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2番目の魔法少女[4](終)そして結末へ  作者: 秋乃 透歌
終章/序章 結末の先へ

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12/14

12 終章/序章 結末の先へ

 ――地平歴三八九年。

 地平世界、フラッタース王国の北方に位置する水の領土には、民の不安が渦巻いていた。



 水の領土には、物静かで平和を愛する人々が暮らしていた。彼らの穏和な性格は、雪が降る冬の一時期を除けば穏やかな、領土の気候を反映しているようだと言われた。

 彼らの主な産業は、豊富な水を使った稲作と港町での漁業だった。

 豊かな入江と主要な街とを結ぶ運河の整備が数年前に完了したため、人々の暮らしは次第に活気付き始めていた。

 また、厳格だった先代の領主に代わり、現領主が統治するようになって以降、民に寄り添ういくつもの領令が制定され、領内に暮らす者の生活水準自体が上向きはじめていた。

 そんな最中――。

 舞い込んだ悪い知らせは、驚くような強さと速さを持って、領民へと広がっていった。戦の訪れを知らせる狼煙のように、黒く重く広がって、人々の心の中で暗雲となった。

 それは――異界の軍勢を操る黒き鎧の魔王が、風の領土へと侵攻し、それを受けて水の領土からも討伐軍が出陣したという知らせだった。

 それこそが、民に渦巻く不安の正体だった。

 


 清流(せいりゅう)城。

 水の領土の政治の中心であり、領主の居城でもあるその城は、美しい湖畔を一望する丘の上に建てられていた。

 清流城の一室――現領主が主寝室として使っている部屋からも、今夜の風のない湖面に上弦の月が映り込む様子を見ることができた。

 その部屋では、二人の女性が向かい合って座り、湯気を立てる湯のみを前に、静かに言葉を交わしていた。

「ずいぶんと前置きが長くなってしまいました。退屈ではありませんでしたか?」

 その一人は、この清流城の主――水の領主である、清水(しみず)・セルリアン・瑠璃(るり)だった。

 彼女は、寝台の傍に用意された椅子に、くつろいだ様子で腰掛けていた。肩におろした艶やかな黒髪と、薄青色の夜着からわずかにのぞく白い肌とが、静謐な対比を生み出していた。火の魔法を使った室内の明かりを受けて、髪と瞳が時折青く輝く様子に、見る者は息を飲まずにはいられないだろう。

 日中の仕事を終え、食事も入浴も済ませ、あとは就寝を待つだけのこの時間に、仲の良い侍女と昔話をしながら過ごすことが、彼女の最近の日課であった。

「そんな、退屈だなんて。お話の続きが早く聞きたくて、楽しみにしておりました」

 もう一人は、瑠璃に仕えて身の回りの世話などを行う侍女で、名を春子(はるこ)と言った。

 質素な侍女の押し着せ姿ではあったが、まとめた黒髪と程よく陽を浴びた肌から、彼女の活発さが伝わってくるようであった。キラキラと輝く瞳が、彼女の言葉の通りに瑠璃の話が楽しみで仕方がないと語っていた。

 春子は、瑠璃の強い希望に押し負ける形で、瑠璃の向かいの椅子に浅く腰掛けていた。こんなところを古参の侍女長にでも見つかれば、二人揃ってお説教を受けること間違いなしである。

 それでも春子は、瑠璃がこの時間だけは友人として過ごしたいと希望していることを理解していた。そして春子自身も、瑠璃のその希望を嬉しく思っていた。

 瑠璃と春子は同い年の女性同士であり、仕事上は主従の関係ではあるものの、友人になることができた。春子は、本当にありがたくて恐れ多いことだと思いながらも、身分を気にせず友人だと言ってくれる主人が誇らしかった。

「それなら良いのですが」

 瑠璃は、春子の返事を受けて微笑んだ。

 同性の春子から見ても、瑠璃は美しいと思う。頭も良く、優しくて、領民のことをいつも第一に考えてくれている。慕われる領主であり、素晴らしい人物であり、素敵な女性なのだ。

 だと言うのに――瑠璃は頑なに結婚をしようとしなかった。

 瑠璃は、今年の誕生日を迎えれば二十七歳になる。フラッタース王国では、この歳の女性のほとんどが結婚し、出産を経験している。

 先代の領主――瑠璃の母親もそのことを気にかけており、極秘に呼び出された春子が母の悲哀を聞かされた回数も、両手では足りなくなっている。娘が心配、という親心だけではなく、次の王位継承試験が心配、というポイントが事態を深刻化させていた。

 実のところ、春子も瑠璃と同じ二十七歳で、さらには未婚な訳だが――。

(私は、瑠璃様に一生を捧げてお仕えすると決めているので、全く問題ありませんっ)

 などと考えていた。

「さあ、そろそろ話を再開しましょう」

 瑠璃が毎夜語っているのは、昔話だった。

 それは――瑠璃自身の王位継承試験の話だった。

 まだ幼かった瑠璃と、彼女の協力者だった小泉(こいずみ)玖郎(くろう)が女王を決めるために戦い抜いた、地球世界の日々の物語だった。

 出会いから始まり、約束を交わし、嵐と最悪を抜けた先に待つ、別れに至る物語。

 少しずつ語り進められ、長く続いたその話も、今夜で最後となる予定だった。物語は佳境を迎え、王位継承試験の最後の一日――最後の〈試練〉(トライアル)を残すのみとなっていた。

 今夜で終わる物語。

 実のところ――。

 その結末を、春子は知っていた。

 待っているのは、瑠璃の敗北。そして、玖郎との別れである。

 なぜなら、フラッタース王国の現女王は灯火(ともしび)・バーミリオン・(あかね)である。そして、今、瑠璃の側に玖郎はいない。

 それが、変えられない事実である。

 だから、物語の結末も変わらない。

 それでも、その物語を瑠璃が語る理由は――。

(瑠璃様が結婚しない理由は、やはり今でも、小泉様のことが――)

「その前に、一つだけ。あなたにも伝えたいことがあるのです」

 春子の考えは、身を乗り出してきた瑠璃の言葉に遮られた。

 瑠璃の手が、春子の手を握りしめた。

「な、何ですか? そんなに改まって」

 その温もりを意識しながら、春子は聞き返した。

「あなたと再会できて、本当によかった。生きていてくれて、本当に、よかった」

 瑠璃の言葉が胸に落ちると、春子は感極まったように瞳に涙を浮かべた。

「そんな……。本当に、ありがたいお言葉です……」

 瑠璃と春子の絆――その関係の始まりは、友人だと誓い合った日よりも以前、主従として初めて挨拶した日よりも過去、王位継承試験の日々よりもさらに昔へと遡る。

「あの時、瑠璃様が私の手を握ってくれた――それがどれだけ嬉しかったか、どれほど救われたか、どれほど誇らしかったか」

 この春子こそが、あの日、水の領土の貧民街で倒れた『あの女の子』だった。

「あの時、私は、何もしてあげられなかったのに」

 あの出来事をきっかけに、瑠璃は優しい世界を願った。

「いいえ。領主様の娘が手を取ったのです。私はすぐに介抱されて、水と食事をもらいました。孤児院にも入れてもらえました。――私は、瑠璃様に命を助けていただいたのです」

 あの出来事をきっかけに、春子の人生は一変した。

 女手一つで育ててくれた母を病でなくし、貧民街の娘であった彼女の行く先など想像もしたくないものだったが――彼女は、強い願いを胸に、陽のあたる道を進めることになったのだ。

 春子は、瑠璃の優しさに救われたその時から、いつか瑠璃に恩返しがしたいと願っていた。

「孤児院で幼い子ども達の世話をしていた私は、瑠璃様の奨学令に推薦していただき、向日葵(ひまわり)様の学校にも通えることになりました。卒業した後は、こうしてお城で仕事までさせていただいています」

 幼い頃から働き者で知られた春子は、小さな街の有力者の目に留まり、勉強をすることを許された。

 春子が必死の努力で厳しい試験に向かったのは、その先に清流城での働き口があると知ったからだった。彼女の卒業時の成績は、並み居る貴族の子息令嬢を押さえて、次席という素晴らしいものだった。

 清流城に勤めてからも、その働きぶりと知性は評価された。念願の瑠璃専属の侍女となって以降も、主を助け、彼女の安らぎを作るために努力を重ねて来たのだった。

「本当に、春子には助けてもらってばかりです」

「それは私のセリフです。私だけが頂いてばかりで、どうやってお返ししたら良いのか――」

 そう言う春子に、瑠璃は優しい笑顔を浮かべて首を横に振った。

「それで良いのです。この世界には、受けとるだけの愛も、見返りを求めない優しさもあるのです。私は、それが許された世界を作りたいのです」

 それは、瑠璃があの日々にもらった言葉だった。

「どうしても恩返しがしたいのなら、私以外の誰かを助けて、その人に優しくして下さい。そうして優しさの連鎖が繋がる世界を作って行きましょう」

 その言葉に、春子は瑠璃の手を握り返しながら何度も頷きました。

「はい……はい。必ず。瑠璃様でなくとも、助けて、優しくします」

 その様子を見て、瑠璃はもう一度微笑んだ。

「ふふ。その言葉、しっかり覚えておいて下さいね?」

 そして。

 ようやく、瑠璃が物語を語りはじめる。

 王位継承試験の最後の一日――最後の〈試練〉(トライアル)について。

 しかし。

 まさに、そのタイミングで。

 寝室の扉が叩かれ、音を上げた。

「誰です!」

 春子が、鋭い声を上げた。

 侍女が用を告げにきたのなら、決められた合言葉を使って声がかかるはずである。そうでないならば――異常事態だと言えた。

「夜分に失礼いたします。第三伝令隊隊長の渡辺です。緊急事態につき、至急お伝えしたい――」

 部屋の外の声は、男性のものだった。

 その事実に、春子は機敏に反応した。大きな衝立を瑠璃の前に引き出すと同時に、右手に護身用の短剣を構えた。息を詰め、扉の外の気配を全身で探りながら、重い語調で声を出した。

「この時刻であれば、至急の用であっても侍女が取り次ぐ決まりです。係の侍女はどうしました?」

 この場まで、誰にも見咎められずに入ってこられるはずはない。とするならば、答えは聞くまでもなく――。

「侍女と衛兵には、気を失ってもらいました。私から直接お伝えしたいと頼んでも、聞き入れてもらえませんでしたので」

「なんてことを……」

 春子は呻く。

「お伝えした後、どんな罰もお受けいたします。どうか――」

「無礼者!」

 春子は、覚悟を決めた。

 扉の向こうの男が、名乗りの通り伝令隊の隊長であるなら、鍛えられた身体を持つ上に魔法を使えるはずだ。万が一にも、瑠璃の身に危険が及ぶことは許容できない。

(命に代えても、瑠璃様をお守りする!)

 取るべき手段は、先手必勝。

 虚を突いた初手を、致命傷にする。

 春子の足が、床板を踏み締めて――。

「落ち着いて下さい、春子」

 瑠璃の声と手が、飛び出そうとする春子を止めた。

「瑠璃様っ!」

 こういう有事の際には、領主は衝立の奥に隠れて、声を出さない決まりになっている。それなのに、なぜ出て来ているのですか! という場違いな思考が邪魔をして、春子は攻撃の一歩を遮られ、抗議の一声を出しただけで止まってしまった。

「伝令の内容は予想できています。堅いことを言わずに、彼の話を聞きましょう」

「そんな!」

 春子の抗議の声を背に受けながら、瑠璃は衝立の奥に戻ろうとしている。

「春子。お願いします」

「ううう、瑠璃様ぁ……」

 春子は、瑠璃の命令以上に、瑠璃のお願いを断れない。そう知った上で言葉を選んでくる瑠璃を、春子は上目遣いで睨むが――すぐに折れて、衝立の側に控えた。

〈操作〉(オペレート)

 瑠璃の声と同時に、寝室の扉が開いた。

 扉の前には、深青色の軍服をまとった男が、片手片足を床に着いた姿勢で、中に視線を向けないよう頭を下げていた。

「渡辺。緊急事態だと言う、あなたの言葉を信じます」

 衝立の奥から、瑠璃の声が伝令隊長まで届いた。

「規則がありますので、私室に入れることはできません。そこから報告をして下さい。無理に押し入ろうとした場合や、私の侍女達に対してこれ以上の狼藉をした場合は」

 瑠璃の声に効果的な間が開いた。

「その瞬間に、あなたの全身の血液を沸騰させます」

 その声は、雪解け前の氷水を思わせる冷たさを帯びていた。意味のない脅しではなく、実現可能な宣言として発せられた一言だった。

 渡辺は頭を下げたまま息をのんだが、鉄の意思を持って伝令内容を口にした。

「報告いたします。水の領土より出兵した魔王討伐軍が、昨日○三○○(マルサンマルマル)時に魔王軍の奇襲を受け、夜明けを待たず壊滅しました」

 それは、まさに驚愕すべき内容だった。

「そんな! 藍花(らんか)様の討伐隊が――。し、失礼いたしました」

 思わず声を上げた春子は、自分の失態に気づいて、一瞬遅く口を両手で覆って頭を下げた。

 しかし、それほどの衝撃を受ける内容であることは間違いなかった。

 魔王討伐軍を率いていたのは、他でもない、瑠璃の母親の清水・セルリアン・藍花だった。前領主が指揮をとる軍隊となれば、その強大さは水の領土の本気を示す規模になる。加えて、藍花自身も、王位継承試験を戦い抜いた魔法使いである。その戦力は、壊滅どころか敗北すら想定していないものだったのだから。

「そうですか。――報告を続けて下さい。被害状況は?」

 渡辺の報告を聞き、しかし瑠璃は語調すら変えることなく、続きをうながした。

 その問いに、渡辺はわずかに言葉を呑んだ。

「――全滅です。一人の例外なく、捕虜になったか――命を落としたものと思われます」

 今度こそ、春子は悲鳴を飲み込んだ。

 敗走ではなく、壊滅ですらなく、全滅である。

「そうですか。確認しますが、伝令は意図的に逃がされたのですね?」

 瑠璃の声が、残酷にもその事実を確認した。

「恥ずかしながら、その通りです」

 渡辺は、肯定しながら体を強張らせた。

「私の想定より開戦が三日も早いですね。場所は?」

 瑠璃は、冷静なまま質問を重ねた。

藍波(あいなみ)漁港の西方五キロメートルの平地です」

 伝令内容に含まれていた情報だったのか、渡辺の返答は正確だった。

「魔王軍、驚くべき進軍速度ですね。敵軍の規模、特徴は分かりますか?」

「全体規模は不明です。敵兵について、魔法の使用と、銃火器の装備を確認できました。その他は不明です」

 瑠璃は、その報告で生じた疑問を口にした。

「魔王軍だと断定した理由は? 革命軍の残党という可能性はありませんか?」

 いいえ、と渡辺が答えた。

「風の領土の報告にあった、魔王と名乗る人物を確認しました。全身を覆う黒鉄の鎧に、身の丈ほどもある巨大な黒剣を背負って、自ら先頭に立って戦っていたとか。魔王軍の他の兵とは、装備の質が違ったようです。特徴から、同一人物だと判断して良いかと」

「そうですか。魔王本人が――」

 瑠璃は、そうつぶやくと、数秒の間思考に沈んだ。それから、渡辺に確認の一言を発した。

「他に報告事項は?」

「ありません」

 渡辺の答えは簡潔だった。

「報告ありがとうございました。下がって構いません」

 渡辺は、下げ続けていた頭をさらに低くして言った。

「無礼非礼の数々、大変申し訳ありませんでした。私は、このまま近衛に出頭いたします。お仕えするのもこれが最後に――」

 渡辺の言葉を最後まで待たず、瑠璃の言葉が返った。

「渡辺。あなたに、三件の指示を出します。――一つ、第一騎士団長に伝令、魔王討伐軍の状況を報告の上、防衛シナリオCに至急着手するよう伝えなさい。――一つ、伝令隊大隊長に伝令、同状況を報告の上、第三伝令隊の再編に着手するよう伝えなさい。第三伝令隊隊長は渡辺がそのまま務めなさい。――最後の一つ、魔王討伐軍の任務完了を待ち、あなたが手を上げた侍女に謝罪に行きなさい。彼女は平民の出身ですが、穏やかで良く気がつく上に器量良しです。あくまで本人の希望を尊重しつつ、彼女を幸せにできる将来有望な若い騎士を紹介して上げて下さい」

 その指示に、渡辺は顔を上げかけ――思い止まって、床を見たまま拳を握った。

(直接指示を受けるのは初めてだが、噂にたがわず――なんと聡明な。そして、なんとお優しい)

 第三の指示は、まるで少女の口から出た冗談のような内容だったが、それがあるおかげで、渡辺は禁を破った咎を受ける訳にはいかなくなってしまった。

「全て承りました」

「緊急時のため、近衛への出頭は必要ありません。命を無駄に捨てることは許しません。行きなさい」

 渡辺には、瑠璃の言葉は、生きなさい、と聞こえたかもしれない。

 彼は、視線を下げたまま立ち上がると、扉の前から下がって行った。

「瑠璃様。今の報告、何かの間違いではないでしょうか?」

 扉を閉めながら言う春子に、瑠璃はうなずいた。

「私も間違いであって欲しいと思います。でも、先ほどの隊長の様子と、先に襲撃を受けた風の領土の報告から判断して、有り得ない話ではないでしょう」

 自ら邪魔な衝立をどかしながら、瑠璃は言った。

「春子。私はすぐに火炎(かえん)城へ向かいます」

「王都ですね。お支度を用意します」

 瑠璃の一言に、春子は手早く瑠璃の正装を用意しはじめた。女王陛下にお目通りすることになるならば、正装の着用が必要となる。それを短い言葉で察して動ける侍女は、緊急時にこそ重宝するのだ。

「これから忙しくなります。昔話の最後は、少し先になりそうですね」

 身に付けた夜着を脱ぎ捨てながら、瑠璃はそう言った。

「はい。楽しみに待っています」

 春子が体にかける衣装を、瑠璃が手早く身につけて行く。旧来であれば、領主は自ら手を動かすことなく着付けされて行くものだが、瑠璃はそのような古い慣習を嫌っていた。二人の間では、正装の着付けについても、無駄を省いた合理化が進められているのだ。

「春子はいますか? 今宵、青星(あおぼし)は見えますか」

 部屋の外から、決められた暗号を使って声がかけられた。これが、通常の取り次ぎである。

「瑠璃様、失礼いたします。――どうしました?」

 主に一言断ってから、春子が部屋の扉へと歩み、用件を聞く。

「火炎城から遣いの方がいらっしゃいました。瑠璃様に、至急王城まで足を運んでいただきたいとのこと。陛下のお呼びだそうです」

 このタイミングでの王都召喚に、春子は胸騒ぎを覚える。

「瑠璃様」

「聞こえました。想像以上の急展開です」

 答えた瑠璃の声は固い。

 魔王討伐軍の全滅を報告しようとした矢先に、王都から呼び出しがかかる――このタイミングの一致は、得体の知れない不安を加速させるものだった。

「春子、良く聞いて下さい。魔王軍は、水の領土が持つ全ての防衛線を突破して、この清流城に到達する可能性があります」

 決められた衣装を肩にかけながら、瑠璃が言った。

「はい」

 複雑な結び紐を瑠璃の背に通しながら、春子が答えた。

 それは、考えたくもない、最悪の場合だった。

「最終防衛ラインが破られた場合は、構いませんから、城を捨てて皆で逃げて下さい」

 瑠璃の言葉に、さすがの春子も手を止めてしまった。

「湖畔の地下道の抜け道は知っていますね。あそこから王都方向に抜けられます。可能な限り城下の民も連れて――」

「待って下さい!」

 春子は、瑠璃の言葉を遮った。

「何を言うのですか。そうなったら、瑠璃様はどこに帰るのですか」

 それは、たとえ瑠璃の言葉であっても、二つ返事で了承できる内容ではなかったのだ。

「私はまだ、瑠璃様にお返しできていません。命を救って頂いたことも、教育を受けさせて頂いたことも、こうしてお側で働かせて頂いていることも。――私も戦います。魔王軍が何ですか」

 瑠璃の前に回り込み、片膝を着いて、春子は語調も強く宣言した。

「私だけではありません。他の侍女も、近衛騎士も、城にいる全ての者――水の領土に暮らす全領民が同じ思いです。命に代えても戦い抜きます。例え命令であっても、逃げません」

 そんな春子に、瑠璃は軽く息をついて見せた。

「命令は無駄、ですか」

 そして、その瞳を知的に輝かせた。

「それでは仕方ありません。――春子、友人としてお願いします。私の領民を逃がして下さい。必ずあなたが先導し、一人でも多くの命を救って下さい。先ほど春子は『私でなくとも助けて優しくする』と言っていたではないですか」

 先ほど春子の言葉に対して瑠璃が念押ししたのは、こんなこともあろうかと思って、ということだろうか。

「瑠璃様ぁ……。それはずるいです」

 そう呟きはしたものの、春子は自分を納得させるように、大きく一つ頷いた。

「確かに承りました。――考えてみれば、城や領土が領民に優先する訳がありませんよね。いつでも冷静、さすが瑠璃様です」

 そう言って、再度瑠璃の背後に回ると、青い薄布の上着を瑠璃にかぶせた。

「さあ、出来上がりです。最短記録ですね。その上、ばっちり綺麗ですよ」

 春子はそう言って笑顔を見せた。

「瑠璃様、お気をつけて。いってらっしゃいませ」

 瑠璃も春子に笑顔を返して、頷いて見せた。

「留守を頼みます。次に会った時には、最後の〈試練〉(トライアル)の話をしますね」

 そう言って、〈開門〉(オープンゲート)の魔法を唱えると、火炎城に直通している領主専用の門を通って、瑠璃は清流城を後にした。



   ◆



 魔法の扉を抜けた先で瑠璃を出迎えたのは風の領主、風見(かざみ)・ビリジアン・常盤(ときわ)だった。瑠璃の青い正装と色違いの、緑の正装を身につけていた。

「わ、常盤さん。まさか、お出迎えですか?」

 瑠璃の声には、驚きとともに、旧来の友人に対する気安さがあった。

「正月の祭典以来だね。私も少し前に着いたところだよ。水の門に反応があったから待っていたんだ。瑠璃を驚かそうと思ってね」

 対する常盤も、そう言って笑顔を見せた。

 火、水、風、土それぞれの領主の城から王城へと繋がる扉は、全てこの部屋に集められていた。常盤が自分の門から出たタイミングで、瑠璃の門に反応があることに気づけたのも自然な話だった。

「驚きました。私が一番乗りかと思っていましたから。この正装のお着付け、侍女の協力で最短記録を更新したんです」

「ああ。瑠璃のところの侍女は良いよな、融通が利いて。うちのお婆様達は決まりにはうるさくて。――早く到着できたのは、茜に報告するために、召集の前に動き出していたからだよ」

 二人で言葉を交わしながら部屋を出て、慣れた道順を歩く。行く先々で、火炎城の侍女や衛兵が、二人を見て慌てて頭を下げた。

「実は、私も同じです。お母様の魔王討伐軍が――」

「そうか。――ごめん。私のところで止め切れれば良かったんだけど」

 沈痛な面持ちになった常盤に、瑠璃は笑顔を作って見せた。

「謝らないで下さい。魔王とやらを捕まえたら、思う存分頭を下げさせてやりますから」

「そうだね……」

 茜の呼び出しがその件であることがほぼ確実である以上、詳しい話は茜の前で出るだろう。

 常盤は、別の話題にするようだ。

「それはともかく。私が一番年長だから、聞き飽きた忠言だと思うが、あえて言うよ。――瑠璃、結婚と子どもはどうするつもりなんだ?」

 常盤の言葉に、瑠璃は笑いながら両耳をふさいで見せた。

「それ本当に耳にタコですよ。問われたから語りますが、私は結婚するつもりはありませんし、王位継承試験までには紅葉(もみじ)ちゃんの年齢に合わせて養女を迎えるつもりです」

 茜の一人娘の名前を出しながら、瑠璃はそう答えた。

「養女って、そうなると分家連中がうるさいだろ」

 常盤は、自分自身に思い当たる何かを想像したのか、顔をしかめた。

「あ、私、貴族から選ぶなんて言ってませんよー」

「瑠璃、それはもっとうるさくなるって」

 ふざけて早足になる瑠璃を、言いながら常盤が追いかける。

 そこへ。

「おーい、常盤ちゃん、瑠璃ちゃーん。待ってー」

 後方から、元気な声が呼びかけた。

 小走りに追いついて来たのは、土の領主である土地(とち)・ライムライト・向日葵(ひまわり)だった。二人に遅れて大地城から到着した彼女は、瑠璃達の姿を見つけて駆けて来たようだった。

 黄を基調とした彼女の正装は、瑠璃達のものとは若干異なるものだった。主にその腹部を中心に――。

「こら向日葵。妊婦が走るな!」

 常盤が、向日葵へと走り寄って、黄色い衣装の体を止める。

「あはは、そうだよねぇ。柚葉(ゆずは)ちゃんと青磁(せいじ)くんは元気?」

「自覚が足りない! おかげさまで、二人とも元気だよ!」

「向日葵ちゃん、お腹さわらせて下さい。動きますか?」

 笑う向日葵に、怒る常盤に、どこかマイペースな瑠璃。

 年齢をどれだけ重ねても、あの王位継承試験を戦い抜いた〈魔法少女〉(プリンセス)達が集まれば、いつでもあの頃に戻るようだった。

「ごほんごほん」

 わざとらしい咳払いに顔を向けると、苦笑を隠しもしない男性が、女王に謁見するための大広間の前で待っていた。

 騎士団で鍛えた体に略式ながら緋色の騎士服をまとい、片刃の剣を腰に履いた姿は、精悍な顔つきに実によく似合っていた。

 女王の伴侶である国王でありながら、近衛騎士団長を務める灯火・バーミリオン・珊瑚(さんご)だった。

「夜分の急な召集にも関わらず、応じていただき感謝する」

「きゃー、珊瑚ちゃん格好良いー」

「これこれ。私、未だに珊瑚殿下の少年時代とのギャップに笑っちゃうんだよね」

「分かります。私も式典の時なんか、茜陛下も珊瑚殿下も先代そっくりで、笑いを堪えるのに必死です」

 国王であっても、昔なじみの領主達にかかるとこの扱いである。

 声を掛ける前から表情が苦笑になっているのも無理からぬと言うものだ。

「ちょっとー、楽しそうなの私も混ぜなさいよー。あと私の珊瑚をからかって楽しむの禁止ー」

 挙げ句の果てに、威厳を持って客人を迎えるはずの女王が、自分で扉を開けて顔を出す始末である。

「おぉい、女王陛下は中で待ってろよ」

「何よ。いつまで待っても来ないからでしょ? さ、みんな入って」

 気楽な調子で領主達を招いた人物こそ、このフラッタース王国の頂点である、第十五代女王、灯・バーミリオン・茜だった。

 赤を基調とする衣装に、彼女だけ白色の指し色がされている。

 茜は、大広間の奥へと進み、所定の位置に立つと、一つ咳払いをした。

 それを受け――。

「フラッタース王国王女、灯火・バーミリオン・茜陛下である」

 壁際に控えた珊瑚の声が、朗々と広間に響いた。

「水の領主、清水・セルリアン・瑠璃、参城いたしました」

 茜に向かう位置に立つ瑠璃が、言葉と共に頭を下げた。

「風の領主、風見・ビリジアン・常盤、参城いたしました」

「土の領主、土地・ライムライト・向日葵、参城いたしました」

 瑠璃と並び立つ、常盤と向日葵がそれに続いた。

「夜分の急な召集に応じた即刻の来城、大儀であった」

 茜の声が、凛と響いた。

「早速だが、魔王軍についての情報共有と対策検討を行う」

 茜はそう言って、息を一つ吐いた。

「――このやりとり、絶対に即時廃止して良いよね。何時代よ、って感じ」

 そして、次の一言は素に戻ったものだった。

「即時廃止は無理だ。王城のセキュリティ魔法が、この時代がかった挨拶と連動してるんだ。外からの直接転移禁止、盗聴防止強化、攻撃減衰と防御強化。リニューアルしたいなら、魔法技師をチーム単位で雇った上に、半年レベルの作業コストが――」

 王城の防衛も担当する珊瑚が、肩肘を張った模範解答を口にした。

「分かってる分かってる。優先順位低いもんね。だから止む無く、必要最低限のやりとりを必要最低人数でやってるんでしょ? 本当だったら、女王の名呼びも、領主の挨拶も、何人もの人間が何十分もかけてやるんだから」

 ふん、と息を吐いて、茜は気分を切り替えたようだ。

「ま、それは良いから。珊瑚、イスとテーブルとおいしい紅茶を出して」

「へいへい畏まりました女王陛下。〈開門〉(オープンゲート)

 珊瑚の魔法の呪文とともに、立派な円卓と、デザインを揃えた四組のイスが並べられた。

「はい、向日葵は早く座る。大事な時期なんだからね。気分悪くなったらちゃんと言いなさいよ」

「はーい、女王陛下ぁ。ふー楽ちん」

「常盤。柚葉と青磁は変わりない?」

「お転婆娘とやんちゃ坊主に育っています。陛下っ」

「瑠璃は相変わらずね。なんだか、あなただけ若々しくて意地悪したくなるんだけど」

「陛下こそ、相変わらず珊瑚殿下と熱々で、当てられてしまいそうです。紅葉ちゃんは元気ですか?」

「それがイヤイヤ期の癇癪で凄い量の火を出すから、お城の中が黒焦げで大変なのよ。全く誰に似たのか――って、ちょっとあなた達。『陛下』って呼ぶ時はちゃんと敬意を込めなさいっていつも言ってるでしょ」

『はーい陛下』

 完全に同窓会と化してしまった大広間の様子に、珊瑚は肩をすくめると、自分用の質素なイスを壁際に置き、広間の扉に向かって歩き始めた。

「珊瑚。防衛関係だから、一緒に聞いて欲しいんだけど?」

「さすがに紅茶はゲートに入れてないから、少し待っていろ」

 珊瑚の言葉から数分。

 姦しいことこの上ない女王と領主達の前で、ティーカップが湯気を立てる段階になりようやく――皆が一息いれて静かになった。

 珊瑚も自分のイスに落ち着き、背筋を伸ばした。

「さて、と」

 本題に入ったのは、当然ながら茜だった。

「魔王について、だけど。――まるで地球世界のゲームかマンガのような展開になっちゃったわね。魔法世界の存続の危機だもの」

「風の領土は、疾風(はやて)城を含む東部を除いて、ほぼ七割が魔王軍に占領されたよ。悔しいけど、戦力差から素直に考えて――始まってしまえば長くは持たない」

 苦々しい声で、常盤が報告する。

 最初に魔王軍と遭遇したのが風の領土である以上、報告を彼女が始めることは自然だと言えた。

「水の領土は、魔王軍の侵攻を領土の境界で防ぐため、討伐軍を出兵しました。しかし、前領主である藍花を含む全員が、捕虜になったか死亡したとの報告を受けました。この戦場に、魔王本人がいたようです。なお、敵の進軍速度は想定を遥かに上回り、装備として魔法と銃火器を使用したようです」

 次の報告は瑠璃だった。報告内容は重く、特に瑠璃の母親である藍花に話が及ぶと、茜をはじめ皆が目を伏せた。

「昨日、土の領土でも、魔王軍と思われる軍隊と、東端の辺境部隊が開戦したよ。瑠璃ちゃんの報告と矛盾するけど、こちらでも魔王が報告されたの。黒い鎧に、黒い大剣を背負ってたって。ねえ、これって、どういうことかな?」

 向日葵の報告にも、魔王軍の影が上がった。

 最初に侵攻された風の領土と、向日葵の土の領土は、それぞれ西と東に大きく離れている。同時侵攻も信じ難いが、魔王が移動したと考えるのも無理があった。

「火の領土の戦況を分析した結果、敵は南端から現れたらしいわね。魔王軍は、四正面作戦でもやるつもりかしら。――幸い、地平世界中央に位置する王都では戦火は聞いてないけど。清流城、疾風城、大地城、あるいは火の領土の方の火炎城が落ちれば、すぐにここまで流れ込んでくるわね」

 茜はそうまとめると、美しい眉根を寄せた。

「向日葵ちゃんの報告と、私の報告との矛盾には、いくつかの仮説を立てられます。魔王と名乗る者は複数いる、一人が本物であとは影武者、未知の移動方法を持っている――検証には情報不足ですが」

 瑠璃の言葉も、厳しい現状を際立たせる役にしか立たない。

「魔王本人については、考えても仕方ないわね。――良いわ、認めましょう。魔王軍と比較して、私たちの軍隊は少ないし、弱い。異論は?」

 茜が、絶望的に論点をまとめてみせた。

「ありません。私の魔王討伐軍は、国内の戦力の半分弱を結集、しかも魔法使いの割合を多くした必勝の部隊でした。それが、奇襲を受けたとは言え、あっさり全滅した。水の領土に残った兵力を全てかき集めても、勝算はありません」

 瑠璃がそう断言した以上、向日葵や常盤が補強する必要はなかった。

「王国中の戦力を一点集中させて、王都を守る位置で防衛に徹すれば勝てると思う?」

 常盤が口にしたのは、現在用意可能な最大戦力だった。つまり、最悪の事態を想定した場合、である。

「分かりません。そもそも、まともな戦闘になっているのかも不明です。こちらの魔法や装備がわずかの傷も与えられないなら、結集も集中も無意味です。戦略の前に、戦術で負けているようでは――」

「それは悲観的すぎるよ。やっぱり判断するには、情報が足りないんじゃないかな」

 瑠璃の言葉を否定する形で、向日葵が口を開いた。

「そうだね。ある程度の戦力を魔王軍にぶつけつつ、情報収集に徹して絶対に後方に伝える戦い――か。よし、その役割、私の風の領土で引き受けるよ。何といっても機動力なら――」

「その前に」

 常盤の言葉を遮って声を上げ、瑠璃が手を上げた。

「はい、瑠璃さん」

 茜が、半分茶化して瑠璃を指名した。懐かしい、地球世界の学校にあった風景である。

「一つ、私から提案があります。この悪夢のような状況を、解決する手段に心当たりがあるのです」

 瑠璃は背筋を伸ばし、凛とした声で応えた。

「あー、ちょっと待って瑠璃。あなたの気合いが入った様子を見るに、多分その提案は、私のアイディアと同じじゃないかなーと思うんだけど。せっかく夜遅くに皆を召集したんだし、私に言わせてくれないかなー」

 茜は、両手を合わせて体をクネクネさせながらそう言った。

 とても女王の仕種とは思えないし、大事な会議の最中の動作とも思えないし、強いて言うなら二十歳を過ぎた大人の女性の態度とも思えないものだった。

「ダメです。――茜。これだけは、私に言わせて下さい」

 情けない女王陛下とは対称的に、瑠璃からは真剣な気迫が発せられていた。

 その様子に、茜は肩をすくめて見せた。

「ま、それもそうだね。――では許します。瑠璃、言っちゃって」

 茜の軽い許可に、瑠璃は頷いた。

 一度瞳を閉じてから、意思を込めて目を開く。

 静かに息を吸い込み――。

 そして、言う。



「地球世界から、小泉玖郎を召喚しましょう」



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