プロローグ
いつになく、重々しい雰囲気だった―――。
会議室に集まった十七名の重臣たちは硬い面持ちで、ただ一点を凝視していた。長く重厚な木卓の先で姿勢正しく座る隣国の姫君―――アルタナディア=イオンハブスを。
見目麗しい容貌が見る者を惹きつけて止まない姫は、風に吹かれれば折れそうな、儚げで可憐な花のような印象「だった」。だが、今は違う。純白の軍服を身に纏い、相対するエレステルの高官たちを静かに見つめ返すのがとても様になっている。このメンバーの中には昔アルタナディアと挨拶を交わしたことのある人間もいるが、パリッとした軍服のせいか、以前とは違い、幾分逞しく感じられた。
こうなると、整った美顔が特に表情や意思を示さないのが不気味にすら思えてくる。透き通る瞳に胸の内を見透かされているような気にさえなってくる…。だが、この部屋にいるものは長年兵役に就いてきた軍属と、それに引けを取らない文官たちである。ゆえに、アルタナディアの美しさに陶酔するばかりではない。しかしその面々をアルタナディアの後ろに立つアケミ=シロモリがうすら笑って見ているのが苛立ちに拍車を掛ける。
「……それで、アルタナディア姫―――」
口を開いたオーギン=ヴォン議長とアルタナディアの視線がばちりと合った。深い瞳に圧倒される……エレステルの名だたる名士が認める議長でさえ、うろたえざるを得なかった。
ふう、と小さく息を吐いて、アルタナディアはようやく口を開いた。
「姫ではありません。女王です」
「なんと…!?」
どよめきが起こる。アルタナディアの父・ヴァルメア王が重篤との報を受けて以来、次代の王の名前は浮かび上がってこなかった。ゆえに、アルタナディアを立てつつも、その時までは後見人が付くであろうと見ていた。その「後見人」こそがイオンハブスの実権を握るのだろうと警戒していたのだ。
「ゴホン……失礼いたしましたアルタナディア女王。で、今回の突然の御来訪はどのような理由からでしょうか。それに、あの兵は…」
五百の騎士と三千の兵、総勢三千五百の軍勢。五千の大隊が五つあるエレステルでは大軍というほどの数字ではなく、練度まで考慮すれば、勢力として大したものではない。しかしそれでもイオンハブス全軍の四分の三である。その意味を量らぬわけにはいかない。
アルタナディアは静かに、深く息を吸い込み、薄い唇を開く。
「先日、我が国内で不当に侵入したエレステル兵がイオンハブスの人間を襲う事件が発生しました」
「…そのような情報は得ておりませんが、そうだったとしても、今回のこの行動はいささか大げさでは?」
「襲われたのは私です」
「え―――!!?」
重臣たちはいよいよ騒然となった。独断と勢いで飛び出していったバレーナ王女が敗れたのだと考えたからだ。奇襲でイオンハブスのフィノマニア城を占拠したはずだが、アルタナディア姫のことは全く情報が入ってこなかった。幽閉されているのかと見ていたが、「例の事件」の後、突然の兵の招集。わずか七日でのエレステル首都・グロニアへの到達。まさかとは思うが……これは、開戦の宣言なのか。
五つある大隊の内、三隊は国境警備のために配置されている。すぐに動かせるわけもなく、残っている二つの隊は準待機扱いのため、地方にある自宅への帰宅を許されている者も多い。実際、グロニアに集められる兵力は現時点で七千ほど。倍の兵力だが、ケースに応じた綿密な作戦を練られる段階ではない。しかもバレーナ王女がいないため戦争に移行するために兵を動かす権限がなく、大義名分もない。さらにこういう時こそ最大限の働きをするはずのアケミ=シロモリはアルタナディア側である。この女が扇動すれば、若い兵だけでなく有力な将軍すら離脱する可能性がある―――他国からの侵略を幾度となく撥ね退けてきたたちは、内心戦々恐々としていたのである。
純白の若き女王は続ける――。
「皆さまお静かに。今回、このような形でこの国を訪れたのは、同盟国であるエレステルに、我が姉であるバレーナに助力するためです」
「…?? 助力とは? 詳しくお聞かせ願えますか、女王陛下」
場が静まり、剣呑な視線が集まったのを確認してからアルタナディアは話を始めた。
「事の発端は、私が国内を視察中にエレステル兵に襲われたことにあります。当時の私は側近の者と二人で変装した上で深夜の街を巡回していましたが、その途中、街の外れに不法に駐屯していたエレステルの一隊に襲われたのです。問答無用に剣を抜いてきた彼らから私を守ってくれたのが、偶然居合わせたアケミ=シロモリです」
アケミが軽く頭を下げる。ふてぶてしく見える、が……。
「シロモリ殿によれば、バレーナが未だに王女のままなのは、女王になるのを阻害する反乱勢力があるためと伺いました。そうなのですか?」
アルタナディアの問いに、一同は即答できなかった。国の内事を迂闊に洩らすわけにはいかない。かといって、先王が崩御して二年を過ぎるというのに、未だ王が定まらない現状を納得させるだけの説明は難しい…。
「…我が国には王を選定する重大な審議がある。バレーナ様が王の冠を拝しておられないのは、まだその頂きに達していないだけのこと」
議場を震わせるような大きな声が発せられる。野太く、力強く、おおらかな声だ。そして本人もまた筋骨逞しく、スケール感のあるオーラが滲み出る大男だ。
「…あなたは?」
「失礼。アルタナディア様にはお初にお目に掛かる。私はエレステル第一大隊大隊長、エレステル軍将第二位、バラリウス=ゲンベルトと申す」
別名、超越のバラリウス。年齢は四十。戦士としても将軍としても今もっとも脂がのっているエレステル屈指の傑物。そして人柄も他とは一線を画す。アケミが数える「五本の指」に含まれる戦士であり、現在グロニアに集結している兵士を指揮する男である。
「わが国には血統のみならず、第三者が能力を認定しなければ王になれぬ伝統がある。よって同盟国とはいえ、他国に口出しされる筋合いではない」
このバラリウスの物言いに慌てたのはエレステルの高官たちだ。言い分は間違っていないが、この状況で強気に過ぎる。
「存じ上げています。しかし両国の王が相次いで身罷られた今、私たちは一刻も早く次代の体制を作り上げていかなければなりません」
オーギン議長、バリウス将軍を始めとして、その場にいた者の半分はアルタナディアの意図を察した。つまり女王となったアルタナディアと対等の者を出せと要求することで、バレーナを早急に王位に就けようというのだ。そうできなければ阻害する反勢力を排除するために介入する―――それに意味を持たせるのが連れてきた兵三千五百なのだ。しかも「切り札」はアルタナディアが持っている……。
バラリウスはアルタナディアの背後に立つアケミに目をやる。アケミはニヤついた顔で見返してきて、バラリウスは胸の内で失笑した。
(おもしろい女を見つけおったな…)
もちろん即時返答はできない。が、動きだすきっかけをつくった。それにバレーナには正式にアルタナディアという勢力が加わった。これは大きい。
「…シロモリ殿。私を襲った犯人はどうなったのでしょう」
「逮捕し、取り調べ中です。イオンハブスでの行動目的や指示した者を特定するにはそう時間はかからないでしょう」
「そうですか。では一週間待ちます。一週間後に回答をいただきましょう。それまではグロニアに滞在させていただきます。バレーナ王女には許可を頂いていますが、国として正式な申請が遅れてしまったことをお詫びいたします。許可いただけますか?」
重臣たちは皆、顔を見合わせる。
「さ…三千五百もの人数が逗留できる施設はございません…」
「――いや、兵士宿舎であれば空きがあろう。兵士は第一大隊が預かるという事でいかがかな?」
バラリウスの急な提案に顔を顰めた者は少なくない。アケミだけが「してやったり」と目を細めていた。
「あの小娘ども…!」
アルタナディアたちがいなくなった議場では煮え湯を飲まされたエレステル重臣たちは青天の霹靂のように現れたアルタナディアと、それに協力するアケミに対する不満を抑えきれなかった。いや、それだけではなく、この事態を引き起こしたバレーナにも非がある。
「ゲンベルト殿、どうしてあのような提案をなされたのです!? 即時軍ごと引き揚げさせるべきだ!」
「あちらの主張によれば非はこちらにある。無下に追い返すわけにはいきますまい。かといって、同盟国とはいえ、あれほどの軍勢を城中に置くわけにもまいりませぬ」
しかし、とは続けなかった。おそらくイオンハブス兵は第一大隊の養成所だけでは収容しきれず、同じく準待機中の第二大隊と分割して管理することになるだろう。第二大隊はアケミの息のかかった人間が多い。そして第一大隊・第二大隊の現在の兵数からすると、収容可能定員に三千五百という数字が実にぴたりとはまる。どうやら、これはあちらの計画通りのようだ―――
「――ですがゲンベルト様の案は最良の一手かと。こちらは兵によって監視と牽制ができる上、合同訓練とすれば兵たちに無用な混乱を与えずに済みます」
「なるほど」
「妙案ですな。さすがゲンベルト殿、軍略家でもあらせられる」
――やはり文官はわかっていない。合同訓練だと? 弱卒のイオンハブス兵に一方的に軍事技術を盗まれるだけだ。まさかアケミの入れ知恵とは考えにくい……あれでバレーナに対する忠誠心は人一倍だ。国を売るような裏切り行為はすまい。とすると、あのアルタナディア陛下は真にバレーナの味方であり、技術を提供する価値があるということか。だが、なんのために? 長らく戦から遠ざかり、ナマクラとなったイオンハブスの兵を何と戦わせるというのか――…。
一週間とは―――?
「――時間は我らに有利だ。時間が経つほどに戦力が整い、『体調不良』でフィノマニア城におられるバレーナ様を引きずり出すことができる。あちらとて戦力差があることは承知のはず、無理はできまい」
「しかし『例の事件』……決闘のことについてはどうするのだ? 敗北した事実は国民の求心力を落とすことになるぞ。さらにあの誓約書という『切り札』を持ち出してくる可能性もある」
「それならそれでよい。バレーナ様には自重していただくよい機会となるし、誓約書など所詮は口約束の範疇。国家の間で決めた取り決めでなし、怖れることなどないわ」
いや、違うな。『切り札』はすでに効力を発揮している。使えばバレーナが責任を負うことは免れない。しかし使われぬ限り、負い目のあるこちらはバレーナを追及できない。現状、バレーナの暴走はうやむやにされてしまっている。アルタナディアの言葉が真実ならば、まぎれもなくバレーナを守っているのだ。
(誰ぞの入れ知恵……だけではあるまい。我らを前にしてのあの胆力。一輪の花のような可憐な面をして、己の内に獰猛な獣を飼っておる)
おそらく今、自分はアケミと同じ不謹慎な笑みを浮かべているであろうとバラリウスは自覚した。一級の軍人からすれば、あの手会いはたまらん。バレーナもそうであったが、あのアルタナディアは意外性があるだけにまた格別だ……。
議論が紛糾する中、バラリウスは席を立ち、アルタナディアが座っていた椅子を見下ろし、背もたれを撫でる…。
(汗…)
アルタナディアの席は汗で濡れていた。さすがに緊張していたか。しかし表情からはそのような様子は見受けられなかったが……
「…………」
バラリウスは自分のマントでそっと汗を拭いとった。
「う…」
城の廊下でぐらりと体制を崩したアルタナディアをアケミが支える。
「いかがされたアルタナディア殿。長旅でお疲れか?」
慌てる城の召使いたちに言い聞かせるように言ったあと、アルタナディアの耳元で囁く。
「馬車に乗るまでは助けんぞ…」
「…わかっています…」
アルタナディアは柔らかい動作で起き上ると、凛と背筋を伸ばして再び歩み出す。その手先が震えていたことに、アケミ以外の者は気付かなかった。