに愕然としました。

 私は何を考えているのだろう。

 ここは任せろと残った翔さんと綾乃さんの決意を踏みにじり、常盤さんと向日葵ちゃんが〈騎士〉(ナイト)を心配する気持ちに付け込もうと考えるなんて。

 それは、私が目指す理想とは、あまりに掛け離れています。

 気を引き締めないと。

 思考を止めるな。

 目的を見失うな、です。

「うん。やっぱり、向日葵は――」

 向日葵ちゃんが、何かの決意を持って口を開きました。

 まさにそのタイミングで。

 ガシャーン、とガラスが砕け散る音が響きました。

「――っ!」

 私達は反射的に身をすくませ、音のした方を見ました。

 続いて、ガシャリ、と屋外展望フロアの周囲に張られた金網が、音を立てました。

 次の瞬間、耳を覆いたくなるような破砕音を立てて、巨大なハサミが金網を切り裂いてしまいました。

 続けて、別のハサミも現れ、金網の他の場所を食いちぎります。

 内側からの落下を防ぐための壁が、今破られ、外側からの怪物を招き入れようと、口を開いていきます。

「そりゃあ、下から来るならあいつだよな」

 常盤さんの言う通り――あれは、機械のサソリです。

 二階に置き去りにしたのですが、先程の轟音で、私達がまだここにいることに気づいたのでしょう。

 そのサイズが邪魔して通ることのできない内階段を諦め、二階のガラスと三階の金網を破壊して、ここに上がって来ようとしているのです。

 状況が変わりました。

 優先順位も変更です。

「向日葵ちゃん、常盤さん。状況は第四段階です。あのサソリを倒してしまいましょう。魔法が戻っていますから、遠慮は無用です。巨体が金網をくぐるタイミングに合わせて――」

 私が、思考を巡らせながら、指示を出しはじめたその時。

「瑠璃ちゃん、常盤ちゃん。こっち!」

 向日葵ちゃんはそう言って私達の手をとると、説明もなく、ぐいぐいと引っ張り始めました。

「え? ちょっと――」

 有無を言わせぬ迫力に、常盤さんも私も、引かれるままに走り出してしまいます。

 ところが、向日葵ちゃんの目的地はそれほど遠い場所ではなかったらしく、すぐに足を止めました。

 上層フロアへと上がる、エレベーターの前で。

 そして、顔を上げてにっこり微笑んでから――。

「ここは向日葵に任せて、先に行って! 今度は向日葵の番だよ」

 いつもの調子で。

 元気一杯の声で。

 向日葵ちゃんは、そう言ったのです。

「あー、さっき言いかけていたのは、やっぱりそれか」

 常盤さんには、その言葉が予想できていたようでした。

「向日葵は、あのサソリを倒してから、翔ちゃんを助けに行きます。もう決めました。魔法が戻れば、あんなオモチャ怖くないんだから」

 でも、と口を開く私を、向日葵ちゃんは両手を広げて遮りました。

「ジャッ爺にね、最後の〈試練〉(トライアル)が茜ちゃんと誰か一人、って聞いたとき、私じゃないな、って思っちゃったんだ」

 向日葵ちゃんは続けました。

「悔しくて、悲しくて、泣いちゃったけど、すぐに分かったの。地平世界に学校を作りたいって夢なら、私自身が女王様じゃなくても、きっと実現できるって」

 そう言いながら、彼女の瞳は見る見るうるんで行きました。

「向日葵は――私は、誰が女王様になっても、ちゃんとお手伝いするから。自分の理想も諦めないから。だから――お願い、翔ちゃんを、助けに行かせて」

 向日葵ちゃんのその気持ちは、涙になって次々にあふれて来ました。

 ずっと我慢をしていたのです。

 大好きな、大切な、〈騎士〉(ナイト)を危険な目に合わせていることが。

 そして――。

「よし。じゃあ、今度は私の番だな」

 常盤さんが、唐突にそう言うと、大きく一歩移動しました。

 私の隣で、向日葵ちゃんに向かい立つ位置から――向日葵ちゃんの隣で、私に向かい立つ位置へ。

「え――?」

「常盤ちゃん?」

 展開について行けない私と向日葵ちゃんが、間の抜けた声をあげてしまいます。

「ここは私に任せて、先に行きなさい。向日葵は下、瑠璃は上ね。やー格好悪いのなんのって、最年少の向日葵に、先に言われちゃうんだもん」

 そうやって冗談めかしてから、常盤さんは言いました。

「私は、あのサソリを倒してから、綾乃のところに向かうわ。地上のピンチに、最後に私が駆けつけるって訳。格好良いでしょ?」

 それから、優しい微笑みを見せます。

「私もね、向日葵と同じで、地平世界の近代化って理想なら、女王でなくてもできるって考えていたのよね。もちろんその他にも背負っているものは一杯あるけど、綾乃達の無事には代えられないもの」

 向日葵ちゃんに向き直って、続けました。

「本当は、私がすぐにでも地上に向かいたい。でも、それは向日葵に任せる。大軍を相手にするなら、私よりも向日葵の〈開門〉(オープンゲート)の方が強いからね。もちろん私も、すぐに追いつくから」

 それから、私に向かって。

「勝手な理由で、リタイアしてごめん。真剣勝負をしている瑠璃や茜には、失礼なことをしてるってことも理解してる」

 それでも行かせて欲しい、と常盤さんは言いました。

「地平世界の有史以来続いてる、火の女王の政権をどうにかしたいって言うのもあったんだけどね。風の一族の悲願ってやつ。まあ、その前に、今日の〈試練〉(トライアル)なんかを考えると、私が瑠璃に勝てるとは思えないからなぁ」

「あ、それは向日葵も思った。瑠璃ちゃん、凄かったよね。魔法が使える小泉ちゃん、って感じだった」

 常盤さんの言葉に、向日葵ちゃんが同意しました。

「もし、あの茜と、王国の長い歴史に打ち勝って、次の女王になれる〈女王候補〉(プリンセス)がいるのだとすれば――それは、瑠璃だと思った。だから、行って」

 二人とも。

 何を――。

「何を、勝手なことを言ってるんですか? 先に行けって、そんなにも簡単に――私なんて」

 私は、そこで隠していた事実を投げ出してしまいます。

「地上に、機械の獣の援軍が来ているんです。私達が地上にいた時とは比較にならないくらいの大軍が。それを二人に話して、地上に助けに行かせようと――自分だけが勝利に近づこうと――二人の気持ちを利用して、それでも勝とうと考えるような、そんな人間なのに」

 信じてもらって、送り出してもらうには、あまりにも――。

「あー、援軍ね。そう、あれがあったから余計に心配なんだよね」

「そうそう。瑠璃ちゃんも小泉ちゃんも、あんなに深刻そうな顔で黙ってるから、余計に不安がつのっちゃったんだよね」

 あっけらかんと、二人はそう言いました。

「まさか。二人とも、気づいて――」

 ずしん、と重たい衝撃が響きました。

 サソリが、このフロアへと到達したのです。

「さ、時間時間」

 向日葵ちゃんが、エレベーターのボタンを押し――。

「ささ、行った行った」

 常盤さんが、開いたドアへと私を押し込みます。

「それでも、瑠璃はそんなこと言わなかっただろ。その方法は、瑠璃の願いとはずいぶん違うからね」

「誰でも魔が差すことくらいあるよ。考えただけならノーカウントだよ」

 それでも、私は――。

「瑠璃なら大丈夫。たまには、茜にも世の中の厳しさを教えてやって」

「瑠璃ちゃんならできるよ。でも、クロミには気をつけて」

「待って下さい。やはり、私も一緒に――」

 どん、と。

 常盤さんが、私を突き飛ばしました。

 私は、転倒まではしないものの、エレベーターの奥に倒れかかってしまいます。

「また後で」

「またねー」

 そして、扉が閉まりました。

 閉まってしまいました。

 機械の箱は、静かな音を立てて上昇をはじめます。

 常盤さんと向日葵ちゃんは、上り始めるエレベーターに背を向けました。

 巨大な金属のサソリが、二人へと迫っています。

「向日葵。正直なところ、サソリも地上もかなり厳しいよ」

「なんだ、常盤ちゃんも分かってたんだ――」

 二人のそんなやりとりが、かすかに聞こえて、すぐに遠ざかって行きました。

「――っ」

 ガン、と。

 私は、両手をエレベーターのドア打ち付けました。

 これは。

 これでは、あまりにも、二人が――。

 思考を止めるな。

 目的を見失うな。

 考えて、考えて、考えて。

 私は、女王になる。

 常盤さん。

 向日葵ちゃん。

 ごめんなさい。

 ありがとう。

 私は。

 それでも、私は――。

 前へ――。



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