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第二話

「一階にトイレ。洗面所は風呂場の中。仕事は二階の俺の隣か、三階でやって」

翌日から仕事にやってきた勇人に、美巳は簡単に説明を済ませた。机は折りたたみ式で何処でも使用出来る。その上には、モバイルパソコンが乗っていた。

「パソコンはこれなんだけど、使える?」

「ウィンドウズなら大抵は大丈夫だ」

落ち着かなくキョロキョロと周囲を見回す勇人に、美巳は興味をそそられる。

「何か珍しいものでもある?」

「いや、この家。ホントに三角形なんだなと思って」

美巳の家は、三角形の塔のような形をした洋館である。部屋は各階に一つづつあり、一階の扉を開くと台所とトイレと風呂場。二階には壁一面の書棚と机。三階に上がる階段にも書棚が設けられ、三階は寝室だ。

「そこが気に入って買い取った家だから」

「へぇ」

廃墟に近い有様だったために、ひどく安かった。近隣では長らくお化け屋敷扱いされていた筈だ。

そういえば、以前に子供が一人入り込んできたことがあった。当時、隠れるように住んでいた美巳は、長い髪にフードを被っていたが、それを見た子供が暫くは『魔法使い』と呼んでここに通っていたことを思い出す。

あの子はもういい大人だろう。魔法使いのことなど忘れているだろうと、美巳は庭を見て、しばし想いを馳せた。

「ここでやっても邪魔にならないか」

勇人の言葉に振り返る。勇人が陣取ったのは用意した折りたたみ机ではなく、書棚の一部に取り付けられた開き戸だ。開けば机になり、その向こうには飾り窓が張り出している。長らく使ってはおらず、美巳もすっかり存在を忘れていた。

「人がいるのは気にならないよ。勇人さんが良ければ、そこでやってもらって構わない」

美巳の返答に、勇人が眉を潜めた。

「じゃなくて、明るいのは気にならないのかと思って。ここ、長く使ってなかっただろう」

言われて何故使わなくなったのかを思い出し、美巳は溜息を吐く。そこで書いていたのは昔は自分だった。窓から見下ろせる門に、あの子の姿が現れるのを待っていたのだ。

「明るいのが嫌な訳じゃないから大丈夫だよ」

「そうか」

無理をしている美巳の言い草を、気づかないのかそれとも大人の気遣いでか受けとめた勇人を、美巳は好感を持って受けいれた。

狭い部屋だ。使用しないのなら折りたたみの机は邪魔でしかない。寝室へと片付け、二階の書斎へと降りてくると勇人は早くもメガネを掛けて、打ち込みを開始していた。

窓に向う形の机にノートパソコンを置き、美巳が戻ってきたのにも気づかないくらいに没頭している。時折、原稿を片手に読み返し、それから打ち込んだ文に目を通しているらしい。飾り窓からの灯りが差し込み、常日頃よりも明るい部屋で美巳も執筆を開始した。

一区切りついて顔を上げると、原稿を熱心に読んでいる勇人がいる。完全に小説の中に入り込んでいるのか、時折笑いを浮かべたり、難しい顔をしたりする。

美巳はそんな男の顔を眺めながら、作者として満足の行く出来栄えであった実感を得て立ち上がる。

「もう終わったの」

声を掛けると、勇人はまさしく飛び上がらんばかりに驚いて、椅子から腰を浮かしかけた状態で固まった。

「あ、ああ」

うなずくと、バツが悪そうに原稿を置く。

「面白かった?」

「ああ。そりゃ、もう!」

興奮した面持ちで、勇人が顔を上げ、メガネを外した。

「これ、雑誌か。何処に載るんだ?」

「いや、ダウンロード。光彩出版の奴」

何処の出版社も最近はウェブコンテンツに力を入れている。小さな出版社だと、ウェブで人気が出たものだけを、文庫でというところもあるのだ。

最近ではウェブコンテンツのみの出版社もある。

そういうところで仕事を貰いたいとなると、正直美巳のような中途半端な人気で、データ原稿を自分で作成出来無い作家は、自然と敬遠されてしまう訳だ。

「そうか。さっそく検索してみる」

どうやら、熱心な読者だというのは本当らしい。顔を輝かせている勇人に、美巳は自然と笑いを誘われた。

「まだ原稿段階だよ。編集のOKも出ていないんだ。載るのは先」

「え? 書きあがったら完成じゃないのか?」

「まさか。編集に見せて、直しの指示があって、それから著者校正だからね」

作家という作業は書き上げたら終わりという訳ではない。その時によっては使ってはいけない言葉や時流への対応もしなければならない。それには編集や専門家がいるのだ。

「著者校正って、何だ」

「編集がこう直したいとか、こういう風に言葉を変えたいとかいうのに、許可を出す仕事。中にはお任せなところもあるみたいだけど、俺は最後まで作品に責任を持ちたいからね」

「へぇ。大変なんだな」

勇人は大げさに感心している。美巳は少しだけ自尊心をくすぐられた。

「こんなに早く終わってくれるなら、ちょっと仕事増やしてもいいな。今までアナログでやらせてくれるところしか仕事受けてなかったから」

「一応、ちゃんと目を通してからにしてくれ。間違いだらけだったなんて困る」

「そうだな。悪いけど、紙に印刷してくれる? 俺、パソコンで文字追えないんだ」

画面が見えるように、身体を退かした勇人に、美巳が苦笑を浮かべる。さすがにそこまでとは思っていなかったらしい勇人が驚くよりも呆れた表情を浮かべた。

「ホントにアナログなんだな。俺みたいな年寄りならともかく、紅林はまだ二十代だろう?」

「だから、勇人さんを雇ったんだよ。お年寄りに余計な仕事をさせて申し訳ないですが、頼みます」

「余計なんてことは無い。次からはちゃんとプリントアウトしておく」

先程の表情の豊かさがふいになりを潜め、メガネを掛けた勇人は面白くも無さそうに印刷作業をはじめる。もしかして、年寄り扱いしたのは不味かっただろうかと美巳は内心考えたが、口から出た言葉は戻らない。

「じゃあ、終わったら下にもってきてください。お茶にしますから」

美巳は、これ以上刺激しないようにと姿を消すことにした。怒りの相手が目の前から消えることで感情は沈静することが多いのだ。

小麦粉だけは大量に買ってある。基本、美巳はあまり外出をしない。

静かに暮らすことが美巳の願いだ。最近は電話さえあれば、何でも買える。ネットが使えればと何度か挑戦してみたが、携帯サイトまでで美巳の努力は尽き果てた。

小麦粉とチーズ、干した果物やアルコール漬けはもっとも簡単に保存の利く食料だ。

小麦粉を水で溶き薄く焼き上げたものに砂糖を塗す。幾枚か焼き上げて、皿に置いた。ラズベリー茶を入れたところで、勇人が降りてくる。

無言で美巳に紙の束を差し出した。

「どうぞ、お茶にしてください」

にっこりと笑って美巳が皿と茶を示し、自身はテラスに置いたお気に入りのベンチでプリントアウトされた小説を読みはじめる。

程よい行間や字数で読みやすいのにも驚いたが、何よりも美巳が自分で書いたのと変わらぬ感覚に驚愕した。

幾度か自分の本を読んだことはある。だが、人の手が入ったことによる違和感はどうしても拭いきれなかった。

だが、勇人の手による美巳の文章は、美巳そのものに近い。限りなくそのものを現そうと務めているのがありありと伝わってきた。

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