折檻
ソファーに身体を預けた少女に大臣はおそるおそると言ったように話しかける。
「王の葬儀は明日にでも行われます。次期王としてはお嬢様ないし、ルッサ王子が即位されます。王子にもただいま早馬で駆けつけてもらっております。…しかし、お嬢様、いえ、女王陛下はあの者をどうなされるつもりでしょうか」
サーシャは眼光を鋭くしたまま前を見据えている。その横姿は昔の喜怒哀楽が激しい少女を見ることが出来ず、氷の美貌を放った別人だった。何かに取り憑かれているような顔でさえも争いの女神の再来とも言われても頷けそうであった。
父が言った意味は何なのだろうか。『私が、頼んだのだ。憎しみに捕らわれる
な』同時にあの異国人を思い出すと胸の中はまた嵐で吹き荒れるのだ。自分が身を任せていたあの感情、今ならこれが怒りではないと言うことが分かる。そうであるならば、まだこの心を揺さぶるこれは何なのであるか。
すぐにルッサが到着して大勢の家臣に迎えられた。そしてやつれたサーシャを見ると抱きしめた。
「ああ、サーシャ。これは国を揺るがすゆゆしき事だ。すぐに首謀を必ず見つけだし、八つ裂きにする」
「いいえ、ルッサ様、その必要はありません」
「どういうことだ」
サーシャはそっと事の真相がまとめられた報告書を差し出した。
「…なんだと、この暗殺は義父上が仕組んだことだと! どうしてそんなことを」
「この国がイウェンサ国に吸収されるとき自分がいては障害になると考えたのでしょう。自殺しては国民に罪の意識を背負わせてしまう。だから、父は反対に暗殺と見せかけて、静かにこの世から去ろうと思ったのでしょう」
喘ぐように喋る、サーシャのうなじに手を置いた。彼女にとっては辛いことだが、その意志を無駄にしないためには即刻に即位式は行わなければならない。
「ああ、しかし私たちは不在になった王座を埋めるためにすぐさま即位すべきだろう」
「…ええ、分かっております」
再び抱きしめられた中に今度は大きな優しさを感じて、サーシャはそっと胸に頭をもたせかけた。自分は今まで目を背けることしかしていなかったが、この安心の中に一生を任せてみてもよい大きさかもしれないと初めて思った。
「それでは、後一ヶ月後の私の誕生日ではどうでしょうか。この城は不要になります。使用人達も解雇されたり、新しい王宮に移ったりと時間はかかります。私は、私は一人この城に残り罪人を苦しませ殺したいと思います。王座につくのはその憎しみがすべて消え去った後がよろしいです。どうか、許可を」
ルッサは狼狽えた。
「しかし…あなたは、女だ。彼を殺せるわけない」
「いいえ。私は出来ます。昔剣術を習っていたことがあります。それに鎖に繋がれ、傷ついた罪人を殺す事なんて子どもでも造作のないことです」
そして、煌めく緑の瞳を向けた。そこにはすべてを超越した感情が煌々と燃えたぎっていた。いつも冷静な彼女がこんなにまで感情をむき出しにするのは初めてだ。これを拒否しても、逃げてまで彼女は罪人を自分の手で殺すだろう。
「…許そう」
ルッサは先に戴冠式の準備のために帰っていった。その次に王宮に住んでいた召使いがぞろぞろと退出していった。あんなに賑やかだった城が今では死骸のように静まりかえっている。過去のすべては去っていったと改めて実感した。
見るも無惨となった城の中、サーシャは唯一、人が残る拷問室へと向かった。消えることのない異臭が染みついた部屋では鎖につながれた人間が一人倒れていた。サーシャは父を殺した者の顔を見てやろうとドレスの一部を切り取り近くにあった水を張った桶に浸し、死んだように寝ている彼の顔を拭いた。血糊の下から現れる端正な顔と醜い傷の交互に目を奪われなら作業を続けた。
傷口にしみたのか、突然彼はカッと目を見開きサーシャの腕を掴んだ。
二人は無言で相手を見つめていた。いや、むしろ彼の艶のある琥珀の瞳がサーシャを捕らえていた。再び暴れ回る感情にサーシャは喘ぎながら、それでも視線をはなせずにいた。
「女神がいる…」
ずっとサーシャを貪るよう見ていた彼だが急に目の奥の神経が切れたようにサーシャの方に崩れ落ちた。
「ちょっと…」
同じ年ぐらいの青年だ。その年頃の男性と比べて小柄とはいえ重い。サーシャは唇を噛んで考えたが、彼を下ろすと、上着を脱ぎその上に青年を横たえた。先ほど女神だと言った時の表情がちらついていた。あの声をもう一度聞きたい。サーシャは意を決すると鎖を外して、医療箱を持て来た。傷口を濯ぎ、ねばねばとした薬を塗り、包帯を巻いてやる。自分でもどうしてこう言うことをしているのか分からなかったが、きっと自分は彼と出会ってからのこの胸に暴れる感情の意味を知りたいのだろうと思った。