三
「生贄?」
「そうじゃ。我が住んでいた森があってな。昔から、その森は我らエルフの住処だったんじゃが……その森を勝手に管理下に置いている国があった。まあ、我も害がなければ、と思い気にもしていなかったのじゃが、最近その国全体が大飢饉に襲われての……」
ゆっくりと話し始めたエルフの話に三人は静かに耳を傾けていた。
「困ったことに、その原因が、古くから森にすむ我が原因じゃと、そう申してきてな。当然我は何もやっておらん。じゃが、占い師とかいう胡散臭い輩が我の仕業じゃと決めつけおった。国が総出で我を探しにきての。結局捕まり、生贄の儀式とやらをやっていたらいつのまにか知らない場所にいたというわけじゃ。どこにいるのかわからなかったからの。とりあえず、近くに感じた魔力をたどって助けを求めた、それが事の顛末じゃ」
エルフは淡々と話すが、その内容は目を背けたくなるようなものだった。
悠馬も奈緒もリファエルも悲痛な顔をしていたが、そんな三人を気遣うかのようにエルフはぎこちなく微笑む。
「そう静かになるでない。とりあえず命はあってこうして助けられた。それならば、そう悲観するものでもないじゃろ?」
憔悴しながらも、どこか達観した物言いをするエルフに、悠馬は強さを感じた。
その強さは積み上げてきた年月のなせるものか。それとも、このエルフが特別芯が通っているのか、それはわからない。
だが、悠馬には、そんなエルフの持つ強さにとても惹かれていた。
――かならず助けたい。
そう思うほどに。
「それでも、そう言い切るにはつらすぎることです……大変だったんですね」
そういってリファエルはそっとエルフの手を取った。
銀髪のリファエルと金髪のエルフ。その二人が並んでいる姿などまさにファンタジー。実に神秘的であり、思わず悠馬と奈緒は見とれていた。が、すぐさまそんな場合ではないと、奈緒は力強く立ち上がり声を上げた。
「エルフさん。大変だったと思うけど、きっと悠馬もリファエルさんも力になってくれるから……。とりあえず、元気を出すためにご飯でもどう!? ね、悠馬、大丈夫だよね?」
「あ、ああ。嚥下も消化器系も問題ないとは思うけど」
「決まり! なら、あとでうちにきて! 今日は朝ごはんまだだから大丈夫だし! 私、準備してくる!」
そう宣言すると、慌ただしく外に出て行ってしまった――と思ったらひょいとドアの横から顔を出して、捨て台詞を吐いた。
「悠馬! 後でちゃんと説明してよね!」
そのまま奈緒はバタバタと慌ただしく診療所から出て行った。残された悠馬は、おもわずきょとんと眼を見開いている。
「さすがに流してはくれないのな」
「それはそうですよ。目の前で治癒魔法を使ってしまったんですからね」
「しょうがなかったじゃないか。そうしないと、信じてもらえなそうになかったんだから」
苦笑いを浮かべる悠馬と微笑むリファエル。その横では、手を強く握られているエルフがどこか居心地悪そうにしていた。
「そろそろ離してほしいんじゃがのぉ」
その言葉にリファエルは慌てて手をほどいた。
「あら、すみませんでした。エルフさん、とてもきれいだから、つい、ね?」
そんなことを言いながら、リファエルは妖艶な笑みをエルフへ向ける。悠馬は横目でリファエルをみて、呆れ顔だ。
いつも、こうした悪ふざけを悠馬にもしてくるが、初対面の人にはどうなのだろうか。
誤解され警戒されても面倒だとばかりに、悠馬はリファエルの頭を軽く小突いた。
「ふざけるのもそれくらいにしておけよ? で、君はご飯は食べれそうか? 食欲ないなら何か考えるけど」
「だ、大丈夫じゃが」
あっさりとしたその態度にリファエルは不満げだったが、こだわっていても仕方ないと思ったのだろうか。気を取り直したように会話に加わる。
「いいんじゃありませんか? 奈緒さんはとてもやる気だったみたいですし。なによりも、ご飯を食べてみんな幸せ、って考えるところが奈緒さんらしいじゃないですか。私たちもお腹すきましたしね」
リファエルがそういってエルフに顔を向けると、タイミングよく地響きのような音が診察室に鳴り響いた。
それは、エルフのお腹の音であり、少しだけ顔を赤らめているのをみると恥ずかしかったのだろう。老練な口調とは裏腹に、どこか初心な様子を見せるエルフの表情が可愛らしい。
「お腹が減るってことはいいことだ。少なくとも、腸蠕動はあるってことだからな」
「ユーマ様。それはなんだか違う気がしますよ?」
くすくすと笑うリファエルにつられて悠馬も声を上げて笑った。
「ああ、そういえば」
立ち上がり、まさに奈緒の家に向かおうという矢先、悠馬はエルフへと向き直り慌てて問いかける。
「君の名前を聞いてなかったね。名前、教えてもらえるかな?」
「ミロルじゃ。ミロル・リーネルト。真名を教える必要はあるまいな?」
「それでいいよ。じゃあ、ミロル。いこうか」
それにこたえるように、ミロルは二人の後について行った。
◆
悠馬達が奈緒の家に行くと、既に食事の準備ができていた。
食卓に並ぶのは、鮭の塩焼きや卵焼き。ほうれん草の味噌汁、ひじきの煮物、酢の物、温泉卵などなど純和食だ。エルフであるミロルにとっては食べずらいものかもしれないが、この家の主たる奈緒の父、権蔵が朝はこういった食事だと決めているため変更はありえない。
当然、ご相伴にあずかる悠馬にとってはこの食事がこの上なくご馳走なのだが、エルフという種族の特性を考えると、首を傾げざるを得ない。
そもそも、エルフとは森に住んでおり人里にはあまり降りてこない種族だ。当然、食べるものも、森でとれるものに限られる。
まあ、森でとれるものには数多くのものがあるため、野菜がだめ、魚がだめ、肉がだめ、といったことはないのかもしれないが、圧倒的に香辛料や調味料が足りない。
基本的には塩なども森ではあまり使わず、素材の味を生かすものが多い。
故に、奈緒が作る味のついている料理、というものが口に合うかはわからなかった。
だが、奈緒はこういった料理しか作ることができないし、もちろんエルフの食事情など知るわけもない。
外国人に対する認識と同様、純和食が苦手かもしれない、と料理を作りながら感じていた奈緒は、ミロルの様子を窺うように遠慮がちに話しかける。
「うちの朝ごはんってこんな感じなんだけど……よく考えたら口に合うかわからないよね。大丈夫、かな?」
心配そうな奈緒を後目に、ミロルはというと、目を見開いて驚いている。
「す、すごいな」
「そう? いつも通りなんだけど」
「いや。我がいた森の近くの村など、朝は硬い黒パンとスープ、贅沢な家はチーズなどがあっただろうか。家によって差はあれその程度じゃ。これほどの品数と量。贅沢と呼ぶに値するじゃろう」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
ミロルの素直な賞賛に奈緒は顔を赤らめ照れている。
幼馴染の料理が食べる前から褒められているとあってか、悠馬はどこか自慢げに指を立てながら口を開いた。
「こっちとあっちじゃ文化も何もかも違うからな。口に合わないものは残していいけど、正直奈緒の料理はうまいからな。安心していいぞ」
「そうですね。奈緒さんの唯一の特技ですからね。……きっと腕が動かしやすいんでしょう。あるべきものがないんですから」
悠馬の褒め言葉までは笑顔だった奈緒も、リファエルの言葉を聞いて途端に青筋が額に浮かぶ。表情は変わらず笑顔だ。
その刹那、気配を消す悠馬と権蔵。二人が目の前にいるにも関わらず存在自体が薄くなったように感じたミロルは何事かとあたりを見回すが、すぐにその原因は判明する。
「ちょっと? 料理ができないことと胸の大きさは関係ないと思うんですけど?」
「あら? それはすいませんでした。なかったことがないからわかりませんでした」
それを聞いた奈緒は、リファエルが座っている目の前に、勢いよく味噌汁のお椀を叩きつけた。当然、入っている味噌汁が周囲に跳ねるが、テーブルにはねたものを権蔵が拭き、悠馬の顔に飛んだものは自分自身でティッシュを使ってそっと拭く。
遠くから見れば、二人は和やかに話しているようにしか見えない。
だが、食卓へと招かれ二人のオーラを感じ取っているミロルには、ここが一家庭の食卓とは決して思えなかった。
そう――。今感じている空気。それは戦場で感じた血なまぐさい空気と同じだ。
ぴりぴりと焼き付けるような殺意と敵意。
全身が泡立つような恐怖を感じたその時、ミロルは二人の後ろに燃え盛る戦場を見た。
爆発する家屋。吹き飛ばされる人々。その様が、まるで現実かのようにうつる。
「もう! そんなこといってると、リファエルさんには鮭、あげないですからね!」
そう言って、奈緒はリファエルの鮭の塩焼きを下げようとする。が、すぐさまリファエルはその腕をつかみ抗った。
腕からはぎりぎりと軋む音が聞こえるも、互いに一向に引こうとはしない。
「あら、そんなご無体な」
「いつもいつも、私がとてもとても気にしていることをリファエルさんが言うもんだから」
「冗談じゃありませんか。冗談じゃ。真に受けちゃって嫌ですね。そんなにイライラしているから奈緒さんのむ――」
「関係ないですからね」
奈緒は自身の腕をつかむリファエルの手にすかさず菜箸を突き刺す。
二人はいまだに笑顔を保っていた。互いの力が拮抗する。
そんな争いを横目で見つつ、悠馬は早く食事をはじめないことには巻き込まれると思ったのだろう。皆の準備ができたことを確認し、この家の主、権蔵に声をかける。
「お、俺達は先に食べてるからな? あ、おやじさん、お願いします」
悠馬はすがるような視線を権蔵に向けた。
権蔵はというと、存在感を消している以外は普段と変わらない。
紺色の甚平を着ており、無精ひげを生やした物静かな男だ。髪は短く切りそろえられており、家の横で道場を営んでいる権蔵だからか腕や首はとても太い。
権蔵は目の前で繰り広げられる余興とも呼べない争いに眉をひろめることなどしない。そして、朝食を食べる人数が増えたことも、その増えた人間の耳が尖っていようが何も気にしない。下町の男は、武を極める男は、細かいことを気にしないのだ。気配は消すが。
「いだだきます」
「いただきまーす!」
権蔵の掛け声とともに、皆一斉に食事を始める。ミロルは、その掛け声に戸惑いながら、食事へと手を付ける。純和食ではあるが箸が使えないためフォークだ。
ミロルは見たことのない食事をじっくりと観察をして、そして一番馴染みがありそうな鮭の塩焼きに手を伸ばす。小さく切った鮭のかけらをゆっくりと口に放り込んだ。
「こっ、これは――!?」
その途端、ミロルは目を見開き、驚きの声を上げる。
「なんじゃ、この魚は! 生臭さなどなく、むしろ魚が持つ油のいい香りが口の中に広がっていく。その油はコクがあり、甘美な蜜のような甘さ……。噛めば噛むほどあふれ出る油のうまみと言ったら今までに食べたことがないほどだ」
「おいしかったみたいでなによりだ」
そんな声をかける悠馬などすでに視界に入っていない。ミロルは目の前の食事をみて、次はどれを食べたらいいか熟考している。
「これは……卵か? むっ――。これは、甘い。先ほどの魚のような甘さではない! むしろ菓子の如き甘さじゃ。しかし、その甘さが全然嫌な感じがしない。おっ! こっちの卵はなんとも不思議な食感じゃ。噛めばトロリと湧き出る黄身の濃厚さが喉からその奥までやさしく撫でていくかのように心地よい。かけてあるタレも独特な風味じゃがうまいの……。このスープも、黒い煮物も、すべてが素晴らしいの……」
なにやらぶつぶつと言いながら、体をこわばらせたり、表情を弛緩させたりしながら食べているミロルを見ながら、奈緒はどこかほっとしたように微笑んでいた。
しばらくすると、満足しきったのか頬を若干紅色に染めたミロルが大きく息を吐く。
「うまかったの……奈緒といったな。これほどの食事を振る舞ってくれて感謝する。しかし、礼のほうなんじゃが、今持ち合わせがなくての。少し待ってくれまいか?」
「え!? そんなのいいです! とりあえず、おいしかったみたいだからよかった!」
「まあそうだな。俺も奈緒の家には食費を入れてるし、足りないようだったら足しておくから気にしないでいいよ。で、ミロル。食事はもとより、この部屋の中を見ただけで色々あっちとは違うのがわかると思うけど。どう? こっちとあっちの世界が違うって実感はわいてきたかい?」
悠馬の声に、ミロルは少しだけ表情を引き締めた。そして、部屋のなかをぐるりと見渡しておもむろに口を開く。
部屋の中には、テレビやエアコンといった家電製品もあり明らかに向こうの様子とは違っていた。
「料理もさることながら、奇妙な物がたくさんあるの。それこそ、我が住んでいた森にはなかったものばかりじゃ。森の近くの村にもな……じゃが、それだけじゃなんとも判断はつかん。しかし、近くに感じる魔力の数が圧倒的に少ない……。こんな場所、我がいた森の近くでも、王都でもあり得なかった」
「魔力を持たないのが普通だからな、こっちの人たちは。だから、それも当然なんだ」
「じゃから、おぬしの言うことも落ち着いた今なら理解はできる。ここは、違う世界なのだとういう説明がな」
「それで十分だ。別に、その事実を認めさせたいわけじゃないんだ。俺だって最初は全く信じられなかったし……。今だってあっちの世界の食べ物が懐かしいときはあるし」
「じゃあ、何を話したいのじゃ?」
ミロルの質問に、悠馬は顔を強張らせる。
その質問の答えはあっちの世界、異世界とでも呼べばいいのだろうか。異世界にいたものからすると、衝撃的な内容だからだ。
少なくとも、悠馬とリファエルは絶望した。悠馬という身体がなかったら、それこそ生きていくことにすら困っただろう。だが、伝えないわけにはいかない。
悠馬は背筋を伸ばしてミロルを見つめた。
「こっちの世界とあっちの世界。あぁ、なんか面倒だな。とりあえず、あっちを異世界、こっちを現世界とでも呼ぼうか? それをどう解釈してくれても構わない。けど、一つだけはっきりしてるのは異世界に帰ることは難しい。俺も、必死で方法を探したけど、帰り方は見つからなかった」
ミロルは、悠馬の言葉をかみ砕く様に宙を仰ぎ見る。そして、腕を組み、しばらく考え込んでいたかと思うとじろりと悠馬を睨みつけた。
「状況証拠はそろっとる。じゃが、なぜ我らがいまいる場所が異世界じゃないと言えるのか。おぬしが言っていることが正しいと判断するだけの材料が乏しすぎる。そのあたりは我にどう説明するつもりじゃ?」
当然の指摘に、悠馬はぎこちなく微笑んだ。そして、奈緒たちを一瞥する。
今まで、誤魔化してきた手前、どう説明しようが悩むが、ありのままを語るしかないのだろう。
そう決意した悠馬は、小さく息を吐いた。
「ふぅ……。ま、そうなるよな。その説明には俺達の自己紹介をすれば事足りるんだよ」
「自己紹介じゃと?」
きょとんとした顔に、してやったりと悠馬は微笑む。
「ああ。じゃあ、順番にいこうか? まずは、この素晴らしくおいしい料理を作ってくれた黒髪の女の子。この子は俺の幼馴染の秋瀬奈緒だ。現役女子大生。巷ではプレミアがつく。当然、現世界生まれ、現世界育ち」
「ぷっプレミアってなによ!? 変なこといわないでよね! って、あ、自己紹介だよね? よ、よろしくお願いします」
悠馬の声に促され、奈緒は小さく会釈をする。
「そして、その隣にいるのが奈緒のおやじさん。秋瀬道場の道場主をやっている。こんななりだけど、すっげぇ優しい。同じく生粋の現世界人」
よくわからない流れだが、権蔵は小さく会釈をする。その立ち振る舞いに、むしろミロルが恐縮したようだ。
「よろしく頼む」
権蔵とミロルのよくわからない頭の下げ合いが終わったのを確認すると、悠馬はリファエルに視線を促す。
「そしてその隣にいる銀髪は、うちの診療所の看護師であるリファエル。もろもろは省くけど、リファエルは異世界では天使をやってた。今じゃ天界から堕とされて堕天使って扱いらしいけど」
「もう、ユーマ様ったら。せめて元天使のほうが響きがよくありませんか?」
「堕天使のほうがかっこいいだろ? ほら、自己紹介してくれよ」
「もう。いいです。ミロルさん、よろしくおねがいします」
そんな突拍子のない自己紹介に、目の前のエルフは口を半開きにして呆けていた。そして、何をいってるんだ? というような顔でじっとリファエルを見つめている。
「そんな顔するなよな。本当のことなんだから。ミロルなら聞いたことあるだろう? 聖なる神、ガイレスの補佐を務める三大天使の一人、リファエルの名前くらい」
「そうじゃが……」
納得がいかないような表情のままだったが、悠馬はそれを敢えて流しつつ自己紹介を続けた。
「それで、俺は秦野医院の院長、秦野悠馬だ。ちなみに、こっちの世界では二十七だが、異世界では十六の若造。ちなみに、三級治癒魔法師をやっていた元冒険者。ひょんなことから、中身がこの体に上乗せされた、むこうじゃユーマだった悠馬だ」
普通の人が聞いたら頭がわいていると思われるような自己紹介を終え、悠馬は満足そうに微笑んだ。
2016/4/13 修正