15.
ベルマン率いるエレステル正規軍とサジアート率いる反乱軍はエレステルの歴史上稀に見る、とてつもない規模で対峙していた。
四千五百対二千八百―――。五百メートルの間を開けて相対している。
大隊では約五千の兵を運用するが、前線での実働数はかなり少ない。国境線防衛任務の際はエリアごとに配置されるが、中心となる大砦に本隊を置き、後は中隊として分けて別々の砦で待機・監視をする。中隊一隊当たりの兵数は多くても一千未満であり、さらに哨戒任務となると十人前後の小隊となる。突発的に外界から侵入する武力勢力があったり、エリア内で凶悪な事件が起きた時でも百人隊を編成する程度…。つまり少人数対少人数なら慣れたものだが、今回のような大戦を経験した人間はほぼいないのである。この規模になると将の手腕が問われる。数百から数千の隊と隊との戦闘はまさに人の波のぶつかり合いであり、その余波がどのように変化し、影響があるのか予測できなければならない。目の前の敵を倒したからクリアとはならないのである。
この難しい局面、正規軍は最優先事項としてサジアートを捉えなければならない。それも生け捕りが条件である。一言で「反乱」と言ってもやっかいで、反乱を起こす側にとってそれは反乱ではなく、紛れもない正義なのである。ゆえに首魁を滅ぼすだけではその芽は消えず、思想は他の自称革命家に受け継がれてしまう。必ず捉え、論理的に断罪し、処断しなければならない。もう一つの絶対条件は決して敗北してはならないということだが―――現状ではそれは問題なさそうだ。場所は荒野……遮蔽物はなく、正面からの削り合いになる。数としても質としても正規軍が圧倒的に有利であり、尚且つ反乱軍の中に隠し玉となるような兵器の所持は確認されていない。
それらの情報を改めて整理し、アケミは首を傾げた。
「アルタナの登場が効いたのか、反乱軍側に加担する人間は大して増えなかったようだが……それでもやるつもりなのか? 奴らは」
ずらりと横に並ぶサジアート軍を眺める。アケミのいる位置は中央列やや後ろより。第一軍であるが、初手から戦闘参加するわけではない……詰まる所、第一軍の本陣であり、騎乗する第一軍大将・バラリウスの隣である……。
「ふむ……とりあえず戦ってみるというところではないか? 善戦すれば賛同者を得やすくなるであろうし、負けそうになればさっさと退くのであろう。雇われ傭兵はそうそう命までは賭けんしな」
「お前に意見を求めてない。ただの独り言だ」
「おお、そうであったか。ワハハハ、スマンスマン!」
笑って流すバラリウスにアケミは舌打ちする。シロモリは武人ではあるが軍人ではない。アドバイザーであっても発言権はない。今回も自主参加という形で扱いはゲストだが要するに一兵卒である。従って配置に関しては指揮官に委ねられることになり……ここである。
「あたしを最大限に生かすなら最前列だろ……まさかすぐにやられるとでも思ってんのか」
「シロモリ殿は我が国の武人の象徴だぞ? 将軍と同じ位置にいて当然であろう――」
「まだあたしを将軍にって考えてるのか?」
「…というのは建て前で、お主は状況に合わせて動いてもらう」
「都合のいい駒か…」
足元の小石を踏み躙る。いいように使われるのもそれはそれで腹が立つ――。
「そう腐るな。お主は一人でも十分強いが、一人で敵を蹴散らすことはできても捕らえることはできまい。こちらもそう余裕がある状況ではないのでな、大軍勢相手に一人でに突撃させるやもしれんぞ?」
「え!??」
顔を強張らせたのはアケミではない。その斜め後ろにいたカリアだ。イオンハブスからの数少ない参戦者の一人であるカリアは、基本的にアケミに付いて回る(というか、アケミが面倒をみる)ことになっている。
「フッ、安心しろ。そのときはお前は置いていく。たぶん」
「たぶん!? た、たとえそうなったとしても私は行くぞ……ガンジョウ師範にも鍛えてもらって、確実に強くなってきてるし」
曖昧な自信を持つカリアをアケミは冷たい目で見据える。
「お前は誰かと真剣でやりあったことは―――……ああ、あったな、あったけど、実際にどうなるかは相手を斬り殺してみなければわからん。どれだけ剣の腕があっても、向かん奴は向かんしな。あたしには天才的な剣の腕と……人を切り殺す才能がある」
「何だそれ…」
「あたしが斬る動機は信念でも感情でもない。剣を持ってるからだ」
「………」
「…ま、見たらわかる。ビビって腰抜かしてここで動かないのがあたしとしては望ましい」
「だ、誰が…! 私はイオンハブス代表で参加してるんだぞ!? アルタナディア様の恥になるようなことができるか…!」
強がるカリアを意地悪くアケミが笑うと、遠くから雄叫びが上がった。急に沸き立つサジアート軍の中から馬が一頭走り出てくると、両軍の中間地点で止まり、騎乗していた男が降り立つ。男は歳の頃三十過ぎといったところだろうか。身に纏う装備からしていかにも脂の乗った戦士という風体だが、絵に描いたように悪い風貌だった。
その男が馬の尻を叩いて自陣へ帰すと、荒々しく叫ぶ―――
「このような大規模な戦も昨今稀である! よってここは古来のしきたりに乗っ取り、代表者の一騎打ちを持って開戦の合図としようではないか!」
オオォー…とうねる様な喝采は三分の二ほどだ。「お前が最初に死ねー!」とか「いいぞ英雄王ぅ!」とかいうセリフが笑い声に混じって聞こえた。
「…あっち、ふざけてないか? それともエレステルはいつもこんな感じなのか?」
カリアの率直な感想に周囲のエレステル兵はコメントできない…。
アケミは溜め息一つ吐いて頭を掻く。
「……あながち間違いでもないというか…あー、他所の人間に改めてそう言われるとちょっと恥ずかしいな」
「ワハハハ、然り。しかしあの男も間が良いというか悪いというか……ふむ。では――出番であるぞ、シロモリ殿」
バラリウスに指名されたアケミは思わずコケそうになった。
「ふざけんな。お前の言う大軍はあれか!? あんなザコっぽいの瞬殺だぞ」
「ザコ相手でも力を見せつけるのがシロモリの役目ではないか。ん?」
「……面倒なことさせるなよ、ったく」
バラリウスの真意を読んで、アケミは振り返る。後ろには間抜けな顔で小首を傾げるカリアと、小さな荷車。
「…カリア、頼んでいいか」
「あ、ああ…! 何をすればいい!?」
「これを後で持ってきてくれ」
そう言って愛剣である長刀を投げるように渡す。バタつきながらも受け取ったカリアだが、細身の剣の意外な重量に密かに驚く……。
(これは振れるものか? そもそも抜けるか?)
長身のアケミに合わせて作られているとはいえ……もはや剣というより槍。およそ人が扱える武器ではない。刀身だけなら両手持ち前提で扱う大剣「ツヴァイハンダー」より長い気が……
「…あれ? 鎧をつけるのか?」
「ん…」
アケミはこの場に至っても武装らしい武装をせず、着古した赤いコートを羽織ったラフな格好で……というか、その上から着けるのか?
「部分的に、だ。これとこれはセットだからな」
アケミが荷台から引き抜いたそれは――――
「なんだそれ…」
「おいおい、なんだよあれ…」
一騎打ちをけしかけた男の戦士は、歩んでくる人影が持つ長いシルエットに目を奪われた。布に包まれたそれは、おそらく噂の「カタナ」なのだろう。なら、目の前に立ったこの女が―――
「お前がシロモリの女か。普通にいい女…っつーか極上の女じゃねぇか、エロい身体しやがってよう…。知ってるぜ? テメェ、女が趣味なんだってなぁ。何だその半端な甲冑は? 女に貢ぎすぎて金がなくなったのかぁ? エヒャヒャヒャ!!」
男が指摘する通り、アケミの鎧は中途半端だった。首から右肩を覆うプレートメイルと左腕の重厚なガントレット……それだけである。
「フッ、気にするな……確かに金は貢いでる。あの人はいい女だからな……だがこれとそれとは別だ。この武器を試すいい機会だっただけだ」
布の結び目を解き、現れたそれはアケミのトレードマークである長刀ではない。重厚で、凶悪で、何とも無謀な、超大剣。長槍の長さと大斧の重量を備えた、鉄の塊だった。幅が三十センチはありそうな片刃の刀身はぶ厚い鉄板のようで、それが本当に剣として「斬る」機能を備えているのか怪しく見える。鍔はなく、柄は長く、柄尻の部分にアルファベットのWのような丸いフックがある。
アケミはその超大剣を右手だけでぐるりと頭上で一回転させ、その勢いのまま地面に突き立てる。ズン、と重い響きは男の足元にも伝わった。
「斬馬刀……対騎馬用の古い武器だ。二年前はイマイチ上手く使いこなせなかったが、改良してみた。これを使ってやるよ」
「正気か…本気かテメェ! 俺がそんなンにビビると思ってんのか!? お前の細腕でそんな超重量武器が扱えるわけねぇだろう! ハンデのつもりか、ぁあ!!?」
「ハンデなどない。誰も勝負をしてやるなんて言ってない」
「なっ…なんだと!??」
「お前は噂程度にしか知らないようだから教えてやる。シロモリは戦うために剣を振るんじゃない。斬るために剣を抜くんだ」
「ハァ!? わけのわからんことを―――」
「さっさとこい。後が支えてるだろ」
「テメェ…っ!!」
男が剣を抜き、構える。スタンダードな剣だが、悪くない。身に着けているものをとってもそうだ。よく馴染んでいる。アケミを知らない点から、軍属から離れてかなり経つのか、そもそも傭兵なのかはわからないが、一騎打ちを申し出るだけの実力と自信は持っているのだろう。
アケミが剣を引き抜き、右肩に担いで腰を落とす。肩につけたアーマーはこのため……つまりこれが基本的な構えになる。規格外のこの武器による攻撃はリーチも威力も並ぶものがないが、ここから振り下ろすか、横に薙ぐか―――どちらであろうとモーションの前には必ず溜めが必要になる。しかし一対一のクロスコンバットにおいて長物が有利だと考えるのは素人以下である。なぜなら刀剣による攻撃は必ず点か線でしかない。間合いとタイミングさえ間違えなければ避ける労力は同じであり、本当に必要なのは攻撃を繰り出す回転数だ。スピードを伴うようになってようやく駆け引きが生まれるのである。従ってアケミの選択は論外だ――――と、アケミを知らない人間は考えるだろう。男も紛れもなくその一人であったため、最速のスピードで突撃する。狙うは前面に出ているアケミの左わき腹……!
しかし、思いもよらないことが起こった。アケミは左足を一歩引いて半身をずらしつつ、斬馬刀をスライドさせるようにずるりと下ろす。たったそれだけで幅広い斬馬刀の刀身が男の剣を遮ったのだ。
「なんだ、と!?」
曲芸のような防御に驚くも、構わず二撃目! しかし男が振り下ろした剣は、アケミが振り上げた斬馬刀に弾かれる。
「うおっ……おあぁ!」
男はバランスを崩しかけるも、攻撃の手を止めない。それをアケミはひたすら弾いて凌ぐ……。
剣が交わった瞬間から沸き立ったサジアート軍は享楽に耽るが如く、思い思いにヤジやら声援やら飛ばしていたが、一分も経つ頃には動揺と困惑の空気が充満していた。
攻め続ける男と防ぎ続けるアケミ―――これが通常の剣と剣なら、積極性のないアケミは、直後の戦闘を鼓舞する意味合いで一騎打ちに負けていると言えるだろう。しかし誰にも男が有利とは見えていない。アケミは持ち上げることすら困難な超大剣を片手で振り、下がることなく攻撃を弾き返しているのだ。
「くそっ……この野郎がぁ!」
男の必死の攻撃も、届かない……明らかに疲れが見えているが、それ以上に怖れを感じている。どうやっても勝てない、と……。
「ハァッ、ハァッ、ハァ…!」
「…どうした? 終わりか?」
アケミは全く息を乱していない。それは斬馬刀の扱い方に秘密がある。アケミは斬馬刀を遠心力に逆らわずぐるぐると回し続けることで自身に掛かる負荷を最小限に抑えていたのだ。
―――と、簡単そうに聞こえるが、実際はそうではない。左腕のガントレットをカウンターウェイトとし、自身を軸に剣を回すだけなら力さえあればよい。だが相手の動きにタイミングを合わせて回転半径を大小させ、相手の攻撃を予測して最も適した位置に剣を構えるのは偏にセンスの成せる技である。強い戦士ほど実力差を、アケミの圧倒的な才格を知るのだ。
残念ながら、この男は爪の先ほどしかそれを感じ取ることができなかった。
「くぅ……おあああぁぁっ!!」
男は左手を腰の後ろに回しナイフを投擲する。男の奥の手か、素早いモーションで、咄嗟には反応できない動きだ! そして攻撃を重ねるように突進…!
「…………」
アケミは飛んできたナイフを左手の指二本で挟んで受け止め、そのまま手首を返して投げ返す。ナイフは男の太腿を掠め、たたらを踏んだ男は斬馬刀を振りかぶるアケミの前に――……
「―――ふッ!!」
超重量の大剣が風を裂いて唸る! 身体を捻って超高速で二回転、加速を得てついに暴威を剥き出しにした斬馬刀は、その身に触れた敵を高々と吹き飛ばした。
「……嬲るのは趣味じゃないな」
男は鮮血を撒き散らしながら五メートル……いや七メートル? 見上げるほどの高さまで打ち上げられ、放物線を描いて地面に落下した。
遠くで見ていたカリアは幼い弟が癇癪を起してぬいぐるみを放り投げた時をなぜか思い出したが、現実に引き戻されてぞっとする。
あの男は鎧などの装備を含めれば重量は九十キロ近くあったはずだ。それをあんな風に……
「……ミラージオ殿!」
「はっ!? …はいッ!!」
誰もが息を飲んだその隙をバラリウスは逃さなかった。呼ばれたミラージオはイオンハブス兵の一人で、まだ若く経験も浅いが、ある命を託されている。それは―――
「剣を取れ、勇気を秘めし戦士たちよ―――!!」
ミラージオの通りのいい声が戦場に響く。正規軍の身体に電流のように意識の灯が点る。
「歩み出せ、無敵の将兵たちよ―――!!」
ザン―――!!
「我らは王の剣!! 民の盾!! 国の守護者!!」
ザン――!!
ザン―――!!
ザン――――!!
大地が揺れる…! それが声に合わせた規則正しい足踏みだとわかっても、これが何なのかサジアート軍は理解できない。それは当然だ、これはエレステルでは古典と言われる「行進」。大人数でなければ意味を持たない、古来よりの戦闘儀礼。だが、それが……!!
「我らが女王は国のために傷つき、血を流された!! その元凶である敵を許してはならない!!」
ウオオオォ―――!!
「国を脅かす輩を通してはならない!!」
ウオオオォ―――!!
「絶対に敗北してはならない!!」
ウオオオオオオォ―――ッ!!!!
振動がビリビリと響き渡る…。敵には恐怖を。味方には鼓舞を。
「…フハハハハハ!!!! いやが上にも、昂ぶるではないか――!!」
バラリウスですら高揚感を抑えきれそうにない。合同演習中に試していたのだが、やっておいて正解だった。イオンハブスとエレステル……混ざれば強大な軍になる!!
「この戦、正義は我らにあり!! 進めぇ――っ!!」
オオオオオ――――!!!!
バラリウスの激を最後に、正規軍の戦士が濁流のように突撃を開始する。対するサジアート軍は一歩遅れて進軍を開始する。が、士気の差は歴然だった。
「――アケミ!」
見渡す限りの人の波を掻きわけてカリアがアケミの前に姿を現した。律儀に長刀を大事そうに抱えていて、アケミは苦笑した。
「おいおい、後でいいって言っただろ。前に出てくんな」
「でもお前、その武器のまま戦うわけじゃないだろ」
「…まあな」
周囲と反比例して冷めた表情のアケミ。落ち着いているというか、動じていないといった感じだ。慣れているようにも見えるが……この戦場を!? すでに最前線では両軍が衝突し、死人が出ている。カリアも自分自身意外なほど落ち着いているが、アケミのそれとは違う。
「……一度本陣に戻る。とりあえず役目は果たした」
「このまま戦わないのか?」
「まだ出番じゃない……自分は行くとか言うなよ」
カリアはすぐに返事をしない。図星だったか…。
「カリア……人を斬ることに慣れようとするな。女王の側に仕えるなら特にそうだ。敵を倒すためでなく、誇りのために戦え。でないと人の命が軽くなる。大事な人の存在が希薄になる。お前はまあまあ筋がいい、だからこそ殺し屋になるな―――」
「シロモリイイィ!!!」
アケミの後ろから敵が襲いかかってくる。カリアは腰のサーベルに手を伸ばすが間に合わない…!
しかしアケミは右肩に担いだ斬馬刀を頭の後ろに回し、左手で刃先を持って頭上に持ち上げる―――それだけで背後からの唐竹割りを防いだ。いや、それで終わらず―――左腕でポンと斬馬刀を上げる。右腕を視点に傾く斬馬刀の重量を相手の剣は支え切れず、さらに右手首での絶妙なコントロールによって横に寝た斬馬刀は敵の右肩に乗る。その刃は相手の首へと向き……アケミがその場で右回りに一回転すれば事は終わっていた。一つ一つの動作が流れるようで、まるで初めからこうなることが決まっていたかのように無駄なく収まる……まさに神業だ。
「あ……」
「呆けるなこんなところで! 行くぞ」
叱咤され、カリアはアケミの背を追う。敵の首から吹き出した血がアケミの服を汚したが、コートに染みた血はくすんだ赤に紛れてすぐに目立たなくなった。
(返り血を浴びてもいい……戦うためのコートってことか……)
カリアはアケミが初めて会った時にこれを着ていたことを思い出す。あの時、本気で刀を抜くことも在りえたのだろうか……。闘争心がまるで感じられないアケミが、死が蔓延るこの戦場で実は一番馴染んでいる……気持ちが落ち着かないが、それが事実だった。
やはり戦闘シーンを書くのは難しいです。描写しなければ凄さが伝わらないし、細かすぎればテンポが悪くなるし、考えすぎれば眠くなるし…(笑)。何度も寝落ちしてキーボードを押しっぱなしにしていました。やはり暑いのはダメです。八月中には書き上げようと思ってたのですが……もうちょっとがんばります(笑)




