六
その日の午後の診療は休診とした。すでに訪れていた患者達に精一杯謝罪する悠馬とリファエルだったが、こんな状態で十分な診察などできやしない。患者達に帰ってもらってからは、自然と同じ場所に集まっていた。
悠馬とリファエルとサラ。三人は病院の待合室にある椅子に座り込んでいた。ミロルはというと、魔力を吸い取られてしまったため気を失ってしまっていた。とりあえずの応急処置として悠馬がミロルに魔力を与えており、今はリファエルのベッドに寝かせている。痙攣も起こしておらず、命に別状はなさそうだ。
「なぜだ……」
そう呟きながら項垂れているのはサラだ。
悠馬達は言葉もなかった。しばらくそうしていた最中、サラが唐突に沈黙へと口火をきったのだ。
「なぜ、封印が解けた? あの魔石には魔力はまだ十分残っていたのだ。解けるはずがない。解けるはずがないんだ! そもそも、なぜあの魔石が庭にあったのだ……。わけがわからない。どういうことだ」
声を荒らげたと思ったら、すぐさま静かに俯いてしまう。起伏の激しい感情は、サラの心情をこれでもかと表していた。
悠馬とリファエルはそんなサラの様子に気をかける様子はない。どちらも、何かをじっと考え込んでいるようだった。それだけ余裕がないのだろう。そのままだとサラの独白になってしまった叫びに、リファエルは小さく応える。
「これは憶測になってしまうのですが……」
ピクリとサラのこめかみが動く。
「サラさんの封印は問題はなかったように思います。手術後に確認したときも、確かに魔王の魔力は封じ込められていました。術式に綻びも見られていませんでした。ですが……」
「なんだ?」
「もしかしたら、なんですけど……この世界に存在する魔力の薄さが原因になったのかもしれません」
理解ができない。そう語るかのようにサラの表情は険しく歪む。
「魔力の薄さ? それが封印に関係するというのか?」
リファエルはその疑問には答えられない。あくまで憶測の範疇なのだ。しずかに首を横に振る。
「あくまで憶測ですよ。といっても、まったく根拠がないわけではありません。ミロルさんの魔力核を思い出してください。あれは、魔力をため込もうとする性質を持っていました。ですから、現世界でも生きるために必要な魔力をエルフに供給することができているんです」
「それは先日の話を聞いて理解している」
「ええ。そして、今回、封印に使われていたのは魔石です。魔力核も魔石も別のものですが、同じような性質を持っているんです。魔力をため込むというね」
そこまで話してリファエルは言葉を区切る。その間がじれったいのか、サラは強く拳を握りしめている。
「ため込むという性質を持っていると同時に、どちらも魔力を外に出すということもできます。では、この性質はどのように制御されているのか。それを考えてみたとき、もしかしたら空気中に存在する魔力の密度が関係していると思ったんです。つまり……、魔力核も魔石もどちらも出し入れの際は強い圧力や引力が必要になってきますが、どちらの力も作用していないときは、どうなっているのか。仮に、空気中の魔力と中の魔力との圧力が均衡しているからこそ、魔力を貯めておけるとしたら――」
悠馬がリファエルの言葉に口を挟む。
「魔力の薄い現世界では、魔石に込められた魔力が少しずつ外に流れ出てしまうってことか」
それ以降、口を噤む悠馬とリファエル。反対に、サラは内なる激情を抑えきれずに震えていた。そして、その感情は今にも爆発しそうなほどに膨れ上がっていく。
「では、封印はこちらに来てから弱体化していたということか……」
「あくまで仮定の話で――」
「仮定だろうとなんだろうと関係ない! 魔王の封印は解けてしまったんだ! すべてをかけた封印は……もう解けてしまったんだ」
勢いよく立ち上がったサラは、二人を見下ろしていた。その瞳は真っ赤に染まっており、燃え上がるような怒りで満ちている。
「なんということだ……。甘美な言葉に踊らされ、私は取り返しのつかないことを……。すべてを捨ててあきらめていた、未来が、自由が手に入ると思って何がいけない! 私だって封印されたいわけではないんだっ! 力がないからっ……魔王を滅ぼす力がないから、このような方法しか世界を救えなかったんだ! それを! どうして……こんな……」
サラはそのまま床にうずくまると、消え入るような声で囁く。
「すまない……悠馬殿を責めているわけではないのだ……すまない」
肩を震わせているサラを今度は見下ろしながら、悠馬は悲痛な面持ちで口を開く。
「いや、いいんだ。俺が悪いんだ」
「ユーマ様」
悠馬は口を開くと、両手で顔を覆ってしまう。
「俺が……魔王の封印をどうにかしようとしてしまったから……俺がいなきゃ、あんなことがなければきっと魔王の封印が解かれることもなかったし、奈緒が攫われることもなかった」
横につき従っているリファエルは、悲痛な様子の悠馬に何も言えない。
「調子にのってたんだ、父さんの診療所はうまくやれてる。こっちの人間じゃないミロルの手術だってうまくやれた。こっちの世界の人間じゃないやつらの治療だって難なくこなせた。なんでもできると思ってたんだ……医学と治癒魔法さえあれば、どんな人だって救えるって……そんなこと――あるわけがないのにっ!」
悠馬の口調は段々と早く大きくなり、最後は感情を抑えられる叫んでいた。小さな部屋に悠馬の声が響き、それは壁や天井を伝わり少なからず共鳴する。
「魔王の封印だってうまくやれたと思っていた! あとは魔力の供給問題だけが片付けばいいと思ってたんだ! だが、結末はこうだ。はっ……自信過剰になって、人を救うどころか大勢の人の命が危うい。こんなの、前と同じじゃねぇか……いや前よりも最悪だ。俺は誰も救えない」
そういって悠馬は顔を手で覆ってしまう。
自分自身を責める二人を目の前に、リファエルは唐突に鼻を鳴らした。当然、二人はそれに気づき顔を上げる。
「何をいってるんですか、二人とも。おかしいですよ。二人して下を向いて自分を責めて。そんなことをして誰が救われるというんですか? 自分で自分の傷を舐めて……可哀そうだと思ってほしいんでしょうか?」
辛辣な言葉に、二人は驚きを隠せない。
「最初からすべてをあきらめている二人には、なにも成し遂げられません。成し遂げる資格すらありません。何もできない二人は、そうやって地面に突っ伏しているのがお似合いですね。見事ですよ」
その言葉にサラは立ち上がりリファエルに詰め寄った。傷つきながらもそれに反発するようにまっすぐと視線を向けている。
「そのようなこと、リファエル殿に言われる筋合いはない!」
「ならば立ちなさい」
凛とした叫びが部屋に響いた。びくりとサラは背筋を伸ばし、目を見開く。
「前を向きなさい。希望を抱きなさい。人類の中でもっとも勇敢で気高い存在が、こんなことで屈するのですか? 勇者とは、単に勇気があれば、強くあればなれるものではありません。人々がその背中をみて、勇気を与えられるような、そのような存在を言うのです」
リファエルはそっと目を閉じ、記憶を探る。そして、自分がもっとも勇敢だと思う男の背中を思い浮かべた。
「サラさん……あなたにはまだできることがありますよ? それだけの力を、あなたは持っていると思います」
そう言うと、リファエルはまさに天使の微笑みを浮かべる。その笑みはすべてを包み込み、支え、癒しを与えるような、神々しさを纏った微笑みだった。
サラは、それをみて何かを感じたのだろう。どこかすがるように、見上げるように、窺うようにリファエルを見つめ、そして問いかける。
「助けられるのか?」
「ええ。ユーマ様がいますから」
その言葉とともに、四つの目が悠馬へと向けられた。肩をびくりと震わせながら、悠馬はおもむろに顔を上げる。
「何を……」
「ユーマ様がいるのです。それならば、魔王の一人や二人。どうにでもなるのは間違いないでしょう」
リファエルの視線はまっすぐだ。疑いを抱かず、期待さえも感じていない。当然の事実として、普遍的な根拠を述べるような、そんな堂々たる態度で悠馬と相対する。
対する悠馬はなぜそんな目線を向けられるのかわからない。なぜ、何も成し遂げられない自分に信頼を置いているのか。その理由も、何もわからない。
「リファエル何をいって……」
「魔王は言いました。『お前が本気を出すのなら、我も危ないと思った』と」
その言葉にサラはピクリと眉をあげる。
「気づいているんですよ、ユーマ様。あなたがただの三級の治癒魔法師程度では収まらない傑人だと。自分の脅威となるのは、ユーマ様なのだと魔王は気づいているんです」
「そんなこと」
狼狽える悠馬を後目に、サラは期待を寄せるような瞳をむける。
「ただの三級魔法師程度では収まらないとはどういうことだ? 悠馬殿は一体……確かに、内包している魔力はすさまじく、私をも凌駕するほどだ」
ゆっくりと、一歩ずつ、サラは悠馬へと近づいていく。
「まさか、何か力を隠しているとでも言うのか? あの魔王をどうにかできる力を――悠馬殿!」
悠馬の肩を掴み食いかかるサラ。その権幕に、悠馬は思わず目をそらした。
「そんなことあるわけがない」
「だが、リファエル殿も魔王も言っているではないか!」
「ただ言ってるだけだ。俺は治癒魔法師の記憶をもった、ただの医者だ。それ以上でもそれ以下でもないんだよ」
「もし何らかの力を持っているなら、頼む! 力を貸してくれ! 魔王を倒す力を!」
「だから、何もないって言ってんだろうが!」
乱暴にサラの腕を振り払う悠馬。再び歩み寄ろうとするサラの目に飛び込んだのは、全身が震える真っ青な表情をした悠馬の姿だった。
「悠馬殿……」
伸ばそうとした手を引っ込めて、サラは棒立ちのまま悠馬を見つめる。
「俺はただの医者だ! お前達みたいに戦うことなんてできない。人の病気や怪我を治すことしかできないんだよ。無理だ。あんな化け物と戦うとか。そんなの無理なんだよ」
自らの身体を抱きしめたまま、悠馬はピクリとも動かない。
その様子をみて、サラは大きく深呼吸をすると目を瞑り、しばらくしてから踵を返す。
「悠馬殿。今、あなたの家族ともいえるものが命の危険にさらされている。魔王が手放しになった今、多くの人の命が失われるかもしれない。そのことについて何も思わないのか?」
悠馬は何も答えない。
「魔王が、リファエル殿が言う力を持っているあなただが、その力をどう使うのかは自由だろう。もう私はそれについて何も言わない。だが、一つだけ。私は私にできることをする。悠馬殿は家族の窮地に何をするのだ?」
サラは見下ろしていた。蔑むような、憐れむような、それでいて悔しさのような、そんな視線で。
「私は奈緒殿を助けに行こう。勇者として」
そういって、サラは診察室の出口へと向かった。迷いなく、まっすぐに。
「サラ……お前は正しいよ。だが、それだけだ」
悠馬のつぶやきはサラの背中に届いたのだろうか。サラはそのまま無言で出て行った。
2016/5/4 修正




