七
「いただきます」
「いただきまーす!」
秋瀬家の居間に声が響く。
その声は一日の始まりであり、命への感謝だ。いただきますの言葉とともに、皆、奈緒の作った料理へと手を伸ばす。
「今日もいつもと同じ。卵焼きとお魚と、色々でーす! あ、魚は、メバルのいいのがあったから煮つけにしてみたけど、どうかな?」
奈緒の不安そうな、それでいてどこか期待するような目線に悠馬は一向に気を向けない。それよりも、目の前に鎮座しているメバルの煮つけ。その瞳の美しさに心が奪われていたのだ。それでも湧き上がる本能にあらがう術はなかったのだろう、おそるおそる赤い皮に箸を突き立てる。
すると、その皮の隙間からは真っ白な身がほこほこと湯気をたてながら現れた。悠馬は思わずそのままメバルを口の中に放り込んだ。瞬間、あふれ出る煮汁と魚のうまみ。かみしめるほどに増していく美味さは、魚だけでなく調理法も相まってのことなのだろう。
「なんていうか、ほんと奈緒は料理がうまいよな。このメバルも最高だ」
「本当!? よかったぁ」
「ほんとですよ、奈緒さん。私、奈緒さんが料理ができることがうれしくてうれしくて」
そう言いながら、リファエルは手を目じりにあててさも泣いているような仕草をする。いきなりの行動に奈緒はどぎまぎしながら、どこか照れたように言葉を返した。
「え? そんなにおいしかった? リファエルさんがそこまで褒めてくれるのってなかなかないから、うれし――」
「料理しか取り柄のない奈緒さんなんですから。むしろ、その胸のなさだと奈緒さんがお嫁さんをもらうんでしょうか……。あぁ、同じ女として不憫でなりません」
リファエルがそう告げた瞬間、奈緒の持っていた菜箸がばきっ、と大きな音を立てて折れた。
「リ、リファエルさん? それってどういう……」
「あ、でも大丈夫ですよ? 最近は主婦じゃなくて主夫って言葉もありますから。奈緒さんのお嫁さんも、それだけ料理が上手であれば納得してくれます」
奈緒は、こめかみに青筋を浮かべながら机をたたきながら立ち上がる。そしてリファエルを睨みつけ大声で捲し立てた。
「毎度毎度、そうやって言いますけどね! リファエルさんだってむしろその胸しか誇るものがないんじゃないんですかぁ? 最近の日本人男性は、私みたいな控えめなのがいいっていう人が増えてるっていいますよ」
「あら? そうですか? でも、ユーマ様はきっと大きいのがお好きですよ?」
「どこにそんな証拠が」
「ユーマ様の部屋にあった本に載っていた女性は、皆、豊満な胸元をしていましたから」
奈緒はそれを聞いて途端に顔を赤らめた。そして、今度は悠馬に顔を向ける。
「悠馬! それってどういう――」
が、奈緒は悠馬の顔をみて口を噤んだ。それと同時に怒りも冷め、自身も思わず俯いた。
なぜなら、悠馬が見つめていたのは卵焼き。甘いそれを持ちながら、悠馬はじっと見つめていたのだ。
そこから想起されるのは一人の女性。この甘い卵焼きを食べたいと死の淵で願った一人の女性だ。その人は今ここにはいない。いないからこそ、つい思いだすのだろう。
控えめに微笑むエルフの顔を。
だからだろうか。悠馬の瞳にはどこか悲しげな色が浮かんでいる。
「悠馬……」
「ん? ああ、なんの話だったっけな?」
優しげに微笑む悠馬は、哀しさを必死で隠している張りぼてのような笑顔だった。その笑顔を見て、奈緒もリファエルも胸が締め付けられる想いだ。
「ううん……ミロルさん。それ好きだったからね」
「そうですね。それを食べてるときのミロルさんは、どこか子供っぽかったですから」
「そうだよな。なんだか、それも懐かしいよな」
悠馬はそう言いながら中空へと視線を向ける。
「あんな穏やかな朝が、もうこないなんて……そんなのあんまりだろ」
そうつぶやく悠馬の後ろで、何かが落ちる破壊音や壁に何がぶつかる衝撃が響いた。
「なんで、あんな風になっちまったんだろうな」
「うん」
「世の中は不条理ですね」
三人は、同時にため息をついた。
「ごんぞー! もう一回、もう一回!」
「ああ」
奈緒の家の庭に目を向けると、この家の主である秋瀬権蔵が、金髪の幼女を肩車しながら走り回っている。当然、おねだりしている幼女は、その願望が叶ってご満悦だ。
満面の笑みはまるで人形のごとくかわいらしいが、やることは年相応、無茶とわがままが混在した幼少期独自のものだった。
権蔵は幼女を肩車したり高い高いをしたり、幼女の願いに応えている。そして、しばらくすると、お腹が減ったのだろう。権蔵を引きつれ、幼女が食卓へとやってきた。
「あ、ゆーま! それあたしんだ! 卵焼き食べるな!」
「ん? ああ、まだたくさんあるから食べたいなら食べれば――がっ!」
権蔵の肩から颯爽と飛び降りた幼女は、悠馬の肩へと着地する。当然、悠馬はその重みに耐えきれずそのまま畳へと崩れ落ちた。
「ミロルの卵食べるからだぞ。ほんと、ゆーまは食い意地が張ってこまるな、なお!」
「う、うん。でも、卵はいっぱいあるから、できればみんなで仲良く食べてほしいな」
「そうか? なおは優しいな。でも、そんなこと言ってると生き残れない! 弱いものは食べれないってりふぁが言ってた」
「そうですけど……ユーマ様には優しくしてあげてください」
「だってゆーま、弱いのに?」
「いえ、ユーマ様は強く素晴らしいお方です」
「ちぇ……りふぁがそういうなら、許してやってもいいけど……」
幼女が仕方なさそうにそこからどくと、悠馬が涙を流しながら潰れていた。
「なんだってこんなことに……。魔力核を取り除くと、魔力がなくなるだけじゃなく年まで若返るとかどういうことだよ」
悠馬がそう言いながら起き上がる。幼女はというと、すでに横で朝ごはんにがっついている所だった。
「未知のことでしたからね。けれど、ユーマ様が心停止の原因を突き止めてミロルちゃんの命を救ったからこその結果ですよ? もっと胸を張ってくださないな」
「それは俺だって嬉しいさ。けど、この暴力娘は――がぁ!」
床に潰れていた悠馬の背中に、金髪の幼女ことミロルが再度その全体重を預けてくる。その衝撃に悠馬が耐えられるわけもなく、すでに虫の息だ。
「暴力娘じゃないよ! ミロルだし」
それだけ言うと、ミロルは再び卵を口にほおばった。あっという間にご機嫌だ。それを見ていたリファエルも奈緒も、思わず苦笑いを浮かべてしまっていた。
そう、あの時悠馬が打ち込んだのは魔力の塊。自身が持つ一番強力な魔法の詠唱を用いて集めた魔力を、そのままミロルの身体に注ぎ込むような形で打ち込んだのだ。
魔力の流れから、ミロルの身体は遠くはなれた魔力核から必死で魔力を手繰り寄せようとしていたのを察した悠馬は、心停止の原因が魔力の枯渇によるものだと判断。すぐさま、魔力を補充し命を取り留めたのだ。そうして閉胸し悠馬の治癒術で傷を治したから、すぐにでも立ち上がれる状態であったし傷跡も残っていない。治癒魔法様様だ。
無事終わったかと思えば、そうこうしている間にミロルの身体が光り輝きながら縮んでいったのだ。そう、見た目も中身も小学生低学年程度の幼女に。
命の維持に必要な魔力はというと、魔力を蓄えた魔力核を首からペンダントとして下げておく事で解決した。身体が勝手にそこから魔力を吸い込んでいるようだ。
「あの時、やっと悠馬が言ってたことが本当だったって本能が理解したよ。そうしないと、もう何がなんだかわからないからね」
「人の年齢が若返るということなど、天使の私でも見たことがありませんでしたからね。それだけ奈緒さんにとってインパクトが大きかったのでしょう」
そうやって言葉を交わしていると、なんとか起き上がった悠馬が口をはさむ。
「奈緒は信じるのが遅いし、リファエルは冷静に分析するな。俺はもうボロボロだ」
「あれ? そんなこといって、悠馬はミロルちゃんと遊ぶの楽しいんでしょ?」
奈緒のつっこみに、悠馬は思わず顔を綻ばせた。そして、視線をあさっての方向に向けると言い捨てるように言葉を返す。
「馬鹿いうな。大人版ミロルのほうがセクシーでよかったよ」
「そうなんですか? それにしては、毎日楽しそうですよ」
くすくすと笑いながら、リファエルが悠馬の額をつんと指でつついた。ぶっきらぼうな態度をしつつ、少しだけ悠馬の頬が赤いのは照れているからだろう。そんな悠馬をみて、奈緒もリファエルも優しく微笑む。
「ま、これはこれで、ありなのかもな――ぐげっ!」
そうしてやっと満面の笑みをうかべた悠馬。そんな悠馬の頭上から、再び襲いかかるは幼女、ミロルだ。ミロルは座っていた悠馬の肩に乗っかりながら、はじけるような笑顔を浮かべている。
「ほら! もう朝ごはん終わったぞ! いけー! ゆうま号!!」
叫びながらミロルは悠馬の肩の上でゆさゆさと揺れている。
「しゃーねーな。診察始まるから少しだけだぞ?」
「うん!」
そう言いながら、悠馬は秋瀬家の庭へと走り出した。
助けた命。その尊さと温かさを感じながら。
2016/5/1 修正