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第十二話

勇人の家に二人して落ち着いたとき、勇人だけではなく美巳も深い溜息を吐く。

「まったく。どうして家に来たりしたんだ。あのままだと、勇人さんはあの場に捕まっていたんだぞ」

「場? 捕まる? 何のことだ。あそこが一瞬で廃墟になったことと関係があるのか?」

怒りを抑えるような美巳の口調にも勇人は怯まなかった。はっきり言って、疑問だらけだ。しかも何の超常現象だと問い返したくなる異常事態の連続。説明して欲しいのはこちらの方だ。

睨むような勇人の様子に、美巳はもう一度深く溜息を吐くと、何かを振り切るように口を開いた。

「まず、俺の言うことは嘘じゃない。それだけは信じてくれ。そうじゃないと話が進まない」

「…ッ、」

今まで勝手に嘘だと決め付けていたが、そうではないらしい。勇人は思わず舌打ちをしてしまった。だが、普通はあんな出来事が起こるなどと想定はしないだろう。

「まず、あの本だ。本当に俺が書いたものだ」

不満げな勇人の表情には気付いているだろうが、それでも美巳は静かに語りだした。

「林惟弥の」

「そう、俺は幾度かペンネームを変えている。林惟弥はその一人だ」

勇人はまじまじと美巳を見つめる。白髪があるわけでも、皺があるわけでもない。顔は整形で変えられても、首や手には年齢が現れるものだ。

「お前、幾つだ?」

「少なくとも、勇人さんの倍は生きているよ。地球に来て、百年程かな」

あっさりと美巳は肩を竦める。

「い、異星人?」

「だと思う。俺も本当のところは判らないんだ。俺が育ったのは、何処かの研究室みたいな場所で、外がどうなってるのかっていうのは、教えられたことしか知らない。研究室には、いくつかの場と繋がった場があって、そこから期限を決めて送り込まれるんだ」

淡々と話す美巳に勇人はぞっとした。そんな場所がいくつもあり、知らぬうちに入り込まれているのだと言う事実はそら怖ろしい。

「目的は、何だ」

「俺の場合は研究」

「紅林の場合?」

首を捻る勇人の瞳を美巳が覗き込んだ。その視線がまっすぐに勇人を見ている。

「言霊と呼ばれる、呪術的な言葉の研究。小説はある意味、実験」

その言葉に思い当たる節があって、はっと顔を上げた。美巳は何度か観察するように勇人が原稿を読んでいるのを眺めていたではないか。

「俺は実験動物か」

「非常に興味深い対象だった筈なんだけれどな」

深く溜息を吐いた美巳が額を抑えた。

「もしかして、あの小説」

紅林美巳の最後だと言っていたあれも。

「いや、あれは違う。あれは貴方に向けて書いたんだよ」

「俺、に?」

意外な言葉に、勇人は呆けた顔になる。

「勇人さんが抱えたものを俺は知らない。でも、後悔してそれに縛られていることだけは判る。だから、あれを書いた」

自分自身の中の『逃げ』を許せない男女の物語。

「勇人さんも同じような気がしたんだ」

逃げてもいいのだと。

「最後に伝えたかったから」

もし、美巳に時間があって、勇人の人生に寄り添えたのなら、もっと違う伝え方もあった。だが、時間は無かったのだ。

「紅林、お前、それって」

真っ直ぐに勇人を見つめる美巳の瞳は、雄弁に気持ちを伝えてくる。いくら人付き合いの苦手な勇人でも、判り過ぎるぐらいだ。

「あのまま俺を行かせていれば良かったのに」

何となく、にじり寄られているような気がして、勇人の腰が引ける。

「く、紅林?」

「もう、俺はこっちを選んだんだ。一瞬だったけれど、いい判断だと思うよ」

選ぶ? 何をだ? 混乱する勇人に、美巳はにっこりと笑い掛けた。

「こっちって」

「あのまま腕を取って、勇人さんをあっちに連れて行っても良かったんだ。でも俺はこっちに残った。あそこはもう場の力は無いからね」

にっこりと笑う美巳の笑顔は、何か背筋の寒くなるような迫力がある。

「ちょ、ちょっと待て。紅林、それってお前、もう」

「そう、俺はもう帰れない」

勇人は慌てた。それはもう盛大に。そんなつもりじゃなかった。ちょっと離れがたかっただけだ。あの本を返して、きちんと別れの言葉を交わせば良かった筈だ。

だが。

「と言う訳で、勇人さん」

あぐらをかいていた美巳が正座に座りなおすと三つ指を付いた。

「幾久しく、よろしくお願いします」

「嫁かよ!」

瀬谷勇人は五十二にして、初の盛大な突込みを入れたが、正面で頭を下げた男の態度が崩れるわけでもない。ひたすら頭を抱えるのが精々だ。


その後。

「おー。勇人に一緒に住むような友達がいたなんてな」

「はい、まぁ」

父親の知り合いである豆腐屋の隠居の突込みを、もう勇人は盛大な溜息と共に受け入れるしかない。あの塔にあった場が失われたことで、紅林美巳の記憶はほぼ残っていないらしいのだ。

美巳のいなくなった三角形の屋敷には、三月経った今、小さな子供連れの家族が住んでいる。あの崩壊した夜の姿が嘘のように、形は変わってはいるが小奇麗な屋敷になっていた。

「今度は何だろうな」

「さて、ね。何かの調査かもしれないし、俺みたいに研究かもしれない」

本当のところは判らないし、知る気も無いと美巳はにべも無く言い放つ。

「それより勇人さん。庭、何か植えてもいいか?」

「ああ。好きにしてくれ」

どうせなら、実のなるものがいいと勇人は言い添えた。

二人で並んで庭を眺める。そっと美巳が勇人を背後から抱きしめた。ここのところ、スキンシップが激しくなってきている気がする。だが、逃れる気にはなれなかった。向けられる好意の意味は判っている。物好きなことだと、もはや苦笑いしか浮かばない。

「なぁ。もう小説書かないのか」

「書いてるよ。紅林の名前はもう使えないから、新人賞の公募からだけれどな」

「使えない?」

不思議なことを言う美巳に、勇人は首を捻った。

「ある程度の情報操作は入っているんだ。公的に作った書類なんかが消える訳じゃないが、記憶は曖昧になる。元々、俺はこちらにあるべきものじゃないんだ」

つまり、最初に美巳のいうところの『こちら』へ来るときに、場を中心に情報操作が行われるらしい。そこで見たものやあったことが消える訳では無いが、場が消えた後には操作を受けた記憶は曖昧になりがちだ。

出版社も『紅林美巳』という作家がいたことは記録から判っても、元々吹けば飛ぶような零細作家である美巳とあえて連絡を取る担当はいないだろう。

「今度こそ、俺自身の実力でデビューしなきゃな」

ぎゅっと縋り付くように美巳は勇人を抱く手に力を込めた。寄る辺の無くなった美巳には、もう勇人しかない。

「俺も、手伝うよ」

勇人の言葉に、美巳が笑った。縁側で背後から抱きつかれたまま、二人で庭を眺める。荒れ放題だった庭は、生い茂っていた雑草が抜かれて、綺麗に整えられていた。隣との境界にはちょっとした藤棚が出来ている。

「ラズベリー植えよう」

「そうだな」

ぽつりとつぶやく勇人に、美巳が同意した。

あの三角屋根の庭のように。魔法使いは今は勇人の傍らにある。


<おわり>

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