08
僕は、茜と珊瑚に向かって、一歩進んだ。
「最後に握手を」
そう言って、茜に右手を差し出す。
「僕にとって、あなた達は最大のライバルでもあり――大切な、別の世界の友人だから」
この〈試練〉の終了と同時に、別の世界へと別れて行ってしまう友人達に向けて、僕はそう言った。
「小泉くん。――うん。友達、だね」
茜が、僕の手を握った。
右手が塞がってしまったので、珊瑚には失礼ながら左手を出す。
「最後まで、世話になったな」
珊瑚も、しっかりと手を握り返してくれた。
ふふ。
先程の茜の宣言――女王になる覚悟は見事だった。
直後に響いた轟音を聞いて――その正体は、〈阻害魔法〉を破壊するための複合魔法だろうが――祝砲を連想してしまうほどだ。
照明が戻り光にあふれる様子も合わせて、終幕を飾るフィナーレのような、幻想的なものだった。
それでも。
ああ、それでもだ。
あれは祝砲などではない。
あれを鳴らしたのが、瑠璃だとすれば――。
その真意はこうだ。
――勝手なことを言わないで下さい。女王になるのは、この私です。
「ふっふっふ……」
ああ。
その通りだとも、瑠璃。
僕だって、最初から、そのつもりだ。
ここまで狙い通りに進むと、さすがの僕でも、悪い笑いを止めることなどできないぞ。
「なんだ?」
「え、小泉く――」
ふっ、と短く息を吐き、珊瑚の右手をつかんだままの左手を振り上げる。反射的に腕を下げようとする珊瑚の動きを利用し、そのまま身体の位置を入れ替えるように重心移動、深く身体を沈ませ、回転の勢いを乗せ――。
珊瑚の身体を手すりに押し付け、腕を捻り上げる。
「ぐっ――」
背後から肺を圧迫されて、珊瑚がうめき声を漏らす。
珊瑚の両足は膝をついて手すり面に押し付けられたため、立ち上がるための重心移動ができない。
階段を上り続け、その後適度に時間を置いて筋肉が疲労した足では、力任せに身体を捻ることもできない。
変則的だが、練習を重ねた合気道の技は、問題なく極まった。
「珊瑚! どうして――きゃっ」
腕を振りほどこうとする茜を、逆に腕を引いて近くに寄せる。
同い年の女子の力なら、技すら必要ない。
茜も、珊瑚同様に、慣れない階段上りに足の力が萎えている。抵抗する動きを予測し、力を逃がし、あるいはバランスを操作すれば、取り逃がす心配はない。
「ふふふ――ふはははははっ!」
僕は、衝動のままに笑った。
「二人には、このまま僕に付き合ってもらうぞ。クライマックスに間に合わないのが、一人だけでは寂しいからな」
じたばたと抵抗する茜の力を逃がしながら、僕は言った。
「理解できているかと思うが、最初から、全部、計画通りだ」
「〈生成〉っ――!」
茜の炎が、外階段を溶かしてしまうような勢いで放たれる。
だが、僕の身体に――〈保護魔法〉に触れる先から消失して行く。
「っ――?」
光そのものと錯覚する業火を抜けると、息を飲む茜と目が合った。
「無駄だ。〈保護魔法〉が元通りになったことは、一緒に確認しただろう。その勢いで〈生成〉を続けると、珊瑚先輩だけが消し炭になるぞ?」
僕の言葉に、茜がひるんだ。
勢いに任せた〈生成〉が止まる。
「先程までに話した内容に嘘はないが、話した目的は時間稼ぎだ。〈阻害魔法〉が破壊され、その瞬間の安堵に付け込めば、茜達を封殺できる。そう、サソリの襲撃を利用して別行動を取ったところから――いや、一時休戦を提案したところから、全て思考通りだ」
「放してっ!」
言われて従うつもりはない。
ここで、火の〈魔法少女〉と〈騎士〉には、僕と一緒に最後の〈試練〉を降りてもらう。
話の内容が嘘ではないというのは真実だ。歪められている王位継承試験の終了と同時に、優勝が決まるのは茜達だと、僕の思考は主張している。
それでも。
そんなことが、勝利への努力を止めてしまう理由にはならない。
そんなことで諦められるほど、瑠璃の願いは弱くない。
僕の決意もだ。
「茜を放せ――〈剣〉っ!」
魔法の言葉とともに、珊瑚の左手に炎の剣が生じる。
振り上げるその動きは――ふん、押さえ付けている手すりを切断するつもりか。
僕は、身体を動かし、先に剣に触れることで、その存在自体を消滅させてしまう。
「無駄だと言ったはずだ」
言葉とともに、珊瑚にかけている力を強める。
「ぐぐっ――」
無駄に痛め付けるつもりはないが、抵抗するなら容赦しない。
「このっ。珊瑚を放せ――!」
茜は自由な右手で平手打ちの動きを見せるが、僕が反対の手をその方向に動かすだけで不発に終わる。
せめてもの抵抗と足を蹴り出してくるが、それも位置を調整すれば衝撃を殺せる。
「――」
魔法は〈保護魔法〉で消滅させられる。力で対抗されても、油断しなければ無効化できる。二人でタイミングを合わせた上で抵抗されると厄介だが、最初に珊瑚の身動きを最大限に封じている。同様に、〈靴〉で僕ごと移動することも、今の珊瑚の体勢では不可能だ。茜の〈生成〉は、発動と同時に消失させられる距離にいる。その上、踊り場という狭い場所では、十分に離れることができない。
封殺完了だ。
このまま、ここで時間を浪費してもらう。
最後の〈試練〉が終わる、その瞬間まで。
「はぁ、はぁ……」
やがて、肩で荒く息を着きながら、茜の動きが鈍くなった。
自由な左手を膝につき、辛そうに下を向いてしまう。
「茜、無理するな!」
珊瑚も、その気配を察したのか、声を上げる。
「私は、こんなところで、止まっている訳には、いかないのに……」
荒い呼吸の向こうで、そんな呟きが聞こえる。
無駄だ。
この身がこうして動く限り、二人を足止めする。
クロミを相手とする、最後の戦いには間に合わないが――。
瑠璃とも、あの短いやりとりの中で、この計画を共有している。
『僕のペットボトルをここに置いておく。隙を見て補給してくれ』――それは、上層フロアで合流するつもりがあるなら、必要のない行動だ。補給の水を全て渡すということは、合流するつもりがないということだ。
瑠璃はそれを聞き、茜達にも電話が聞こえていることを承知した上で、僕の行動の意味を聞き返さなかった。
その代わりとして、こう言ったのだ。『みんなで上層フロアで合流しましょう』――みんなで、という言葉を強調して。
彼女は、理解していたのだ。瑠璃がサソリと〈阻害魔法〉の担当なら、僕が茜と珊瑚の担当だと。
だから。
僕も、瑠璃も、覚悟を決めた。
あの時、あの場所が、僕たちが別れるポイントだと。
これで――お別れだ。
二つの世界で、別れて進む。
だからこそ、瑠璃は言った。
――『それでは、玖郎』と、別れの言葉を。
わかっている。
本当は、真意など伝わっていないのかもしれない。単なる偶然で、その言葉選びになったのかもしれない。自分以外の心など――そこにある真実は、僕には掴むことはできないのだ。
それでも、信じることはできる。瑠璃に伝わったと。瑠璃は理解してくれたと。
瑠璃だって、僕の真意は分からないはずなのだ。それでも、瑠璃も僕を信じてくれている。それだけは間違いないと、そう信じる。
それだけの、覚悟と信頼を持って、この瞬間に臨んでいるのだ。
だからこそ――。
ここから先には行かせない。
「――ごめんね珊瑚。はじめてはあなただからいいよね」
唐突に。
耳に届いた茜の呟きを、理解するまでに一瞬の時差があった。
そのわずかな時間に、茜がゆっくりと体を起こした。
僕の手を振りほどく動きではない。
静かに、弱々しく、ためらいがちな動作で。
僕が対処する必要のない動きの組み合わせで、茜は僕に歩み寄った。
茜の左手が、僕の右耳へと伸びる。
耳にせよ目にせよ、人体の急所だ。かばうための動作を選択して、空振りに終わる。
茜の左手は、攻撃の意思を感じさせないままに、僕の後頭部に触れた。拳ではなく、開かれた手の平で。
その動きに集中していた一瞬で、茜は全身を預けるように僕に密着していた。
体温と柔らかさが伝わって来る。
離脱と抵抗を防ぐはずの僕の右手は、二人の腹部に挟まれてもはや機能しない。
何が起こっている――?
無数の可能性が僕の脳裏に飛来し、対応策を提示する。しかし、どの可能性も、茜の次の動きによって否定され、エラーを起こし、却下されてしまう。
茜は、何を――?
僕の視界一杯に、茜の顔が近づいている。
潤んだ瞳を薄く閉じ、唇がかすかに開いている。
瑠璃のものとは違う、茜の香りを認識する。
彼女の狙いを分析した結果が、ある一点に向かって収束する。だが、その意味が分からない。
茜がしようとしているのは――。
茜の唇が、僕の唇にふれた。
呼吸が、止まる。
――。
――――。
加速した思考が、その真意を理解す――。
「〈契約〉――」
脳裏に直接、茜の声が響いた。
閃光が、思考と視野を焼いた。
――熱い。
熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い。
僕は、いつの間にか膝をついている。
熱い、熱い、熱い、熱い。
熱いという感覚が、僕の思考を埋め尽くしはじめている。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
ダメだ、この両手だけは。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
茜の狙いは、〈契約〉だった。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
〈保護魔法〉を超えて――。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
唯一、地球世界の人間に作用する魔法。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
「困りますな、茜姫。既に珊瑚――と――」
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
「――していますのに」「うん。ごめ――――それでも――」
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
灼熱の視界の中、熱い、茜が唇をぐいっと拭った。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、茜の魔力を、熱い、体内に流し込まれたのだ、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
対策、熱い、を、考え、熱い、熱い、ないと。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
――、熱い、何か、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
――――。
――。
【瑠璃】
轟音に遅れること、一分弱。
複合魔法が奏でた発砲音は、私の予想より遥かに大きく、しばらく耳鳴りがするほどでした。それも、ようやく聞こえなくなった頃。
微かな点灯音を鳴らしながら、三階屋上展望スペースの照明が光を取り戻しはじめました。
シーナタワーに、電力が戻ったのです。
私達は身をひそめていた鉄骨の陰から、出て行きました。
「すごかったねぇ……」
まだ耳を押さえながら、向日葵ちゃんがそう言いました。
上層フロアまでは、かなり距離があります。上を見上げても、夜であることもあって、穴が開いているかどうかは分かりません。
「確かめる? 〈生成〉」
常盤さんの指先で、くるくるとつむじ風が巻き起こりました。
ああ、確かに狙い通りに実現できたのです。
「〈阻害魔法〉の破壊、成功だな」
「はい。二人の協力のおかげです」
「やったねっ!」
常盤さんの声にそう応え、三人で顔を見合わせて笑いました。
こちらの問題は、解決です。
――玖郎は、どうしているでしょうか。
あの電話での短いやりとりの中で読み取った情報が正しければ、玖郎は茜と珊瑚くんを相手にするつもりです。
火の〈魔法少女〉と〈騎士〉は強敵ですが、もしも足止めに限定すれば――そして、玖郎の知略があれば、きっと実現してしまうでしょう。
とは言え、その知略には、例によって〈保護魔法〉の存在が不可欠であるはずです。〈保護魔法〉が無事かどうか、ここで確認できる手段があれば良いのですが……。
いえ、違います。
〈保護魔法〉が戻ったか確認するのは、玖郎の役目です。
私がやるべきは、クロミを打倒すること。
そして――。
たった今まで共闘していた、向日葵ちゃんと常盤さんに先んじて、ターゲットジュエルを手に入れること。
そうです。
一時休戦の条件は、クロミを打倒するか、〈阻害魔法〉を破壊するまで、だったはずです。
だとするなら、ここで――。
「〈阻害魔法〉が消えたってことは、翔ちゃん達にも有利に働くよね」
向日葵ちゃんが、声を明るくして言いました。
「ああ。鉄の棒を振り回してる翔はともかく、綾乃は拳銃の弾丸の数を気にしているはずだ。〈剣〉も〈盾〉も使えるとなれば、格段に戦力アップだよ」
しかし、常盤さんは、明るくした表情をすぐに暗くしてしまいます。
「ああ、でも、戦いながら気が付くかな。さっきの停電と、轟音と、電気の復旧で、状況の変化が分かると良いんだけど」
常盤さんの言葉に、向日葵ちゃんが即座に首を横に振りました。
「ダメだよ。翔ちゃん達は、〈阻害魔法〉の正体も、〈保護魔法〉が電気で動いてることも知らないんだよ?」
「そうか。あ、綾乃に連絡して――いや、これも無理か。今も滝沢さんと通信中だ」
「翔ちゃんも、さすがに電話に出る余裕はないよね……」
常盤さんと向日葵ちゃんの会話を聞きながら――。
私は連想しました。
無数の思考が、ほぼ同時と思えるほど高速で浮かぶイメージ。鎖のように思考が次々に繋がって行きます。無数の連鎖。数えきれない枝分かれ。円は鎖に、鎖は網になり、可能性の海から結論を引き上げます。その瞬間には、解決に至る思考にたどり着いているのです。
それは、ある悪魔的な考えでした。
向日葵ちゃんと常盤さんが知らない、あの事実を話せば――二人は、地上フロアに戻るのではないか、と。
玖郎と私は、地上フロアから中層フロアへと上るエレベーターの中で、翔さんと綾乃さんが相手にしている機械の獣に、大量の援軍がいることに気づき――状況に照らして、あえて言葉にしませんでした。
それを利用すれば――。
二人は、クロミとの最終決戦に向かわず、地上に向かう。ターゲットジュエル争奪戦から、脱落する――。
私は、自分の考えに愕然としました。
私は何を考えているのだろう。
ここは任せろと残った翔さんと綾乃さんの決意を踏みにじり、常盤さんと向日葵ちゃんが〈騎士〉を心配する気持ちに付け込もうと考えるなんて。
それは、私が目指す理想とは、あまりに掛け離れています。
気を引き締めないと。
思考を止めるな。
目的を見失うな、です。
「うん。やっぱり、向日葵は――」
向日葵ちゃんが、何かの決意を持って口を開きました。
まさにそのタイミングで。
ガシャーン、とガラスが砕け散る音が響きました。
「――っ!」
私達は反射的に身をすくませ、音のした方を見ました。
続いて、ガシャリ、と屋外展望フロアの周囲に張られた金網が、音を立てました。
次の瞬間、耳を覆いたくなるような破砕音を立てて、巨大なハサミが金網を切り裂いてしまいました。
続けて、別のハサミも現れ、金網の他の場所を食いちぎります。
内側からの落下を防ぐための壁が、今破られ、外側からの怪物を招き入れようと、口を開いていきます。
「そりゃあ、下から来るならあいつだよな」
常盤さんの言う通り――あれは、機械のサソリです。
二階に置き去りにしたのですが、先程の轟音で、私達がまだここにいることに気づいたのでしょう。
そのサイズが邪魔して通ることのできない内階段を諦め、二階のガラスと三階の金網を破壊して、ここに上がって来ようとしているのです。
状況が変わりました。
優先順位も変更です。
「向日葵ちゃん、常盤さん。状況は第四段階です。あのサソリを倒してしまいましょう。魔法が戻っていますから、遠慮は無用です。巨体が金網をくぐるタイミングに合わせて――」
私が、思考を巡らせながら、指示を出しはじめたその時。
「瑠璃ちゃん、常盤ちゃん。こっち!」
向日葵ちゃんはそう言って私達の手をとると、説明もなく、ぐいぐいと引っ張り始めました。
「え? ちょっと――」
有無を言わせぬ迫力に、常盤さんも私も、引かれるままに走り出してしまいます。
ところが、向日葵ちゃんの目的地はそれほど遠い場所ではなかったらしく、すぐに足を止めました。
上層フロアへと上がる、エレベーターの前で。
そして、顔を上げてにっこり微笑んでから――。
「ここは向日葵に任せて、先に行って! 今度は向日葵の番だよ」
いつもの調子で。
元気一杯の声で。
向日葵ちゃんは、そう言ったのです。
「あー、さっき言いかけていたのは、やっぱりそれか」
常盤さんには、その言葉が予想できていたようでした。
「向日葵は、あのサソリを倒してから、翔ちゃんを助けに行きます。もう決めました。魔法が戻れば、あんなオモチャ怖くないんだから」
でも、と口を開く私を、向日葵ちゃんは両手を広げて遮りました。
「ジャッ爺にね、最後の〈試練〉が茜ちゃんと誰か一人、って聞いたとき、私じゃないな、って思っちゃったんだ」
向日葵ちゃんは続けました。
「悔しくて、悲しくて、泣いちゃったけど、すぐに分かったの。地平世界に学校を作りたいって夢なら、私自身が女王様じゃなくても、きっと実現できるって」
そう言いながら、彼女の瞳は見る見るうるんで行きました。
「向日葵は――私は、誰が女王様になっても、ちゃんとお手伝いするから。自分の理想も諦めないから。だから――お願い、翔ちゃんを、助けに行かせて」
向日葵ちゃんのその気持ちは、涙になって次々にあふれて来ました。
ずっと我慢をしていたのです。
大好きな、大切な、〈騎士〉を危険な目に合わせていることが。
そして――。
「よし。じゃあ、今度は私の番だな」
常盤さんが、唐突にそう言うと、大きく一歩移動しました。
私の隣で、向日葵ちゃんに向かい立つ位置から――向日葵ちゃんの隣で、私に向かい立つ位置へ。
「え――?」
「常盤ちゃん?」
展開について行けない私と向日葵ちゃんが、間の抜けた声をあげてしまいます。
「ここは私に任せて、先に行きなさい。向日葵は下、瑠璃は上ね。やー格好悪いのなんのって、最年少の向日葵に、先に言われちゃうんだもん」
そうやって冗談めかしてから、常盤さんは言いました。
「私は、あのサソリを倒してから、綾乃のところに向かうわ。地上のピンチに、最後に私が駆けつけるって訳。格好良いでしょ?」
それから、優しい微笑みを見せます。
「私もね、向日葵と同じで、地平世界の近代化って理想なら、女王でなくてもできるって考えていたのよね。もちろんその他にも背負っているものは一杯あるけど、綾乃達の無事には代えられないもの」
向日葵ちゃんに向き直って、続けました。
「本当は、私がすぐにでも地上に向かいたい。でも、それは向日葵に任せる。大軍を相手にするなら、私よりも向日葵の〈開門〉の方が強いからね。もちろん私も、すぐに追いつくから」
それから、私に向かって。
「勝手な理由で、リタイアしてごめん。真剣勝負をしている瑠璃や茜には、失礼なことをしてるってことも理解してる」
それでも行かせて欲しい、と常盤さんは言いました。
「地平世界の有史以来続いてる、火の女王の政権をどうにかしたいって言うのもあったんだけどね。風の一族の悲願ってやつ。まあ、その前に、今日の〈試練〉なんかを考えると、私が瑠璃に勝てるとは思えないからなぁ」
「あ、それは向日葵も思った。瑠璃ちゃん、凄かったよね。魔法が使える小泉ちゃん、って感じだった」
常盤さんの言葉に、向日葵ちゃんが同意しました。
「もし、あの茜と、王国の長い歴史に打ち勝って、次の女王になれる〈女王候補〉がいるのだとすれば――それは、瑠璃だと思った。だから、行って」
二人とも。
何を――。
「何を、勝手なことを言ってるんですか? 先に行けって、そんなにも簡単に――私なんて」
私は、そこで隠していた事実を投げ出してしまいます。
「地上に、機械の獣の援軍が来ているんです。私達が地上にいた時とは比較にならないくらいの大軍が。それを二人に話して、地上に助けに行かせようと――自分だけが勝利に近づこうと――二人の気持ちを利用して、それでも勝とうと考えるような、そんな人間なのに」
信じてもらって、送り出してもらうには、あまりにも――。
「あー、援軍ね。そう、あれがあったから余計に心配なんだよね」
「そうそう。瑠璃ちゃんも小泉ちゃんも、あんなに深刻そうな顔で黙ってるから、余計に不安がつのっちゃったんだよね」
あっけらかんと、二人はそう言いました。
「まさか。二人とも、気づいて――」
ずしん、と重たい衝撃が響きました。
サソリが、このフロアへと到達したのです。
「さ、時間時間」
向日葵ちゃんが、エレベーターのボタンを押し――。
「ささ、行った行った」
常盤さんが、開いたドアへと私を押し込みます。
「それでも、瑠璃はそんなこと言わなかっただろ。その方法は、瑠璃の願いとはずいぶん違うからね」
「誰でも魔が差すことくらいあるよ。考えただけならノーカウントだよ」
それでも、私は――。
「瑠璃なら大丈夫。たまには、茜にも世の中の厳しさを教えてやって」
「瑠璃ちゃんならできるよ。でも、クロミには気をつけて」
「待って下さい。やはり、私も一緒に――」
どん、と。
常盤さんが、私を突き飛ばしました。
私は、転倒まではしないものの、エレベーターの奥に倒れかかってしまいます。
「また後で」
「またねー」
そして、扉が閉まりました。
閉まってしまいました。
機械の箱は、静かな音を立てて上昇をはじめます。
常盤さんと向日葵ちゃんは、上り始めるエレベーターに背を向けました。
巨大な金属のサソリが、二人へと迫っています。
「向日葵。正直なところ、サソリも地上もかなり厳しいよ」
「なんだ、常盤ちゃんも分かってたんだ――」
二人のそんなやりとりが、かすかに聞こえて、すぐに遠ざかって行きました。
「――っ」
ガン、と。
私は、両手をエレベーターのドア打ち付けました。
これは。
これでは、あまりにも、二人が――。
思考を止めるな。
目的を見失うな。
考えて、考えて、考えて。
私は、女王になる。
常盤さん。
向日葵ちゃん。
ごめんなさい。
ありがとう。
私は。
それでも、私は――。
前へ――。