2.
※後半部分加筆しました(5/7)
「ん…? あ、姫様!」
「…………」
アルタナディアが目覚めたのは見知らぬ一室だった。天井は低く、窓もなく、暗い。
「よかった…ほんとうによかった…!」
目を潤ませながら抱きつこうとして躊躇し、行き場を失った手を宙でおろおろさせるカリアだが、意識が朦朧とするアルタナディアは何も反応できない。
一頻り手をバタつかせたカリアは、その勢いのままドアを開け、外に向かって医師を呼ぶ。
「姫様、わかりますか? 出発して二日目の夜で、野営しています。キメロンの街を過ぎたところで……もう少しで行程の四分の一です」
カリアが報告しても、やはりアルタナディアは何も答えない。薄目を開けて、わずかな明かりの中でカリアの影を追うのがやっとだ。
…いや―――
「…姫様? もしかして起きるんですか?」
アルタナディアの指先がカリアの袖を掴んでわずかに引っ張る。
「まだ無理です、そんなお身体で…」
するとアルタナディアは呻きながら自力で身を動かそうとする。しかし瀕死の状態からなんとか一歩踏みとどまった状態のアルタナディアの身体は、まるで神経が断線したかのように動かせない。動かすどころか、力を入れようと筋肉を収縮させれば身体が引きつって、縫合だらけの全身の傷口が開く―――。
芋虫以下の動きを見せようというアルタナディアを見て、やってきたサンジェル医師長は血相を変えた。
「な、何を…!? 落ち着き下されアルタナディア様! おい、鎮静剤を!」
「うぅ…う、う…!」
医師たちに身を抑えられるアルタナディアの目は、はっきりとカリアを―――カリアだけを見つめている……。
「…サンジェル様、姫様を起こして差し上げて下さい。それと、お粥の用意を」
「なに!? バカを言え、絶対安静なのだぞ!? 助かられたのがすでに奇跡的なのだ、お前も見ているだろう!?」
「違いますサンジェル様、奇跡が起きたから死ななかったのではありません。死ねないから生きていらっしゃるのです」
「?? わけのわからんことを…」
「姫様は自らの使命のために復活されようとなさっています。私たちが阻害してはいけません!」
「私は医者なのだぞ! ここで無理をすればお命が危ないのだ! 一番間近にいるお前こそアルタナディア様をお守りする立場だろう! 万一のことがあったらどう責任を…!」
と、サンジェル医師長の腕を叩く者がいる。アルタナディアだ。叩く、というには緩慢な動きだが、これが今のアルタナディアの限界である。重篤の身でありながら無理をした結果、その反動がきているのだ。しかし弱り切った身体でなお、その瞳は煌々と輝いて見える。医師長も読み取ったようだ。
「いけませんアルタナディア様……やはり引き返しましょう。このままエレステルに入ったところで何もできませぬ。まずはご自愛くださいませ」
真っ当な意見だった。医者でなくとも、誰でもそう言う。だがアルタナディアは無視して起き上がろうと身を捩る。カリアが慌てて手助けするが、サンジェル医師長はもう何も言わなかった。縫合してたった二日、傷は塞がるはずもない。身を曲げ伸ばしすれば痛みが奔り、血が滲み、眩暈と吐き気ですぐにベッドに伏すことになる。それがわかれば御身の状態がいかほどのものか、ご理解なさるだろう――――そう、思っていたからだ。
だが、そのサンジェル医師長の思惑は外れることとなる。起き上がってお粥を口にしたアルタナディアは一口、二口啜り、二杯目、三杯目を要求し、翌朝目覚めるとまた食事を要求し―――……
四日目の昼過ぎ、キャンプのテントで――。
「もっと均等に…音を立てない」
「は、はい…!」
「…………」
早馬で駆けつけたアケミが見たのは、弱々しくも叱咤するアルタナディアと、その前でステーキを切らされているカリアだった。
「…なんだ、思ったより元気そうだな」
「そうでもありません……まだ眩暈が治まらず、ろくに動くこともできません…」
その言葉にウソはない。地味な部屋着にカーディガンを羽織っているが、頭に包帯を巻き、そして服の隙間からも全身にきつく包帯が巻いてあるのが見て取れる。椅子の上に座っているというよりは座らされている感じ。声に張りがなく、いつものシャンとした雰囲気もない。まるで萎れかけた花のようであるが、枯れたわけではない。その証拠に、カリアが切り分けたステーキをアルタナディアはどんどん飲み込んでいく…。
(肉汁の滴るぶ厚い肉は病み上がりの人間が食べるものではないが…)
アケミは苦笑してしまう。たまに、戦場で傷を負ったときに食って治そうとするヤツがいる。もちろん食物を血肉に変えて新陳代謝を促すという意味では間違いではないのだが、バカ食いする奴は大抵猪突猛進の脳筋野郎ばかりだ。それと同じことを涼しい顔のアルタナディアがやっているかと思うと、笑える。
「このような状態で失礼します…食事も続けさせていただいてよろしいですか」
「お好きに……ああ、アタシにも何かごちそうしてほしいな」
「カリア、あと二枚追加」
「まだ召し上がるんですか!? もう三枚目ですよ!」
「早くしなさい」
「うう…」
太りますよ、と小声で洩らしながらカリアはテントを出ていく。
「食欲があって何よりだ」
「内臓や腱がやられていなかったのが幸いでした」
「バレーナは?」
「一命は取り留めましたが、まだ意識は戻っていないようです…」
「そうか……まあ、こういう結果を想像していなかったわけじゃないがな。ただ予想外だったのは、思ったよりやり合ったってところだ」
席を立ち、テーブルを回ってアルタナディアの脇に立つ。
「アタシに何か依頼するつもりだろうが、出張るのはお前だろ。だが肝心のお前が使い物にならなければ話にならない。確認させてもらうが、いいか?」
「……どうぞ」
アケミは動けないアルタナディアの服を脱がし、包帯を解いていく。現れたのは、全身に裂傷を負った縫合だらけの痛々しい姿だった。傷は血が滲み、肌は熱を持ち、汗は冷たい。今すでに相当無理をしていることが理解できる。そしてバレーナとの決闘の凄まじさも……。
「なるほど、食事の世話をさせるだけのことはあるな……単にお情けで勝ったわけじゃないのか。おかげで周りはいい迷惑だろうが」
「………」
クマイル卿との会談の帰り道、馬車の中でのことを思い出す――…。
「お待たせいたし――…ああ!!」
配膳台におかわりのステーキを乗せたカリアが声を上げる。その後ろにはロナもいた。
「おっまえ…姫様に何してる!!」
「ケガの具合を診てただけだ。ちゃんと包帯は直しておく」
「触るな、私がやる!」
配膳台を乱暴にテーブルに置いて、カリアはアケミを押しのける。
「やれやれ……ロナ、久しぶりだな」
「お久しぶりです、アケミ隊長」
「隊長じゃないっての」
「ん? お前ら、知り合いなのか?」
アルタナディアの包帯を巻き直しながらカリアが訊ねる。その手つきは淀みなく「意外に器用だな」とアケミは内心感心した。
「まあな。元々ブラックダガーはアタシが作った部隊だ」
「なっ…!? ……じゃあ、お前が作った部隊を妹が譲り受けたのか?」
今度はアケミが目を丸くする。ロナに目線で訊ねると、頷いて答える。どうやらミオと姉妹だと知れたらしい。アケミとしてはカリアとミオが対決したと聞いていたから黙っていたのだが……まあ構わないだろう。
「あの、カリア様……アケミ隊長に対してもう少し敬意を払っていただけませんか。エレステルにおいては将軍と同格のお方です。あまりぞんざいな口利きは士気に関わることになります」
「よせよせ、格がどうのって、余計にアタシがちっさいヤツみたいだ。それにカリア殿は高潔なアルタナディア殿下の側近。勇猛果敢、実直にして優秀な右腕! アタシごときがお声を掛けて頂くことこそ怖れ多い……」
「え、いや、そんな…さすがにそこまでは……照れるな」
「……すみませんが、カリアをからかうのは後にしていただけますか」
「え!? アタシ、からかわれてたんですか!?」
顔を赤くするカリアに早くステーキを切れと促すアルタナディア。少し調子が戻ったか、とアケミは息を吐いた。
「さて。では問おう、アルタナディア殿下」
アルタナディアが四枚目のステーキに手をつけ始めたところでアケミが始めた。健啖を通り越して暴食というべき食べっぶりに不安を感じているのか、カリアは肉を細切れにして少しずつアルタナディアに食べさせている。
「貴女が我が国へ兵を率いて赴かれる理由は何かな?」
「バレーナを王位に就かせること、並びに王座を狙う者たちを掃討することです」
「無理だ。帰れ」
アケミは表情も変えずに即答する。
「お前がそのザマで、たった三千五百のイオンハブス兵じゃ話にならない。脅しにすらならない」
「そうでしょうか…。貴女が前に話していたバレーナの反勢力はどれほどいるのでしょう?」
「……最終的には全軍の五分の一程度まで膨れ上がる可能性はある。数にすれば五千ほどか。これは大きな数だ。エレステルは五つの大隊のうち三つを国境警備に当てている。残り二つの大隊は準待機扱いだが、たとえばその内片方が離反したらどうなる? 国境警備の大隊が離れられない場合、五千対五千が首都決戦だ」
「逆に国境警備の大隊が離反した場合、砦を取られる上に、隣国との国境が変わる可能性もありますね」
「そうだ。だからこそエレステルの戦士は肉体も精神も屈強でなければならないし、統率する王は最も強くなければならない」
「そして戦わずして守られているイオンハブスを快く思っていない者も多い。こういう構図ですね?」
「そうなのか…」
うっかり声に出したカリアにアルタナディアの視線が刺さる。
「……つまり、この認識の甘さがあなた方を苛立たせている一因なわけですね」
「あっ…!」
ぱっと口を手で押さえるカリアをアケミが笑う。ロナも少々呆れ気味だ。
「実際に大隊が丸ごと反旗を翻すわけではないでしょう。一部の有力者と、なびくかもしれない者たちの総数が最大五千というところでしょうか。大隊単位で反乱を起こすなら、先程あなたが言った通りの理由で、すでに実行していてもおかしくないはずです」
「いい読みだ。実際には中核となるのが二千、その周囲が二千。ただし、私兵や傭兵、あるいは第三勢力も考えなくてはならない…」
「……そこまでになると、国を二分することにもなりかねないですね」
「まあな。だから国のお偉方は奴らの思惑を知りながらあえて触れないようにしていた。先王のヴァルメア様は強い戦士とは言えなかったが確かな王で在らせられたし、バレーナには天性のカリスマがある。バレーナが育てば野心ごと飲みこめると思ったんだ。だが奴らは王座から矛先を変えた。アルタナディア、お前にだ」
「…………」
「エレステルでは王位継承のために一定の評価が必要だ。奴らに足を引っ張られて中々王座に近づけないバレーナは焦り、その先にいるお前の存在を気取られた……まあ心情までは知らないだろうが……」
心情――それを知るものは当人たちとシロモリ以外は誰も知らない……いや、カリアはなんとなくわかってきた。あれほど斬り合いながらアルタナディア様が今こうしてここにいるのは、すべてバレーナのためだ。浮ついた気持ちでドキドキしていた自分とは違う。文字通り命をかけて想い合っているのだ。
「ともかくお前に暗殺の矛先を向けることで、見事バレーナを動かすことに成功したわけだ。あとはご覧の有様だな」
「…結果的に、私闘でありながら私はバレーナに勝利しました。エレステルにとって王が敗れたというのは由々しき事態では?」
「精神的なショックという意味ではな。今回のバレーナの顛末を知っているのは上層部だけで、一般兵までは知れていない。いきなり国を飛び出しただけでもアレなのに、まして負けたなんて言ったら、『奴ら』にとってもバレーナを引きずり下ろすチャンスだが、イオンハブスと仇打ち戦なんてことになったら都合が悪いだろう。イオンハブスの有力な貴族たちと繋がっているのも多いだろうからな。根回しには時間が足りない」
「私との決闘のことは上層部には伝わっているのですね?」
「十中八九な。バレーナの周りにも当然スパイはいる。決闘に立ち会ったのがブラックダガーだけでないのなら間違いないだろう。事実、こちらに向かっているお前の対応策を練り始めている」
「どのように?」
「兵は集めている。だが、あくまで戦える準備をしておくといった感じだな。まあ正直……負けるとは思っていないからな。あっちはまだ私とお前が接触していることに気付いていないようだし、お前がここまで内情を把握しているとも思っていないだろう。出方を窺っているってところか」
「…なら、切り札はこちらにありますね」
眉根を寄せたのはアケミだけではなかった。
アルタナディアはふう、と息を吐いて続ける。
「あちらの方々は、私が兵を率いているのはバレーナとのことが原因であると考えているでしょう。実際、今は私がバレーナを人質にしている状態にあります。それが明るみに出れば反乱が起こりかねない。上層部としては避けたいところでしょう。つまり、こちらが持ち出さない限りはあちらも踏み込めず、こちらの要求を聞かざるを得ません」
「そう上手くいくかぁ?」
「そのための誓約書です」
「誓約書?」
「ロナさん」
ロナが黒い革の筒から一枚の紙を取り出し、テーブルに広げた。その誓約書を見たアケミは失笑するしかなかった。
「ひどいイタズラ書きだな」
「しかし有効です。この誓約書は国の権利というより、バレーナ敗北の証となります。エレステル上層部はこれを一般大衆に対して公表されるのは避けたいところでしょうし……」
「………?」
アルタナディアの声が急速に萎む。フォークに刺した肉をいつアルタナディアの口に運ぼうかタイミングを窺っていたカリアが覗きこもうとする前に、アルタナディアがふうっと息を吐きだした。
「…ともかく、この誓約書を持っていればある程度有利に話を進められるはずです」
「だからといって兵を引きつれてきたお前を手放しで受け入れるわけないだろ」
「もちろん表向きの理由は違います……私たちが初めて会ったときのことを覚えていますか」
「うん? ……ふむ、ふらふら彷徨っていた女王が不法滞在している他国の兵士に襲われたと、難癖つけるわけか」
「アケミ隊長、言い方…」
ロナが思わず口を挟んでしまう。
「女王となった私が抗議すれば、あちらも相応の立場の人間を出さねばなりません。そこからバレーナを王座に就かせるように促し、同時に反勢力を釣りあげます」
「釣りあげますってお前なぁ……段取りもあるだろうが」
「こちらも余裕のある状況ではありません。フィノマニア城から動けないバレーナは、エレステルがイオンハブスを攻める大義名分に成りえます」
「……それはそうか……。一つ確認だが、バレーナはイオンハブスでどういう扱いになっている?」
「隣国の王女です。回復すれば、私が不在のイオンハブスの管理代行を始めるでしょうが」
「なぜそうなる?」
「バレーナも誓約書を持っているからです」
「??」
「あ……!!」
ロナが声を上げた。そう、誓約書は二枚あった! アルタナディアとバレーナがそれぞれに対して国の権利を譲ると書いた誓約書が!
もしバレーナ様がアルタナディア様の思惑通りに動くならば、それは強固な協力関係を見せつけることになる上、イオンハブスに剣を向けることがバレーナ様に叛意を持つこととイコールとなり、牽制することもできる……。
(なんという人だ…!!)
普通に考えれば一枚に連署すればよかったはず。別々に書いたのは、まさか今回のことを見越してのことだったのだろうか? ロナはアルタナディアが自分の目利きより上をいっていたことに驚きを隠せない。
アケミはしばらく考え―――膝を叩いた。
「いいだろう、手を貸してやる。ただし金は出せんぞ」
「構いません」
「ロナ、協力してやれ」
ロナが頷く。商人として顔の利くロナなら兵士三千五百人分の食糧を用意し、さらには安く揃えることもできるだろう。
「もう一つ条件がある。エレステル到着までに自分の足で歩けるようになることだ。もっとも、それどころじゃないようだが」
アケミのセリフにカリアははっと勘づき、アルタナディアの額に手を当てる――すごい熱だ!
肩に手を伸ばそうとするカリアの手をわずかに身を揺することで拒否し、アルタナディアは額に脂汗を浮かせながらアケミに答える。
「約束します…ハッタリが効かせられる程度には回復してみせます…」
「フン……バレーナへの仕返しがそこまで意固地になることか?」
「この身を切り刻まれたのです……口答えできない程度にはお返ししなければ、ね…」
カリアも初めて見るかもしれない。できれば熱のせいだと思いたい。
とても悪いカオ、だ。
「…どうかした?」
テントから出てきたロナに声をかけたのはマユラだ。大柄で猛々しい力を持つ、ブラックダガ―で最もパワーのある女戦士だが、寡黙で、普段の声は拍子抜けするほど細く、可愛らしい。また、皆が認めるほど仲間思いである。
そんなマユラがロナを心配したのは、珍しくロナが苦悶の表情をしていたからだ。皆が感情的になっているときでも常に客観的視点を持って冷静でいるのがロナである。若年の集団であるブラックダガーにとって、紛れもなく精神的支柱の一人なのだ。
「アケミ隊長が何かした?」
何か、というのは悪いことを指しているのではない。アケミはいつも「何か」凄まじいことをする人だ。アルタナディア女王に対して何かしでかしてもおかしくない。
しかしロナは首を縦には振らなかった。
「アケミ隊長というか、アルタナディアさまがね…」
思わず天を仰ぎ見る―――
「あれはバレーナ様やアケミ隊長と同じ類だわ……バケモノよ…」
そうしてエレステルに入国したアルタナディアは、バレーナのイオンハブス襲撃を知るエレステル上層部の人間にプレッシャーを与えるも、首都グロニアに入場する際は華々しく現れた。これはロナによる商人への情報の流布と、アケミの下準備の成果でもあるが、何よりアルタナディアの存在が目を引いた。
兵を率いてエレステル首都・グロニアに迫るアルタナディアに対し、エレステル国は徐々に臨戦待機の兵員を増やしていった。これはあくまで不測の事態のための準備段階ではあったが、民衆が不穏な空気を感じ取れば一触即発のムードになることもあり得るわけで、エレステルの宦官たちもその可能性を十分に予見していた。
しかし予想外の事が起きる。それは第一の関門である国境でのことだ。イオンハブスとエレステルは民間人ならば大した審査もなく、ほぼ自由に行き来できるが、軍人は別である。人員に限らず、武器など軍事に関わるものは全て、出入りの際には互いの国の申請・受諾が義務となっている。これは実際にアルタナディアが襲われたときのような、国家間のトラブルを防ぐためである。アルタナディア率いる三千五百の兵もご多分にもれず、ここで足止めされるはずであった。しかしアケミが出迎える形で検問所に現れ、素通りさせてしまったのである。これにはエレステル上層部は非常に焦った。時間稼ぎと来訪の目的を知る最大のチャンスが、シロモリの裏切りという形で潰されたからである。かといってもう次の対策をする時間はない。なぜなら検問所から首都・グロニアまでは半日の距離だ。もはや目前に迫っている。市民にパニックが起こることも考えられた。
だが、さらに想像もしていない事態に突入する。その市民がイオンハブスのフィノマニア城からグロニアへと続く中央街道沿い―――アルタナディアの進行ルート沿いに集まり始めたからだ。これはロナが商人たちに働きかけたゆえのことだった。ロナは有力な商人を筆頭に「イオンハブスのアルタナディアが女王になった。その報告に、非公式ながらエレステルを訪れる」と書簡を送った。これを見た商人たちは、グロニアで見物人相手に商売ができるチャンスだと踏んで、すぐさま行動を開始したのだ。まさに商人出身のロナだからこそできる、阿吽の意思疎通によるものだ。アルタナディア一行が検問を通過した瞬間から、中央街道沿いに出店が立ち並んで行く。これによってアルタナディアの到来が隅々まで知れ渡り、それを盛り上げるようにお祭りムードが広がったのだ。
そして満を持して、アルタナディアの登場である。三千五百の兵士は音楽隊の音色に彩られながら規則正しく行進し、まさにパレード然とした様だった。さらに目立ったのがアルタナディアの乗る馬車だ。馬車は急ごしらえではあったものの、最大サイズとされるものの二倍のものを馬六頭に引かせている。これはベッドを乗せるためにウラノが提案したもので、二台の荷台を補強しつつ組み合わせ、小屋を解体して出た壁・屋根を縮小・再構成したものを乗せている。アルタナディアの療養が主目的のため飾り気こそ少ないが、まるで巨大な戦車のような迫力がある。
そしてアルタナディア自身は純白のドレスを身に纏い、車上に立つ。一般市民が初めて目の当たりにする隣国の女王。その想像以上の美しさはたちまち人々を魅了した。
中央街道を行くアルタナディアと、率いる三千五百の兵。その道に沿って群衆が集まり、待ちわびていたように出店が並ぶ―――。唐突なはずのアルタナディアの出現は、まるで正式な歓迎式典のような盛況ぶりでエレステル国民に出迎えられたのだ。
誰も知らぬ間に沸き起こったこのイベントにエレステルの宦官たちは怖れを感じた。そしてアルタナディアは彼らに有無を言わさず、会見に臨むことができたのだった。ロナとアケミの手助けは大きかったものの――――全て、アルタナディアの目論見通りである。