ファニーの近況
ファニーは世間で言われている『ニート』と呼ばれるものから『フリーター』と呼ばれるものに昇格していた。昇格という言葉が正しいのかはわからないが、あの事件後から週4日で働き、自給700円と決して高くはないがニートをしていたときよりも充実した生活を送っている。
しかし、ファニーの働くコンビニにスペードが現れたのは3日前のことだった。
「いらっしゃいませ。お預かりします。」作り笑いを浮かべて対応する。
「いらしゃってやったよ。それよりも聞けよ。新しい奇跡を見つけたんだ。」スペードは嬉しそうに言った。
「へぇ~、そうなんだ。」あからさまな棒読みにも関わらずにも「そうなんだよ。」とスペードは目を輝かせ続ける。
「それでな、3日後に『奇跡起こし隊』の活動をするんだ。」
「・・・駄目だ。3日後はバイトなんだ。」ファニーは首を横に振った。
「だから、詳細は後で連絡するから空けておいてくれ。」スペードはファニーの言う事を取り合わずに勝手に話を進める。
「いや、だから無理なんだって。」ファニーは少し刺々しい言い方をしたがスペードはお金を払い「釣りはいらねぇよ。そこに募金しといてくれ。」と言って颯爽と帰って行った。ファニーはレジ処理を済ませ、余った2円を募金箱に入れた。
ファニーのバイト先は市街地から少し離れた位置にある。そのせいもあって時間帯によっては1時間に客が1人も来ない日もあるぐらいに客のこないコンビニであった。このコンビニをバイト先に選んだのも客が来なさそうで楽ができそうだからだった。
しかし、市街地から離れていることもあってバイト先まで自転車で20分以上掛るのがファニーにとっての1番の苦痛だった。また、暇なせいでスペードがバイト中に平気で話し掛けてきたのかと思うと皮肉な事だと思った。だが、すぐにファニーは首を振る。スペードならピーク中の1番忙しいときでも平気で話し掛けてくるだろう。スペードという人間はそうゆう人間なのだ。平気で他人を振り回し、言いたいことは言って、やりたい事はなんでもやる。でも、そうゆうスペードが少し羨ましいとも思う。『奇跡起こし隊』は大仰に言うと、世間を騒ぎ立てて奇跡を起こし、人々を感動させようという集団である。決して『愉快犯起こし隊』ではない。
「ずいぶん楽しそうだったね。」かつらオーナーが嫌みなのか本音なのかわからないが気色悪い笑顔で言ってきた。かつらオーナーはオーナーの名字が『桂』だからではなく、かつらを被っているからかつらオーナーなのである。つまり、彼の事をよく思わない誰かが彼がかつらを被っていることを揶揄した陰のあだ名である。
「いえ、そんなに楽しくないですよ。」押し掛けられてしょうがなく相手をしていただけなので少しも楽しくはなかった。
「そうか。でもね、お客様にはそれが遊んでいるように見えるときもあるんだ。僕は君にお金を払っているんだよ。つまり、君にはそれ相応の仕事をしてもらわなければならないんだ。」かつらオーナーは気色悪い顔で正論を言う。そんなことは百も承知だが、周囲を見ても客はいないし、今日すべき仕事は終えている。かつらオーナーだってさっきまで「客がこないし今日の仕事はもう終わりかな。」とぼやいていた所だった。そんな皮肉を言うためにわざわざ店長室から出てきたのかと思うとファニーが心から呆れた。だが、わざわざ店長室から出てきてもらったので、ファニーは駄目もと3日後のシフトの件を聞いてみた。
「あの、3日後の僕のシフトどうなっていますか?」少し遠慮気味に訊く。スペードにはバイトがあると言ったが実際にはかつらオーナーが作るシフトは遅く3日後のシフトがまだできていなかった。このバイト先ではそんなことが平気である。
「うーん・・・そうだな。じゃあ、13~22時ということで。」予想通りの答えだった。ファニーの理想は『何か用事でもあるのかい?』とこっちの雰囲気を読み取って、気に掛けてくれる心遣いが欲しかった。だが、かつらオーナーはそれができない。あえてしない相当なひねくれ者なのか、人を困らせることを生き甲斐に生きているのか、それとも人が足りなくてかつらオーナーも困っているのか、ファニーにはわからない。だが、ファニーの理想の答えとは違った。ファニーはあまり人を見下すことはないが、かつらオーナーは駄目人間だと思っている。当然、言わずもがななことだが、このかつらオーナーはこの店の従業員から人気がない。ファニーが初めて出勤した時に交代で入った深夜の店員が教えてくれたことが、オーナーがかつらということだった。それだけではない。100歩譲って従業員から嫌われることは仕方がない。オーナーとはそうゆう職業でもある。それぐらいファニーにだってわかる。だが、かつらオーナーは客にも嫌われることが多いのだ。ファニーはかつらオーナーが若いやんちゃな客と喧嘩をしていることを見たことがあった。「てめぇ、店員だろ。」とかつらオーナーは睨まれていた。呆れられていた。かつらオーナーが作った唐揚げをその客はお金を払ったにも関わらず「こんなもんいるか。」と吐き捨て出て行った。受け取らなかった。かつらオーナーの接客態度の悪さに客が激怒したのだ。
ファニーはなにがあったのか知らないが「はい、お客さん唐揚げが出来ましたよ。」とレジの上に唐揚げを置いたのを見た。謝ったんだからそれでいいでしょ。あれと同じだ。誠意に欠けた言い方だった。マニュアルはお客様を呼び出して手渡しするのだが、かつらオーナーはレジの上に置いたのだ。どういった、いざこざがあったのか知らないが、お客様最優先というスローガンをかつらオーナーは実行していなかった。それに、客は激怒した。
「最近の若い奴はわからないね。この辺治安が悪いし。ああいう奴だけには君もなるなよ。」
かつらオーナーは苦虫を噛み潰したような顔で言った。ファニーはそのとき、この人は駄目だ、と心から残念に思った。そして、店の売り上げが悪いのもこの人がオーナーだからじゃないのか、と勘繰った。
「すいません。申し訳ないんですが急用ができたので休ませてもらえませんか?」ファニーが謝って懇願する。
「駄目だ。用事があったら×印をつけるのがルールだろ。1度決まったシフトぐらい出てくれなければ困るよ。ルールなんだから。」決まったと言っても、今さっき決めたんじゃないかと指摘したくなるのを堪えてもう1度頼む。
「すいません。それはわかっているんですけど、急用なんですよ。」
「駄目だよ。ルールなんだから。」かつらオーナーはルールという言葉を強調する。しかし、ファニーにだって秘策はあった。
「わかりました。じゃあ、僕は今日で辞めます。」ファニーは言い切った。元々、自給は安いし、オーナーは最悪な人間だし、家からは離れているし、このバイト先にこだわる理由は何もなかった。むしろ、バイト先を変えた方がいいかもしれないなというのが頭の片隅にあった。丁度良い機会だった。
しかし、かつらオーナーの顔があからさまに変わった。
「どうして最近の若者はすぐに辞めるとか、根性のない奴が多いんだ。ルールの1つも守れやしない。すぐに辛いことがあったら逃げる。そんなのじゃ社会に出たって通用しないぞ。」かつらオーナーは顔を真っ赤にして声を荒げて言った。ファニーは「すいません。」と一言だけ謝って頭を下げた。すると、かつらオーナーは「今回だけは大目に見てやる」と言い出した。「今回だけだからな。次からは×を付けるだぞ。」そう言い残すと勇ましい背中を見せて休憩室へと入って行った。
別に大目に見てもらわなくてもいいとは言わなかった。ここを辞めて新しいバイト先を探しても良かったのだが、この店はかつらオーナーの人格のせいで新しいバイトは長続きせず、まだ入って3ヵ月のファニーも貴重な戦力だった。ファニーに辞められたら困るのがこの店の現状であった。ファニーもそのことを理解した上での秘策であったので、無理にこの店を辞めるとは言わなかった。また、ファニー自身も自分が必要とされるのは嬉しいことだった。しかし、かつらオーナーはあれだけ自分では偉そうなことを言っているのにバイトに頭一つ下げて「辞めないでくれ」と言えないのかと、さらに呆れた。
そして昨日、バイトから帰るとスペードから電話があり、夜の7時45分までにバス停前公園のバス停の前に来てくれ、と連絡があった。どうしてこの間は電話ではなかったのか、と思ったが了承してすぐに電話を切った。
ファニーが起きると夕方の4時だった。しばらくバイトが続いていたせいもあって、スペードの電話を切った後にテレビの自動録画で溜め込んでおいた番組を夜遅くまで見ていたせいである。起きて食卓テーブルに座りご飯を食べようと思ったが、これは遅い昼飯なのか早い夜飯なのかと、くだらないことを考えていると時間は5時になっていた。5時になれば、自分の中ではもう夜飯なので答えは見つかり、夜飯を食べた。
スペードとの約束の時間まで少しテレビでも見ようと点けるとテレビのニュースで野球が取り上げられていた。どうやら、首位に大差で離されていた球団が奇跡のドラマを起こし、見事にリーグ優勝したらしい。奇跡を先に起こされてしまったなと思いながらしばらくスポーツニュースを見ていた。