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01 間章 決戦に至る道

『2番目の魔法少女[4](終)そして結末へ』



   ◆ ◆ ◆



【玖郎】



 見上げた空に、一番星を見つけた。

 凛と冷えて澄んだ大気の向こう、街の明かりに負けることなく、その星は輝いていた。

 冬の風は、日没時刻を過ぎてから、一段と厳しさを増している。

 僕が着込んだ濃紺のウィンドブレーカーには、サイズが合っていないことも災いして寒さが入り込んで来る。冷気が触れたところから、僕の体温が否応なく奪われる。

 本来なら身震いの一つもするところだろうが、今はその寒さが心地好い。ともすると過熱する僕の思考を冷却してくれるかのようだ。

 ふむ。

 認めなければいけないだろう。

 決戦に向けて、僕の感情は――特に好戦的な一部を中心に――興奮を抑え切れないようだ。まだまだ冷静さを失うレベルではないが、自覚しておく必要がある。

 そう。

 僕たち――僕と瑠璃(るり)は、決戦に向かっている。

 最後の〈試練〉(トライアル)へ。

 世間一般に知られている事実ではないが、僕の生きているこの世界――地球世界とは別に、地平世界というものが存在する。近代文明を発展させる代わりに、魔法と〈精霊〉が存在する、魔法の世界だ。

 瑠璃は、その地平世界から来た〈魔法少女〉(プリンセス)だ。フラッタース王国の次期女王を決めるため、王位継承試験に臨む四人の〈女王候補〉(プリンセス)の一人なのだ。

 いくつもの〈試練〉(トライアル)と、無数の〈仕事〉(タスク)で構成された王位継承試験は、いよいよ最後の一つを残すのみとなった。

 最後の〈試練〉(トライアル)

 僕と瑠璃は、その最後の課題に向かって、一歩ずつ歩みを進めているのだ。

 瑠璃は――。

 この決戦に勝利できるだろうか。

 次の女王になれるのだろうか。

 彼女の願いを、叶えることができるだろうか。

 全てがこれからの一戦にかかっているとも言えるが――。

 そんなことを考えながら隣を歩く瑠璃を見ると、ちょうどそのタイミングで彼女と視線が合った。

 瑠璃は、無言のまま、つないでいる僕の手に力を込めた。

 僕も、彼女の手を握り返す。

 この一瞬を惜しむように。

 そうだ。

 間もなく始まる最後の〈試練〉(トライアル)。それを最後に、僕と瑠璃の王位継承試験が終わる。長いようでいて、瞬く間に過ぎ去ってしまった一年が――正確には九ヶ月が終わってしまう。

 終わってしまえば、その先に待つのは別れだけだ。

 僕はこの世界に残り。

 瑠璃は自分の世界に帰る。

 出会った時から決められていた別れ。

 ああ、だめだ。

 それを意識してしまえば。

 僕には、彼女との記憶が無数に再生される、その思考を止めることができない。

 今、瑠璃と歩く一歩――その一歩の短い時間に、瑠璃と過ごした日々が、時間が、記憶が、鮮明に再現される。



 ――春。

 始業式から数日遅れて五年一組に加わった転校生――小学校への通学路でぶつかった見知らぬ女子生徒が、瑠璃だった。転校初日の授業後、図書室裏のベンチで、彼女は僕に言った。

 私の〈騎士〉(ナイト)になって下さい、次の女王になるために、力を貸して下さい――と。

 それは、彼女が地平世界という別世界の人間であるという告白であり、彼女が臨む王位継承試験における手助けの依頼だった。僕は、瑠璃の覚悟を試し、一度はその依頼を断った。

 しかし、クラス委員長の霧島(きりしま)朝美(あさみ)を巻き込む形で始まった最初の〈試練〉(トライアル)に、彼女が報酬として約束したのは、瑠璃自身だった。この世界と、瑠璃のいた魔法世界を合わせたとしても、間違いなく唯一無二の価値を持つもの。

 彼女が見せたその覚悟に、僕は感動すら覚えた。

 天才少年だなどと言われていた僕が、望みながらも持ち得なかった、目的や動機――願いを、青く輝く瞳の中に見たからだ。

 僕は、約束した。

 瑠璃を助ける――と。

 僕のいくつかの助言で、瑠璃は〈操作〉(オペレート)の魔法を応用し、彼女自身諦めていた飛行を実現することで、無事に委員長を助けることに成功した。

 僕は、その時点で考えられた三つの理由から、瑠璃との〈契約〉(コントラクト)〈騎士〉(ナイト)になる道ではなく、ただの協力者で居続ける道を選択した。

 僕たちは、いくつもの〈試練〉(トライアル)に挑み、無数の〈仕事〉(タスク)に向き合う――王位継承試験の日々を過ごした。

 瑠璃が一人暮らしだという問題を解決するため、多大な犠牲を払いながらも悪い魔女――母さんの協力をとりつけ、瑠璃の衣食住と通信、そして若干の行動の自由を獲得した。

 近所の高校生、天童(てんどう)香苗(かなえ)がバイトする屋台で買ったイチゴのクレープを食べながら、星を見上げて二人で話をした。そこで、彼女が女王を目指す理由を知った。誰もが誰もに優しくすることができる世界を作ること。ある意味では幼稚とも言える理想論だが、一方で実現の道は険しい。それでも、彼女はそれを、強く強く願っているのだ。

 瑠璃の目的に立ち塞がる最大のライバル、火の〈魔法少女〉(プリンセス)(あかね)〈騎士〉(ナイト)珊瑚(さんご)との、最初の競争型〈試練〉(トライアル)を戦った。瑠璃の魔法と僕の思考は、魔法世界の歴史で五本の指に入ると言われる茜の圧倒的魔力を前に、敗北した。



 ――夏。

 僕たちは精力的に、〈試練〉(トライアル)〈仕事〉(タスク)をこなしていた。

 土の〈魔法少女〉(プリンセス)〈騎士〉(ナイト)である向日葵(ひまわり)(かける)のペアと、風の〈魔法少女〉(プリンセス)〈騎士〉(ナイト)である常盤(ときわ)綾乃(あやの)のペアを同時に相手にした、初の三つ巴の〈試練〉(トライアル)に、僕の奇策で勝利したのもこの頃だった。

 向日葵と協力して、小学校中に現れた逆さ吊りのてるてる坊主の謎を追いかけたり、常盤達と思い出の宝石を探したりもした。

 〈生成〉(クリエイト)が苦手という瑠璃の弱点を補い、直接対決における勝率の悪かった茜と珊瑚のペアに勝利するため、出井浜(でいはま)海岸に向かった。海を見たことのなかった〈魔法少女〉(プリンセス)達と珊瑚は、僕の思惑も知らずに、無邪気に喜んでいた。

 そこで、〈闇の魔法少女〉を名乗るクロミと初めて対峙した。

 地平世界の革命を掲げ、本来有り得ないはずの複数属性の魔法を操る彼女は、強力な〈精霊〉――火吹き山のサラマンドラの召喚を切り札に、僕たちに襲い掛かってきた。〈魔法少女〉(プリンセス)〈騎士〉(ナイト)全員の協力をもって、サラマンドラを地平世界へと返すことに成功したものの、クロミの捕獲には失敗してしまった。これ以降、クロミは異常な執念を持って、度々僕たちの前に立ち塞がることになる。

 瑠璃と歩いた海辺で、あの忘れられない虹の下で、僕は知った。瑠璃は、彼女の目指す世界を実現するため、王位の放棄までをも覚悟していたのだ。捨てるために必死で得ようとしている彼女の姿に、彼女が進むことになる茨の道に、僕は、瑠璃を本当に助けようと深く誓ったのだ。

 心の底から。

 瑠璃を助けたいと、願った。



 ――秋。

 王位継承試験の当初から恐れていた事態が現実となった。

 〈保護魔法〉(プロテクト)で守られた地球世界の人間が、敵意と害意を持って僕たちの前に現れるという、最悪の状況。それが現実となり、僕たちを襲った。

 紅葉に彩られた飯尾(いいお)山のハイキングコースで、クロミが依頼した殺し屋に対峙し、僕はかねてより想定していた覚悟を決めた。

 最悪の状況を回避するための、最悪の覚悟。

 しかし、その覚悟が現実になることはなかった。

 目的を見失うな、最後まで考えることを諦めるなと、僕が瑠璃に与えた言葉を使って、瑠璃が僕を正してくれた。

 クロミと一対一で話したのもこの頃だった。彼女の正体、複数属性の魔法を操る方法、その対応策が全て分かっていることを明かし、改めて投降を提案した。それでも、クロミの応えは否だった。

 彼女は――僕がそう願うのと同じように――ほんの一握りの大切な誰かを守るために、世界全てを敵にまわす覚悟を決めていた。あるいは、瑠璃に匹敵するか、上回るかといった強さで。彼女との交渉は決裂した。



 ――冬。

 冬の訪れを感じ始めた頃。唐突に、僕たちの日常は終わることとなる。

 それは、王位継承試験の審判である〈精霊〉オリジン・ジャッジメントから告げられた最終〈試練〉(トライアル)の日程。

 予定よりも早く告げられる、別れの予感。

 瑠璃と僕は、クラスメートとの別れや、僕の母さんに全ての事情を話すことを含めて、間違いなく訪れるその最終決戦に向けた準備を始め――。



 ――。

 僕は、無限に繰り返される回想を、意思の力で押し止めた。

 そうだ。

 何度も繰り返し誓ったように、僕は瑠璃を助けたい。

 そのために必要なのは、瑠璃との記憶に溺れていたいという甘美な誘惑に負けることではなく、彼女を勝利に導くための思考だ。

 目の前に迫る、避けようのない別れ。

 今日、ここで終わってしまう日々。

 懐かしくも愛しい日々。

 ――意識を向けるべきはここではない。

 苛烈な最後の〈試練〉(トライアル)

 ジャッジメントが用意する困難。

 ライバルである〈魔法少女〉(プリンセス)達。

 次期女王の座を手にする直前の茜。

 クロミの罠。

 ――この戦いなのだ。

 瑠璃のために、間隙なく思考しろ。

 彼女のために、百の知略を張り巡らせろ。

 勝利のために、千の策謀を操るのだ。

 その先に。

 どんな結末が待っているとしても――。

 


【瑠璃】



 玖郎(くろう)が隣を歩いていること。

 つないだ手が、彼の温もりを伝えてくれること。

 それだけで、冬の風の冷たさなど気にならない程に、胸の奥が温かくなる気がしました。

 永遠に、この時間が続けば良いのに。

 今この瞬間に、時間が止まってしまえば良いのに。

 そんな想いが胸にあふれて、静かに痛みを発しています。

 いけませんね。

 最後の〈試練〉(トライアル)に向かっているというのに、少しでも気を抜くと、その先に待つ別れのことばかり考えてしまいます。

 集中しなくては。

 最後の一瞬まで、思考を止めないように。

 目的を見失わないように。

 そうです。

 私の目的は、地平世界を誰もが誰もに優しくできる世界に――優しくすることが許される世界に変えること。

 その実現には多くの壁が立ち塞がるでしょう。身分の差、貧富の差、政治や制度の未熟さ、あらゆる不平等、そして王政そのもの。そう、私は女王になった上で、王位を放棄し、王政を廃止するつもりなのです。

 誰の理解も得られないでしょう。

 誰にも褒められず、認められず――私が助けたい人達にすら賛同されないでしょう。

 たった一人で進むしかない、茨の道。

 それでも。

 それでも、この願いを叶えなければ、私は――あの時、あの貧民街で、目の前で命を失った女の子に――悲しむことしかできなかった幼い私自身に――許してもらえないのです。

 だから――。

 この〈試練〉(トライアル)に、王位継承試験に勝ちたい。

 茜に勝って、一番になりたい。

 女王になりたい。

 例え、玖郎と別れることになるとしても――。

 隣を歩く玖郎を見ると、ちょうど彼も私を見たところで、視線が合ってしまいました。

 彼に伝えたい想いが幾千の言葉になって私の胸に飛来しますが、どれも足りない気がして、どれもふさわしくない気がして、私はただ、玖郎の手を強く握ることしかできませんでした。

 すると、まるで分かっているというように――実際に玖郎にとってはお見通しなのかもしれませんが――彼が私の手を握り返してくれました。

 力強く。

 温かく。

 優しく。

 ええ。

 それで、十分なのです。



 今日は十二月二十三日。

 クリスマスイヴを翌日に控えた日曜日。

 そして最後の〈試練〉(トライアル)が行われる日。

 当初、王位継承試験の期間は、四月からの一年間の予定でした。それを早く切り上げ、十二月に最終〈試練〉(トライアル)を実施することになったのですが、その理由は〈女王候補〉(プリンセス)達には知らされていません。

 クロミの行動を含めた、地平世界の革命を目指す動きの活発化が影響している可能性が高い、と玖郎は言っていました。

 前例や慣習を重んじる王位継承試験にさえ、例外を許すような何か。それは、確かに存在しているのでしょう。

 輪郭のはっきりしない焦燥感。

 音もなく背後に迫る不安。

 そんな連想が働くのは、日の暮れた道を歩いているのが、私たちだけだからでしょうか。

 そうなのです。

 玖郎と私の他には人通りが全くありません。街に人がいないのです。人の声も、車の音も、街にあるべき音すら存在しません。街灯や、お店の看板、クリスマスの電飾をまとった街路樹は、変わらず光っているというのに。

 だから一層、しんとした空気になっているのでしょう。

 シーナタワーにせよ、タワーを囲む椎名大通り公園にせよ、B市内で人気のデートスポットです。公園周辺の街も含めて、クリスマス直前の休日、夕食前のこの時間に、誰もいないということは本来有り得ません。

 疑うまでもなく、ジャッ爺の人払いの魔法が働いているのでしょう。

 誰もいない街。

 ただ静かに、決戦を待つ街。

 私たちの進む先に見えているシーナタワーでさえ、その中には誰もいないのでしょう。

 オレンジ色の光で夜空に浮かび上がる、無人の塔。

 シーナタワーについては、事前に一通りの知識を確認してあります。

 ラジオやテレビの電波塔として建設されたシーナタワーは、鉄骨を使った構造で、東京、大阪、名古屋や札幌のテレビ塔に似た外観です。また、高層からA県を眺望できる展望台として、建設当初から人気の観光スポットでもあります。 

 フロア構成は、地上、中層、高層の三階層になっています。

 地上フロアである一階は、売店と歴史展示コーナー、有料展望台への入場ゲートがあります。

 中層フロアは、ガラス張りの展望スペースと売店のある二階と、風が吹き抜ける金網張りの屋外展望スペースの三階になっています。

 高層フロアは、ガラス張りの全方位展望スペースの四階と、電波送信設備がある五階になっていますが、通常一般のお客さんは五階には入れません。

 一階と二階、三階と四階が、それぞれ別のエレベーターで行き来できるようになっています。二階と三階、四階と五階の移動は内階段です。もちろん、その他に、日々の点検などを行うための外階段も、鉄骨に沿う形で設置されています。

 私たちは、高層フロア五階が最終目的地だと予想しています。例によって、ここにターゲットジュエルを設置し、先に手にした者が、最終〈試練〉(トライアル)の勝者となる――。

 事前の準備といえば、今回、水を入れたペットボトルの設置はしていません。きちんと管理されている建物で、死角になるような場所もなく、不審物として撤去されてしまう可能性が高い、というのがその理由です。特に上層フロアでは先週緊急の設備工事があったらしく、誰もが怪しい物がないか目を光らせているはずです。補給を当てにしていると大事な局面で失敗してしまいます。玖郎が持つ一リットル二本、私が持つ五百ミリリットル一本を大事に使う必要があります。

 そうやって周囲の状況や事前準備について考えながら歩いていると、すぐに集合場所に着いてしまいました。

 玖郎と私は無言で頷き合うと、つないだ手を離しました。

 お互いの温もりが残る手のひらを、それぞれが握りしめて拳にします。

 ここからは、もう――。

 椎名大通り公園の南口。

 集合時刻の十七時には、まだ少し時間がありますが――。

「こんばんは。みなさん早いですね」

 そこには既に、向日葵ちゃんと翔さん、常盤さんと綾乃さんが待っていました。

「瑠璃ちゃん。日が落ちると一段と寒くなるねぇ」

 向日葵ちゃんは、言葉の内容とは裏腹に、普段通りに今にも飛び回りそうです。寒くて首を縮めるというよりは、寒いから全力で走り回ろうという雰囲気です。

 相変わらず小柄で可愛らしいのですが、春頃に比べるとしっかり成長しています。頭の両側で髪をまとめるお気に入りのヘアスタイルも、髪が伸びているせいか、ほんの少しお姉さんになった雰囲気です。

 黄色の手袋や、オレンジ色のマフラーを身につけ、黄土色のダッフルコートを着込んだ冬の装いでも、笑顔だけは真夏の元気のままなのです。

「ふふっ。そうですね」

 あまりにもいつも通りなその言葉に、思わず笑ってしまいます。

「なんだか向日葵ちゃんの周りだけ暖かい気がします」

「それは、私がお子様だから体温が高いってことかな?」

 あ、そんなつもりはなかったのですが。そもそも、確かに向日葵ちゃんは小学四年生ですが、私と一つしか違わないので――。

「俺ならともかく、瑠璃ちゃんがそういう冗談は言わないだろ」

 翔さんが、苦笑気味の表情で、助け舟を出してくれました。

 翔さんの方は、向日葵ちゃんと違い、いつも通りというわけではないようです。王位継承試験を争うメンバーの中では最年長の大学生ですが、少し顔色が青い気もしますし、肩に力が入っているようにも見受けられます。やはり最後の〈試練〉(トライアル)を前に緊張しているのでしょうか。

 いいえ。そう判断するのは、早計なようです。

 今日の翔さんは、防寒という意味では軽装に見えます。上着は丈の長くない茶革のジャンパーだけですし、ズボンも普通のデニム地のようです。首も守っていないので、後ろでちょんと縛った髪が風に吹かれて、端で見ていても寒そうです。ただし、見方を変えれば、それは間違いなく動きやすさに主眼を置いた服装なのです。加えて、本人には全く寒そうな様子はありません。翔さんの、〈試練〉(トライアル)に向けた気迫の現れなのでしょう。油断は禁物です。

「えへへー、分かってますよー。向日葵の冗談だよー」

 そう言って、私にペロリと舌を見せた向日葵ちゃんも、やはり彼女なりの覚悟を超えて、この場に臨んでいるのでしょう。

「瑠璃は、部屋の片付けはしっかり終わった?」

 向日葵ちゃんとの会話が一息ついたタイミングで、常盤さんがそんな風に声をかけてくれました。

 頭の後ろの高い位置でまとめた髪が、今はダークグリーンのコートについたフードに乗っかっています。コートの下は、緑色をベースにしたチェック柄のセーターと、長めの黒いスカートのようです。落ち着いた冬場のオシャレという雰囲気で、小学生と中学生とのセンスの差を感じてしまいます。

 寒さに白くなる息の向こうには、優しいお姉さんの表情が見えています。

 そうですね。〈魔法少女〉(プリンセス)達の中で、これまでに一番大きな変化があったのは常盤さんです。地球世界での経験や成長が、目に見える程に現れている気がするのです。

 以前はあった不安や焦燥は見えなくなり、以前にはなかった余裕や寛容が現れました。少し話しただけでも、深みのある人柄のようなものが感じられて、静かに魅力的というか――とっても素敵な雰囲気になっているのです。

 王位継承試験に臨んでいる年齢自体が少し上であることや、中学校に通うのが一人だけだということが影響しているのかもしれません。あるいは、〈騎士〉(ナイト)との関係かもしれません。

 理由はどうあれ、常盤さんに起こった変化のほんの少しでも、私も成長していれば良いのですが。

「はい。ばっちり終わらせてあります。からっぽで、寂しいくらいです」

 この〈試練〉(トライアル)の結果がどうであれ、私たち〈魔法少女〉(プリンセス)は、王位継承試験が終わってしまえば、この地球世界にいる意味がなくなってしまいます。すぐに帰ることになります。

 一人暮らしに使っていた部屋は、当然片付けなければなりません。

 片付けだけではなく、この地球世界でお世話になった人達や、クラスメートとのお別れも終わっています。

 ええ。

 やるべきことは、全て終えているのです。

「ああ、ごめん。最後の〈試練〉(トライアル)直前だっていうのに、今の話題はなかったね」

 私が表情を暗くしてしまったのでしょう。気を使わせてしまったようで、すぐに常盤さんが謝って来ました。

「いえ、そんな――」

「今の言葉には、実は深ーい理由があるのです」

 慌てて手を振る私の言葉を遮ったのは、綾乃さんです。

 綾乃さんの今日の装いは、白いハイネックのセーターと黒いズボンと、緑色のタータンチェックのコートです。同系統の色のせいか、柄を合わせているからか、どことなく常盤さんとお揃いといった雰囲気になっています。

 動きやすいスニーカーを履き、一方でマフラーもバッグも身につけていないのは、間違いなく〈試練〉(トライアル)に向けた準備でしょう。

 お嬢様然とした上品な動きで私の前に顔を出すと、背中まで届く黒髪が揺れ、良い香りがふわりと漂って来ます。

「あ、まさか綾乃――」

「常盤さんは、自分の部屋の片付けがとうとう間に合わなかったのです。そこで、今、武者小路(むしゃのこうじ)家の家政婦部隊が急遽荷造り作業を進めているのですが、それが気になって気になって」

「わわわ、それ言わない約束っ」

 いつも通りにじゃれあう二人は、なぜか普段よりも柔らかい感じがしました。静かな、そして揺るぎない覚悟を共有している、そんな雰囲気なのです。

 私と玖郎や、向日葵ちゃん達よりも、目の前に迫った別れをしっかりと受け止めているからかもしれません。

「ふん」

 と、私と同じく、常盤さんたちのじゃれあいを見ていた玖郎が、小さく鼻を鳴らしました。それは、四月の頃ならあったはずの冷笑を含んだものではなく、慣れ親しんだ温もりに対する照れ隠しのような、そんな音に聞こえました。

 最終〈試練〉(トライアル)の事前情報として、ジャッ爺から全員が知らされていることがあります。それは、この最後の試験は、茜と誰か一人の戦いになる、ということです。

 私か、向日葵ちゃんか、常盤さんか。

 この三人の中で、茜と並び立って優勝する可能性があるのは――次の女王になる可能性があるのは、一人。

 そんな、私のライバル達。

 大好きな、〈魔法少女〉(プリンセス)達。

 そして――。

「――私達が最後みたいだね」

 そんな言葉と共に――。

「これで全員集合、だね」

 最後にこの場所に現れたのは、茜でした。

 ごう、と――。肌を焦がすほどの熱波が、茜から吹き付けたような、そんな錯覚に襲われました。

 茜の気合いが、留め切れずに放出されたのか。

 勝者となるべき者の気迫なのか。

 ほんの一瞬、叩き付けられたそれに――私は、両足を踏み締めて、立ち向かいました。

 倒れません。

 負けません。

 茜がどれほどの存在だとしても――彼女に勝って、次の女王になるのです。

「――」

 一瞬の放出の後、茜は普段と変わらぬ笑顔を見せました。

 リンゴのついた飾りゴムで髪をまとめているのも、前髪がぴょこんと跳ねているのも、赤のダウンジャケットも、厚手の白いスカートも、浮かべる表情もいつも通りです。それでも、その内側には――間違いなく、次の女王に一番近い〈女王候補〉(プリンセス)がいるのです。

 そう、彼女こそが火の〈魔法少女〉(プリンセス)――灯火(ともしび)・バーミリオン・茜。

 私と同い年で、元気で、明るくて、一緒にいる人達を笑顔にできるような――地平世界からの私の親友。同時に、地平世界での歴史の中でも五本の指に入るほどの膨大な魔力を持つ、一番目の〈女王候補〉(プリンセス)。現女王の娘にして、次期女王の最有力候補、私がどうしても倒さなければいけない相手なのです。

「この〈試練〉(トライアル)が最後なんだよな。ずっと王位継承試験が続くような気がしちゃって、なんだかまだ少し現実感がないな。上手く言えないけど――」

 珊瑚くんが、頭をかきながら、そう言いました。

 その気弱ともとれるその一言に、茜は彼の手を握って、静かに一つ頷きました。珊瑚くんは小さな苦笑の後、ぱん、と自分の頬を叩きました。

 そうすると、次の瞬間には、彼の瞳の中に燃える炎が宿っていました。

 珊瑚くんと茜の間にも、王位継承試験の前にはなかった、強い絆が確かに育っていることを感じました。

 そして。

 そのタイミングで――。



【玖郎】



「――そろいましたな?」

 空中、僕達が少し見上げる程度の高さに現れたジャッジメントは、いつもより少し厳かな口調で口を開いた。

 見た目は、小学生の頭くらいの大きさの緑の毛玉だ。同じく緑色の小さな毛玉のような手足が、頭に直接くっついている。黒い目が毛の間から見えていて、シルクハットとステッキを身につけている。口は緑の毛に覆われていて、喋ってももごもごと動くのが確認できるくらいだ。

 可愛らしいと言えるのかもしれない。

 それでも、外観を一目見るだけでも理解できる。これはおよそ、人とも、他のどんな地球上の動物とも違う存在だ。

 地平世界に存在する〈精霊〉――その活動や組成は、魔法と強く関連したものであり、一部は人語を解し、極めつけはこのジャッジメント・オリジンのように、王位継承試験の審判すら任される。

「繰り返しになるが、今日の〈試練〉(トライアル)について説明しようかの。最初に確認するのは、これが最後の〈試練〉(トライアル)になるということじゃ」

 ジャッジメントの言葉に、〈魔法少女〉(プリンセス)達が頷いた。

「本来であれば三月まで続くはずだった試験期間がここで切り上げられたことで、色々と混乱もあったじゃろうが、協力に感謝じゃ。さて、試験の詳細じゃが、行動範囲は、このシーナタワーと椎名大通り公園全体じゃ」

 ジャッジメントは続ける。

「競争型の〈試練〉(トライアル)で、最初に白いターゲットジュエルを手に入れた〈女王候補〉(プリンセス)を勝者とする。もちろん、その途中経過も採点対象じゃ。ターゲットジュエルの場所は、シーナタワーの高層フロア屋上。つまり五階じゃ」

 僕たちは、一人残らずシーナタワーを見上げた。

 高層フロア屋上。

 それは、僕と瑠璃が想定していた通りの場所だった。事前に通告されていた情報から、最もシンプルに予想できるゴールだ。

「そして、もう一点。この〈試練〉(トライアル)は、事実上、茜姫ともう一人の〈女王候補〉(プリンセス)の決戦となる。つまり、それ以外の二人にも参加してもらうが、残念ながら現時点で、例えターゲットジュエルを真っ先に手にしたとしても、勝利はないということじゃ」

 そう。

 勝利するのは、茜か『誰か』。

 その一言は、非常に重要だ。なぜなら――。

「では、最後の準備を」

 僕の思考を、ジャッジメントの声が遮った。

 ふむ。

 どの道、この仮説を証明するためには、最後の重要なピースが足りないのだった。どれだけ考えても結論は出ない。

 今は、この瞬間に集中しよう。

〈開門〉(オープンゲート)

 〈女王候補〉(プリンセス)達が唱えた魔法の言葉は、最初から唱和されることが決まっていたかのうように、重なって聞こえた。

 魔法の扉の向こうから、彼女達はそれぞれの衣装を身にまとった。

 吹き上がった紅蓮の炎が消え去った後には、赤い衣装を身につけた茜が。

 盛り上がった砂礫が元の地面を取り出した時には、黄の衣装をまとった向日葵が。

 視界を奪うほどの旋風が収まったその場には、緑の衣装を翻した常盤が。

 そして。

 水しぶきを上げて泉から飛び上がった少女――瑠璃は、青の衣装にその身をつつんでいた。

 魔法少女の衣装。

 それは、文字通りに、決戦に向かうための戦装束だった。

 それぞれの〈騎士〉(ナイト)が、自分の〈魔法少女〉(プリンセス)の側へと立った。

 ある者は従うように、ある者は守るように、ある者は支えるように。

 そして、僕も。

 瑠璃の隣に立つ。

 契約から始まった関係を約束に変え、僕自身の願いへと昇華させて。

 彼女と並び立つ。

 それを許された時間が、あとわずかだとしても。

「玖郎――」

 瑠璃が僕の名を呼んだ。

「瑠璃。――携帯電話の準備を忘れるなよ」

 僕も、彼女の名前を呼び返し――。そして、いつも通りの言葉を返す。

 瑠璃は、それが――たったそれだけの言葉が、どうしようもなく愛おしいと噛み締めるように、ゆっくりと頷いた。

『もちろんです』

 電波でつながった瑠璃の声は、実際に聞こえるものと、右耳だけに装着したイヤホンから聞こえるもので、わずかのズレを伴いながら重なって聞こえた。

 そうだな。

 確かに、こんないつも通りが、本当に大切なことだったんだ。

 ――ああ。

 寂しいな。

 これが最後なんて。

 終わって欲しくない。

 瑠璃と。

 別れたくない。

 離れたくない。

 それでも。

 ――そう、それでも。

 この一戦だけは。

 この溢れ出る感情も含めた、あらゆる全てを打ち払って、勝利しなくてはならない。

 なんとしても、勝つ。

 この場にいる全員が、それぞれの決意を胸に、この場所に立っている。

 この、最後の〈試練〉(トライアル)の場に。

 戦うための理由を持ち。

 叶えたい願いを抱き。

 女王になるという決意と覚悟をその身に宿らせて。

「準備はよろしいですかの?」

「――いつでも良いよ」

 茜が、みんなを代表するように答えた。

 うむ、とジャッジメントが頷いた。

 そして。

「それでは――」

 今。

 決戦の幕が切って落とされる。



   ◆ ◆ ◆



【瑠璃】



 今になっても、あの頃のことを思い出します。

 ――そんな言葉で始めたこの思い出話も、あと少しで終わりです。



 あと、ほんの少し。

 それは、最後の試練について。

 そして、玖郎と私の別れについて。



 用意された困難と、予定にない嵐。全てが混沌として、それでも迎えるべき結末に収束した、あの時間。

 最後の試練。

 そして、それは玖郎と私の別れの話でもあるのです。

 実を言うと、あの日、玖郎とはちゃんとお別れを言うことができませんでした。言葉すら満足に交わせなかった。本当は、伝えたいことがたくさんあったのに。

 感謝の言葉。

 私の気持ちを伝える言葉。

 ええ、その通りですね。全てを伝えきるには時間がどれだけあっても足りなかったのでしょう。そう考えると、私たちらしい別れだったのかもしれません。

 そうです。

 それ以来、玖郎とは一度も会っていません。

 だから、あの約束も果たされていないのです。

 あれほど助けてもらったのに。

 私の身一つではとても返せないほど、助けてもらったのに。

 約束。

 その表面的な意味だけをとっても。

 報酬という言葉に隠された気持ちであっても。

 誓いも。

 願いも。

 隣にいたいというささやかな祈りさえ。

 叶うことなく。

 果たされることなく。

 今に至っているのです。



 ええ。ずいぶんと前置きが長くなってしまいました。

 退屈ではありませんでしたか? それなら良いのですが。

 さあ、そろそろ話を再開しましょう。



 その前に、一つだけ。

 あなたにも伝えたいことがあるのです。

 あなたと再会できて、本当によかった。

 生きていてくれて、本当に、よかった。



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