六
『不可視の者よ お前達に与えるは慈悲の心 消し尽くせ 今』
リファエルの魔法詠唱が終わると同時に、ミロルが寝ている部屋からは微生物達が消え失せる。それは、天使の力である聖魔法の応用だ。
聖魔法とは、生命そのものに干渉する魔法であり、それを応用させ、部屋の中を滅菌した。当然、人工呼吸器など診療所にあるわけがなく、リファエルが風魔法を使って呼吸を操る予定である。
悠馬はというと、わずかばかり入荷して置いてある滅菌されたガウンと手袋を身に着けミロルの横にたっていた。
「感染症の心配いらずだ……ありがたい」
リファエルの魔法に感謝の言葉をつぶやきつつ、悠馬はメスをもつ手に力を込める。
「ユーマ様のお父様にも感謝ですね」
「ああ。無駄に手広く器具や機械を取りそろえてたからな。あの人には必要なんだって、そのためだけに入荷したりな」
そういって、悠馬は手元に置いてある手術機械に目を落とす。そして軽く表情を緩ませると、すぐさま息を大きくすい唇をかみしめた。
「いくぞ……」
すでに、悠馬の睡眠魔法で眠っているミロル。その目の前で呟かれる言葉はミロルにかけたものなか、自分に対してなのか。
悠馬はゆっくりとメスを手にとる。鈍く光るメスを見ていると、その輝きと冒険者時代の剣の輝きが不意に重なった。
それと同時に、心臓が高鳴る。それは高揚感などではなく恐怖。人の命を刈り取るという、悠馬が最も忌避すべきことを自分がやろうとしている事実がどうしようもなく怖かったのだ。
だが、同時にやらなければミロルの命がないということも理解している。経験不足からくる緊張感もあり、悠馬は相反する意志を携えながらごくりと唾を飲みこんだ。
「こうしなきゃいけないってわかってても、やっぱり人の身体を傷つけるのは抵抗があるよな」
少なくとも、人の傷を必死になって治してきた治癒魔法師には、おいそれと認めることができない価値観だ。だが、それが必ずしも正しくはないことにも気づいている。人間の心はなかなかに複雑だ。
そして、悠馬はメスの刃をゆっくりとミロルの胸に差し込んだ。
割いた皮膚からすぐさま血があふれ出す。それをガーゼで吸い取りながら、悠馬は鎖骨から鳩尾のあたりまで素早く切り裂いた。
「炎の化身よ、あふれ出る力の一端を分け与え、我に一筋の淡い炎を……」
詠唱しながら、悠馬は自身の魔法を行使した。
その魔法は治癒魔法ではなく火の魔法だ。種火程度の火しか生み出せないが、その熱を攝子と呼ばれるピンセットのようなものに纏わせることで皮膚が焼ける。つまりは電子メスの止血効果と同じものを期待しての行使だった。それは、なんとかうまくいき、肉が焼ける匂いが部屋中に広がった。
「あとで、治してやるからな」
そうつぶやきながら、悠馬は胸骨を真っ二つに割り、そして割れた胸骨を広げるためにつっかえ棒を差し込んだ。そうして悠馬を出迎えたのは、胸の中、つまりは縦隔内に動いている心臓である。
ミロルの心臓の動きは弱々しく、やはり何かが詰まっているようにも見えたが心臓の周囲は空洞になっていた。その空洞と心臓との境目。そこに、魔力核と思しき石のようなものが見える。
「リファエル……これか?」
「はい。そこから強い魔力を感じますので、それが魔力核に違いありません」
「じゃあ、これを切除すれば――ってやっぱりそうなるよな」
悠馬がリファエルと話しながら魔力核に触れると、その魔力核は動かない。いや、動かないというと語弊があるが、魔力核が動くとその周りの組織も一緒に動いてしまう状況だったのだ。
「癒着してますね」
「そうだな。これは剥離しないととれないが……やるか。リファエル、バイタルは大丈夫か?」
「はい」
「じゃあ、いくぞ」
そういって悠馬は手に持っていたメスを置いた。すかさず、リファエルが悠馬の額の汗をぬぐい取る。
「これが取り出せなきゃミロルは死ぬんだ……」
自らに言い聞かせながら、悠馬は手術をすすめていった。
◆
そこから先は忍耐が求められる時間だ。
クーパー(平たいはさみのようなもの)を使い、少しずつ周囲の組織と魔力核とを剥がしていく。当然、魔力核がくっついている組織には血管が通っており、じわじわと出血する。
その血管を魔法の熱で止血しつつ、数ミリずつ剥離は進んだ。
じわりとにじむ汗を時折リファエルが拭きながら、悠馬はそれこそ必死で剥離を進めていく。
二年間の研修医時代しか指導を受けていない悠馬は、当然のことながら自らが執刀して手術をしたことなどない。多くの科を経験してきたが、こんな心臓の近くをいじくりまわすなんてこと、普通であれば不可能だ。
だが、それを可能としているのは、自身の治癒術とリファエルの存在だ。
拙い執刀技術のため、所々傷が大きくなってしまったり不必要な部分を切除してしまったりと細かい失敗を重ねてはいるが、そこは治癒術でカバーし、全身の管理はリファエルに託す。現世界のものではない力を使って、悠馬は初めてミロルの手術ができている。
小さな診療所でこのようなことをやるためには、悠馬でありユーマである必要があったのだ。
そんな悠馬がふと手を止めた。そして大きく息を吐いてリファエルに視線を送る。
「リファエル」
「はい」
「終わったよ……」
「お疲れ様です、ユーマ様」
言葉を交わしながら、悠馬は剥離し終えた魔力核をその手に持っていた。魔力核は淡く光っており、その光はどこか暖かい。ミロルの魔力の源。まさに人生を支え、そして命を脅かしたそれは今、悠馬の手のひらの上にある。
心臓をエコーで見ると、邪魔者がいなくなかったかのように元気よく拍動をしていた。血圧も、脈拍も、健康な人ともう変わらない。
命の危機は去ったのだ。
「終わったぞ、ミロル。今、傷閉じてやるからな」
「私の力とユーマ様の治癒術があればすぐですよ」
互いに微笑みあいながら、山場を越えた手術を終えようとする。当然、魔力核は手に持っているわけにはいかないので悠馬はリファエルへそれを渡した。
その時――。
ガタッ!
今まで寝ていたはずのミロルの身体が大きく仰け反った。
「な――っ!?」
そして、二人の目の前で、全身が激しく震えだす。いや、震えというには些か激しすぎる。ミロルの身体は手術台の上でバタバタと跳ねていた。
「痙攣か」
悠馬はすぐさまミロルが落ちないよう身体を支え、そして、睡眠魔法を発動させる。すると、痙攣はすこしずつ弱くなっていき、再びミロルは眠りについた。
「瞳孔と呼吸は大丈夫か!?」
「いえ! 呼吸が止まって、なぜだか心臓の動きも悪いです!」
悠馬はその言葉に、すぐさま反応する。
首筋に手を当て頸動脈に触れた。本来であるならばそこには拍動があり命の息吹が感じられるはずだ。
だが、それがない。
――心臓が止まっている。
そう判断した瞬間、悠馬はベッドに飛び乗り心臓マッサージを始めた。
ベッドが軋む。
部屋には無機質な音と共に、悠馬の荒い息遣いが響いていた。ベッドに寝ているミロルのの上に覆いかぶさり、全体重をかけながら、何度も胸を押した。
一分間に百回。
それが、ミロルの命を繋ぐための最善の手段だった。
「くそっ! 戻ってこいよ! せっかく手術が無事終わったんだ! このまま逝くだなんて許してたまるか!」
噴き出る汗は、先ほどまで切り開いていた傷口へと落ちていく。全身、汗だくになりながら心臓マッサージを続ける悠馬は、ただただ叫んだ。
部屋の中は滅菌された状態を保つために締め切られている。湿気のせいか、空気はひどく重苦しい。
「おい! わかってんのか!? こっちでやり直すんじゃなかったのかよ! なぁ、おい! 起きろって!」
胸郭が押されるたびに跳ねる腕は、力なくだらりと垂れさがっていた。
「くそっ、はっ、はっ、なんでだよ、おい。待ってくれよ」
そうごちりながら、悠馬は原因を考える。
当然、心臓マッサージをやりながらなので、思考はおぼつかない。それでも必死で考えながら原因を探す。だが、すぐには理由はわからない。今は、ミロルの生命維持が最優先だった。
二分間の心臓マッサージが終わり、悠馬は一度動きを止めた。
「くそ……まだ脈は戻ってない」
そうして、また同じ二分間が始まった。そんな様子をリファエルはAEDを準備しながら見つめていた。
そして、あることに気づく。
それはほんの些細なことだが、とても奇妙なことだった。
「あの、悠馬様!」
「なんだ!?」
「よくわからないんですけど……なぜだか、取り出した魔力核からミロルさんに魔力が流れてます。細い糸のような微弱なものですが――」
「なんだよ、それ」
そう呟きながら、悠馬は視線をミロルへとうつした。
頭の中は、次の行動で一杯だ。AEDで心臓の動きが戻らなかったらもうここでは成す術がない。今はまだいいが、長時間続けられる行為ではないし、一度動きが戻っても再び止まる可能性もあるのだ。原因が判明しないことには何も解決しない。
理由のまったく見当がつかなかった悠馬だったが、先ほどのリファエルの言葉。それは悠馬の思考にひとつの楔を打ち込んだ。常識的な医療では起こりえないことが目の前で起きているのだ。だったら、その原因も医学的なことではないかもしれない。魔力が、心タンポナーデを引き起こしていたなんて、そんなこと、この世界では決してありえないのだから。
悠馬は先ほどのリファエルの話を思い起こす。
本来であれば身体の外に漏れ出るはずの魔力が身体の中にたまってしまっていたミロル。その原因となった魔力核は魔力をため込む性質があるという。それが切り離された今、ミロルの体には魔力の貯蔵庫がなくなった状態だ。であるならば、エルフのもつ魔力との親和性の高さが、魔力核から少しでも魔力を取り込もうとしているということがあり得るのかもしれない。
つまり、今、ミロルの体は異常に欲しているのだ。
いま一番必要なのは――。
「そうか……」
小さくつぶやいた悠馬の声に、リファエルは途端に笑顔を漏らした。
「原因がわかったのですか!」
「変わってくれ!」
悠馬は焦ったように叫ぶと、すぐさま心臓マッサージをリファエルと変わった。
そして、すぐさま自身の前に両手を出した。ミロルの心臓を目がけて構えると、おもむろに言葉を紡ぐ。
その言葉は空気を、大地を震わせた。
見えない圧力。常人でも感じるそれが、手術室にどんどんと高まっていった。
『この世を統べる神よ、万に宿いし神よ、人々の心に住まいし神よ。全ての神に祈りを捧げよう』
リファエルは悠馬の詠唱を聞きながら思案顔だ。普段使う治癒魔法とも、睡眠魔法とも詠唱は違う。
『その祈りと引き換えに、我に魔力を分け与えたもう……全ての源であるその魔力は全ての敵を屠るだろう――』
詠唱がすすんでくるとともに、リファエルは顔をこわばらせ、そして大声をあげた。
「――っ!? ユーマ様!? それは、攻撃魔法の詠唱ではないですか!?」
リファエルの叫びに悠馬は眉ひとつ動かさない。そのまま集中力を高め、手のひらに魔力を集めていく。
『矮小な存在を前に、その卓越された魔力を糧に、光り輝くこの力を、等しく捧げよう……』
「ユーマ様! だめです!」
慌ててリファエルは悠馬を止めに入ろうとするが、悠馬はリファエルにすっと視線を向ける。見つめ合う二人。
リファエルは、悠馬のまっすぐで強い視線に射抜かれていた。そして、その視線から感じる何かに次の言葉は紡げない。
「大丈夫さ」
「でも――」
「今、リファエルが集中しなきゃならないことは、ミロルの心臓を動かし続けることだ」
その言葉にリファエルははっとした。
「頼むぞ……」
その声にリファエルはこくりと頷いた。悠馬はというと、再び手元に視線を戻し、そして集中力を高めていった。
悠馬の手のひらに集められた魔力は真っ白に輝き部屋の中を光で埋め尽くしていく。その光は、確かにミロルへと襲いかかり、そしてそのまま三人はその白い輝きの中に埋もれた。
目の前は、見えない。
何も見えない。
2016/5/1 修正