06
『瑠璃ちゃん?』
たった二回の呼びだし音の後に、その人は電話に出てくれました。
「琴子さん」
そうです。
電話の相手は、小泉琴子さん――玖郎のお母さんです。
『玖郎から助けてコールが来ると思ってたけど、瑠璃ちゃんからとはね。ちょっとだけ意外だったわ』
琴子さんは、そうやって電話の向こうで優しく笑いました。
玖郎をいつまでも子ども扱いして、不肖の息子だなんてそっけないくせに、愛情いっぱいで、本当はとても心配しているお母さんは――玖郎からの連絡を待って、いつでも助けられるように、電話の前で待ち構えていたのでしょう。
「突然、電話してごめんなさい。お願いしたいことがあります。助けて下さい」
私は、素直にそう言って、見えないことは承知で頭を下げました。
その言葉に、琴子さんは――。
『いいわよ。何をして欲しい?』
内容も聞かずに、即答してくれました。
「シーナタワーを停電させて下さい。タワー内のどんな設備にも電気が通らないように」
「あ、それって……」
私の言葉に、常盤さんが驚きの表情を見せました。
私がわざわざ『どんな設備にも』と言ったことで、〈保護魔法〉のしくみを感じとった常盤さんなら、ピンと来たのかもしれません。
この琴子さんへの依頼は、常盤さんと向日葵ちゃんの信頼を勝ち取ることだけが目的ではない、と。
『シーナタワーね。はい、電気配線図ゲット。んー、予備電源がしっかり装備されているから、電力を遮断するだけじゃだめね。付近の配送電設備の系統図は、電力会社かなー』
電話の向こうで、キーボードが立てる音が聞こえます。
きっと琴子さんは、いつものパソコンの前に座って目にも止まらぬ速さで操作し、玖郎が『悪い魔女』と称するハッキングのスキルを使用しているのでしょう。
それでいて、何事もないかのように、会話を続けているのです。
『停電時間は? どれくらい欲しい?』
琴子さんの言葉に、私は考えます。
停電の間に実現すべきことを、時間経過とともに思い浮かべて――。
「可能であれば、三分間」
『オッケー。四分と十五秒あげる。椎名大通り公園の端に、ナイターができる野球場があるの。その照明を全部点灯させて、タワーと直結する。停電が起きて予備電源が始動しても、負荷が大きすぎて電圧が十分に上がらないから、復旧しないはずよ。なんでも情報制御でオンオフできる時代は便利ねー』
やはり、実現できる――。
さすがは、琴子さんです。
「ありがとうございます。本当に――」
『諸々の準備に、あと数分かかるわね。その間、私とお話しよっか』
気軽な調子で、琴子さんがそう言いました。
相変わらず、キーボードが立て続ける音が聞こえています。
こういう風に、会話と作業を分けてできるあたりが、さすが玖郎のお母さんという感じです。
「はい。もちろんです」
それにしても、お話、とはなんでしょうか?
『取り込み中だろうけど、悪いわね。ほら、瑠璃ちゃんとはもう少しお話したかったし。確認だけど、玖郎はそこにいないんだよね?』
「はい。今は、少し離れた場所にいます」
私は、琴子さんの確認に返事をします。
『それは好都合。できれば、玖郎抜きでお話したかったからね』
私の答えに、琴子さんはふふふ、と笑いました。
そして――。
『瑠璃ちゃん。ありがとう』
琴子さんは、核心の一言から始めました。
『これまであったこと、これから起こること、魔法も、瑠璃ちゃんの境遇も、全部打ち明けてくれて、嬉しかったわ。信じてもらえないかもしれないって思ったでしょうけど、嘘もごまかしもなく、信頼して話してもらえて、本当に嬉しかったわ』
「そんな――」
琴子さんには、全ての事情を話しています。
玖郎に協力してもらって、王位継承試験を戦っていること。今日、最後の〈試練〉があること。私が、地平世界という、こことは別の魔法の世界から来た〈女王候補〉であること。私が、この王位継承試験に勝利し、次の女王になって、地平世界を『誰もが誰もに優しくすることが許される世界』にしたいと思っていること。
全てを、伝えました。
それを――地球世界の常識からは疑わしいだけの事実を、琴子さんはしっかりと聞いて、信じて、受け止めてくれました。
「私こそ、聞いてもらえて嬉しかったんです。信じてもらって、大変だったねって、頑張ってるねって――頑張ってねって、言ってもらえて。私がどれだけ嬉しかったか」
上手に言葉にできない私の声に、琴子さんはうんうんと――いつものリビングで静かに聞いてくれた時のように――頷いてくれているようでした。
『それからもう一つ、ありがとうって言わせて。今度は、うちの玖郎のこと。玖郎に出会ってくれて、必要としてくれて、頼ってくれて、怒ってくれて――一緒にいてくれて、ありがとう』
琴子さんは、静かに、ですがしっかりとした口調でそう言いました。
背後で聞こえていたはずの、キーボードの音が、その時だけは間違いなく止んでいました。
『この四月から、玖郎がどれだけ生き生きとしていたか。多分、瑠璃ちゃんには想像できないかもしれないわね。あの子は、『普通』からかなり逸脱して頭が良かったりするから、楽しいことも苦しいことも、全部考えただけでわかっちゃう。人生は全て想定内、と想定してしまっていたのね』
それは出会った頃の玖郎。
クラス委員の朝美が、性格に難ありと断じた、昔の玖郎のことです。
『それが、瑠璃ちゃんに出会って、劇的に変わったんだから。目的を見つけて、願いを手に入れて、それを実現するためには思考も、探求も、訓練も、繰り返しも、試行錯誤もなんでもやるようになって。敗北を知って、間違いだって経験して、手に入らない物を知って、それでも欲しいものがあるって思い知ることができたんだもの』
琴子さんは続けました。
『変な言い方だけど、瑠璃ちゃんに会って、ようやく玖郎は生きたんだと思う。ようやく私は、普通の親みたいに、ハラハラして、やきもきしながらあの子を見守ることができたんだと思う。だから――』
だから、と。
『ありがとう、瑠璃ちゃん』
それは。
あまりにも過分なお礼でした。
「違います、琴子さん。私は、玖郎からもらってばかりなんです。ずっと頼りっぱなしで、お願いすることばかりで――それなのに、何も返せないんです」
琴子さんと話していて、私は自分からあふれて来る言葉を、自分の中に留められなくなってしまいました。
それは、あまりにも核心に過ぎました。
そのお礼は、笑顔で受けとるには、大きすぎます。心からの琴子さんの言葉を聞いて、私の心が揺さぶられて、隠し通せると思っていたソレを、閉じ込めていた蓋が緩んでしまったのです。
なぜなら――。
「玖郎と約束したのに。私を助けて――私をあげるから、って」
でも、その約束は。
それは、私が一番気にしていて、私自身が気付かないフリをして閉じ込めていたもの。
「でも、玖郎には、代償なんて返せないのです。約束も、契約も、意味なんてないんです。だって――」
気付いていました。
「私は、帰ってしまうんです。自分の世界に」
本当は、最初から分かっていました。
「最初から、分かっていたのに」
二つの世界に別れて、それきりだと。
約束は、果たされることはないのだと。
それなのに――。
玖郎がそのことに気付いていないはずがありません。考えついていないはずがないのです。
それでも、玖郎がその事実に言及しないのなら。
私達は共犯です――と、開き直ることもできたでしょう。
でも、琴子さんの言うような、そんなお礼を言われるようなことは、とても――。
『いいの。いいのよ、瑠璃ちゃん。大丈夫。それで、良いのよ』
その声は、波立った私の感情に、ぽつんと落ちて。
波紋が広がるように、それを静めて行きました。
「琴子さん。だって、私、琴子さんにだって、何も返せないのに――」
ふふふ、と電話の向こうで琴子さんが笑いました。
『あなたが思っているほど、世界は厳しくないのよ』
それは。
『もっと色々な人を頼って良いの。子どもは大人を頼っていいし、友達を頼っていいし、全然知らない人だって頼っていいの。大人だってそう。例え王様だって、お妃様とか、家来とかに頼ればいいの。何も心配することなんてないわ』
まるで歌うように、何度も聞き覚えた物語のように、琴子さんの言葉は、私の胸に心地好く落ちてきました。
『誰かに何かをしてもらったら、例えその人に返せなくても、別の誰かに何かをしてあげたらいいのよ。そうやって、世界は――こことは違う別の世界だって――回っているのよ?』
琴子さんは、間違いのない真実を語るように――聞き分けのない子どもに教え諭すように、続けました。
『玖郎をからかうと楽しいから、お願いの代償だ、対価だって言って、あの子もその影響を受けちゃっているけど――それは私達親の責任だけど――それでも、世界はそれだけじゃないのよ』
「それだけじゃ、ない」
私は、琴子さんの言葉を繰り返します。
その先を早く聞きたくて。
『そうよ。思いやりや、無償の愛だって、確かにある。この世界は――あなたの世界だって、まだまだ捨てたものじゃないのよ。世界は、あなたが思っているよりも優しい。優しくなれるわ』
ああ。
『瑠璃ちゃんが作りたいのは、そんな世界なんでしょ?』
それは――。
私のイメージは、玖郎の家の玄関に飛翔しました。
暖かい温度と、夕飯の残り香と、静かな音楽。
玖郎と並んでくぐる扉。
送り出してくれる、お母さんの柔らかな声。
ばん、と優しく、そして力強く叩かれる背中。
琴子さんのおまじない。
私が頑張って進めるように。私を信じて、送り出せるように。
「琴子さん、ありがとうございます。本当に――」
それは、おまじないだった。
私が、迷わずすすめるように。
何度でも。
繰り返し。
私の背中を叩いてくれる。
『さあ、準備ができたわ。この電話を切ると同時に、プログラムをスタートさせるわね。スタートから一分で停電、それから四分十五秒間電気は戻らない。良いわね?』
「はい。色々と、本当にありがとうございます。私、頑張りますから」
どれだけお礼を言っても足りないのです。
『瑠璃ちゃん。また、いつでもご飯を食べに来てね』
「琴子さんっ。私も、琴子さんのカレー、また食べに、行きたいです」
最後だと言うのに。
私の声はどんどん涙色になってしまって。
心配させたくないのに。
安心して欲しいのに。
最後にもう一度だけ、ありがとうと言って。
私は、長くなってしまった電話を切りました。
「瑠璃ちゃん……」
向日葵ちゃんが、心配そうな顔をしています。
巨大な金属のサソリは、私達を諦めずにハサミを伸ばして、エレベーターホールの入口の壁に重い音を響かせ続けています。
「大丈夫です」
私は、自信に満ちあふれた声になるように意識して、笑いました。
今はまだ、涙を流すには早すぎます。
そう、停電は一分後。無駄にする時間はありません。
「これからシーナタワーは停電します。目を閉じて、暗転に備えて下さい」
私は、そう常盤さん達に指示を出しながら、自分も目を閉じました。
「停電と同時に、魔法が戻るはずです。〈保護魔法〉は電気で動いていた、そうですよね?」
「やっぱり、それを狙って電気を止めるつもりなんだね」
常盤さんの確認に、私は、そうです、と答えました。
「最初の一撃は常盤さんです。風の〈生成〉(クリエイト)で、サソリを吹き飛ばして下さい。このエレベーターホールを利用して気流を作れば、狭い出入口にいるサソリの位置に、かなりの風量を集中させられます」
「あ、ああ。分かった」
それから。
「次に、向日葵ちゃん。サソリの運動性能を考えると、吹き飛ばされてもすぐに動くと思います。大きな石を作って、サソリの追跡を妨害して下さい。あの巨体にとって、それだけでかなり進みにくいはずですから」
「うん、了解」
サソリを跳ね退けて、目指すのは――。
「フロアに出たら、右です。内階段を使って、三階まで走ります」
向日葵ちゃんと常盤さんが、それぞれ了解の意を伝えてくれました。
そろそろ時間です。
それでは――。
「反撃、開始です」
私は、そう宣言しました。
時を同じくして――。
ばちん、と。
シーナタワーの電気が一斉に消えました。
ごう、と。
冬の冷たい風が吹き抜けました。
暗闇に慣れはじめた視界に、離れた街が明るく見えます。
中層フロアの二階から三階は、ゆるやかな内階段がつないでいます。階段を上がった先の扉を開けると、そこが三階――屋外展望スペースです。
ドーナツ型のフロア構造は二階と同じですが、外面が背の高い金網張りになっていて、昼なら遠方までの眺望が、夜でも周囲の夜景が直接肉眼で楽しめるようになっています。
多くの人が、ここからの素敵な夜景を楽しんだことでしょう。
それでもその眺めが、今日ほど明るく見えたことはないでしょう。
なぜなら、今、この瞬間、シーナタワーは停電しているのです。琴子さんのハッキングによる電力遮断と復旧妨害――おそらくタワーの歴史上初めて、計画的ではない停電を経験しているのです。
シーナタワーの電気が遮断され――同時に停電になったタワー内部で、照明が消えてしまった暗闇の中、私達は打ち合わせ通りに三階に移動しました。
常盤さんの風の〈生成〉で機械のサソリを吹き飛ばし、それでも機敏に起き上がる怪物の進路を向日葵ちゃんの土の〈生成〉で妨害して、この階まで逃げきったのです。
私が期待していた通り、玖郎が置いていってくれたペットボトルを回収する余裕さえありました。
自分勝手に予想するなら、このままサソリとは交戦する必要がないかもしれません。あの巨体を――特に、攻撃はともかく移動には不便極まりない二つのハサミを考えるに、内階段を通ることはできないはずですから。
これで、事前に説明した、第二段階までが完了したことになります。
「で、これからどうする?」
常盤さんが、早口にそう尋ねました。
視線は内階段の扉を向いており、あの金属のサソリが追いかけて来ることを警戒しているようです。
私は、計画を説明します。
「複合魔法の準備です。夏の出井浜海岸で、常盤さんと向日葵ちゃんがやったように。私達三人で、大砲を作るのです」
『複合魔法?』
常盤さんと向日葵ちゃんの声が重なりました。
私は、二人に頷き返します。
「まずは、向日葵ちゃんです。拳銃の弾丸はイメージできますか? このくらいの大きさで、できるだけ固い金属で作って下さい」
両手で大きさを示しながら、向日葵ちゃんに向けて指示を出します。
「分かった。〈生成〉――さらに〈操作〉!」
足元のコンクリートから伸び上がるように生成された金属が、向日葵ちゃんの魔法を受けてどんどん圧縮されていきます。
これなら、強度は問題なさそうですね。
「私は、〈阻害魔法〉の黒い光が発生する瞬間を見ました。上層フロアから、世界中に広がったように見えました」
向日葵ちゃんの作業を待つ間、私は自分の考えを説明します。
「向日葵は、広がって来るところしか見えなかった」
作業しながら、向日葵ちゃんがそんな言葉をくれます。
「私は、それどころじゃなかったから。ワイバーンの攻撃を避けるのに精一杯」
常盤さんの言葉に、私は頷きます。
「私は、玖郎くんが『〈阻害魔法〉の装置』と言った時に、〈保護魔法〉を生み出す装置に取り付けた、オプションのようなものを思い浮かべました。あるいは、都合よく〈保護魔法〉の設定を変更できるのではないか、と」
「ああ、後者は分かる。〈開門〉の後に、呼び出す〈精霊〉を選ぶ感じだね」
常盤さんの合意が得られました。
「ところが、〈保護魔法〉の正体は、あの〈魔方陣〉です。どう考えても、あの精緻な〈魔方陣〉に後から何かを刻み足せるとは思いません」
「……それは、その通りだね」
常盤さんが、あごに手を当てて思案しながら、同意してくれました。
「とすれば――」
「できた!」
向日葵ちゃんの叫びに、私は完成品――固く重い金属でできた弾丸を受け取ります。ええ。私のイメージ通りの形です。
続いて、次の指示を。
「続いて、これを打ち出すための銃身を作って下さい。この三階の床から、まっすぐ上を狙う筒です。この弾丸が、隙間なく内側に入るサイズです」
「任せて!」
再び向日葵ちゃんは作業に向かいました。
「瑠璃。まっすぐ上を狙うって――まさか、上層フロアに穴でも開けるつもりじゃないだろうね?」
「実はその通りです」
そう私が返したので、常盤さんは驚いたようでした。
「私の考える〈阻害魔法〉の形はこうです。上層フロア四階の床面に、〈魔水晶〉の一枚岩でできた魔方陣があって、断続的に電気を流し続けることで、〈保護魔法〉を一部書き換え続けている」
常盤さんは、言葉を失ったようでした。
私は、玖郎の飛躍気味の説明に言葉を失う私自身を連想してしまいました。
その気持ちは良く分かるのです。
「考えなければいけないのは、〈保護魔法〉です。二階フロアの床程の大きさを持つ〈魔水晶〉の一枚岩に、魔方陣が刻まれていて、常盤さんが感じとった通り、一秒に何百、何千と魔法が使われている状態です」
私は、その前提条件を確認します。
「そうやって作り出され続ける〈保護魔法〉を、どうすれば書き換えることができるのか。一番簡単なのは、〈魔方陣〉自体を加工することですが、それはできそうにありません。そもそも、私達が二階で感じたのは〈保護魔法〉で、〈阻害魔法〉ではありませんでした」
その感覚は、魔法使いならば信じられるものでしょう。二階で生み出されていたものは、間違いなく〈保護魔法〉でした。
「とすると、残るは、発生した〈保護魔法〉を、魔法で書き換える方法です。この場合、生み出される〈保護魔法〉一つ一つを書き換えるために、一秒に何百も、何千もの魔法を発生させる必要があります。それに最適な形は――」
「ああ、そう言うことか」
常盤さんが、説明に先駆けて理解したようです。
「〈保護魔法〉と同じように、魔方陣にして、電気によって駆動するんだね。それは分かった。でも、どうしてそれが四階フロアの床なんだ? 五階でも、それこそ全く別の場所という可能性も――」
ああ、そこですか。
実は簡単な話なのです。
「高速で作られつづける魔法に干渉するなら、できるだけ近距離で、しかも同じ緯度経度に存在した方が都合が良さそう、というのが直感的なアイディアでした」
それからこんな根拠もあります。
「私が、屋上フロアから〈阻害魔法〉の黒い光が発生するのを見た、というのも根拠の一つです」
さらに、と私は続けます。
「この考えを補強するのが、先週の設備工事です」
「え?」
常盤さんが、目を丸くしました。
「この〈試練〉に向けて、玖郎とシーナタワーの事前知識を集めていた時に知ったのですが、長期計画にはない設備工事が先週行われていました。四階フロアを立ち入り禁止にしての、大改装です。クリスマス前の、お客さんが多い時期にですよ? ちょっと怪しいな、と思っていたんです。まず間違いなく、その時に〈阻害魔法〉が設置されたはずです」
私の説明に、常盤さんは今度こそ言葉を失ったようでした。
「絶対に、とまでは言い切れませんが、ほぼ間違いなく、四階の床に設置されているはずです。つまり、四階の床に穴をあけるような魔法が使えれば、破壊できます――〈阻害魔法〉を」
「瑠璃ちゃん、できた!」
向日葵ちゃんの声に、私はそちらに駆け寄りました。
見事な筒が、向日葵ちゃんの身長ほどの高さで、床面から伸びています。
体重をかけて押しても、拳で叩いても、びくともしません。
「ばっちりですよ。念のためですが、もう一メートルくらい伸ばせますか? 強度はこれくらい欲しいのですが」
「了解っ!」
「――それから、これは補強にならないかもしれませんが」
私は、さらに説明の言葉を続けた。
「玖郎も同じ考えだったと思います。別行動を提案した時、私達の分担はサソリと〈阻害魔法〉だって言いましたよね。さらに、玖郎との電話が切れることも考慮済みでした。私が玖郎との電話を切ってまで連絡する相手は、琴子さん――玖郎のお母さんしかありえません。琴子さんの得意分野は情報通信で、停電をしかけるには最適です。それは魔法を一時的に取り戻すことにつながり、それが、サソリの打倒と〈阻害魔法〉の破壊の両方を実現すると考えていた、ということです」
私は、作業を終えた向日葵ちゃんに、ぐっ、とOKのサインを出しながら言いました。
「私は無理でも、玖郎なら信用できますよね?」
そんな私に。
「いや――」
常盤さんは、首を横に振りました。
それから笑顔を見せて、こう言ってくれました。
「瑠璃のことも信じてるよ」
「そうだよ。複合魔法、やっちゃおう」
常盤さんの嬉しい一言に加えて、向日葵ちゃんもぴょんと飛び跳ねてそう言ってくれました。
「あとは仕上げです」
私は、自分のペットボトルから水を必要分だけ〈操作〉して、空中に浮かび上がります。
向日葵ちゃんが作ってくれた銃身の中に、自分の持っていたペットボトルの残り全部と、玖郎が残してくれたペットボトル一本の中身を残さず入れてしまいます。
「常盤さん、空気の〈操作〉で、筒の中から気体を逃がさないようにしてください」
「〈操作〉。できたよ」
常盤さんの言葉を確認してから、今度は私が魔法を使います。
「――〈操作〉」
イメージは、玖郎といつも使っていた、水蒸気発生の魔法に似ています。
水を細かく、どこまでも分解していくイメージ。
銃身の底に溜まった水――その雫の一滴一滴が集まっていたいと繋がる力を断ち切ります。さらに、雫の中の水分子一つ一つが集まろうとする力を断ち切り――さらに一歩。
水を構成する原子一つ一つに分解します。
「瑠璃がやろうとしてることって――」
常盤さんの言葉に、私は簡潔に答えます。
「水素と酸素、です」
「……やっぱり」
「?」
あきれて天を仰ぐ常盤さんと、頭上にハテナマークを浮かべる向日葵ちゃんが対称的でした。
そうです。
もしも魔法のように――あるいは、魔法そのもので、水を自在に操ることができるなら。
その構成元素にまで干渉できるなら。
一滴の水は、爆発的燃焼力を持つ、爆薬にもなるのです。
「常盤さん、中の気体をぎりぎりまで底の方向へ圧縮して下さい」
「了解っ!」
即座に返事を返してくれる常盤さんの声を聞いてから、私は向日葵ちゃんが作った銃弾を、筒の中に入れました。銃身の内径は、ほとんど隙間のない絶妙なサイズで、それでいて抵抗などなく銃弾を底にセットすることができました。
「できるだけ距離を取って、タワーの鉄骨の陰に隠れますよ。爆発の衝撃が上方向に抜けるので、多分破裂したりはしないと思いますが、念のためです」
私は、向日葵ちゃん達の背を押すように、できるだけ頑丈な鉄骨構造の陰まで移動しました。
さあ、いよいよ最後です。
「常盤さん。雷の〈精霊〉を呼んで、銃身の底のガスに、火花を散らして下さい」
「〈開門〉! ヴォルト、お願い!」
常盤さんの声に応じて、雷の光をまとった球体の精霊が現れました。
「複合魔法の完成です。常盤さん、やって下さい!」
私の言葉に、常盤さんが頷きました。
その指示を受け、雷の〈精霊〉が、わずかな雷火を発生させ――。
響き渡った音は、落雷を思わせる轟音でした。