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第四話

美巳は万年筆を置くと、すぐ隣の作り付けの机で自分の原稿を読み耽っている男の横顔を観察する。

前日に書き上げた原稿を渡すと、机の前に陣取った勇人はすぐにパソコンを開いて打ち込みをはじめた。そうしているときにはほとんど動かない表情が、美巳の原稿を読み始めると段々と柔和になっていき、そのうち物語に合わせてくるくると変わるようになる。

それを美巳は不思議な思いで眺めた。自分の文章に自信が無いと言えば嘘になる。それに、美巳には一種の技術があった。意図的に織り交ぜることで心に引っかかる文章を書くことは出来るのだ。だが、男はそういうものよりも、本当に物語自体を楽しんでいるように見える。

現在書いているのは、いわゆるところの現代ファンタジーだ。学園で起こった不思議な出来事に少年少女たちが立ち向かう。元々、ヤングアダルト向けの小説だったのだが、主人公のキャラクターがあまりに地味だと言われて、電子書籍に振り替えられた。

大の大人が夢中になって読むようなものではないと思うのだが、勇人が心の底から楽しんでいるのが判って、美巳の心に暖かいものが広がる。

しばらくその姿を眺めて、再び美巳は万年筆を走らせた。今日はもっと書けそうだ。

「紅林」

声を掛けられて、顔を上げる。張り出し窓から差し込んだ夕日が人の形を切り取って濃い影を落としていた。

「あ、もうこんな時間か」

「ああ。夢中だったみたいだから」

立ち上がると少しだけ体がいうことを利かない。どうやら、同じ姿勢でいた為に関節が固まっているようだ。

「ごめん。すっかり時間過ぎたな。すぐにチェックする」

差し出した美巳の手に渡されたプリントアウトされた原稿に素早く目を走らせる。本当はざっと見るだけで事足りるのだ。何故なら、ここ数週間で見た限り、勇人の打ち込む原稿は正確で、しかも美巳が書いたのと寸分違わぬ違和感の無い文章である。

何故と思いはするものの、そこで思考を巡らすのは止めている。考え出すとキリが無いからだ。

「うん。大丈夫だ」

「そうか」

緊張した面持ちが綻ぶ。小さな子供が褒められるのを待ちわびているような風情は、常に美巳の口元に笑いを浮かべさせた。

「じゃあ。今日はこれで」

「待ってくれ」

踵を返す勇人を美巳は押し留める。

「こんなに待たせたんだ。良かったら夕飯食べていかないか。ロクなものは無いけれど」

「え、いいのか」

「都合が悪いなら」

言い掛けた美巳の言葉に、勇人が首を振った。それに美巳はほっと胸を撫で下ろす。もっと勇人と話をしたい。何故、この男の文章は自分にこんなに心地良いのか。美巳そのものを表しているのか。

美巳の探究心を満たすには、もっとこの男の言葉を聞くことが必要だった。

料理と言っても美巳のそれは簡単なものである。じゃがいもと人参、ベーコンを煮たスープと、庭で採れた果物を盛ったもの。後は豆腐屋から買った豆腐があるだけだ。

「ごめん。誘っておいてこんなものしかない」

「いや俺はもう年だし、そんなには要らないが、紅林は若いのにこんなものでいいのか?」

良く聞けばひどい感想である。誘われておいて『こんなもの』扱い。よく言えば正直で嘘がつけない男というところだろうが、殆どの人間は場を悪くする嫌な男だと考えた筈だ。

「俺もずっと机の前の仕事だからな。あまり要らない」

「そうか」

食事をしながら、美巳はふと思い出したことを口に出す。

「待たせていた間、ずっと俺の原稿読んでいたのか」

「あ、いや。脇目も振らずに書いてるから、邪魔をするのもどうかと思って、あんたの本を一冊読んでた」

勝手に拝借したことは悪いと思っているらしい。勇人は視線を彷徨わせ、頭を指先で掻いた。

「持ってない本があったか」

「紅林の本はいろいろなところから出るからな。結構買い逃してる」

ライトノベルや一般くらいならともかく、美巳は児童文学も書く。しかも、結構中小の出版社での仕事が多い。確かに全て目に触れることは無いのだろう。意図的な部分もあるが、仕事に関しては実力不足も否めないことは承知だ。

「良かったら、貸そうか」

軽い申し出に、下を向いてもそもそと食事をしていた勇人ががばりと顔を上げる。瞳はキラキラと期待に輝いていて、向けられたこちらが恥ずかしくなるくらいだ。

「本当か」

「あ、ああ。構わない、勇人さんがよければいくらでも借りていってくれ」

あまりの勢い込んだ勇人に、逆に美巳の腰は引けている。

「そんなに嬉しい?」

「ああ。俺はほとんど本は読まないんだが、紅林の本だけは好きなんだ」

ウキウキした気分を隠せないのが丸判りの勇人の態度に、美巳は笑いよりも気恥ずかしさが勝って仕方が無かった。

「何がそんなに楽しいんだ。参考までに聞かせて欲しいな」

「いや、多分参考にはならないと思う。個人的なことだ」

すっと勇人の顔から表情が消える。何か気に障ることを言った覚えは無いが、勇人の顔には立ち入られることを拒否した雰囲気が漂う。黙々と食事をする勇人に美巳これ以上の会話を諦めた。

「これを借りたい」

勇人が選んだのは、当に廃版となった一冊だ。出版社もつぶれた為に手に入れるのは不可能に近い。しかも、かなり以前に書いた児童文学だ。

タイトルは『夏の魔法使い』。

「これが初めて読んだ紅林の本なんだ。まだ、会社に勤めてた頃に駅前の大きな本屋で夏休みの特集やってて。さすがに買うのはどうかと迷ってたら、いつの間にか特集は終わっててな」

タイトルもあやふやだったのに、作者名だけは覚えていたと勇人は薄い笑みを浮かべる。

それが美巳の本を読み始めた切っ掛けだそうだ。本屋で何気に見ていると、数ヶ月に一度の割合で本が出ている。児童文学だけでは無いらしいと知ると、勇人は本屋で見掛けるものは全て買うようになった。

定期的に売れるのならと本屋も自然と仕入れるようになり、今では殆どを持っていると言う。

「俺も読むわけじゃないから、ゆっくり借りていい」

「そうか。ありがとう」

勇人が帰宅した後、美巳は寝室へと足を踏み入れた。ベッドへ寝転がって大の字になると目を閉じる。

別段眠い訳ではなく、今日入れた情報を整理するときに有効なだけだ。

「夏の魔法使い」

呟いて、美巳はどんな話だったかを思い出す。

「確か、主人公の少女が迷い込んだ廃墟の中に魔法使いがいるんだ」

友人のいない少女は、夏の日々をその魔法使いや迷い込んできた猫と過ごし、やがて魔法使いは姿を消す。魔法使いが捕らわれたことを知った少女は、猫と二人で残された魔法を武器に戦う。だが、魔法使いではないものに使われた魔法は少女が使うごとに一つひとつ消えていき、魔法使いは救われたときには魔法使いでは無くなっていて。

そこまでストーリーを追ったときに、美巳は思い出した。

これは確か、あの迷い込んできた子供をモデルにした話だ。『魔法使い』と自分を呼んだあの子の。

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