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02 最終章 そして結末へ

【玖郎】



「――始めっ!」

 ジャッジメントの声が響く。

 瑠璃達の王位継承試験における、最後の〈試練〉(トライアル)が、今、はじまったのだ。

 同時に、全員が動き出した。

 召喚に集中する者、疾走を始める者、空へと舞い上がる者。

 僕たちの最初の一手は――。

 走り出すこと。

 これまでの〈試練〉(トライアル)であれば、瑠璃の〈操作〉(オペレート)を使い、水を霧に変化させて視界を奪う一手だが、今回は敢えて使わない。

 その理由は三つ。最後の〈試練〉(トライアル)に向けて集中力が高まり、直前に最終目的地の確認があることが想定される――実際に想定通りになった――ため、不意打ちであっても方向を見失わない可能性が高いこと。シーナタワー内に補給の水を準備できなかったため、可能な限り水を温存したいこと。そして、クロミによる妨害に対して、最大限の警戒が必要であること。

 瑠璃とも事前に打合せ済みだ。

 僕は駆け出しながら、開始の宣言からの経過時間を脳内でカウントする。

 ――八、九、十。

 判断する。

 開始直後の、クロミの妨害は――ない。

「瑠璃。パターンBだ」

 クロミからの妨害がない場合、もっとも優先すべきはターゲットジュエル――シーナタワーへの接近。

〈開門〉(オープンゲート)!」

 僕の声、瑠璃の声に続き、僕の目の前の地面に打合せ通りのものが出現した。瑠璃の魔法により取り出された、スケートボードだ。

 僕は、練習通りにそれに飛び乗る。

 瑠璃が魔法の扉の向こうから取り出したものは、もう一つある。

「玖郎っ!」

 瑠璃の声とともに投げ出されたロープに左手を伸ばし、つかむ。

 スケートボードに重心を乗せ、ロープを手の甲に二回巻きつける。

 瑠璃が自分のペットボトルから、必要最低限の水を準備し――。

「――〈操作〉(オペレート)っ!」

 瑠璃の呪文が加速の合図だ。

 急激に発生するロープの張力を、自分自身とスケートボードの加速に変換する。重心をわずかに後方に意識し、上体だけが前に引かれることを避け、スケートボードの前部分が浮き上がる動きを踏み止める。

 ぐん、と加速する感覚。

 車輪が硬質な音を立てる。

 これが、シーナタワーへと至る大通り公園を走破するための、最初の一手だ。難無く成功させることができた。

 地球世界の人間であり、〈契約〉(コントラクト)をしていない僕には、〈保護魔法〉(プロテクト)が作用する。瑠璃の〈操作〉(オペレート)を直接移動に利用することはできない。同時に、〈騎士〉(ナイト)ではないため、高速移動用の魔法である〈靴〉(スピード)を使うこともできない。

 機動力において圧倒的に劣る僕たちは、一種古典的とも言える方法を採用した。それが、〈操作〉(オペレート)によって飛行する瑠璃が、スケートボードに乗った僕を、ロープで引くというこの形だ。

 これならば、少ない労力で瑠璃が僕を運べる上、速度が乗れば他の〈女王候補〉(プリンセス)達にも追随できる。

「お先にっ!」

 向日葵と翔を背に乗せた〈精霊〉グリフィンが、高度を取ったルートで飛翔し、飛行する瑠璃を徐々に追い越して行く。公園内にあるオブジェや低木に邪魔されずに、一直線に目的地を目指す考えだろう。

 一方の僕達は、スケートボードを使っているため舗装された歩道を進む必要がある。スケートボードの小さな車輪は、芝生や砂利道を進むには適さない。どうしても歩道に合わせたルートをとらざるを得ない。

 瑠璃の飛行こそ一直線だが、僕は何度も重心を切り替えて、まるでサーフボードのように進行方向を調整し続けないといけない。

「先に行かせてもらうよ」

 歩道に合わせて蛇行したタイミングで、常盤と綾乃が僕たちよりも前に出た。二人はそれぞれ、風の〈操作〉(オペレート)を使った飛行と〈靴〉(スピード)を使った疾走で、地面近くを進んでいる。

 その移動手段は、最も基本的ではあるが、同時に最も堅実だ。

 僕たちや向日葵たちと違い、〈魔法少女〉(プリンセス)〈騎士〉(ナイト)が別の魔法で移動している。何らかの妨害に対して、一方がもう一方を援護する、あるいは、散開して個別に対応することが可能である。本人達もそれが分かっているのか、二人は近づきすぎない一定の間隔を保ちながら進んでいる。

「――」

 先を行く二組よりも気掛かりなのは、視界に赤色がないことだ。

 一番の加速力を誇るはずの茜が、前方にいないのだ。

 茜の移動は、炎の〈生成〉(クリエイト)の反作用による飛行だ。原理的にはミサイルやロケットそのもの。今回のように、障害物のない空間を直線移動する場合に、その威力は最大となる。茜の膨大な魔力にモノを言わせて加速すれば、僕たちを引き離しながら移動する様子が視界に入るはずだが。

『玖郎、上』

 耳に付けたイヤホンから、瑠璃の短い声が聞こえた。

 意識を上方に向けると、上空から何かが接近してくる。

 街の明かりでは、まだはっきりとは見えないが――。

 常識から外れるほど大型の鳥か――まさか絶滅したはずの翼竜か――いや、これは――。

「十一時へ転進!」 

 僕の叫びに、瑠璃はわずかに左へと進路を変更する。

 事前に打ち合わせた符号に、しっかりと反応している。

 僕は、直進する慣性をぎりぎりまで保持して――。

「――っ!」

 それが僕へと衝突する一瞬前に、体を倒して進路を切り替えた。

 ごう、と風が耳を打つ。

 視界を横切ったのは、噛み合わされる巨大な牙。

 直前までの進路であれば僕が通過したはずの場所を、致命的なまでに狙い澄ました一撃。

 そして、あの速度の急降下を問題とせず、地面に触れることなく再び上空へと舞い戻っていく。

「ドラゴンか!」

『風の峡谷のワイバーン!』

 僕の声と、瑠璃の声が重なった。

 飛来したのは小型のドラゴンだった。小型と感じたのは、夏の海岸で火吹き山のサラマンドラを見ているからだ。しかし、今回の〈精霊〉も、十分すぎる巨体であることは間違いない。少なくとも乗用車程の大きさはあった。

 サラマンドラは四つ足で背中に翼といった姿だったが、ワイバーンは前足のない二足に、人間で言えば両腕の位置に翼を持つ姿だ。あの巨体のくせに、飛行速度は魔法で飛び回る〈魔法少女〉(プリンセス)達に匹敵する程だ。

 火や氷を吐き出すことができるのか未確認ではあるが。

 最大の脅威と考えられるのは、物理法則に反すると感じてしまうほどの、あの方向転換能力と――。

『一体だけじゃありません!』

 その数だ。

 今や、椎名大通り公園の上空は、十数体のサラマンダーが支配する異質な世界へと変貌を遂げていた。強大な翼を持つ空想上の竜達が、我が物顔で上空を飛び回り、空中の〈魔法少女〉(プリンセス)に爪を向け、地上の〈魔法少女〉(プリンセス)に牙を向けている。

 こう来たか――。

 この最終〈試練〉(トライアル)の場所がシーナタワーと椎名大通り公園であることを聞けば、シーナタワーの高層フロアが最終目的地であることは予想できる。さらに集合場所が公園の南口であることと合わせれば、飛行ができる〈魔法少女〉(プリンセス)達にとって、最短コースは一直線に空中を進むものだ。

 それでは、安易すぎる。

 間違いなく、ジャッジメントによる障害が用意されているとは思ったが――。

「瑠璃。このまま地上を進む。攻撃はぎりぎりまで引き付けて回避する」

 速度と数の脅威は間違いないが、攻略不可能というほどではない。

 さすがのワイバーンも墜落を警戒する。そのため、驚異的な飛行性能も地上近くでは鈍くなる。

 僕の視野で確認できる限りでも、向日葵と翔の乗ったグリフォンと、空中を進む常盤への攻撃は激しい。襲い来る攻撃が、ほとんど息をつく暇もないほどだ。一方で、地上を走る綾乃や、ほとんど高度をとっていない瑠璃に対する攻撃は、散発的な急降下と上昇の間の一撃ずつに留まっている。

 これなら――。

 僕たちの選んだルートは間違っていない。

 地上を行けば、安全――。

 僕の思考が、警報を鳴らす。

 根拠は観測されていない。事前に予測もなかった。経験に裏打ちされてもいない。ただの直感。

 それでも。

 向日葵達と常盤は、慌てて飛行高度を下げはじめている。ワイバーンの執拗な攻撃を回避する必要があるため、どうしても移動速度が減衰してしまう。

 地上が安全などという前提条件を、ここで採用する訳にはいかない。

 一瞬でも安全だと感じるならば、そこに作為と悪意を疑うべきだ。

 そう、もしも僕がこの〈試練〉(トライアル)の出題者ならば――。

 空からの急襲が回避可能だと判断し、空を進んでいた〈魔法少女〉(プリンセス)達が地上を進みはじめたこの瞬間にこそ、地上に設置した罠を発動させる――。

 先程、ワイバーンは予兆なく唐突に現れた。

 だとすれば――。

「二時に転進!」

 とても思考とは呼べない直感に任せて、僕は瑠璃に向かって叫んだ。

 即座に反応する瑠璃。

 瑠璃にロープで引かれた僕は、スケートボードの進路を切り替えるため右側へと体を倒して――。

 まさに、その瞬間に、来た。

 その一撃は、風と慣性に遊ばれた僕のウィンドブレーカーのフードをかすめて彼方へ飛び去った。

「――っ」

 そのあまりの至近距離に、息を呑む。

 今通過したのは、僕たちの背丈ほどもある、巨大な岩――。その岩はさらに巨大な何かの一部で、見上げる程の位置で太い綱が巻付けてあり――いや、違う。あれは指だ。

 これは、巨大な腕によって振るわれた棍棒だ。

 あまりのサイズの違いに、認識が追いつかなかった。

 新たに予兆もなく出現したのは、青灰色の岩で構成された一つ目の巨人だった。

 大きさは、五メートルを超えるかもしれない。重厚な石像のように横幅を備えた人型で、頭部にある単眼が僕たちを無機質に見下ろして来る。

 僕が岩と錯覚した凶悪なサイズの棍棒を、やすやすと片手で振り上げると、地上を走る僕たち目掛けて振り下ろして来る。

『地下迷宮のサイクロプスまで――』

「加速っ!」

 瑠璃の言葉を聞きながら叫ぶ。

 余力を残していた瑠璃の飛行が、一段階速度を増した。

 ロープを掴んだ左手と、足元のスケートボードが悲鳴を上げる。

 一秒に満たないわずかな差で、振り下ろされた棍棒を置き去りにする。

 舗装された遊歩道に叩きつけられた鈍器が、細かな破片を散らし、その一つが僕の頬をかすめて行った。

『進路に、あと二体!』

 瑠璃の声に視野を広くすると、確かに同じサイクロプスが二体、シーナタワーまでの進路に立ち塞がっている。

 この岩の巨人も、複数体が用意されている。つまり、これが地上における障害という訳だ。

 ワイバーンを恐れて地上近くのコースに集中した〈魔法少女〉(プリンセス)達は、この障害を回避するための混乱を見せる。ある者は進路を大きく迂回し、ある者は魔法の盾で一撃を回避する。

 一方で、僕と瑠璃は、直進コースを譲らないまま進み続ける。

 シーナタワーへの接近を優先するという理想と、僕の乗ったスケートボードが急角度のターンに向かないという現実とを、唯一両立させるアプローチだからだ。

 回避と直進。そのわずかな差によって、僕たちは他の〈魔法少女〉(プリンセス)達を置き去りにし、単騎独走になった。

 だが、その朗報は、一瞬の後には悲報に変わる。

 進路上に待つ二体のサイクロプスの眼が、明らかに僕たちに狙いを定めた。同時に、二羽のワイバーンが、こちらに向けて下降体制に入った。

 さあ。

 ここが、正念場だ。

 直進を諦めず、全ての攻撃を回避できれば、シーナタワーは目の前だ。

『玖――』

 瑠璃が僕の名を呼ぶ声が、耳に届く。

 僕は、呼吸を止めた。

 思考を、加速する。

 ――。

 世界から色が失われた。

 全ての物、者、モノが停止と錯覚する減速により停滞する。

 僕と瑠璃の移動は、瑠璃の〈操作〉(オペレート)による飛行を動力として、瑠璃自身とロープで連結されたスケートボード上の僕を変移させるものだ。加速時はほとんど剛体と考えられるが、瑠璃の移動が定常あるいは減速であれば、僕だけが慣性で移動する。さらに、ロープの張力、および靴とスケートボード間の摩擦で伝導される力と、僕の姿勢や重心に影響される垂直抗力によって移動方向が決定される。

 ワイバーンの機動は、急降下時に羽ばたかないため予想しやすい。降下開始時の運動状態を初速とした自由落下に、頭部と胴体の位置で重心を操作することによる移動補正を加えた程度だ。地面に墜落しない寸前の位置で翼を広げ、急制動と同時に牙の生えた口か、足の鉤爪で一撃を加える。その後は羽ばたいて上昇するため、攻撃は一撃のみだ。牙か爪かも降下時の姿勢から判断できる。

 サイクロプスは、外観から受ける印象を裏切って十分に脅威となる速度を持っている。巨人自身の移動速度は遅い。だが、手にした無骨な棍棒の振り下ろしは速い。攻撃が開始された時点で有効範囲にいれば、直接的に打撃を受けるか、間接的に衝撃を受けるか、どちらかは避けられない。だが、打開策はある。巨人は竜とは違い人型だ。腕にせよ足にせよ、関節が存在し、可動域が決まっている。凶器を振り下ろすには、振り上げる動作は必要になる。サイクロプスの攻撃範囲を通過する限られた数瞬だけ、攻撃があたらない位置にいれば良い。

 全ての移動と攻撃と回避の間には、空気抵抗や風の影響といった相互作用があり、サイクロプスとワイバーンの間には同士討ちにならないような動きの連動があり、僕の動きには路面の状況やわずかな割れ目や小石が影響し、瑠璃の魔力に関してはこの限定時間内に枯渇する心配はないが、一定の安全率を考慮したコースを取りながら、ワイバーンA、サイクロプスB、ワイバーンC、サイクロプスDの攻撃を順に回避し――。

『――郎――』

 瑠璃が、僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 まだ足りない。

 僕は、その思考を、さらに加速する。

 ――。

 ――――。

 色の消えた世界が、境界を残して全て消え去る。あらゆる物質が微小質点に分解され、その全てに近接力と遠隔力が働く様子が観察できる。全ての相互作用と因果関係が解析され、運動は三軸のベクトルに分解される。今この瞬間と次の瞬間とが連続する四次元空間が、並列して比較検証される。

 微視的な視点と同時に、巨視的な視点も失われない。

 僕と瑠璃の移動。ワイバーンの降下と攻撃。サイクロプスの一撃と衝撃。

 今の僕たちの速度と質量から、刻一刻と変化する移動可能な範囲が着色されて浮かび上がる。Aの爪が届く範囲とタイミング。それが届かない時空間がさらに色濃く着色される。Bの棍棒が打ち下ろされる範囲とタイミング。それが届かない時空間が選択されると同時に、先程の時空間の大半が不採用となる。Cの牙とDの攻撃。全ての脅威を回避可能なわずかな時空間の連続を、僕の指示で瑠璃が移動可能であるという条件で絞り込む。

 路面の状況をはじめとする外的要因、回避対象が増加する場合の選択肢を可能な限り残しながら、思考を磨く。

 経路は収束と発散を繰り返し、確定条件と不確定条件が相互に影響しながらも次第にいくつかの選択に絞られていく。何かが間違っていた場合の影響、複数にエラーがあった場合を検証し、不確定要素の必須観測時刻と判断が必要な刻限とが無数にリストアップされる。

 海岸の砂を全て机の上に並べて、一粒ずつ分析した上で、最適な一つを選び取る状況が連想され、同時に、必要な条件を列挙した上で、全てを満たすチェックを超高速で実行する連想が浮かんだ。 

 そして。

 選び取るのは、残された選択肢の中で――。

 最もシンプルな一つ。

『――っ!』

 瑠璃が、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 世界が、世界を取り戻した。

「そのまま直進、最初の合図で二時転進、次の合図で加速だ」

『はいっ!』

 瑠璃の返事を聞きながら、僕は刻々と確定していく条件を、方程式に代入しながらいくつものチェック項目を処理する。

 サイクロプスBの右足に向けて直進しながら、ワイバーンAとの距離を測る。爪の届く範囲がみるみる絞り込まれ、目前へと迫って来る。

 同時にサイクロプスBの動きも視野に入れる。巨人の左足が一歩前へと動いた。岩の棍棒を握った右腕が動き始める。それが意味するところは、僕たちの動きに合わせた、叩き下ろしの一撃。Aに対する回避運動は、考慮されていない。

 よし――。

 僕は、スケートボードに乗せた重心を、急峻に右へと振る。タイヤが抗議の音を上げながら、それでも遊歩道の路面を削るように抗力を伝えて、僕の体を右へと転進させる。

「二時転進!」

 わずかの間を置き、瑠璃へと指示。

 即座に反応した瑠璃は、体をねじりながら、右足を左へと跳ね上げた。魔法によって押されつづけている靴底の方向を操作することで、鋭角に進行方向を変えて、転進した。

 僕が瑠璃に牽引されるだけの荷物だとすれば不可能であるはずの、同時横移動を実現したのだ。

 これなら、空からの降下攻撃では対応できない。

 僕たちの移動に一瞬遅れて、転進前の進路に立ち塞がるように、凶悪な爪が噛み合わされた。巨大な翼が風を打つ衝撃が、ここまで届く。

 ワイバーンは、体勢を崩してまで追撃するつもりはないようだ。

 これで、Aの攻撃は回避した。

 同時に。

 サイクロプスは、待ち構えていた位置に獲物が来ないことを悔しがるように、打ち下ろしの一撃を横凪の一撃に変えた。

 だが、左足を踏み出した体勢で、右手の武器で左手側に逃げる獲物を追うことは難しい。棍棒は、僕から若干の余裕を残した位置を通過することしかできない。

 よし、Bの攻撃も回避できた。

 僕は瑠璃に引かれながらも、スケートボードの先を右へと向け、進路を曲線的に膨らませる。

 そのタイミングで、二体目のワイバーンの降下攻撃が来た。僕たちの進路と直角に交差するように、鋭い牙が一直線に僕に迫る。

 先程の爪の攻撃と違い、攻撃してくる牙は頭部にある。獲物に狙いを定めながらの追撃が可能なのだ。この位置関係なら、前後左右に多少移動したところで、頭部の稼動範囲から逃れることはできない。

 だから――。

「加速っ!」

 僕は、ロープの長さが許す限り右に膨らんだ進路を、全身を捻るように左に切り替える。

 そう、僕が選択したのは、右から迫る牙に対して、一直線に左へ逃げ切る動きだ。

「――っ」

 無理な転進だけでも左手のロープにかかる張力は増すというのに、瑠璃の加速がそのままさらなる力になる。

 引かれる左腕と、ロープをまきつけた左拳がひどく痛む。

 それでも悲鳴を噛み殺す。

 なぜなら、まったく同じ痛みを瑠璃も感じているのだから。

 いまさらこんなものが、止まる理由には、ならない。

 ワイバーンの牙は、僕のウィンドブレーカーのフードに触れるような位置まで迫っている。

 無情な追撃者は、次の瞬間には捕食できるとばかりに、さらに牙を大きく開いた。

 だが、ここで――。

 限界を迎えたのは飛竜の方だった。

 地面との衝突を避けるため、どうしても翼を広げなくてはいけないのだ。その動きは、物理法則に従って、体を減速させる。

 結果、Cの牙を振り切った。

 そして、その瞬間に、僕たちは最後のサイクロプスの攻撃範囲に突入した。

「『切り札』を使え! コースは直進、両足の間を抜ける!」

『はいっ!』

 見上げた岩の巨人が、その無機質な目で僕を見下ろしている。

 動かないはずの表情が、残忍な笑みを作った気がした。

 右腕は無骨な凶器を振り下ろす準備をほぼ終えており、その〈精霊〉にとってみれば、真っ直ぐ自分に向かって来る相手を叩き潰すことは確定された未来に見えた。

 見えた、はずだ。

 だが。

 これまでの二体のワイバーンにせよ、先に回避したサイクロプスにせよ、その狙いは僕だった。そして、このサイクロプスDも、先に攻撃可能範囲に入った瑠璃ではなく、僕の方に照準を合わせている。

 その理由は明確だ。自在に加速減速や方向転換をする瑠璃を狙うより、ロープで引かれているだけの僕の方が、明らかに狙いやすいから。

 そう。僕たちの移動方法の狙いは、魔法の使えない僕が、瑠璃の飛行に匹敵する速度を得ることだけではない。

 もう一つの狙いは、僕自身をオトリとすること。

 僕に攻撃を誘導すれば、最後の一瞬で明暗を分ける『切り札』を用意することができる。

 それが――。

「――っ!」

 進路を二度、切り替える。右、左。

 スケートボードの車輪が、鋭く悲鳴を上げる。

 僕の背後で地面に一撃が落ちる。

 視界の端で、岩のような棍棒に叩き潰されたロープの端が、踊っている。

 そう。

 僕たちの切り札は――ロープを手放すこと。

 その瞬間に、僕たちは、一定の長さ以上に離れることはできないという制約から解放される。

 瑠璃は、牽引動力としての役目から解放され、さらなる加速を得る。

 僕は、ロープの張力から解放され、自由な転進が可能になる。

 サイクロプスにとっては、直前まで存在していた前提条件が、瞬間的に消失したように見えただろう。それが攻撃の最中であるならなおさら、その変化に対応できるはずがない。

 僕は一撃を回避し、瑠璃に遅れること数瞬のタイミングで、サイクロプスの両足をくぐり抜けた。

 開けた視界に、オレンジ色にライトアップされたシーナタワーが飛び込んで来る。

「さすがは玖郎です!」

 電波を介さず瑠璃の声が耳に届く。

 左手に温もり。

 ここからは、直接手をつないで牽引されることになるわけだ。

 僕は、瑠璃と笑いあいたい衝動を押さえながら、後方と上空に視線を運ぶ。

 追撃可能な範囲は抜け出たはずだが、状況は時事刻々変化している。常に状況を把握する必要が――。



 その時。

 はるか上空に――探していた赤を見つけた。



 茜と珊瑚。

 炎を吹出しながら、互いの体を抱きしめ合う形で固定し、空へ空へと昇って行く。

 ――そうか。

 僕は、瞬時に彼女達がその場所にいる理由に考え至る。

 〈試練〉(トライアル)開始直後から、僕たちは茜達を前方に見つけることができなかった。直線移動時に最大の威力を発揮する炎の〈生成〉(クリエイト)を使い、歴史に五人と謳われる魔力を持つ茜が、なぜ僕たちの前に出なかったのか。

 上に向けて移動していたからだ。

 〈試練〉(トライアル)の場所が椎名大通り公園とシーナタワーであること、および集合地点を考慮すれば、目的地までは空中を一直線に飛行することが最短コースだと予想できる。同時に、その空中には障害が用意されていることも想定できてしまう。

 だから。

 彼女たちは、開始直後から上空を目指した。妨害のない上空を経由し、シーナタワー上層フロアまで一直線に下りる、『∧』字のコースを選択したのだ。

 これなら、大通り公園南口と上層フロアを結ぶ直線上に、どんな〈精霊〉の妨害が用意されていたとしても問題とせず、地上と低空を進む他の〈魔法少女〉(プリンセス)との競争もなく、自身が最も得意とする直線機動の最大速度で目的地へ進める。茜の速度を持ってすれば、多少の回り道など問題ではないのだ。

 やられた。

 その一言が、僕の思考に浮かんだ。

 同時に――。

「――は?」

 無意識のうちに声を上げていた。

 自分が見ているものが、理解できない。

 上空、高速で上を目指し続ける茜の前に、ジャッジメントがいる。

 距離は遠く、街の明かりも十分には届かないような上空。時折横切る飛竜の影に遮られながらも。

 茜自身が放出する炎に照らし出されて、その速度に並走する緑色の球体じみた〈精霊〉が、確かに見える。

 〈試練〉(トライアル)の最中に。

 審判であるジャッジメントが。

 ぞわり、と。

 背筋が凍りつく。

 その有り得ないはずの状況が、現実となっているのならば。

 それだけの理由が、そこにはある。

 まずい。

 刹那――。



 ――黒い光が、世界に放たれた。



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