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綱の務め

作者: 今井翔太

秋場所初日の国技館。横綱、梅ヶ島は結び前の土俵に上がっていた。

梅ヶ島。優勝回数29回、58連勝、7連覇…。数々の記録を打ち立てた彼は、大横綱と呼ばれるべき存在となっていた。

しかしながら、33歳となって迎えた今年に入ってからは、膝の故障に苦しみ、皆勤は僅か一場所、全休二場所、途中休場一場所と思うような成績を残すことができていない。


進退をかけて臨む秋場所。西土俵に上がった休場明けの梅ヶ島と対するのは、ベテラン小結の魁石。技巧派の36歳で、しぶとい相撲が持ち味である。


制限時間一杯となって、両者が拳を下ろす。そして、立ち会い。


左を差したい梅ヶ島は、右足から踏み込む。魁石はその左を封じるべく、右脇を固めて左足から踏み込んだ。

土俵正面側での激しい差し手争い。梅ヶ島が僅かに左を覗かせた時、魁石が左からいなした。

梅ヶ島の体が泳ぐ。魁石はここが勝負と梅ヶ島を押し込んで…。


「勝負あった!」

立行司、式守伊之助の声が響く。押し出し、魁石の勝ち。梅ヶ島は黒星発進となった。


二日目、三日目は白星を挙げたものの、本来の相撲とは程遠い内容。今場所中の引退説も囁かれ始めた。


迎えた四日目。

相手はスピード出世で注目されるロシア出身の露光山。右上手を引いた時のパワーに加え、巨体を生かした押し相撲も身に付けて、今場所はすでに2大関から白星を挙げている。


立ち会い、露光山が一気に押し込む。梅ヶ島は全く残すことができずに、土俵を割った。


梅ヶ島の調子はその後も上がらず、関脇以下との対戦が終わった十日目の時点で6勝4敗。

宿舎に帰って、梅ヶ島は師匠にこう切り出した。


「師匠、自分はもう横綱としての責任を果たすことができません。…引退をしたいと思います」

しばしの沈黙。

それを破ったのは、師匠だった。

「お前の気持ちはわかった。だがな、ファンは今場所の千秋楽結びの一番を楽しみにしているはずだ。それからでも遅くないのではないか?」

千秋楽結びの一番は、もう一人の横綱、近江山との取組が組まれるはずだ。近江山対梅ヶ島の対戦成績は、30対30の全くの五分である。

梅ヶ島の目に光が宿った。

「はい。後五番、全力でぶつかります」


終盤戦は、十三日目に土俵際の逆転で敗れたものの、前に出る相撲が多くなってきた。ここへ来て調子が上がり始めて、梅ヶ島は相撲人生最後の一番に臨むこととなった。


徐々に涼しくなってきた東京。しかし、国技館は熱気に包まれていた。


東方、近江山、13勝1敗。

西方、梅ヶ島、9勝5敗。

千秋楽結びの一番に、人々は見入っていた。

勝てば優勝の近江山。

最後の一番に臨む梅ヶ島。


制限時間一杯。


立ち会い、先手を取って押し込むのは近江山。梅ヶ島の体は土俵際まで追い込まれた。

もうだめか。ほとんどの観衆がそう思った瞬間、梅ヶ島の右手がまわしに届いた。


上手出し投げ。梅ヶ島、逆転勝利。そして、支度部屋で近江山の優勝を見届けると、師匠のもとに向かった。


「今までありがとうございました。もう、悔いはありません」

梅ヶ島が顔を上げると、そこには師匠の笑顔があった。

「そうか、今までお疲れさん」

そう短く言って、花束を手渡された。

「あの歓声が聞こえたか?あれが、本当の『綱の務め』だよ」


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