七
「では、おやじさん、お願いします」
「ああ。いただきます」
「いただきまーす!」
秋瀬家の居間に号令が木霊した。
目の前には、色とりどりの料理と飲み物が並んでおり、見ているだけで食欲がそそられる。
いつもの通り、権蔵の掛け声で食事が始まり、掛け声とともに皆が一斉に料理に手を伸ばした。
「お! 今日は珍しいな、和食以外も交じってるのか」
「うん。みんなの好みもいろいろだろうし、私もレパートリー増やそうと思ってね」
元気な声でそう答えるのは奈緒だ。いつもの通りエプロンをひっさげて皆の世話を甲斐甲斐しく行っていた。
「でも、今回は本当にびっくりしたよ。なんか、女の人に攫われたと思ったら、いつの間にか家で寝てるんだもん。最初は、夢かと思っちゃったけど――」
「夢だったらどんなによかったか。本当に大変だったんだぞ? 俺の腕だって千切れかける寸前だったんだからな」
「はいはい。わかったから、口に料理をいれたまま喋らないの」
そんな悠馬の様子をみて、奈緒はくすりと笑いながら台所へ戻っていく。
「そんな軽く!? いや、本当に死にかけてたんだからな!? わかってんのか?」
納得いかない悠馬は食い下がるが、再び戻ってきた奈緒が持ってきた料理に、思わず溜飲を下げる。
奈緒特製の鶏のから揚げだ。きつね色に輝くから揚げは、かみしめると肉汁があふれ出てきて、薄味に仕上げた下味と油が相まって絶妙のおいしさを醸し出す、奈緒の得意料理のひとつだ。
当然ながら、このから揚げを悠馬は好きだった。
「はい、どうぞ」
「お、いいのか? そんなに量はないけど……」
「好きでしょ? から揚げ。いらないならほかの人にあげちゃうけど?」
「いやいやいや! もらいます。もらうから。もらわせていただきます!」
あせったように勢いよく口の中にから揚げを放り込む悠馬を見ながら、奈緒はようやく席に着く。そして、手を合わせいただきます、と言ってから。小さく、本当に小さく悠馬を上目使いで見ながらつぶやいた。
「……ありがと、ね?」
そのつぶやきは誰に聞かれるわけもない。それをわかっているのか、奈緒は少しだけ赤らんだ頬をごまかすように、悠馬のから揚げに手を伸ばした。
「もーらい!」
「あ!? 俺のだぞ!? 勝手にとるなよ!」
「私が作ったんだからいいの。ほら、ほかにもたくさんあるんだから一杯たべてね!」
そういって奈緒は声を上げて笑っていた。
そんな奈緒と悠馬の間に、ぐいっと乗り込んでくるものがいた。リファエルだ。
リファエルは、二人のやりとりを遠目で見ながら、優しい笑みを絶やしてはいない。けれど、その後ろに少しだけ黒い影が見えるのは気のせいだろうか。いや、気のせいではないだろう。
「な、ちょっと、いきなりこんな狭いところに入ってきてなんですか? リファエルさんの席でちゃんと食べてくださいよ」
「あら、ちょっとこちらのほうがいいと思いましたので。あ、ユーマ様? ちゃんとご飯食べれていますか? もしまだ腕が痛いようなら私がお手伝いしましょうか?」
そういってしなだれかかるリファエル。いつものことながら、その胸元をぐいっと押し付けているのを見て、奈緒は思わずむっとくる。
「まだご飯中ですよ! ほら、離れてください、リファエルさん!」
「そんなに必死になって。嫉妬なんて見苦しいですよ?」
「なっ――! 嫉妬なんかじゃありません! ただ、ご飯中にしなだれかかるなんてお行儀が悪いって言ってるんです!」
「長い間じっとは座ってられないんですよ……あ、奈緒さんはそういうのわからないですもんね。なら仕方ありません。教えてあげましょう。胸がある人はその重さで、姿勢を維持するのにかなりの筋力を使うんですよ? ですから、奈緒さんにはわからないでしょうが――」
「二度も言わなくていいですから!」
悠馬の横でやいのやいの押し問答をしている二人の様子はいつものことだ。特に、まわりは気にせず食事は進んでいく。
「これは……なんと」
さわがしい中、感嘆の声をあげたのは、サラだった。サラはある料理を口に運んだ瞬間、目を見開き、産毛は総立ち。全身に鳥肌がたつような衝撃を感じていた。
そして、引き込まれるようにその料理に手を伸ばす。何度も何度も。
「この風味、甘味……そして口の中にいれた瞬間にふわりとほぐれ、内側はとろっとした食感で舌をもて遊んでいく。決して、料理の主役になるようなものではない。だが、口にいれたものを幸せに導くようなこの優しさはなんだ。なんなのだ、これは!」
サラは、一口ずつ、そのすべてを感じようと目をつぶって租借する。飲み込むたびに、サラは恍惚に酔いしれ、紅潮したなんとも言えない表情を浮かべた
「この世界はなんとすばらしいのだろう」
しみじみとそう呟いていた。
静かに食事を楽しんでいるサラのもとに何かが飛来する。それは、かなりの大きさと重量を備えており、サラは咄嗟に臨戦態勢をとっていた。そして、飛んできたものから身を守ろうと腕で防御すると、飛来物はそこに張り付く。と同時に、大声でサラに罵声を浴びせかけた。
「さらねぇ! そんなにいっぱい卵焼き食べるな! ミロルの分がなくなっちゃうだろ!?」
「む。ミロルも食べたいならおとなしく食事をしていればいいだろう。それに、私はそんなに食べていない。まだたくさん残ってるではないか」
「ミロルはもっと食べるのー! ミロルも食べたいんだよー!」
そう言ってミロルはサラの腕から飛び降りる。そして、カサカサと床を高速移動して、卵焼きへとたどり着いた。
「んふふ。たまごやき……」
そういって、口の中に卵焼きを放り込む。満面の笑みへと変わったミロルをみて、サラも思わず顔を綻ばせた。
「うまいな」
「うん! うまいー!」
サラとミロルが甘い卵焼きに舌鼓を打っている。そんな様子を後ろから眺めているものがいた。
そのものは、ゆっくりと二人の背後から忍び寄り、じっと二人を観察している。
「もういっこだ!」
子供らしく「あーん」と声を出しながらミロルが卵焼きを口へと運ぶ。その道程、後ろからみていたものが、さっと卵焼きをとり自身の口へと入れてしまった。
「あー!?」
むぐむぐと租借し飲み込む。二人の背後に立つものは、そのおいしさに、思わず目を見開かせた。
「こら! いるま! 勝手にミロルの卵焼きをとるなよ!」
そう、後ろに立っていたのはイルマだった。相変わらずの褐色、紫色の髪と日本においては目立つ様相の彼女だが、その身体を包むのはだらっとしたジャージだ。どこかけだるげな仕草で二人を見下ろすイルマは、ふんっと鼻を鳴らし口角を上げる。
「うるせぇな。取られたくなきゃ必死で守って見せやがれ。こんな甘ったるいもんが好きなんて、お前は本当に子どもだな」
「なんだと! ミロル、子どもじゃない! いせかいの、さいせいのまじょと呼ばれた女だぞ! 強んだぞ!」
「へー。その再生の魔女様とやらがこんなちんちくりんで、甘い卵焼きを喜んで食べて、それを人に取られて泣きそうになってるだなんて、驚きだな! がき、がきんちょ」
「むきーーー!!」
ミロルは怒髪天のごとく怒りイルマに飛びかかったが、体格の差だろう。適当にミロルをいなしながら、イルマが一つ、また一つと卵焼きを口に運んでいく。
「ほら、なくなっちまうぞ!」
「あー、たまごやき! たまごやきがー!」
目に一杯の涙をためながら、イルマに立ち向かうミロル。それをにやにやと見つめながらイルマはミロルをからかい続けた。
「ほら、お前ら。もうやめろ。食事中だぞ?」
大きなため息をつきながら悠馬が二人へと苦言を呈す。だが、二人とも悠馬の言葉など気にもせず相変わらずからかい、からかわれている。
「うるせーな。保護者ぶりやがって。やめてほしきゃ、この封印の輪を取りな? こんなもんがついてちゃ、力が自由に扱えねぇじゃねぇか」
「なんだって、こんなヤンキー崩れみたいなのが出来上がったんだ……。そりゃ、すべてのウイルスを取り切れるとは思ってなかったが、もう少しなんとかなんなかったのか?」
思わず頭を抱えた悠馬だったが、そこの割って入るものがいた。サラだ。
サラは、ミロルをからかうイルマの脳天に、がんっ! と拳をたたきつけた。
「ぐげっ!」
「いい加減にしろ。イルマ。子供をからかって、恥ずかしいとは思わないのか」
サラの拳骨で地面に沈んだイルマ。恨めしげにサラを見上げながら、鋭い視線で睨みつける。
「あぁ? このイルマ様に手をあげるとはいい度胸じゃねぇか。やってやろうじゃねぇか。おもて、出ろ」
「いいだろう。その腐った性根をたたきなおしてやる」
そう言って、二人は庭へと出て行った。
その様子を後ろから見ていた悠馬は、大きなため息をついた。そして、横で奈緒をじゃれついているリファエルへと話しかける。
「なぁ、リファエル。あれって成功なのか?」
「成功といってもいいんではないでしょうか? イルマも、言葉使いはあんなですけど、実際に悪事を働く様子はありませんし。思春期のすこしだけはねっかえりの少女が出来上がったと思えば可愛いものではないでしょうか」
「まあ、魔王のときと比べたらマシなのかもしれないけどな。とりあえず、サラと協力して封印の輪を作れたのはよかったな。大分力が抑えられてて、あれくらいならいつでもどうにでもできるからな」
そんなやり取りをしながら、悠馬はぼぅっとテレビを見る。テレビでは、先日の事件の報道が流れていた。
見出しは、
『怪奇! 下町の白昼夢! 現れた悪魔!』
だった。その見出しをみて引きつった笑いを浮かべた悠馬の心情は計り知れない。
そう。イルマが暴れまわったあの日。イルマを治療し、奈緒を助け出した後、ミロルが壊れた街並みを再生魔法でもとに戻していた。細かいところは綻びが目立ったが、それでもあの惨劇を目にしたものからすれば奇跡に近い。
悠馬達以外にも目撃者は大勢いたのだが、避難したものたちがみたのは、元通りの町なみだ。テレビなどでも流れていたのだから、その衝撃はすさまじいものだった。
あるものは、大規模の集団催眠事件だと。あるものは、日本への情報テロだと。あるものは、心霊現象だと。あるものは、悪魔がこの世に降臨したのだと、様々な憶測をよんでいた。
あれだけの参事だ。もちろん、死者も怪我人もいた。だからか、面白おかしく騒ぎ立てるワイドショーには批判が向かい、すぐに憶測の数々は風化し消えていく。
ただ、悠馬はそういったニュースを見る度に、悲痛な面持ちでじっとテレビを見つめていた。
それはそうと、イルマの治療もおおむね上手くいっていた。変身する能力は失われ、必要以上の憎悪などは取り払われているようだった。すこしばかり、まだ面影は残ってるが、前を思えばかわいいものだろう。少しずつ、治療を進めて、いずれはウイルスを駆逐できればと悠馬は思っている。サラが力を抑える封印を施した結果、現状でも脅威とは言えないのだが。
悠馬の横ではリファエルと奈緒がいまだに言い争っている。目の前ではミロルが口いっぱいに卵焼きをほおばり喉を詰まらせかけていて、外ではサラとイルマがすさまじい音と衝撃をたてながら何かをやっていた。
さわがしく、まったくもって落ち着かないのだが、悠馬は一歩、前に進めている気がしていた。
全てを救うとか、そんな大それたことはできなかったけれど、目の前の大事な一人を殺さずに助けることができた。今までと同じようだが違う。悠馬は確かな手ごたえを感じていた。
そう思っていると、悠馬の視界の端で権蔵が箸を置いた。そして、ゆっくりと一礼してから席を立つ。
ああ、道場にいくのだろうか。
悠馬がそう思っていると、権蔵が悠馬の後ろにそっと立ち肩に手を置いた。
「ありがとな」
ぼそりと告げた一言。無骨な言葉。どこかぶっきらぼうな態度は、本当にそう思っているかもわからない。そんな言い方だった。
だが、悠馬はわかっていた。その言葉が心からのものであることが。権蔵の手から伝わってくる熱が、それを物語っていた。
咄嗟に振り返る。
しかし、既に権蔵は背中を向けており立ち去っていくところだった。顔は見えない。けれど、気持ちはたしかに伝わった。
「おやじさん!」
なんていっていいのかわからなかった。思わず呼びかけた悠馬のすがるような声に、権蔵は背中を向けたまま手を上げて応えた。
大きな背中を見送りながら、悠馬はとてもうれしかった。うれしくて、おもわず叫んでしまいそうなほどに。
照れたように頭をかきむしりながら、悠馬はその背中が消えるまでじっと見つめていた。
なりやまない喧騒。
そして、それが日常として存在する――秦野医院。
下町にある、なんの変哲もない診療所。
いつのまにか、なにやらよくわからない集団になってしまったが、悠馬のやることはかわらない。これからも、目の前の人を、すべての人を助けようと尽力することだろう。
それでも、今は少しだけ。
ほっとしていたいと思うのは罪なのだろうか。
また、何かが起こるのかもしれないけれど、それでもその時は全力を尽くせばいい。
悠馬はそんなことを思いながら、最後のから揚げを口の中へと放り込んだ。
「うまいな」
そういって、悠馬は顔をくしゃくしゃにして笑った。




