11.
会議を終えて帰宅したアケミは、もう何日も使っていない自室のドアを開けた。看護師の女が部屋の隅に一人、カリアがベッドの脇に座り、アルタナディアはベッドに伏せている。
「…ざまぁないな、新米女王。無茶するからこうなるんだ」
アケミの暴言にカリアがむすっと顔を歪めるが、特に言い返さない。それよりも弱りきったアルタナディアのほうが心配だからだ。アルタナディアは高熱で顔を赤くしながらも、目線だけアケミに向けた。
「会議は……どうなりましたか…」
「概ねお前の要望通りだ。バレーナが女王になるのは確定といっていいだろう。よくジレンを説得できたな。絶対無理だと思ってたが」
「……説得はしていません…」
「はぁ?」
「………説明するのは…難しいです…」
「ハ、買収でもしたか? まあいいけどな……。とりあえず当初のお前の要求…つまりミカエル卿の私兵の件は、今は深く追求せず、首根っこを掴むに留めておく。サジアートが絡んでいることはほぼ間違いないが、あまり追い込むとそれはそれで面倒だし、もう今さらどうのこうのと割り込める段階でもないしな。はっきり言ってアイツ嫌いなんだよ。子供のころからバレーナにちょっかい出してきてキモい。アイツなら殺していいぞ」
「それは、私がやることじゃない……」
アルタナディアの声は尻すぼみに小さくなって消える。
「…口を動かすのが辛いか?」
「……………」
返事を声に出せず、落ち着かない呼吸を繰り返すアルタナディア。さすがに我慢できなくなってカリアが口を出す。
「おい、いい加減にしろ。アルタナディア様のご容体は見てわかるだろう! お話される気力だってもう…!」
「そういうことじゃない」
「? じゃあなんだって――」
「……破傷風ですね…」
「そうだ」
破傷風……。
「破傷風ってなんだって顔してるな……まさか知らないわけじゃないよな」
「あ、当たり前だろ!? 傷口からバイ菌が入って、こう……」
「こう…」で固まってしまったカリアにアルタナディアの視線が刺さる…。
「……まあ、概ね合っている。イオンハブスじゃそうお目にかからないかもしれないが、戦場で傷を負う可能性の高いあたしらにとっちゃ最も怖れる病気の一つだ。菌の毒素によって筋肉が痙攣し、最後は弓のように反りかえって死ぬ。意識はそのままだから、まさに死ぬほどの激痛だそうだ」
アケミは軽々しく口にするが、弓のように反りかえるなんてどんな異常事態だ!? 想像するだけでカリアは気持ち悪くなる。
「潜伏期間はおよそ三日から三週間と言われている。最初に影響が出てくるのは主に口から喉だ」
「あ…! じゃあ最近アルタナディア様の口数が特に少ないのは……」
「カリア……あなたはいつも余計なひと言が多いですね…」
高熱で伏せっている女王陛下にツッこまれてカリアは閉口し、アケミは失笑した。
「食事はしているから問題ないと思うが……本当に大丈夫なんだな?」
「心配には…及びません…」
「そう言って無理して今に至ってるわけだろ。傷が塞がらないまま包帯を厚く巻いてごまかしながら動き回るから、汗だくになって膿んで……戦場では力技でケガを治すと豪語するバカから死ぬ。お前、本当にわかってんのか? 自分の状態が」
「……迷惑をかけていることは、理解しています……」
「……ホントにタチが悪いな、お前は。バレーナの方がもっと素直だぞ。ともかく今後のことだが、バレーナが女王になるにしろ、まだ詰めなきゃならないことは山ほどあるだろう。イオンハブス襲撃をどう収拾つけるかもあるしな。そのためにはお前とバレーナが揃う必要があるが、全てが正常化するまでは時間が掛かる。問題はお前の連れてきた兵隊だ。悪いが返答期限を過ぎた後は面倒を見切れん。金のこともあるし、これ以上合同訓練の名目で大隊の兵士を引っ張り回せば不満があふれる。かといって、何の目的もない他国の軍隊を無期限で駐留させるのは国の面子に関わる。現状、動けないお前の警護として残せるのは総勢二百名までが限度だそうだ……これはあたし個人の意見じゃなく、軍部の意向だ。わかるな?」
「わがままは言いません……あなたには、お世話になりっぱなしですから……」
「気にするな、こっちはこっちの都合で動いてる。そんな調子だとすぐにあたしに頭が上がらなくなるぞ。念のため、数日以内に破傷風のワクチンを接種しろ。今さらだが、やらんよりはマシだしな。そのためには体調を戻さにゃならん」
――と、アケミは急に背筋を伸ばし、頭を下げた。
「アルタナディア、お前は私の友人を助けてくれた。バレーナが女王になれるのはお前のおかげだ。感謝する。だから後のことは気にせず休んでくれ」
突然の事にカリアは呆気にとられてしまったのだが、
「そういうわけにはいきません……帰す者と残す者の割り振りをしなければ……」
アルタナディアは何事もなかったように振る舞う。これにはアケミも不機嫌を顕わにした。
「お前なぁ……真面目に、割と本気で謝意を述べたのに台無しだろ! もういいから病人は寝ろよ! カリア、もうコイツがバカみたいに動き回らないように見張っとけ……そうだ、もういっそ添い寝でもしてやれ」
「はぁ!? お前、何言って―――」
「……いえ…それはいい案かも」
「「え!?」」
「カリア、命じます。今夜は私と一緒に寝なさい…」
「「えぇっ!?」」
女王陛下よりまさかのGOサインが出たことに二人は目を点にする。
アケミは渋い顔をして頭を掻いた。
「…一応、それあたしのベッドだからな。ヘンなシミ作んなよ」
「どういう意味だよ! …いや、言うなよ!? つーかそんなの、ご冗談に決まって―――……」
しかしアルタナディアはニコリともしない。ただ顔を火照らせ、潤んだ瞳でカリアを見つめ続ける……。
「……わかってると思うが、女王陛下は弱っているからな? 妙な気は起こすなよ?」
「……へ、変な言いがかりは、やめろよな…」
大丈夫、問題ない。カリアはもう何度も全裸のアルタナディアを見ているのだ。それに比べたら別に、平気だ―――……。
……前言を撤回したい。
カリアは是が非でも辞退するべきだったと後悔していた。
アケミのベッドは長身のアケミに合わせて男性用のサイズで少し大きい。しかし一人用であることは変わらないわけで、女二人でも同衾すると……かなり手狭というか、近い。
もう夜も更けた。灯りを消し、天窓から差し込む青白い月明かりが照らす静寂の中、誘われるがままにベッドに入っていく自分……一体何をやっているのだろうか。
「……そんなに端で縮こまられては、私が悪いことをしているみたいじゃないですか……それとも、私が嫌いですか…?」
なんという言い様か…! そう仰られては逆らうことなどできはしない。
頭から足の先まで一本の棒のようにまっすぐ固まったまま、ちょっとだけ左へ…アルタナディア様に寄る。呼吸する音が物凄く近くに感じる……。
身体は天を向いたまま不動。寝返りを打ってアルタナディア様に向けばとてもじゃないが眠れないし、かといって背中を向けては失礼というもの。鉄の意思で、今夜は微動だにしないことを誓う…。
「もっと楽にしなさい……私から持ちかけたのですから、寝ぼけて抱きついてきても文句は言いません…」
「だ、抱きつくなど……そもそもこれではゆっくりお休みになれないのでは――…」
五秒前の誓いもどこへやら、反射的に振り向くと、アルタナディア様の額に細い髪が張り付いている……。
「………」
ダッシュボードに手を伸ばし、タオルで額を拭うが、顔だけでなく全身に汗を掻いているご様子だ。
「あの…お召し変えいたしませんか。身体も拭いた方がよろしいでしょうし…」
「……そうですね…」
ベッドの上で服を脱がせると汗で濡れた包帯が顕わになる。決闘直後に比べたら撒く分量はずっと減ったが、完治には遠い。ずっと熱が出たままで、ついに先日お出かけの際に倒れてしまわれた。だが、もしその場に自分がいたとしても、今回はアルタナディア様を止めることができたかどうか自分でも怪しかったと思う。一カ月半前の逃避行の時はただエレステルを目指すだけだったが、今回は明確な目的がアルタナディア様の中にある。だから最悪の体調を抑え込む気力に溢れていたし、周りに有無を言わせない威圧感もあった。これが「姫様」から「女王陛下」になったということなのだろうか…?
包帯を解くと白い背中が現れる。背中側に傷はなく、雪原のような肌は相変わらず……むしろ……発熱でほんのり赤く染まり、月光が反射する濡れたうなじが生々しく、息を呑んで見入ってしまった。
(いやいや、今さらこの程度で……お風呂で背中流したこともあるし!)
水に浸していたタオルを絞り、目の前の背中に当てると、「あっ…」と鼻から抜けるような声を漏らして女王様が震えた。
「え、あっ…冷たかったですか…?」
「ん……気持ちいい……」
……なんだろう、妙に艶めかしい気が。熱を出しているせいか? 今は特に色っぽい。撫でる度にきゅっと背筋が収縮するのがわかる。
気恥ずかしいのを堪えながら腕、脇を拭うと、細い身体がカクンと折れて慌てて支える。
「大丈夫ですか…!」
「少し、水を…」
テーブルの上に置いていたデキャンタの水をグラスに注ぎ、差し出すと、アルタナディア様はぐっと飲み干し、おかわりを要求。またグラスを渡すと勢いよく傾ける。三杯目を半分ほど飲んだところでようやく一息つき、グラスを私に押し付けた。
「…あなたも」
「え?」
飲め、ということか? だがグラスは一つ、まだ飲みかけで……これを飲めと!?
アルタナディア様は戸惑う私をじっと見つめる。その表情は硬い……いつも通りにも見えるが、どこか逆らえないプレッシャーを感じる。手の中にはアルタナディア様が口をつけたグラス……
(ええい、乙女か! いや乙女だけど!)
一気に飲み込む! 緊張で熱くなっていた身体に水が沁み渡っていく。最後の一滴まで喉を通し、深く息を吐きだしたとき―――
「カリア……前もお願いできますか」
グラスを落としてしまった。ベッドの上で割れずに済んだが、私の胸の中はあまりの衝撃に掻き回され、て―――……
「………ひょっとして、からかっていらっしゃいます?」
根拠はない。ただ、いつもより声に、言葉に重みが足りない。そう感じたのだ。
果たしてアルタナディア様は………静かに、わずかに表情を崩された。
「フ……ごめんなさい。こんな時間は久しぶりだから、いじわるしたくなりました…」
「いじわるって…」
そもそも私と女王様の間でこんなとりとめのない時間を過ごした時があっただろうか?
とりあえず身体を拭くのを再開する。妙な気分さえ消えてしまえば、多少の抵抗はあっても問題なかった。首から下…肩から下の無残な傷痕を目の当たりにすれば、余計な邪念はすぐに消し飛んでしまう。
「カリア…」
「はい」
「私……きれいですか…」
「…………」
返答に迷う。剣の傷は治りかけてきているが、おそらくいくつも痕が残るだろう。残ったところでアルタナディア様の本質が変わるわけではない。だが女としての美しさの価値を下げてしまったのも事実……。
「少しでも後悔されているのであれば……痛みをずっと抱えてしまうのかもしれません。ですが、私もいますし、その……」
だめだ、上手く言葉にできない。正解があるわけではない。今欲しい言葉があるはずなのだ。でも、それがわからない。
「……すみません、またいじわるを言ってしまいましたね。少し熱が下がってきたせいか……はしゃいでしまって…」
「はしゃいで…いらっしゃるんですか? 姫様が? あっ――失礼しました…」
思わず「姫様」と呼んでしまった。いつもなら叱咤が飛んでくるところだが、今夜はそれがなく、代わりに柔らかい表情で苦笑していた。
「カリアは、いつまでたってもカリアですね」
「は、はぁ…」
つま先まで拭き終わり、新しい寝巻に着替え、ベッドに入っていくアルタナディア様……そしてやはり私も引き込まれた。もうやることをやったし、やってしまったしで、睡魔に負けかけていた私はすぐにウトウトとし始めたのだが―――一気に神経が張りつめる事態が起こった。
アルタナディア様が、その身を擦り寄せるように抱きついてきたのだ!!
「あ――ちょっ…!」
口を手先でそっと塞がれる。その間に脚が絡まり、肩を引かれる。アルタナディア様の身体半分が私に覆いかぶさっていて、頬と頬がぴたりとくっつく位置にアルタナディア様の頭がある…!
「…大事な話があります…」
耳元でヒソヒソ囁かれるのがくすぐったい……じゃなくて! そうか、初めからこうするために……密談するために添い寝をしろと仰ったのか!
「……いいですか」
「あ、はい……どうぞ…」
囁き声で返すと、唇を押さえていた左手が離れ、鎖骨から胸元を滑るように流れて私の右わき腹を掴み、ぐっと腰を抱き寄せる。胸と胸が押し合い、心臓の鼓動が木霊するように重なっているのがわかる。
(え…と?)
意図がわかったのに身体を押し付けてくる…?
そこで思い違いをしていたのではないかと気付く。添い寝は手段だったのではなく――いや、手段ではあるが、同時に目的だったのかもしれないと。先程からの「いじわる」も、ひょっとして「そういう気分」の表れだったのではないか―――。
途端に脈拍が上昇したのを自覚した。跳ね上がった胸の高鳴りはアルタナディア様の心臓に直に感じ取られているだろう。呼吸の乱れは私の唇から数センチと隙間のないアルタナディア様の耳に伝わるだろうし、肌がじんわりと汗ばんできたことなど言わずもがな―――。
声を出すのも、苦しい……。
「あなたももうわかっているとは思いますが……私は、バレーナに特別な感情を持っています……」
「へ!? あ…」
ば、ばれーな!? そういう話!? 全くの勘違い……すぅっと気持ちが冷めていく。
しかしアルタナディア様はなお強く私を抱きしめ、意を決したように言葉を紡ぐ。
「…愛して、いるのです……」
もぞりと、私の胸元に頭を埋め、身体を縮こまらせるアルタナディア様。その表情は……女王でも姫でもない。一人の少女の告白だ。
「……………」
一体何なのだ……。
からかったり。誘ったり。はしゃいだと言えば弱みを見せ、縋るように抱きつきながら秘密を告白する……。一体これは……いや? ああ……ああ―――そうか。そういうことか。
アルタナディア様をゆっくり押しのけると、ごろりと横向き、その小さな頭を包むように抱きしめた。
「カリア…?」
「失礼ながら、甘えたいのかなと…」
それを聞いたアルタナディア様はしばし視線を彷徨わせた後、「ああ…」と小さく驚いて納得した。
「あなたは本当に……ヘンな時だけ姉になりますね」
「そうでしょうか」
「そうです…」
先程とは違う強さで抱きつくアルタナディア様……なんだか本当に妹のように思えてきた。
「応援します……ナディア」
「! 調子のいい姉ですね…」
照れたように額を押し付けてくる……。
そうして寄り添ったまま、眠りについた。決闘から続く緊張が安らぐ、穏やかな夜になった……。
気温が上がってきたせいか苦戦中…。一行書く度に睡魔に襲われ、記憶が飛びます。アップする前に見直しするようにはしていますが、誤字脱字があればご容赦ください…。




