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04

【玖郎】



 『それ』は、一言で表現するなら、機械で構成された猛獣だった。

 大きさは体長で一・五メートル程度。鈍色の金属で構成されたパーツからは、猫科なのか犬科なのかも判別できないが、赤く光る二つの目がこちらを獲物と認識していることだけははっきりと分かった。

 構造をシンプルにする目的だろうが、頭部からは口や牙が省略されている。捕食を目的とはしていないようだが、動きに支障が出る直前まで強調された前脚の爪は、肉食獣の凶悪な一撃を連想させた。

 その動きは驚くほどなめらかだ。四つ脚で素早く動きながらも、足音を忍ばせることができるレベルである。

 こんな状況でもなければ、解体して構造を調べたいところだ。集中しないと気付かない程の静音性能を持つモーターも、小一時間稼動するのだとしたらバッテリーも、構成する金属すらも。どれも非常に興味深い。

 ハード面だけではなく、ソフト面も驚異的だ。

 それぞれの個体が、個別に状況判断と行動決定をしている。人工知能とまでは言わないが、それなりに高度なプログラムで動いていることが伺える。さらに、ある程度の連携すら実現していて、群れとしての統率がとれている。闇に紛れて接近し、一定の距離を保ちながら僕たちを包囲しようと、全体としてまとまりながら有機的に動いている。

 つまるところ、一般常識的な機械工学やロボット工学の水準よりも、遥かに高い技術で作られた獣だ。加えて、両手と両足の指を合わせても足りない頭数が、この場に集結している。量産されているのだ。

 クロミや、その背後にいる魔法世界の革命軍が、これほどの技術力を持っているとは考えにくい。地球世界のどこかの国の軍隊か、特殊な研究施設が開発した兵器を入手したと考えた方が納得できる。

 ふむ。

 囲まれると厄介だ。

 何しろ今、〈魔法少女〉(プリンセス)にせよ〈騎士〉(ナイト)にせよ、魔法が使えないのだから。

「任せろ――」

 翔の声が、僕の思考の焦点を、現実に集中させる。

 そう。

 今、最も優先度が高い情報は――。

 その『機械獣』の最初の一体が、地を蹴って飛び掛かってきているという事実だ。

 僕は、息を止める。

 ――。

 踏み切って飛び上がった機械獣の速度、質量、振り上げた右前足の長さと稼動範囲、爪の一撃の有効範囲を空間にマークする。同時に、迎え撃つ翔の体勢、重心位置、振り上げたスケートボードの角度と、振り下ろした場合の有効迎撃範囲を重ねてイメージする。翔の動きが、自身を爪から逃し、自身の一撃を必中させる位置を目指すものだと判定して――彼の言葉通り、任せると判断する。

「走れ! 振り返るな!」

 声を飛ばすと、獣の群れからの初撃に体を強張らせていた〈魔法少女〉(プリンセス)達が、我にかえって疾走を開始する。

 僕自身も走り始める。

 背後で、スケートボードの木材合板と金属が立てる重い音が響く。予想していた通り、生き物じみた悲鳴は聞こえない。

 数秒の遅れで、翔が合流する。やはり一歩の長さが違うと、走る速度が格段に違う。

「お見事」

「怯まないから厄介だ」

 僕の賛辞に、翔は短いが重要な情報を返す。

 生身の獣なら味方への一撃を見て攻勢を弱めることもあるかもしれないが、機械が相手ではそれも望めない、ということか。

 走る仲間の状態と、僕たちの周囲で並走する機械獣の状態を、広く視野に入れながら走る。

 群れは、少しずつ包囲を完成させようとしている。シーナタワーに向かう進路方向を塞がれると、かなり厳しい。後方からの攻撃は、翔に任せても大丈夫だろうが、孤立させないように全体の速度を調整する必要がある。

「珊瑚先輩、右です!」

 僕の叫びに、火の〈騎士〉(ナイト)は即座に反応した。

 飛び上がって振るわれる爪に対して、右腕を合わせる。一見、急所を庇うだけの防御行動に見えるが――。

〈生成〉(クリエイト)っ!」

 珊瑚の右腕が赤く輝いた。

 たった五ミリメートルの空間を埋め尽くす魔法の光。さながら炎の鎧といったところだ。

 勢いを完全に相殺された機械獣は、伸ばされる珊瑚の左手を回避できない。

〈生成〉(クリエイト)!」

 再度唱えられる呪文に、機械獣は弾き飛ばされて地面に衝突した。

「行けるぞ!」

 珊瑚の攻撃成功とタイミングを同じくして、左側からも機械獣が迫る。

「今度は私が――」

 茜の声。

 だが、僕には、機械獣の前足が爪を振りかぶる体勢でないことが見えている。これは陽動だ。

 そう見て取った通り、茜の攻撃範囲に入る手前で、その機械獣は転身して群れへと戻る。

「あ、待てっ――」

「茜、深追いするな!」

 僕の声に、びくりと茜は肩を震わせ、シーナタワーを目指す進路に戻った。

 シーナタワーはすぐ目の前だ。

 地上フロアは建物の中であり、追撃して来る機械獣の群れに対して、とりあえずの砦になる。

 当然、タワーの中にも憂慮すべき事態が待ち構えているはずだが――今はこの危機を脱することが最優先だ。

 群れによる包囲網は、先程よりさらに迫っている。

 前方を塞がれ進めなくなるのが先か、シーナタワーに走り着くのが先か。

 機械獣の群れに対応するためには、こちらも群れとして行動する必要がある。

「常盤さん、低い位置から来ます! 茜に二体、向日葵フォローを! 珊瑚先輩、速度を上げて右前方を牽制!」

 一人でも孤立すれば、そこから食い破られてしまう。

 機械獣達の攻撃は散発的な上に、挑発じみたフェイントが混じる。走る速度を緩めることが、この危うい均衡状態を崩す結果になってしまう。

 せめて瑠璃と二人なら――。

 効率を重視する僕の思考が、余計な荷物を切り落とせと囁く。その方が、王位継承試験の勝利につながり、一石二鳥だろう、と。

 だが、生憎とその選択肢は、最初から持ち合わせていないのだ。茜と珊瑚を落下から助けた時と同じ理由――瑠璃を哀しませる訳にはいかないからだ。

 左方の視界、翔の動きが目に入った。

 高く跳ねた一体の機械獣を、スケートボードの上を滑らせるように捌き、攻撃を受け流している。

 その向こうから、一体目の攻撃に合わせた二体目が、防御行動により生じた翔の死角から迫っている。

「――っ」

 僕は、息を止め、二体目と翔の間に体を滑り込ませた。

 ――。

 二体目の攻撃は、爪による一撃ではなく、機械の体を使った体当たりだった。致命的な裂傷を刻むための布石として、翔の体勢を崩すことが目的だ。その前に僕が間に入ったため、十分に勢いがのらないままの体当たりとなる。押し付けられる獣の右肩を、押し返してやれば十分に対応できる一撃だ。その思考の最中、獣の左手が振り上げられる。振り下ろしに比べれば軽いが、その一撃は僕の皮膚を切り裂くには十分過ぎるほどに――。

 ――いや、これで良い。

 僕は、爪の動きに、右腕を合わせる。

 多少の防御になればと巻付けた革製の布が、冗談じみた容易さで切り裂かれる。

 ――。

 ――――。

 僕は、爪と、右腕の距離を調整する。

 皮膚に触れるように。

 その奥までは届かないように。

「――小泉少年っ!」

 翔の一撃が、二体目の機械獣を弾き飛ばした。

「大丈夫です。走ります」

 僕は、体勢を立て直して、瑠璃に続いて走る。

「玖郎っ――」

「――問題ない」

 心配する瑠璃の声に返事を返す。

 ばらり、と革の布が右腕から落ちた。

 同様にウィンドブレーカーにも裂き傷ができていて、その奥で僕の皮膚は傷つき、痛みを発していた。

 深くはない。

 出血はあるが、止血の必要はない。

 避けられるはずの一撃を敢えて受けた理由。どうしても検証しなくてはいけなかった事実。予想はしていたが、それでも――。

 僕は、その事実を胸に刻む。

 そう。

 知らずにいるよりは、思い知った方が良い。

 この戦いは、この敵の一撃は、この瞬間にも〈保護魔法〉(プロテクト)に守られている僕にすら傷を刻み、命を奪うものなのだ。

 〈保護魔法〉(プロテクト)のない瑠璃の命など、いとも簡単に――奪うものなのだ。

 だから、僕は――。

「――あと少しっ!」

 茜が叫んだ。

 シーナタワーを支える鉄骨構造、赤色に着色された四脚の、その内側に入ったのだ。

 地上フロアのエントランスはすぐそこだ。

 包囲される前に、なんとか走り切ったのだ。

 だが――。

「翔さん。エレベーターが、全て上にあります」

 僕は、視界に入ったその事実を、隣を走る翔に伝える。

 地上フロアと中層フロアを結ぶエレベーターは、その移動中の景色を楽しむため、片面がガラス張りになっている。エレベーターの箱がどの位置にあるのか、外からは一目瞭然だ。

 翔は、その事実が示す意味を、正確に汲み取ってくれただろうか。

「ああ、そうか。下りて来るまでの時間を稼がないと――」

 翔は、歯を食いしばるようにそう応えた。

 違う。

 それでは足りないのだ。

「翔さん。エレベーターは、乗ろうとする誰かがいる限り、閉じません」

 僕は、端的に補足した。

 単純な事実。安全に配慮するが故の、ごく常識的な機能。

 それでもそれは、僕たちが向かう少し先の未来にとって、絶望的な意味を持つ。

「――っ」

 その場面を想像したのだろう。翔が小さく息を飲んだ。

 地上にエレベーターがあれば、今の彼我の距離のまま飛び乗り、上昇することが可能だったかもしれない。

 だが、地上でエレベーターの到着を待つ間に、機械獣の群れは間違いなく距離を詰めて来る。

 エレベーターが地上フロアに来るまでの時間を稼げたとしても。

 機械獣の群れにギリギリまで迫られた状態では――エレベーターの扉は閉まらないのだ。

 外にある開ボタンを押すまでもない。乱暴に扉の間に体を滑り込ませるだけで、その扉は再び開いてしまう。そうなれば、逃げ場のない小さな箱の中で、尽きることのない機械の爪に切り裂かれ、全員が命を落としてしまう。

「階段で上がれば――」

「機械は人間と違って疲れません。登り切る前に追いつかれます」

 翔の提示した解決策も、現実的には無意味だ。

「あの数とエネルギーを考えると、ガラス張りの面や、普通の金属の扉は突破されてしまいます。鉄骨構造やコンクリートは、さすがに時間がかかると思いますが」

 建物の中に入ってしまえば、エレベーターホールまでは遮るもののない空間だ。

 唯一、侵入を防げる場所があるとするなら――。

 外とエントランスとを区切る、この入口のみ。

「着いた!」

 叫びながら、茜が建物の中に飛び込んで行く。

 それに続き、全員が中へと駆け込む。

「珊瑚先輩、他の脅威がないか警戒を! エレベーターを呼んでください!」

 その指示に了解する珊瑚の声よりも――。

「小泉少年、『ここ』なんだな?」

 静かに問う、翔の声に――僕は足を止めた。

 僕は、シーナタワーの中に一歩踏み込んでいた。

 翔は。

 扉をくぐらず、外にいた。

 僕はその質問の意図を理解し――。

「はい。ここ以外では、守り通せません」

 その事実を応えた。

「そうか――」

 翔は静かに息を吸うと、そのまま深く吐き出した。

 翔の手から、握りしめていたスケートボードがガラリと落ちた。

 大人の体重で派手なパフォーマンスが可能なはずの合板でできたボードに、無視できないひび割れが見えた。翔は絶妙に衝撃を逃がすようにしていたが、機械獣が扱うエネルギーが強大すぎるのだ。

「翔ちゃん、どうしたの?」

 様子がおかしいことに気づいたのだろう、向日葵が立ち止まり、心配そうに声をかけてきた。

「ん? そうだな。向日葵、この取手をこことここで切断できるか?」

 その向日葵に、エントランスのドアノブとして取り付けられた、長い金属製のポールを指しながら、翔は何事か依頼している。

「え? ここと、ここ? ――〈操作〉(オペレート)

 魔法の使用は制限されているが、身体からごくわずかの距離であれば、従来通りの現象を実現できる。向日葵の両手の中で金属は変化し、二カ所を切断された。翔の身長よりやや短い、一本の金属パイプとして取り外された。

「そうそう。ちょうどこれくらいの得物が欲しかったんだよ。ありがとうな」

 そう言って。

 翔は、向日葵の頭をくしゃりと撫でた。

「翔、ちゃん――?」

 向日葵は、翔の唐突な行動に目を丸くして――。

 そのまま翔が、エントランスのドアをくぐらず、背を向けたことに気づくと、声を上げた。

「翔ちゃん!」

 がん、と。

 翔が、手にした鉄パイプを地面に打ち付けた。



「ここは任せて、先に行け」



 え? と向日葵がつぶやいた。

「エレベーターを待つ間に、あの機械の犬が中まで迫ってきたら、出発できない。誰かがここで、あいつらを食い止めないといけない。その誰かっていうのは――俺だ。俺が、一番適任だ」

 背を向けたまま、翔はそう言った。

 口調は静かで、だからこそ有無を言わせぬ決断がうかがえた。

「何言ってるの――?」

「向日葵も知ってる通り、俺のじいちゃんは、真鍋(まなべ)古流武術の達人だった。亡くなる間際こそ、風景画が趣味の普通のおじいちゃんだったけどな」

 その事実は、僕も把握している内容だ。

 王位継承試験の序盤に、他の〈騎士〉(ナイト)である翔や綾乃の背景となる情報は調査済みだ。翔の実家が小さくも歴史のある武術の道場だと言うことは、調べれば分かるレベルの情報である。

 当然それは、向日葵にとっても既知の話だろう。

「前回の王位継承試験の時に、じいちゃんが向日葵のお母さんを助けた。だから向日葵は俺を〈騎士〉(ナイト)に選んだ。俺も、じいちゃんと『いつか魔法使いの女の子が訪ねてきたら力になる』って約束してたしな」

 ――それは初めて聞く内容だった。

 土の〈魔法少女〉(プリンセス)と、その〈騎士〉(ナイト)を結び付ける理由、か。

「翔ちゃん……」

「俺は、絵が好きだったじいちゃんの影響を受けて育った。それでも、小さな頃から道場で鍛えられてもきたんだぜ? これまでの〈試練〉(トライアル)では、武術なんて使わなかったけど……まさか小学生や女の子を相手に、本気で殴るわけにいかないからな。本人たちには、バカにするなって怒られそうだけど」

 向日葵の呼ぶ声が聞こえていないはずはないが、翔の言葉は続く。

「ともかく。魔法抜きなら、このメンバーで間違いなく俺が一番強い。そうでなくても、一応男だし、忘れがちだけど一番年上だしな」

「翔ちゃん!」

 向日葵の呼び声は、最後には悲鳴になっていた。

 そこで、二人の間に沈黙が訪れる。

 翔は背を向けたまま。

 向日葵はその背を見つめたまま。

 やがて、翔が再び口を開いた。

「別に、王位継承試験を諦めた訳じゃないぜ。〈阻害魔法〉(プリベント)も、クロミも、ターゲットジュエルも、向日葵に任せる。そのために俺はここに残る。適材適所だ」

 そこで、翔が手にした武器が二度煌めき、迫り来る機械獣を弾き返した。その動作から流れるように変化した蹴りが、別の獣を吹き飛ばす。

 機械獣の群れが、行動を開始したのだ。

 わずかに開かれたこの入口を目掛け、立ち塞がる翔を飲み込むために、次々と殺到する――。

 僕は、このタイミングで言わなければいけないだろう。

「翔さん――」

「もう行け。向日葵も連れて行ってくれ」

 僕は――。

「翔さん――」

 ――謝らないといけないのだ。翔にも、向日葵にも。

「捨て石役に誘導して、みませんでした」

 そうだ。

 翔が一人残ると決意したのは、僕の誘導によるものだ。

 瑠璃を守るために。

 この〈試練〉(トライアル)に勝利するために。

 この位置で守る人間が必要だと、エレベーターでは逃げきれないと、地上への到着を待っていてはダメだと、翔に伝えたのは僕だ。その展開を見越して、走り出す際の隊列を指示したのも僕だ。

 機械獣の一撃が僕を――当然、翔をも傷つけると知りながら、命を奪うと知りながら、分かっていて、それでも。

 翔自身が、この選択が最適だと信じるように。

 最善だと考えるように。

 そんな姑息な誘導をしかけて、見捨てて先に行くというのに――。

「小泉少年」

 僕の言葉に。

 そんな余裕などないはずなのに。

 翔は、こちらへ顔を向けて、にっ、と笑って見せた。

「分かってる。気にするな」

 そして。

「向日葵――行け」

 その一言を吐き出すと同時に、右手の鉄パイプを動かした。

 流れるように翔の身体の周りを旋回させて、自身の回転の力までを溜めて――。

 一撃。

 飛び掛かってきた機械獣を、強烈な打ち下ろしで地面へと縫い止めた。

 見事としか言いようがない。

 洗練された、武術による一撃。

「うん。――うん。私、行くね」

 向日葵は、振り向かない背中へと語りかける。

「この〈試練〉(トライアル)が終わったら、私の優勝が決まったら、お城で祝宴があるんだ。〈騎士〉(ナイト)の翔ちゃんも参加なの。特別特例で、地平世界にご招待だよ。だから――」

 だから、と。

「絶対、そこで会おうね」

「――おう」

 向日葵は、顔を上げた。

 涙の跡はあるが、もう流れてはいない。

 僕は、向日葵と同時に、翔のいる外へと背を向け――。



「そういうことでしたら――」



 僕たちは、柔らかな笑顔に迎えられた。

 その笑顔の主――綾乃は、僕と向日葵の頭を、ポン、と優しく叩いた。

 いつの間にか集まって来ていたメンバーの中で、先頭に立っていたのは綾乃だった。

「そうやって、全部背負わなくても良いのです。あなたが負うべき責任なんてありませんもの。もっと周りを頼って下さいな」

 綾乃の言葉は、僕に向けて言い聞かせるものだった。

 その言葉の意味が、ゆっくりと僕の胸に落ちて来る気がした。

「向日葵さん。心配しなくても、真鍋さんは大丈夫ですわ。一人で置いていったりしませんから」

 そう言って微笑むと、綾乃はくるりと振り返った。その勢いのまま、背後に立つ常盤に、ぎゅっと抱き着く。

 常盤も、強く綾乃を抱き返した。

「構いませんわよね?」

「うん。良いよ」

 そんな本人たちにしか分からない、短いやり取りの後。

 当然のことのように、常盤と綾乃はキスを交わした。

 唇が触れ、離れたと思った時には――。

 綾乃も、エントランスの扉をくぐり、外へと歩み出ていた。

「あー、せっかく格好良く一人残ろうとしてるのに――どうして出てきちゃうかなぁ」

 翔の声がここまで届いた。

 若干の情けなさがにじんだその声は――いつも通りという意味で、不思議と安心感があった。

「こうやってオチが着いた方が、真鍋さんらしいじゃありません? それに――」

 綾乃がいたずらっぽく笑う声色を変えないまま続けた。

「一人より二人の方が、生存確率が上がります。あの機械のワンちゃん達が侵入する確率は下がります。これで向日葵ちゃんも、後ろを気にせず前に進めるというものですわ」

 綾乃の言葉は、さっぱりとしたものだった。

「いや、さすがにお嬢様の出番はないぞ? 箸より重たいもの、持ったことないだろ?」

 翔はそう言いながら、綾乃に飛びかかる気配を見せた機械獣に合わせて、攻撃を準備して――。

「あら。さすがのわたくしも、スマートフォンくらい使います。それに――」

 そう言いながら、綾乃はコートの内側、腰辺りに素早く右手を差し入れ――取り出した時には、無骨な武器が握られていた。

 ガン、ガン! と音が響く。

 それは紛れもなく発砲音であり、握られた武器は拳銃だった。

 正確な射撃を受け、飛び掛かろうと走り出していた機械獣が、翔の攻撃の間合いよりもずいぶん手前で火花を上げた。

「――わたくし、こう見えて頼りになりますわよ?」

 にっこりと笑って見せる綾乃に、翔は苦笑を返すしかない。

「まさか、本物じゃないよな。それ」

「少しくらい秘密があるほうが、女の子は魅力的になるんですよ?」

 綾乃は、右手に拳銃を構えたまま、左手で先程話題になったスマートフォンを操作し、耳に当てた。

「滝沢? わたくしです。準備は? ――よろしい。では、公園内の機械の獣に対して、発砲を許可します。タワーへ侵入するもの、および、わたくし達の死角から接近するものを優先攻撃。状況を開始して下さい」

 その指示と連動して――。

 数体の機械獣が、轟音と火花を上げて痙攣し、地面へと倒れた。

 長距離からの精密射撃。おそらく複数の地点からの。

 現代のこの国において、まるで魔法のように現実感のない光景が、目の前の中学生の言葉一つで現実になってしまった。

 綾乃の電話の相手は、彼女の専属メイド兼ボディーガードの滝沢さんだとして、その指示一つでこうも見事な武力攻撃を見せるとは。

「おいおい。武者小路(むしゃのこうじ)家の特殊部隊をあらかじめ配置しておいたのですわー、とか言わないよな?」

「ふふっ。こんなこともあろうかと思って、ですわ」

「小泉少年かよ……」

 捨て石役として、追跡者達を足止めする役回りだなどと感じさせない、明るいやりとりを交わす二人。

 綾乃はこちらを振り返り、いつも通りの柔らかな笑顔を見せて、僕たちへと言った。

「さあ。ここは任せて、先に行って下さいな」

 その笑顔と。

「なんだか、俺より格好良いんだけど……まあ良いか」

 苦笑混じりの声を背に受け。

 僕たちは、エレベーターへと向かった。



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