二
固く閉ざされた瞼。視界に広がるは暗闇。
その暗闇は尽きることはなく、延々と続く。そう延々と。
それが意味するところはつまり、サラの意識が続いているということ。
その違和感に、サラは思わず目を開いた。
そこにはいまだ、ボロボロになった街並みが広がっていた。
だが、なぜだろうか。サラにはそれが希望にしか見えなかった。ボロボロの街並みに佇む、三人の人影が、サラを見下ろしているのだから。
その内の一人はサラに手を向けながら白い光を携えていた。
光は、やがてサラを包み、すこしずつサラを癒していく。治癒魔法だ。その治癒魔法のお陰で、段々とサラの視界はクリアになり、体の痛みや重さも取れてくる。
「悪かったな、サラ。遅くなった」
そういって光をたずさえた男――悠馬は微笑んだ。その微笑みが、崩れかけていたサラの心をそっと支えたことに悠馬は気づかない。
けれど、再び悠馬に救われたサラは、安心感からか、思わず涙を流していた。それどころか、少しだけ嗚咽を混じらせながら。
「ほ、本当だ、遅いにもほどがあるっ。みろ! こんなにボロボロになってしまったじゃないか。どうしてくれるんだ! これでは、勇者として皆の前に立てないではないか!」
「そうだよな。ごめんな、本当に。よく頑張ったな、サラ……ありがとな」
「礼など不要。私は、勇者としての務めを果たしただけだ。だが、だがな……。わたしも、その、だな。危なかったから、その、あの……ありがと……」
口ごもるサラ。
どうしてだろうか、悠馬の目をまっすぐ見て話せなかったのだ。今まではどんなものにも、真正面から向き合ってきたというのに。
勇者という仮面を被っていれば何も恐れず立ち迎えた自分。そんな自分が幻だったかのように、今のサラは悠馬には向き合えない。
先ほどまでの憎しみとは違う、心臓を鷲掴みにされるような感情にサラは身もだえていた。思わず甘えてしまいそうになる心を必死で自制する。
既に、勇者としての仮面ははずれ、ただの少女としてのサラがそこにはいた。
「とりあえずこんなもんかな? あとは、終わってからゆっくり治してやるよ。だからそこで待ってろ」
悠馬がそういうと、サラは無言で頷いた。立ち去る背中を止めることはない。
勇者である自分をあれだけ苦しめた魔王に立ち向かうというのに、なぜ自分は止めないのだろうか。そんなことを思っているうちに悠馬の背中は遠くなる。
小さくなっていくはずの背中が、サラには大きく見えた。
ただの医者である悠馬が、ひどく大きく見えた。
自分の信念を委ねるには、それだけで十分だった。
もう、悔しさや無念は、どこかしらに雲散していた。
◆
悠馬はサラに治癒魔法をかけた後、周りを見渡していた。そこには、目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。
瓦礫の山、燃え盛る炎。空気は埃っぽく、鼻に突き刺さる焦げ臭さ。耳に響く悲鳴。
なんとも居心地の悪いところにもかかわらず、嬉々として宙に浮かんでいるものがいた。それは魔王だ。
魔王は紫色の髪の毛を風にたなびかせながら浮かんでいた。
その表情はひどく楽し気であり、無邪気さすら感じさせる。遠足の前の子供とでも表現すればいいのだろうか。何か焦ってるように落ち着きのないのが端から見ていても分かるほどだった。
悠馬は思わず顔をしかめる。
「悠馬様。勝手ながら結界を張りました。これで、私達のように魔力をもった人以外は入ってこれないですし、被害もこれ以上広がらないでしょう。ですから存分に……」
「助かった」
悠馬はそう言うと、小さく微笑んだ。
「なぁ、リファエル。あいつ、ここをこんなにして、あんなに楽しそうなんだけど気のせいか?」
「いえ、気のせいではなさそうですね。みるからに楽しんでいます。たまにいるんですよ、ああいう戦闘狂のようなものが」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
悠馬とリファエルはそう言いいあいながらも魔王から目を反らさない。軽口を言い合っていても、二人から漏れ出る怒気は増していくばかりだ。
町をこんなにして。
サラをこんなにも傷つけ。
人々に苦しみに与え。
奈緒を人質にとって――。
何が楽しいか悠馬にはわからない。そして、わかりたくもなかった。
胸の中に沸いていく激情が、次第に悠馬を戦場へと駆り立てていく。火はついた。あとは、投じるだけだ。
「リファエル。ミロルとサラとあの事……頼んだぞ」
「それはいいのですが……本当に私は戦わなくて大丈夫ですか?」
「さてな。どうしようもなくなったら逃げてくれ」
「はい。なら、後ろのほうでゆっくり見ていますね」
「おいおい」
笑顔で答えるリファエルに、悠馬は苦笑いを浮かべることしかできない。
覚悟を決めたとはいえ、まだ恐ろしいのだ。戦いに身を投じることが。戦うことで、自分が誰かを傷つけるかもしれないことが。傷つけることだけで、終わってしまうかもしれないということが。
加えていうならば、今更ながら目の前の魔王の力に圧倒されている、というのもある。何せ、ここ数年は、ほとんど治癒魔法しか使ってこなかったのだから。もしかしたら、自分の力など通じずに、ここで朽ちる運命。そうであってもおかしくないとさえ思っていた。
「じゃあな、ミロルもいい子にいてるんだぞ?」
「子ども扱いするな。さすがに、ここでは我も子供ではいられないのでな。少しは無理してみてるとしよう」
「そりゃプレッシャーだな」
そう言って悠馬は二人を一瞥すると、そのまま歩き出した。
その手にはいつの間にか大剣が握られており、鈍く輝いている。装飾もなにもないその剣は、ただ重厚さだけを誇っていた。刃など、そのあたりにあるカッターナイフの方が切れるほど。それでも、悠馬はこの剣を好んで使っていた。決して壊れないこの剣を。
「なぁ、聞こえるか?」
宙に浮かぶ魔王に悠馬が呼びかけると、魔王はさも楽しげに地上へと降りてきた。そして、赤い三日月を歪ませながら弾むように答える。
「なんだ、人間よ。ようやく重い腰を上げたか。我を待たせるとは随分と横柄なものだな」
「そりゃ悪かった。ちょいと、心の準備が済まなかったんでな。それよりも……お前がさらった女、奈緒は生きてるのか?」
「あのような凡庸な女がそれだけ大事か。心配するな。今は我が作り出した亜空間に放り込んでいる。生きているだろうよ。ただ、時間がたてばたつほど、生命力は失われていく場所だからの。あまり長引くと命の保障はできないな」
「そりゃ結構なことだ」
悠馬は重い剣を肩に担ぎ息を吐く。
「なら、さっさとお前を倒せば、奈緒は助かるってわけだ」
悠馬の言葉に反応して、魔王の魔力が途端に膨れ上がった。
紫色の髪は逆立ち、魔王から感じる波動が振動となって地面へと通じていく。
「面白いことをいうな! やれるものならやってみろ!!」
微笑みに凶悪さを織り交ぜながら、魔王は再び宙へと浮かび上がる。そうして練り上げるのは魔力。その魔力が弾けたその時、魔王の周りに人影が四対現れた。
それをみて眉をひそめる悠馬。
「まずは小手調べといこうか」
そういって魔王は手を掲げ、悠馬達に向かって振り下ろす。それと同時に、四体の人影はすさまじい勢いで悠馬達に向かっていった。
◆
「なんだと!?」
「なかなか厄介なものを生み出してくれるの」
そう呟きながら、サラとミロルが一歩を踏み出す。リファエルは少し後ろの方で何やら瞑想をしていた。
「すみません。お二人とも。私はやらなければならないことがあるので、お相手、お願いしてもいいですか? もちろんお手伝いはできると思います」
「必要ない。もう十分動けるからな」
「本調子ではないが、やってやれないこともないじゃろう」
そう言いながら、向かってくる二体を睨みつける。もう二体は悠馬のほうへと向かっていった。そちらも心配ではあったが、まずは自分たちのことだと、サラとミロルは気を引き締めた。
目の前に迫る黒い影は多大な魔力を内包しており、持っている力はそれに比例して大きくなるのは予想できた。だからこそ、自分達と同等の魔力を持った影達に、警戒心をあらわにしたのだ。
向かってくる影は手に剣のようなものを作り出し、勢いにまかせて切りかかってきた。サラはそれを同じく剣で受け止めると、吹き飛ばされそうになる衝撃に顔をゆがめる。
「ぐぅ……」
その横をもう一体が通り過ぎるが、ミロルは両手を向け素早く詠唱を行った。
『あまねく我の同朋よ。目の前に迫りし刃に不条理な戒めを与えよ』
ミロルの足元から現れた幾重にも別れた木の根。それは黒い影目がけて飛び出すと段々と太く大きくなり、あっという間に全身を絡め取る。もがけども抜け出すことはかなわない。
「サラよ! 我も今の状態ではそれほど持たん! 急いでそっちをなんとかせねば!」
「わかっている!」
サラは、押し合いながらミロルを一瞥する。
ミロルは強大な魔法でもう一体を無力化していた。だが、ミロルの額に滲む汗や表情からすると言葉通りなのだろう。自分達と同等の力を持つ目の前の影を抑えるには、全力で魔法を行使しなければならないのだ。
もちろん、目の前の影を倒すのも一筋縄ではいかない。だからこそ、サラは出し惜しみをするつもりはなかった。
「はあぁぁぁ!」
全身に力を込める。そして、影をこれでもかと下から切り上げ、空へと吹き飛ばした。
「ぎぎ」
不気味な声を上げながら影は宙へと浮かぶ。そこへ、すぐさま飛び込んできたサラは剣を持っていた右腕を切った。
――だが、右腕はそのままだ。代わりに右腕全体を囲うように透明の箱状のものが現れた。
「一つ目」
サラは小さくつぶやき、再び影と相対する。
影は、というと右腕の箱状のものを振り払おうと必死だった。だが、何をしても取れないと悟ったのか、片一方の腕で殴り掛かってくる。
「ぎぎぎ」
「一つ目を許した時点で、お前に勝ち目はない。さあ、二つ目だ」
その姿が消えたかと思うと、すぐさまサラの隣に影が現れた。同時に振り下ろされる刃。サラがそれを受け止めても、先ほどのように顔を歪めたりはしない。幾度となく繰り出される斬撃を、軽やかに受け止めていく。
「軽い!」
再び、すれ違いざまに左腕を切り付けるサラ。右腕と同様、腕を囲う箱状のものが現れる。
「ぐぎぎぎ」
「さて。これは何かわかるか?」
サラの問いかけに当然、影は答えない。一心不乱にサラへ向かっていくが、その速さは先ほどとは別人のようだった。サラにとっては、欠伸がでるほど遅くなっていたのだ。
向かってくる影の斬撃を余裕で避けつつ、サラは今度は右足を切り付けた。
「三つ目。もう、これで、お前は力、速さ、頑丈さの本来の力が封印されたことになる。もう終わりだ」
透明の箱状のもの。それはサラが行使した封印の魔法だ。影の持つ能力を封じ込めるそれは、多大な魔力と引き換えに、任意の能力を封じ込めるという魔法だった。
もちろん、まったくなくなるわけではない。一部の力の封印にとどまる。が、ほぼ互角な相手との場合は、大きなアドバンテージになることは間違いない。
剣での押し合いが互角だったサラは、まずは力で押し負けないように力を封じた。確実に相手に攻撃を与えるためには素早さを封印する必要があった。最後に、自分の攻撃が容易く相手に通じるよう頑丈さを封印した。
こうなってしまえば、いかに強力な力を持っていようとも、サラの敵ではない。
「終わりだ」
一薙ぎで真っ二つになる影。不気味なうめき声を挙げながら、影は空気へと溶けていく。
◆
ミロルはというと、大量の木の根で影を縛り付けたまま硬直していた。影は抜け出そうと身をよじり、わずかな隙を突いて根を切り裂いていく。
それに応えるように、ミロルは再び根を張り巡らし、影の動きを阻害していった。
「このままじゃ、まずいの」
限りのある魔力を少しずつ削られていくミロルと、わずかな体力しか消費していない影。
先に見えるのは、決して明るい未来ではない。
拮抗状態を打開すべく、ミロルは再び詠唱を始めた。
『悪辣な力により滅ぼされた命よ 再び授かりし意志とともに、幾度となく蘇れ』
ミロルが口を閉ざすと、両手から光が根、全体へと広がっていく。その神々しさとは裏腹に、ミロルの顔色は急速に青ざめ、表情が険しくなっていく。
「今の状態じゃと、少々きついかの」
歯を食いしばり目の前を見据える。
すると、先ほどと同じように影が根を切り裂いていく。だが、先ほどと違うのは、切り裂かれた根が地面に落ちていくのと同時に、先ほどあった根が元通り戻っていることだった。
「ぎぎ?」
「早く抜け出さぬと、少々苦しいかもしれん」
そんな呟きが聞こえたのだろうか。影は、躍起になって根を切り裂いていった。
再び切り裂くと、今度は切り裂いた根が元に戻っただけではなかった。切り裂いた根ともう一つ、根が増える。三度目は、三つ。四度目は四つと、どんどん根は増えていった。
「お主が根を切り裂き命を奪うたび、その命は再び蘇る。じゃがな……決して奪われた命は蘇ったからといってその恨みを忘れることはない。奪えば奪うほど、よみがえる数も同時に増えていく……それほどに、命は尊く、奪うのは罪なのじゃ」
そう言って口角を上げるミロルの目の前には、すでに木の根の山が出来上がっていた。
切れば切るほど増えていく木の根。その木の根に押しつぶされて、影の姿は確認できない。
「本当ならこのまま押し殺せるのじゃがな……」
ミロルはそう呟くと、額にそっと手を添える。
「もう限界じゃ」
そのまま跪いたかと思うと、目の前の根は途端に消え失せた。残ったのは、ぎぎ、とうめきながらぺしゃんこになっている影だけだ。
その影めがけて何かが降ってくる。
知覚した時には、もう影には剣が突き刺さっていた。
「魔力が尽きるとは詰めが甘い」
「そういうお主も、ボロボロではないか」
「む」
そんな軽口をたたいている最中、影は空気へと溶けて消えて行った。
二人は目を合わせ微笑むと、すぐさま悠馬がいたほうへ視線を向ける。そこには、未だに影、二対と相対している悠馬の姿があった。
「すぐに悠馬殿を助けに行かねば!」
「じゃが……もう魔力も空っぽじゃ」
二人とも、自身の切り札をきったのだ。全力を出し切った二人は戦えるような状況ではなかった。一人一体でこれだけの消耗を強いられているのだから二対となればそれこそ死闘になるだろう。
それがわかっているにも関わらず、二人は悠馬の元に向かうことができない。それだけの力はもう残っていないのだ。
自身の力のなさに歯がゆさを感じる二人。その視線の先では、影二対に同時に襲われる悠馬の姿があった。
「悠馬殿!」
「悠馬!」
悲痛な叫びが響く。
だが、悠馬は目の前の二対の影に向かって剣を一薙ぎしたかと思うと、再び剣を鞘に納めてしまった。
すると、あっという間に影二対は空気へと溶けて消えていく。
その光景に、サラもミロルも開いた口がふさがらなかった。
2016/5/10 修正




