暗殺
時は矢のように過ぎ去っていった。王国はイウェンサ国の属国となりやがて吸収されることになった。
国民もそれを望み王も認めた。それもこれもすべては王女とイウェンサ国の王子の婚礼が発端であった。民は婚礼の日を記念日として祝った。そしてその象徴とも言える王子妃は日に日に美貌を増していった。おしとやかでいつも臥せ目がちであるが、そのまつげの長さは見て取れる。そして瞳が現れた瞬間、国宝とも言われる情熱的な緑の目が現れる。艶のある長い髪はどんな絹にも敵わないとうたわれ、その伸びやかで豊かな体つきは女神の再来とも言われている。そんな彼女に王は深い愛を感じていた。
「サーシャ、サーシャはいるか」
「サーシャ様はただいま機を織っております」
「またか。仕事熱心なことだ」
「はい。更にサーシャ様が織った機は質がよいとサロンでも人気になっております」
そうかそうかと頷き、王子は彼女の部屋を訪れた。聞けば確かに機を織る音がする。扉が開く音がするや否や、彼女ははっと振り向いた。相手がルッサだと知ると控えめに微笑んだ。
「…ルッサ様」
ルッサはサーシャの織っている機まで回り込むとのぞき込んだ。
「ほう、熱心に何を織っているのだ」
サーシャはわずかに頬を赤らめ、首を振った。その表情は最近では見られなくなったがルッサはこの表情が好きであった。何度も問ううちに少女のその愛らしい口から秘密を聞き出すことに成功した。
「これは王子の上着でございます。…狩りに出かけた際に汚れてしまいましたでしょう? これは、王子の誕生日にお渡ししようと秘密にしておりましたのに…」
ルッサは思わず妻が愛しくなり、彼女が立ち上がったところを抱きしめた。艶めく髪が甘く香った。十六の誕生日まで後一ヶ月に迫っていた。
王宮での暮らしはこれからずっと変わっていかないように思えた。同じ毎日の連続。サーシャは前のようによく笑うことも泣くこともなくただ、人形のように玉座に座っていた。今の暮らしに満足はしているものの、絶望の沼に入り込んでいた。いつか私は新鮮な空気を吸うこともなく埃となって消えていくだろうと思いながら。
そんな冷たい雨が降る日であった。王宮に早馬が届いた。それを受け取った王宮中は騒然となった。誇張された噂が飛び交い、暗い空気で包み込まれる。ルッサも沈痛な思いでサーシャの部屋の扉を叩いた。
「何ですって…お父様が暗殺された…?」
「息はまだあるそうだ。詳しいことはまだよく分かっていない。あちらの城では混乱が起こっているそうだ」
いても立ってもいられず、サーシャは王に許可を願い出て自分が生まれ育った王宮へと急いだ。休憩の間を惜しんでサーシャは雨の中、生まれ育った王宮に駆け込む。重い空気が漂う中サーシャはデューセの姿を見つけた。
「デューセ、お父様は?」
少し老けたデューセはサーシャの姿にびっくりしたようだが、言うべき事は言った。
「寝室でお嬢様を待っております」
裾をさばきながらサーシャは急いだ。大きなベッドの横に何人もの医者を待機させて王は横たわっていた。サーシャが近くによると青白い顔を向け、かすかに目を開けた。
「サーシャ…か?」
「ええ、そうです。ただいま帰りました」
王はサーシャに焦点を結ぶと微笑んだ。
「きれいに…なったな。マーヤかと思ったぞ」
年老いた王は、胸に手を当て咳き込んだ。と、巻かれた包帯が赤く滲む。
「お父様!…誰がこんな事を」
目を涙で光らせるサーシャに王は口を挟んだ。
「いや…彼を罰するのではない。すべては私が頼んだのだ…。彼ではない」
「どういうことですか」
「憎しみに…捕らわれるな」
それが彼の最後の言葉だった。こうして、国を守ろうと尽力を尽くしてきた王がまた一人亡くなった。サーシャは声を殺して言った。
「…お父様を殺したのは誰?」
「は、はい。異国人です。刺した直前に捕らえたのですが、誰が首謀なのか口を割ろうとせず…」
「私をそこに連れて行って」
反論しようとした家臣に、少女の鋭い視線が飛んできた。そして、彼女に渦巻く膨大な怒りを感じた。逆らうと殺されかねないオーラを察知して、屈強なボディーガードを呼び寄せた。
城の地下に位置する薄暗い廊下を歩き、サーシャは拷問室へとたどり着いた。人を殺した人間からは血の臭いがする、人々に愛された王を刺し殺したのだからそいつはさぞ怨嗟にまみれているのだろうと思った。
扉を開けた瞬間、香辛料を砕いたような香ばしい香りがサーシャの鼻につく。思わずクラッとしたが、部屋に響く喧騒で倒れるまではいかなかった。
「おら、誰だか言わないか! さもないと生まれてきたことを後悔するほどおぞましい刑でおまえを裁いてやる」
空気を裂く鞭の音に合わせて血しぶきが飛び散る。
「ああ、これはお嬢様、いや奥方様。わざわざこんなむさ苦しいところへおこしに」
そんな声もサーシャには聞こえていなかった。視線は執行人の足下に突っ伏したゴミ袋のようになった人影だ。血で染まっていないわずかな部分はこの国の者ではない証拠の褐色の肌で覆われている。
彼は自分が今殴られていないと分かったのか、わずかに顔を上げてサーシャを直視した。思ってもみなかった端正な顔である。薄い唇に彫りの深い顔。そして輝く琥珀の瞳がサーシャを貫いた。
その途端、今まで感じたことのなかった感情が放たれ体を貫いた。目の奥が熱くなる。
龍が。
思わずよろめいたところを誰かに支えられた。
「大丈夫ですか」
気分を聞かれる後ろでお嬢様を連れ出せ、と言う声が聞こえる。サーシャは立ち上がって、いきり立つ男達を押しとどめる。
「私は大丈夫よ。それより、その鞭を貸しなさい」
部屋にいた全員の視線が集まる。丁重な手つきで差し出された鞭を色白で華奢な手が乱暴に掴んだ。
今サーシャを支配している感情は怒りだ。心の中でずっと渦巻いていた怒り。琥珀の瞳はサーシャを見つめる。サーシャは怒りに顔を歪めながら鞭を振るった。何度も何度も。周りはたちまち血で染め変わる。息が上がり歯がかみ合わなくなってきた頃ようやくサーシャは手を止めた。皆が呆然としている中、サーシャは部屋から退出した。