一
ここは、秦野医院。
下町にある、ごく普通の診療所だ。他の病院と同じく、下町の人々の健康を支えてきた歴史のあるここは、最近は少しだけ様子を変えている。
先代から引き継いだ院長が、元冒険者の治癒魔法師であったり、堕天使が看護師を務めていたりと、それ以外は普通の診療所である。
加えて言うならば、夜には変わった患者が訪れる……そんなごくごく普通の診療所であった。
今日も、そのちょっとだけ変わっている普通の診療所に、ちょっとかわった患者が訪れている所だった。
「なぁ、頼むでな。この水かきんとこによぉ、棘が刺さっちまってるんだよぉ」
そんなことを言いながら水をしたたらせているのは河童だ。
見紛うことなき河童は、全身緑色をしたぬるぬるとした身体をひっさげている。目はぎょろりと院長である悠馬を見上げており、眉尻をさげ、さも困ったような様子だ。
今回の河童の主訴であるが、右手の水かきに刺さった棘。その棘がどうしても抜けないと、右手を見せながら、涙ながらに訴えていた。
「こんのままじゃぁ、泳げなくてぇ……人間に見つかってしまうでな。じじ様みたいに捕まってミイラになるなんて嫌だかんなぁ。なんとかならんもんか」
対する悠馬は渋い顔をしていた。
そして、頭をがしゃがしゃとかきむしり、寝ぼけ眼をこすると、目の前に立っている河童に向かって荒々しく言い放った。
「いいから座れ! っつーか、なんでここはいつの間にか人外御用達診療所になったんだよ、まったく!」
そう言いながら、悠馬は確かな手つきで水かきに刺さった棘を抜き処置をしていた。
話はさかのぼるが、この秦野医院。本当は、正真正銘の普通の診療所だった。だが、先日訪れたエルフが来てからと言うもの、人間以外の患者が後を絶たない。
話を聞くと――。
「こんだけ魔力が集まってれば嫌でも目に付くからな」
と、ドラキュラ談。
ドラキュラは、小さいころからの血液アレルギー。栄養摂取方法に関する相談でやってきていた。
とりあえず、悠馬は見た目が似ているトマトジュースを進めてみたが、どうなることやら。
「ここに来れば、あたしたちみたいなのでも病気や怪我を治してくれるって噂で聞いたからさ。どうかな? できる?」
と答えるのは、どうみても成長しすぎた座敷童だ。短くなった着物から伸びる脚がなまめかしい。
成長して色気づいてきたのだろうか。自分でやるのは怖いから医者にやってもらったほうがいい、そんな女子高生の話でも聞いてきたかのように座敷童、いや座敷少女はピアスの穴を開けてほしいと訴えていた。
聞いた途端に、悠馬が頭を抱えたのもわからないでもない。
やってきた時間は夜中の三時だった。
「わざわざ海を渡ってきたんだぬら。頼むからみてくれぬら」
そう懇願してきたのは遠くの雪山に住むはずのイエティだ。日本の雪男とは親戚らしいが、悠馬にとってはそんなものどうでもいい。
海を渡ってきた大冒険の末に見てほしかったのは、虫歯だ。
陣痛の次に痛いと追われている歯痛。たしかに、つらかったのはわかるが、そこはイエティだろう。大胆に自分で抜いてほしかった。
そもそも、悠馬は医者だ。歯医者じゃない。
そんなこんなで悠馬はいろいろな患者、もとい種族をみてきたのだが、なぜだか皆に共通することがある。彼らが来るのがなぜだか夜中だということだ。
「あ゛ー! なんで謀ったように丑三つ時あたりにくるんだ、あいつらは! 俺に恨みでもあるのか!? 色っぽい声で、今夜は寝かせないぜ、とか思ってんのか! ああ!?」
河童が満足気に帰った後、いつも使っている机を叩きながら悠馬は悪態をついている。そんな様子を見ながら、リファエルが苦笑いを浮かべながらそっとコーヒーを差し出した。
「ミロルさんを助けたときの噂が広まっているみたいですよ? なんでも、この診療所は人間じゃなくても診てくれるって」
「別に診たくないわけじゃないけど、時間くらい考えてほしいもんだよな」
「きっと、彼らもユーマ様みたいな方が現れてうれしいのでしょう。今まで、ずっと日陰に生きてきましたから」
「まあ、そうだろうけど……しょうがないのはわかってるんだけどな。こう眠いと、昼の診療にも支障が、ふあぁぁぁ」
そう言いながら悠馬は欠伸をしながら伸びをする。そして、腕時計を見て俯いた。
「あと眠れる時間なんて、数時間しかないんだぞ? ほら、もう外だって明るい」
悠馬が窓の外を見ると、家々と空との境目がぼんやりと明るくなっているのが見える。もう日の出の時間だ。季節は春を終え夏を迎えようとしている。だからこそ、日の出であろうともまだ眠る時間はあるのだが。
遠くを見つめる悠馬の肩にそっと手を添えるのはリファエルだ。リファエルは堕天使であるからか、元々睡眠を必要とはしない。部屋を与えられているからベッドで休むことはあるし、眠れないわけではないが、あくまで嗜好の問題だった。ゆえに、リファエルの笑顔には陰りが見えない。
「そこは、私の出番ですね。さぁ、ベッドに横になってくださいな」
「いつも悪いな……本当なら俺の仕事なの……に……」
そう言いながら、悠馬は眠りについてしまう。リファエルが簡単な睡眠魔法を使ったのだ。
あっという間に眠ってしまった悠馬の頭に軽く口づけをすると、魔法を唱えて宙に浮かす。そして、そのまま診察室を出て悠馬の部屋にあるベッドに運ぶと、体力を回復させる類の治癒魔法を唱えた。
リファエルの手元から、淡い光が悠馬へと降り注ぐ。眉間によっていた皺は、ゆっくりとほぐされていくようだった。
「お疲れ様です、ユーマ様」
そう言いながら、リファエルも自身の部屋へと戻っていった。そして朝が訪れる。
◆
「また、昨日誰か来てた? なんか電気ついてたみたいだけど」
そう問いかけてくるのは奈緒だ。奈緒は、悠馬の家の隣に住んでおり、権蔵とともに悠馬の良き隣人だ。そんな奈緒は、健康的な明るい色のエプロンをひるがえしながら、忙しそうに朝食の準備をしている真っ最中だった。
エプロンの下は短いショートパンツだ。朝から太ももがまぶしい。
悠馬は、あわてて目をそらしながら、つい思ってもない返事をかえしてしまう。
「あんな時間に起きてたのか? 早く寝ないと、肌荒れるぞ?」
「大きなお世話! 大体、あんな大声出されたら隣にすんでるんだもん、起きるよ」
「そうか、それは、まあ悪かったな……」
「別にいいけどね」
奈緒の言葉にどこか罪悪感を覚えた悠馬は、髪の毛をぐしゃぐしゃとかきむしりながら目をそむける。しかし、奈緒は全く気にしていない様子で着々と朝食の準備を進行中だ。台所に入っては何かを持ってくる合間に、悠馬に話しかけていた。
「で、今度はどんな?」
「昨日はな、驚くなよ? ……河童だ。河童だぞ? 本当に緑色だったし、頭に皿も乗ってた。いや~案外昔の人の言い伝えって合ってるのかもしれないな」
「へぇ、河童ね。一回でいいから見てみたいな、ははっ」
奈緒はそう言いながら、再び台所へと消えて行った。
その反応の薄さに、すこしばかり興奮しながら話していた悠馬は気恥ずかしさを覚えていた。最初の頃は奈緒も大声を上げて驚いてくれたものだが、段々と耐性がついてきたということなのだろう。
まあ、悠馬自身が元異世界人であり、リファエルが堕天使。ミロルというエルフもいるから余計だ。
そんな会話を交わす悠馬の後ろからは、何やら小さな物体が飛来する。そして、悠馬の背中という着地点に寸分のずれなく落下した。
「ゆーまっ! 起きるの遅いぞ! もうミロルはお手伝い終わったんだからな!」
悠馬の名を呼びながら叫んでいるのはエルフであるミロル。ミロルの衝撃に、耐えきれなかった悠馬は簡単に潰れた。
「お、おまえな……。いい加減、いきなり飛びついてくるのはやめろよな」
「いいじゃん! ゆーまなんだし! あ、なお! 今日も卵焼きある? 甘いの」
「たくさん作ったらいっぱい食べてね。もちろん、ほかのおかずも食べること」
「はーい! じゃあ、いっただ――」
「ちょっと待ってくださいな」
早速食べ始めようとするミロルをリファエルが優しく諭すと、視線を権蔵へと変える。その視線を受け取った権蔵は、おもむろに手を合わせると、低い声で一言だけ告げた。
「いただきます」
「いただきます!」
皆の声が木霊し、そして朝食が始まった。
こんなカオスな状況にも関わらず権蔵が動じないのは、下町の男だからだ。下町の男は、細かいことは気にしない。
騒がしい朝。だが、笑い声が響く朝。
そんな朝を毎日繰り返しながら、秦野医院の朝は始まる。
そして、朝食が終わると、権蔵は道場へ。そこにミロルはついていく、というよりも権蔵に面倒を見てもらっている形だ。奈緒は大学へ、そして悠馬とリファエルは通常の診察を初める。一日は、こうして始まるのだ。
◆
「ん? ここですか、痛いのは」
「そうなんだよね、もう腰が痛くて痛くて」
「そうですか……じゃあ、ちょっとそのまま横になっていてください」
悠馬はそう言いながら、腰のマッサージを始めた。そして、気づかれないようにそっと手に治癒魔法を込める。すると、途端にひいていく痛みに、横になっていたおばあちゃんにも笑顔がうまれた。
「いつも気持ちいいね。先生のお父さんも名医だったけど、先生になってから本当に調子がいいんだよ」
「ありがとうございます。あとはいつものお薬と湿布、だしておきますから」
「こっちこそ、ありがとね」
満足そうな顔をして帰っていくおばあちゃんを見ながら、悠馬は笑顔で診療録に記録をしていく。そんな悠馬のいる診察室に颯爽と入ってきたのは、看護師であるリファエルだ。
「ユーマ様。もうあの方で患者さんは最後ですけど、どうします? まだ閉めるまで時間がありますが」
「ん、なら時間まで開けとこう。誰か来るかもしれないからな」
「はい」
そういいながら、リファエルは診療録の整理や、明日の診察に必要な物品の用意を始めていく。忙しそうに走り回るリファエルを横目で見ながら、悠馬も自分の仕事を終えようと必死に筆を進めていた。
「電子カルテが導入できたらな……」
そんな愚痴も許されるのだろう。悠馬の背後の本棚には、古くから掛ってくれている患者たちの診療録がぎっしりと詰まっている。当然、そこに入りきらない過去のものはしっかりと保存してある。一定の期間は捨ててはいけないと、法律で決まっているのだ。
だが、積み上がったカルテは嫌いではなかった。
父親が積み上げてきた歴史をそこに感じるからだ。患者さん達と交わした言葉や時間。それが、この紙のカルテには詰まっている。
そう言い聞かせていないと、心が折れそうなのも事実だが。
悠馬とリファエルがそんな様子で仕事を進めていると、病院を閉める間際に、一人の老婆が訪れた。老婆は待合室に入ってからも診察券を出すわけでもなく、悠馬達のいる奥の様子を窺っている。
その老婆の存在に気づいたリファエルが待合室に行くと、そこにいた老婆は顔見知りだった。
「あら、田中さん、どうしました? こんな時間にだなんて珍しいですね」
「いやね、別に体調が悪いわけではないんだよ? ただね、ちょっと困っていてね。先生のところなら何とかしてくれると思って」
そういって老婆が後ろ向くと、診療所に入ってくる人影があった。それをみてリファエルは少しだけ目を見開いた。
「その方は」
「昼間、困ってたからご飯食べさせてあげてたんだけどね、言葉は大丈夫なんだよ? 言葉は大丈夫なんだけどね……ちょっと話が通じないもんだからここに連れてきたんだよ。リファちゃんも外国の人だろ? なら少しは私よりもわかるかと思ってね」
そういって老婆とリファエルの視線を集めるその人は、真っ赤な髪を垂らした女だった。
いや、女と少女の中間といったところだろうか。
髪の毛は後頭部でくくられているが、その鮮やかな色は現代でもなかなかお目にかかれない。炎のような情熱を含んでいるような、そんな赤だ。
その髪の色の苛烈さと同調するかのような凛々しい瞳は、美しいが力強さも持っている。服装はというと、現世界では考えられない様相だ。軽装備ではあるが胸から腰に掛けての防具と肩当て、そして手甲を身に着けており腰には太い剣をさしている。
「なんだよ、この状況は」
「ユーマ様」
何事かと思った悠馬も待合室に出てきたが、そこにいる女を見て思わず口を半開きにさせた。そして事情を聴くと、
――よく警察に捕まらなかったな。っていうか、田中さん、よくご飯たべさせたよな。
そんなことを思いながら悠馬は田中さんにお礼をいって帰っていただいた。
この状況ではまともに診察などできない。そう思った悠馬はとりあえず病院を閉め、そして診察室で話を聞くこととした。
「え~っと、なんだ。いろいろ突っ込みたいところはあるんだが、とりあえず奥に入ってこれるかな? 話を聞きた――」
「封印をしてほしい」
「は?」
診察室に促そうとした悠馬の言葉に女は割り込んだ。
「封印をしてほしい。君たちの魔力は尋常ではない。ここがどこだかわからないが、急がないと世界が危ない。頼む。私を封印してほしいんだ」
赤髪の女の目は、強く炎がともっているようだった。
2016/5/1 修正




