一
サラが出て行った後の待合室。そこには、沈黙だけが広がっていた。
悠馬は俯き一点を見つめている。微動だにしないその様は、石像のように頑なだ。静まり返った室内の中で、ひたすらやり場のない怒りを押しとどめようと戦っていた。
リファエルの視線にサラの言葉。
自らに対する過大な評価。それに応えられない自分。どちらも、どれだけ身勝手なのか。悠馬には判断ができない。
だが、自分ではない他人にかける期待など、願望から生まれでる虚構そのものであるし、その虚構に追従する形で希望を持たれても迷惑でしかない。なら、怒りをもって当然ではないか。当然の権利を行使したからといって、なぜこんな目で、こんな言葉で責められなければならないのか。
そう思いながら、悠馬はリファエルから視線を逸らしていた。
「ユーマ様……本当にいいのですか?」
――やめれくれ。
リファエルから逃れるように、悠馬は自らの身体を小さくたたむ。
「うるさい……」
「奈緒さんを助けられるのはユーマ様だけです」
「うるさい……」
「救える命がそこにあるのです。もう一度言います、ユーマ様」
――また、後悔するんですか?
リファエルのその言葉に、悠馬の怒りは爆発した。
「うるさいって言ってんだろうが! 後悔なんて何回だってしたさ! けどだめなんだよ! もう昔のユーマじゃない! 今の俺はユーマであり悠馬なんだ! ……怖いんだよ。人を傷つけることだけじゃない、戦うこと自体が、命のやり取りが、怖いっていってるんだ。現世界の悠馬がさ」
リファエルの方が硬く引き絞られる。
「小さいころからずっと一緒にいたんだ。幼馴染だぞ? あいつしかいないんだぞ? 後悔しないわけないじゃないか! ふざけんなよ。お前より、あいつのほうが付き合いだって長いんだよ。何もかもわかったような口きいてんじゃねぇよ!」
悠馬の中で繰り広げられる葛藤はどんどんと苛烈さを増していく。本当はこんな感情をぶつけたくはない。それでも溢れてくる言葉はどこに向かえばいいのか。悠馬にはそんなことすらわからない
「ユーマだってそうだ! お前もわかっているんだろ!? 俺は誓ったんだ! もう戦わない! 戦えない! 無理なんだよ、俺が奈緒を助けることなんて」
戦えない。
戦えないのだ。
戦う理由がないのだ。戦えない理由しか悠馬には存在しなかった。
現世界での悠馬の想いに加えて、異世界でのユーマの想い。刷り込まれた現世界の倫理観と多くの屍と後悔の中で決意した異世界での想いは、悠馬の心を縛り付けている。否、がんじがらめにしないと砕けてしまいそうな心を、必死で守っているのかもしれない。
だから悠馬は叫ぶのだ。
自分を守るために、自分だけを守るために。
そんな中、リファエルは一歩を踏み出した。
瞳は潤んでいる。歯は噛みしめられている。何かに耐えるように全身の筋肉が収縮しているけれど、それでもリファエルは言葉を紡いだ。
「ユーマ様の誓いは知っています……。その誓いの元、私は助けられたということも知っています。苦しんだ末にその答えを選んだのも知っています」
それは、異世界から現世界にくるまで共に歩んできたリファエルだからこそ言える言葉だった。共に歩んできたのに、なぜそんな言葉が吐けるのか。理解できないリファエルの思考に対して、怒りがこみ上げてくる。
かつて異世界でリファエルと出会ったとき。その時の自分の誓いがあったからこそリファエルの命は助かったのだ。自分の誓いがリファエルを助けた。だから、いまここでその誓いへの反論など認めようがない。そう思いながらも、何かを打ち抜くようなリファエルの視線と悠馬は相対できない。直視、できない。
「それに加えて、悠馬様の気持ちも重なり、その心労は私では計り知れないことでしょう」
話しながら、さらに一歩。
「けど……けどっ! 私の好きになったユーマ様は、きっとこの困難も乗り越えてくださいます! 私の好きなユーマ様は、きっと――」
もう一歩。悠馬とリファエルの距離はすでになくなってしまった。
悠馬の耳に飛び込んできた声。その声に嗚咽が混じる。普段の落ち着いた印象とは異なり、リズムが狂ったメトロノームのような感情の揺らぎ。
それを感じた悠馬はおもわず顔を上げた。
目に飛び込んできたのは、いつもの笑みを絶やさないリファエルではなかった。
透き通るような両眼から流れ落ちる涙。
リファエルの険しい表情をみると、きっと、これでもかと堪えたであろう。それでもあふれてしまった涙を、悠馬は見てしまったのだ。
◆
悠馬は気づいたら飛び出していた。
なぜかはわからない。けれど、あのままいたら、どうにかなってしまいそうだった。
弱い自分の心が――両方の自分自身の心が、壊れそうなほどに。リファエルの涙に締め付けられていたのだ。
気づいたら、悠馬は秋瀬家の道場にいた。小さいころから、何かあるとすぐにここに逃げ込んでいた。
すべてを受け入れてくれる怖くとも優しい、幼なじみの父親。権蔵は悠馬を優しく慰めるわけでもなく厳しく叱咤するわけでもない。ただ、あるがままに受け入れてくれる。
そんな居心地のよい道場に座り込みながら、空を見上げていた。
空は、青い。雲一つない空を見ながら、湧き上がる嫌悪感に身震いしそうになる。
そうしていると、ふと思い出す。前にもこんなことがあったな、と。自らに無力感しか感じなかった、そんなあの日のことを。
悠馬は青空を見上げながら、少しだけ昔のことを思い出していた。
2016/5/8 修正




