17.5
アケミたちが発ってさらに三時間。時刻は午後三時を回る。エレステル正規軍からしてみれば、思わぬ長期戦となっていた。理由は一つ。戦闘の中盤において形勢が不利と判断した反乱軍側が柵を設置し、弓による遠距離戦に切り替えたからである。正規軍はなかなか接近できず、かといって相手が撤退しないかぎりは無視することもできない。この作戦はあらかじめ柵を組み、大量に矢を用意しておかなければならない。おそらくジャファルス主導によるものだろう。
「シロモリに伝えずともよかったのですか?」
馬上で副長のブリッシュが訊ねるが、轡を並べるバラリウスは特に大きな反応を示さなかった。バラリウス達第一大隊の一部は現在戦線から離脱し、本陣へと向かっている。
「フム…伝えぬ方がよかろう。あやつは今回の事に責任を感じておる。アルタナディア女王に対して、外交の手段以上に個人的な情が沸いておるのであろう。バレーナ陛下と幼馴染みのあやつならばその方がよいが、なればこそ知れば裏目に出かねんからな。あやつは生来本能で動くタイプであろう? 目標を一つにしてやれば十分な成果を持って帰る」
丘の上の本陣に到着する。本陣はベルマン以下直属の三百名以外は入れ替わりで一時撤退した者ばかりで、負傷者も多い。
「御大、申し訳ありませぬ。我々は戦場を離れまする」
「うむ。予想通り……というか、このタイミングしかないからのう」
「ところで前線の指揮はどちらに引き継げばよろしいか?」
「ワシが出る」
「なんと!? 御大自らが!?」
さすがにバラリウスも驚いた。鼻息荒いベルマンの隣でナムドは小さく肩を竦めている。
「しかし御大はしばらく最前線から離れていた身……復帰戦にはいささか厳しいのでは?」
「お主までそんなことを申すのか! このベルマン=ゴルドロン、未だ現役よ。その証拠に、今日はそれを使う」
ベルマンが差したのは荷台に乗っていた超大剣―――アケミが使った斬馬刀だ。
「ベルマン様、それを使うのですか!?」
「む……ナムド、ワシには扱えぬと思っておるな」
「いえ、そうではなく……シロモリ殿は自分の武器を他人が触ることを極端に嫌うので…」
「これだけあるんじゃから一つくらいよかろう……どうしてこんなに持ってきておるんじゃ?」
アケミ(に連れられたカリア)が引いてきた荷台には斬馬刀、長刀四本、刀十本の他に、槍二本、弓矢、短刀、手斧……一部隊分くらいの武器が入っている。
「ブロッケン盗賊団と戦った時は長刀一本で臨み、五十人程度斬ったところで折ってしまっておりますからな。その対策でありましょう」
「とすると、今回アケミは五百人以上の首を落とすつもりじゃったか」
「いやいや、千人かもしれませんぞ」
「「ワハハハハ!!」」
ベルマンとバラリウスが声を揃えて笑う。この辺り、ナムドは波長が合わない。
「そう聞いたからには俄然やる気になるのう」
ベルマンは斬馬刀を握り、片手で持ち上げる。巨大な鉄塊が、まるで重量を感じさせないほど軽々と振り上げられる。
「どうじゃ?」
「…………」
ナムドは驚き半分、困惑半分。
「もうご自由になされませ、御大。誰も年寄りの冷や水などと陰口を叩きませぬ」
「一番悪口を言うておるのはお主じゃぞ、バラリウス。よし見ておれ、ワシがこの戦で一番の武功をあげるぞ! そしたらバラリウス、お主は第二大隊全員に酒を振る舞えよ」
「冗談を申されるな!? 破産して、嫁を迎えることもできませぬ」
「「ワハハハハ!!」」
また笑う。一体どこが笑いのポイントなのかナムドにはわからない…。
「さて、行くかのう…バラリウス、くれぐれもな」
「お任せあれ。シロモリの方もお頼み申す」
「うむ。ナムドよ、全体の指揮はお主に任せる。こういう機会も滅多にあるまい、ワシを上手く使ってみせよ」
「…わかりました」
「ではいくぞい!」
直属の部下から精鋭百名、そして休息していた五百名を連れ、白き大熊が出陣する。勢いよく飛び出した六百名の先頭を行くベルマンの馬が斬馬刀を持つ右側に傾いて走っているのを見て、バラリウスは苦笑した。
鬱蒼とした木々が生い茂り、獣道のような道なき道を重装備のまま走り抜ける。森の中はぬかるみや木の根で足を取られ、斜面も多い。移動だけで体力を奪われていく……。
「こんなところを行くより馬で回りこんだ方が早かったんじゃ…」
「なら残ってればいいだろ!」
「んなこと言ってないじゃん…! 俺のナビがなきゃとっくに迷ってるくせに!」
「二人ともぉ、もっと状況を考えろよ…」
非常時だというのに、このやりとりが今のカリアには心強かった。エイナ、ギャラン、ノーマン―――アケミを除けば、カリアにとってエレステルで最も付き合いの深い三人だ。
「すまないな、みんな…」
「ん?」
ぽそりと口から洩れたカリアの声をエイナが聞き拾う。
「自分の国が大変なことになってるときに、アルタナディア様のために手助けしてくれるなんて……感謝している」
謝辞を述べるカリアだったが―――エイナは顔を顰めた。
「お前何言ってる…? お前は唯一の近衛騎士なんだろ。だったら女王様のために何がなんでも、どんな手段でも使おうとしろよ! それに昨日のナディア見たら…細かいところは頭に入ってこなかったけど、覚悟は十分伝わった。だから……だから、別にお前を助けてるわけじゃない!」
「エイナ、何デレてんの?」
茶々を入れるギャランに「うるさい!」とエイナが怒鳴るとアケミが「静かにしろ」と凄んで途端に二人は大人しくなる。
「同盟国の女王を助けるのは当然だから、気にすることはないよ…」
ノーマンが独り言かわからない声調でこっそりフォローしてくれる。
「――よし、止まれ。ギャラン、位置を確認しろ」
―――状況を振り返ろう。イオンハブス陣への敵襲、およびアルタナディアの誘拐の報を聞いたアケミは、バラリウスからの依頼と自身の志願でアルタナディア救出任務を受諾。カリアを回収し、次いでエイナ達三人をそれぞれの隊から借り受け、戦場から南に離れた小さな集落で待機。装備を整え直しながらアルタナディアの行方についての情報を待っていると、二時間近く経ってようやく報告がきた。
「サジアートの潜伏先はおそらくここだな」
アケミはめぼしい所に当たりをつけていたらしい。森林が広がる南方に今は断絶したある貴族の屋敷跡があるらしい。規模が大きく維持費が掛かる上、交通の利便性が悪いため誰も引き取り手がいなかったのだが、数百名の兵が潜む要塞として使えなくもないという。
アケミたちはすぐさま出発、馬で南方を目指す。途中、アケミの提案により、大きく迂回する道を避けて森を突っ切る方法を選び、馬を乗り捨てて今に至る――。
パーティは基本的にアケミが前衛、二番手にナビをするギャラン。中心ではエイナが弓を片手に警戒し、カリア、ノーマンと続く。必然的にアケミのペースに引っ張られることになるが、行く手を遮る枝を薙いでいるにも関わらず速かった。立ち止るとどっと汗が溢れてくる。付いてこられなくともお構いなしという感じだ…。
「今ここ」
ギャランが広げた地図に指差す。迷いがない。
「すごいな。こんな状況でよくわかるな」
森は空を覆わんばかりに枝葉を伸ばしていて、太陽の位置もわからないほどなのだが、日が傾いてきたのかさらに暗さを増している。だからカリアが感心したのだが、ギャランはフンと鼻を鳴らした。
「なんでわかんないの? こんだけ草木があるんだよ? 方角なんか間違えるわけないじゃん」
そんなものなのか?と小首を傾げると、エイナがビスケットをカリアに差し出してきた。
「あぁ、ありがとう」
「……大丈夫か?」
「ん? 何が?」
「いや……いい」
言葉を飲み込むようにエイナは水筒の水を口に含む…。
「…行くぞ。付いてこいよ」
アケミが先頭切って走り出す。先ほどよりさらに速い。カリアは、その後姿だけを追う……。
イオンハブスとエレステルを結ぶ中央街道はいつも通りである。特にイオンハブス側は平常そのものであり、ここ数日の変化といえば、疲弊した顔の騎士団と兵士がフィノマニア城に向かって通過したくらいである。
…時を遡ること六日前、バレーナとミオは機を見計らってフィノマニア城から脱出し、国境の町であるマカナまで辿りついていた。ロナからの連絡の間隔が長くなったこと、そして刺客が現れたことが決め手だった。最短距離である中央街道を抜けてもグロニアからフィノマニア城までは通常片道七日。つまり非常事態の報を受けて駆けつけても、事態発生から十日は過ぎているのである。その点を考慮し、バレーナはギリギリ馬に乗れる体力まで回復したところですぐさま行動を起こしたのである。
そうして訪れたマカナの町での深夜、宿のベッドに一人腰掛けるバレーナは、左手を握ったり開いたりする運動を繰り返す。そして自身の愛剣である黒剣を左手で掴み、持ち上げてみる――…
「…く…!」
肩の高さまで持ち上げられず、ゆっくり下ろす。意識が戻るまで一週間、それから動けるようになるまで一週間―――受けた傷からすれば驚異の回復力だが、二週間も寝たきりでは筋力の低下は著しい。そして深手を受けた左腕にはまだ痺れがある。感覚がないわけではないので麻痺したままということはないだろうというのが医師の見解だったが、元に戻るまでには時間が掛かるとも言っていた。通常の剣の1.7倍の重量を誇る黒剣を片腕で扱ってきたバレーナだが、今は……。
しばらく見つめていた愛剣を鞘に納めたとき、部屋がノックされる。
「ただいま戻りました。よろしいでしょうか?」
「入れ」
ドアが開いて入ってきたのはミオだ。
「どうだった?」
「はい。数日前にここを通り過ぎた騎士団は滞在可能日数を経過したため帰還したようです。いくらか覇気がなかったのは訓練で疲労困憊していたからだと」
「フ、イオンハブスの兵たちには差を知るいい機会になったことだろう。それで、肝心のアルタナディアについては?」
「まだエレステルに残っているとのことですが、その理由を知っている者はいないようです。おそらく上級士官しか知らないのではないかと思われます」
「体調が優れないのか、あるいは他に何かしようとしているのか…」
「接触すれば何か情報を得られると思いますが……」
「誓約書があるといっても、その効力は限りなくグレーだ。実際のところ私は半分捕虜の身であったし、城にいる限り客分として扱われるに過ぎない。アルタナディアから私についての明確な指示がないからこそ危うい立場だと理解しておかなければならない。誓約書は最後の手段だが、『その時』に有効だと思わない方がいい。中央街道を迂回したのもそのためだ」
「では、早々に城を脱出した方が良かったのでしょうか」
「いや、城の中で大人しくしているのが一番安全だった。ウラノがいるからな」
ウラノの名前が出た途端、ミオの顔が歪む。散々な目に遭わされた反面、優秀であることも認めざるを得ない……だからこそ無条件に嫌いになる。そんなミオの内情を察してバレーナは苦笑した。
「そう邪険にするな。ちゃんとアルタナディアの命令通りに私を守ってくれたではないか。あれほど自分の使命に忠実で誇りを持つ者も珍しい」
「ですが歪んでいます! バレーナ様に手を出したこと……私は許せません!」
「大きな声を出すな。夜中だぞ」
はっと口を手で塞ぎ、「申し訳ありません…」と小声で謝罪するミオの頭をバレーナの手が撫でる。
「ミオ、お前は優秀だがまだ子供だ。しかし必ずいい女になる。私もブラックダガーもそれがわかっているからお前を大事に思っているんだ。外野が何をしようが気にするな」
「……私も、姉のようになると?」
「! …ッフフ、驚いたな、ミオにとってアケミはそんなに偉大だったか」
「違っ…そういう意味ではありません! 誰があんな破戒剣士…!」
「あと五年もすれば、お前には嫌でも求婚の申し出が殺到するだろう。牙を剥くより己を磨け。私がお前に甘えられる時間もそうあるわけではないしな」
「え…?」
逆なのでは?と思ったが、バレーナがベッドに潜り始めたため何も言えず、ミオも隣のベッドに入った。
翌早朝。バレーナとミオは人目を忍ぶようにマカナの町を発った。検問所までは馬なら二時間で辿りつける。ただしそこをどう突破するかが問題なのだが……。
「? バレーナ様、前方より何か…」
ミオに言われてバレーナも目を凝らす。空が白み始めたと同時に現れたそれは……
「なっ…なに!?」
全く想像もしていない事だったのだ―――!




