Episode:09
「こんなのしかないの? これでホントにキレイになるの?」
「こんなのしかって言われても、どこの家だってこれ使ってますよ」
僕の言葉に、不服そうな顔をしながらおばさんは洗い始めた。
「あーもうやっぱり。まったくもう、ちっとも油が落ちないじゃない!」
かなりおかんむりだ。こういう時は自分に矛先が向かないように、そっとその場を離れるに限る。
けど僕がその場を離れるより早く、おばさんの声が飛んだ。
「そこのキミ、桶に灰入れて、そこに水入れて持ってきて!」
「キミって……僕スタニフっていう、ちゃんとした名前が」
「いいからやって!」
有無を言わせぬ口調に、僕は抗議を諦める。こういう勢いの女の人には逆らっちゃいけない、父さんもよくそう言ってたし。
自分でも何をしてるか分からないまま、僕はカマドの灰を一掴み取って、掃除用の水桶に入れ、そこへ水を入れて、おばさんに渡す。
おばさんは桶の中を見ながらしばらく待って、上澄みをそっとすくって皿にかけた。
「何やってるんですか、汚れちゃいますよ」
「いいのよこれで」
何がいいのか分からない。
だいいちこんなことをしたら、隣のズデンカさんに僕が怒られる。しこたま文句を言われて、ヘタしたら僕の明日のご飯が無くなるかもしれない。
けどおばさんは自信たっぷりの顔で、例の藁束でお皿をこすり始めた。
「ん、洗剤ほどじゃないけど、さっきよりはずっと落ちるわー」
「え?」
驚いておばさんの手元を覗き込むと、確かにお皿がピカピカになってた。あのしつこい油汚れが、白く濁って溶け落ちてく。
「な、なんの魔法ですか?」
「魔法? 違うわよ、ただのアルカエキ」
言ってる事がさっぱり分からない。
けどこのおばさん、そのへんにある物から、何かの魔法薬を作れるみたいだ。師匠がこれを聞いたら仰天するだろう。
「呪文、いつ唱えたんですか?」
「だからそんなの使ってないってば。理屈さえ分かってれば、こんなの誰でもできるわよ」
おばさんは事も無げに言うけど、大変な話だ。
僕の知ってる魔法は、理屈が分からないと使えないのはもちろんだけど、それ以上に適性がモノを言う。
どんなに理屈が分かっても、魔力が無ければ使えない。初歩の初歩、作られた陣に魔力を込めなおす程度の作業だって、誰でもはできない。魔法っていうのはそういう物だ。
魔法に適性があった僕は、その点でかなりラッキーだった。
なのにこのおばさんがやったことは、誰でもできるっていう。魔法の常識を無視してる。
「ぼ、僕でもできますか?」
「だから誰でもできるってば。この上澄み使って、こするだけだもの。やってみる?」
藁束とお皿を差し出される。
「これに、浸けるんですね?」
言いながら恐る恐る、灰の入った桶に藁束を浸して、おばさんがやってたようにお皿をこすってみた。
落ちる。汚れがどんどん落ちる。
「すごい……これなら簡単だ」
「でしょ。あ、じゃぁこれもお願いね」
「あ、はい」
上の空で生返事をしながら、僕は次々とお皿を洗って……結局全部洗ったことに気づいたのは、洗い終わった後だった。
――おばさんに洗い物を任せて楽をするっていう、僕の隙のない計画が。
でもまぁ、お皿がピカピカになったからいいか。そんなことを考えながら自分の部屋へ向かってドアを開けて、僕は硬直した。
おばさんが、僕のベッドを占領して寝息を立ててる。
しまった、と思った。
僕はおばさんに、客間がどこか教えてない。そしておばさんは多分、僕が洗い物をしてる間に、自分の部屋を探しに行ったんだろう。
けど客間は師匠の陰謀で、とてもじゃないけどすぐ寝られるようにはなってないわけで……だからおばさんは、僕の部屋のベッドを、寝る場所として認識したに違いなかった。