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異世界治癒術師(ヒーラー)は、こっちの世界で医者になる  作者: 卯月 みつび
カルテNo.3 二十七歳、男性。人間、黒髪。主訴、誰も何もわかっちゃいない
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 秋瀬家の道場。


 そこは権蔵が日々を過ごす場所であり、積み上げてきた武術を研鑽するための得難い場所。秋瀬流武術指南道場と名付けられたそこは、ありとあらゆる武術が学べる道場として、その道では有名な場所だった。この道場で教えるべき内容をただ武術と位置付けているのは、秋瀬流があらゆる武芸に通じているためであった。ただ、強くあること。それが秋瀬流に求められる唯一のことだった。

 全国各地から秋瀬権蔵に教えを請うために人々がやってくる。そうかと思えば、近隣の子供たちに簡単な護身術を教える。そんな、受け皿の広い道場主である秋瀬権蔵は、武術の世界では知る人ぞ知る武人として有名であった。


 その道場の中で悠馬は権蔵と向かい合っていた。互いに木刀をもって、切っ先を相手に向けて。

「……準備はいいか」

 そうつぶやいた悠馬を襲ったのは、風。

 否――そう思わせるだけの圧力とでもいえば良いのか。悠馬は、権蔵の周囲に火花が散っているような錯覚を見た。

 剣を構えた権蔵、その身体から漏れ出る何か。それを悠馬は感じ取っていたのだ。

 常人であれば、それだけで圧倒され剣を置いてしまうほど。そんなプレッシャーを全身に受けつつ、悠馬は権蔵を見つめていた。

「いくぞ」

「だから、何を――っ」

 

 悠馬がわけがわからないとばかりに反論しようとした瞬間、権蔵は視界から消えた。

 驚きとともに感じたのは、漠然と右側に感じる寒気。反射的に木刀を構えると、衝撃が襲う。一瞬のうちに切りかかっていた権蔵の剣を、悠馬がしっかりと受け止めていた。

「ふんっ!」

「おやじさん!」

 それに臆することもなく、権蔵は悠馬へと切りかかる。

 その速さは最早人間とは思えない。木刀に込められた剣気のせいか、丸太で切りかかれたような錯覚にすら陥っていた。

 だが、その剣を、権蔵の想いの込められた剣を、悠馬は一太刀一太刀受け止めていたのだ。


 権蔵の放つ斬撃。いや、木刀だから打撃とでもいうのだろうか。

 その打撃は鋭く重い。ひとたびくらえば、容易く骨ごと断ち切るのは間違いがないだろう。それだけの打撃を前にして悠馬は堂々と相対した。

 袈裟、突き、切り返し。

 あらゆる手を使って権蔵が悠馬を攻めたてようと、悠馬はその打撃をことごとくかわし、いなし、受け止めた。

 数太刀交わしたところで、権蔵が悠馬と距離をとる。そして、息切れさえもしていない肩を震わせながら、悠馬を見つめていた。

「やはりな……」

 そんな、どこか確信にも似た言葉を権蔵が漏らす。

「悠馬……お前は強い」

 その言葉を聞いて悠馬の中の感情は途端に膨れ上がった。押さえつけられないほどに。思わず口から漏れ出てしまうほどに。

「そんなこと――! そんなことあるわけがない! 俺は、俺は……弱いんだ」

 木刀を握りしめる手に力が入る。歯を食いしばる。今にも地団太を踏んでしまいそうなほど、悠馬の感情の逃げ場がなくなっていた。

「奈緒だって連れ去られて、俺は何もできなかった! そんな俺が強いだって!? そんなことあるわけがない、ないんだよ!」


 強くなりたかったのだ。

 ずっと強くなりたかった。けれど、ヴォルフを殺してから悠馬は戦うことをやめた。強くなることを放棄して、誰かを助ける力を磨いたのだ。

 だから今、こうして医者として、誓いを守りながら生きている。強さなど――それは今の悠馬にとって必要のないものだ。


「悪かったさ……奈緒が連れ去られたとき俺は何もできなかった。謝らなきゃならないのはわかってるんだ……取り返しがつかないことも。けど、なんだよ、この茶番は! こんな木刀で打ち合って何になるっていうんだ! 時間の無駄だろう? こんな俺にかまってないで、早く奈緒を助けにいけばいいだろう。そのまま魔王だってなんだって倒しちまえばいいじゃないか! リファエルだって連れて行けばいい、そうするだけの価値が、リファエルにはあるはずだ」


 だが、自分にはない。

 たかが、三級という中途半端な治癒術と現代医学しか誇れるものがない自分には、奈緒を助けにいくだけの力がない。勇気もない。

 けれど仕方がないではないか。悠馬は誓いを立てたのだ。ゆえに誰かを傷つけることなどできないのだから。

 魔王にだって、あれだけ自分やリファエルやサラを虚仮にされたとしても、できることなど何もない。そう何も――。


「俺はおやじさんみたいにはなれない……。誰かを傷つけるために技を磨くだなんて真似、できないんだよ。もう嫌なんだ。力を振りかざして、自分の想いを振りかざして、そうして得られたものなんて何もない! 奪っていくだけの力に、何の価値があるっていうんだよ!」


 剣を振るって奪ったものは数知れない。けれど、剣を振るって得たものは、守れたものは、自分のちっぽけな意地くらいしかないのだ。失うものが多かった。多すぎたのだ。そんな力を、剣を、振るってはならない。そう、あらなければならない。


「違うぞ、悠馬」

 悠馬の叫びに分け入る権蔵の言葉。それは、波紋のように、すっと道場中に響いた。

「力は守るために磨くんだ……己の信念を突き通すために磨くんだ。お前は何に怯えている? お前の信じる力とは、一体なんなんだ?」


 悠馬の身体が震えた。


 自分は、自分の誓いに沿って生きてきた。誰も傷つけることなく誰かを救いたい。その誓いを胸に生きてきた。そして、それを誇りにもしてきたのだ。

 患者さん達の笑顔を、優しい声を、暖かな日々を。

 幸せともいえるそんなちっぽけなものを、守りたいと思ってきたのだ。

 それさえ守れれば、自分は胸を張って生きていける。


『奈緒を守れなかったのに胸を張れると?』


 ――違う!

 あれは仕方なかったのだ。魔王という現世界では考えられない脅威にさらされた結果だ。勇者と天使の力をもってしてもあらがえることのなかった天災のようなものだ。

 たかが一医者である自分に何ができるというのか。現代人には、決して越えられない壁があるのだ。


『そう思わないと、誓いを守れないもんな』


 ――違う!

 自分は誓いを必死に守っている。それを守らせないのはリファエルやサラだろう。誰も傷つけたくない。そう思うことのどこが悪いのか。悪いのは――そう、悪いのは奈緒をさらったあの魔王だ。


『お前は何もできないんだじゃない……なんもやっていないだけだ』


 ――違う!

 自分はたくさんの人を助けてきた。リファエルだって、あのままじゃ死んでいたかもしれない。けれど、自分の命の危険をおかしてまで助けたじゃないか。ミロルの命も、サラの命も、俺は助けたじゃないか。悠馬とユーマの力を合わせて助けただろう? それの何が悪いんだ。


『なぁ、ユーマ。そうやって逃げ続けて失うのは、もう俺で最後にしようぜ?』


 脳裏に響くヴォルフの声。その声にはっとして顔を上げた。

 目の前には権蔵が立っており、暖かい目で悠馬を見ている。気配を感じて後ろを振り返ると、そこにはリファエルとミロルも立っていた。


 なぜ、皆は自分をそんな目で見ているのかわからなかった。何もできない自分を、そんな暖かい目で。

「お前がやりたいことは……ただ、知識と経験を使って怪我や病気を治すことだけなのか? それが目的なのか? 違うだろ。お前は小さいころ言っていた」


 ――父さんみたいに、たくさんの人を救える人になりたい。


「俺には力が足りない。奈緒を助けられない。先ほど感じた力の暴流に、太刀打ちできるイメージすらわかない。だが、お前には、まだ他にできることがあるんだろう?」

 権蔵のその言葉を聞いた瞬間、悠馬の感情をせき止める堰が壊れた。

 その両眼からあふれ出る涙。歯をかみしめながら、嗚咽を飲み込みながら、棒立ちするしかできなかった。

「俺は……逃げてたのかな」

 しん、と張りつめていた道場に広がる悠馬の声。

「誰かを救う覚悟を……持てなかっただけなのかな」

 そのつぶやきは、その場にいた誰かに言ったものではない。それは、さっきまで自分に語りかけてくれていた男、信念を持っていた男、自分に想いを託した男。ヴォルフだ。


 本当に自分は口先だけだったのだ。

 ヴォルフを殺した。それは、多くの人々の希望をぶち壊したことと同義だ。そうまでして通した自分の意地は、誰も救うことはできなかった。多くの悪をぶち壊して善を救う。それをやろうとしていたヴォルフの信念と戦ったはずの悠馬の信念は、すべて救うということだったはずなのに。

 本来ならば、ヴォルフを殺した後も膝を折らず、立ち向かわなければならなかったのだ。すべてを救うために、すべてと立ち向かわなければならなかったのだ。そうしなければ、ヴォルフは何のために逝ったかわからない。何のために―。

 

 誓いとは逃げる口実。振りかざしていたのは、自分の歩いてきた道を見ないための虚像。そんなものにすがりついて、今、悠馬は奈緒の命を失おうとしている。

 自分がやりたかったことはなんなのか。

 確かに、治癒魔法で誰かの傷を治せばその人は救われる。医学を用いて病人を助ければ、その人は救われる。なら――魔王に攫われた幼馴染は、どうすれば救われるのか。

 人を救う。その目的さえ違えなければ、手段はどうでもいいではないか。なら、自分は剣を振るってもいいのかもしれない、いや、振るうべきなのだ。


 この決断を、ヴォルフの命を奪ったその瞬間にしなかった自分の罪を償うには、遅くとも、今更でも、折った膝に力をこめ、親友の命を礎にして――立ち上がることでしか果たせない。

 そう思った瞬間、悠馬が抱いていた恐怖心や縛られていた倫理観はすこしだけ薄くなった。奈緒を助けるということに、悠馬の意識は向いていた。


「ヴォルフ……ごめんな……」


 空に向けて悠馬は想いを投げる。その想いが届いたかどうかは、悠馬の命が尽きたその時にしかわからない。

 けれど、今はそれでいい。それでいいのだと、ヴォルフが笑った気がした。


「おやじさん……ありがとうございます。俺――行きますね」

「ああ。頼んだぞ」

 権蔵は、その言葉を聞くと、剣先を降ろした。木刀を壁にかけると、ゆっくりと道場から出て行った。悠馬はそれをじっと見送った。

 権蔵がいなくなると、悠馬は振り返り、リファエルとミロルと向き合った。

「リファエル、ごめんな」

「いえ……ユーマ様が立ち上がってくれて、私は今とても幸せです」

 リファエルは笑う。その目じりに少しだけ涙をためながら。

「ミロルも、腹へったろ? はやく飯食いたいよな」

「うん……なおのこと、ゆーまが助けてくれるのか?」

 幼い言葉は、直接悠馬の心に響いた。だが、今度は目をそらさない。向き合って言葉を返す。

「ああ。奈緒を助けてくる。おやじさんと待ってられるか?」

「何をいっておるのじゃ? 我も連れていかないと、あとが怖いぞ?」

 突然、変容した口調に、リファエルと悠馬が目を見開くと、そこには先ほどまでとは打って変わり、妖艶さを醸し出す幼女がそこにいた。

「何を驚いておる。魔力核の力を借りれば、昔の意識を取り戻すことくらいできるんじゃよ。とんでもなく疲れるし、長い時間は戻っていられないのじゃがな」

 そういって微笑む。

 久しぶりの大人ミロルと相対した悠馬は、思わず微笑み、そして頷いた。

 これで全員か。


「ああ――いいだろう。皆で、迎えに行くか」


 そんな軽いのりで、悠馬は挑む。


 勇者と天使でもかなわなかった――魔王という脅威に。


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